尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

オリビア・ハッセー、ジミー・カーター、フリーマントル他ー2024年12月の訃報①

2025年01月08日 22時24分08秒 | 追悼

 2024年12月の訃報特集。最近よく「今月は1回で終わるかな」と思っていると、月末に重要な訃報が相次ぐことが多い。12月もそうだったが、中でもオリビア・ハッセー(Olivia Hussey)が73歳で亡くなったというニュースは悲しかった。「オリヴィア・ハッシー」と書くべきかもしれないが、一応マスコミの訃報通りに表記する。今では誰だと言われるんじゃないかと思うが、1968年の映画『ロミオとジュリエット』(フランコ・ゼッフィレリ監督)のジュリエットを16歳で演じた女優である。

(オリビア・ハッセー)

 若いようだけど、シェイクスピアの原作では14歳なのである。相手役はレナード・ホワイティングで一歳上。映画は素晴らしい傑作で、全世界で大ヒットし作品的にも高く評価された。(米国アカデミー賞で作品、監督賞などにノミネートされ、撮影賞、衣装デザイン賞を受賞した。)僕は公開時はまだ中学1年生なので見てないけど、名画座でよくやっていたから若い時に見ている。素晴らしい映像、忘れられないニーノ・ロータのテーマ曲、そしてオリビア・ハッセーの初々しい魅力に魅せられた。

 そしてこの人はどんな大女優になるんだろうと思ったけれど、案に相違してあまり恵まれない女優人生を送ることになった。だから、それ以後のことはあまり知りたくないし、ましてや書きたくもない。例えば、1980年に日本の歌手布施明と結婚した(1989年に離婚)とか。今では布施明も解説がいるかもしれないが。10代で活躍した俳優はなかなか大成出来ないことが多い。『ペーパームーン』のテイタム・オニール、『エクソシスト』のリンダ・ブレアーなども、それが生涯の代表作になった。『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターの方が例外と言えるだろう。これは日本でも同じだろう。

 その後は『暗闇にベルが鳴る』(74)、『ナイル殺人事件』(78)などに出た他、深作欣二監督『復活の日』でパンデミックで人類が滅びた時に、ノルウェーの南極基地隊員として生き残る役をやっていた。しかし、テレビ作品の方が多く、日本には紹介されていない。21世紀になって、念願だった『マザー・テレサ』のタイトルロールを演じて名前を思い出せてくれた。ところで、最近になって『ロミオとジュリエット』撮影で未成年のヌードシーンが強制されたと告発したというニュースが流れた。僕はDVDを持っているけど、まだ見てないのでどういうシーンだったか思い出せないんだけど。

(『ロミオとジュリエット』)

 書きすぎたので、他の人は簡単に。1977年~1981年にアメリカ大統領を務めたジミー・カーターが12月30日に死去、100歳。よく「ピーナツ農家からホワイトハウスへ」と言われたが、1971年から75年にジョージア州知事を務めて人種差別撤廃などに取り組んだ実績があった。ただ76年大統領選に出馬したときには、全米的には無名に近かった。任期中はイラン・イスラム革命ソ連のアフガニスタン侵攻に直面し、不運な大統領だった。イランではアメリカ大使館員人質事件が起き、救出作戦に失敗した。80年にはアフガン侵攻に対し、モスクワ五輪ボイコットを呼びかけた。80年大統領選ではロナルド・レーガンに大敗したが、退任後に世界各地を訪れ平和や人権活動を推進し、「最も優れた元大統領」と呼ばれた。2002年にノーベル平和賞受賞。

(ジミー・カーター)

  2004年から14年まで2期10年間インドの首相を務めたマンモハン・シンが12月26日死去、92歳。写真のターバンを見れば判るとおり、少数派のシーク教徒だった。中央銀行総裁、財務相などを務めた後、2004年に与党国民会議派に請われて首相に就任した。(国民会議派総裁のソニア・ガンジーがイタリア出身なので辞退したため。)経済政策ではそれまでの社会主義的統制経済から自由化路線に切り替え、90年代には「インドの鄧小平」と呼ばれた。インド経済の成長の度代を築いた政治家と評価されている。しかし、2014年の総選挙で敗北し、人民党のナレンドラ・モディ首相と交代した。

(マンモハン・シン)

 アメリカのプロ野球選手リッキー・ヘンダーソンが12月20日死去、65歳。メジャーリーグで最高の盗塁王として知られ、通算盗塁記録1406は歴代1位。1シーズン最高は1980年の130盗塁と言うんだからすごい。大谷の「50ー50」もすごいけど、盗塁だけに限ればリッキー・ヘンダーソンは驚くべき選手だった。盗塁王も14回記録している。通算得点2295も歴代1位。通算ホームランは297本で長距離打者とは言えないが、先頭打者ホームラン81本も歴代1位となっている。1979年から2003年まで現役で活躍し、70年代、80年代、90年代、00年代の4年代に盗塁を記録した唯一の選手。盗塁に関しては誰も抜けないと思う。

(リッキー・ヘンダーソン)

 日本ではなぜか報道されなかったが、イギリスのスパイ小説作家、ノンフィクション作家のブライアン・フリーマントルの訃報が12月31日に公表された。元々はジャーナリストだが、70年代にスパイ小説を書いて有名になった。チャーリー・マフィンを主人公にしたシリーズで知られ、『消されかけた男』に始まる14作はすべて新潮文庫で刊行され日本でもファンが多かった。また『CIA』『KGB』『FIX-世界の麻薬コネクション-』などの世界の情報機関や犯罪組織に関するノンフィクションも邦訳されずいぶん読まれた。僕はどっちの系列も読んでいて、面白い上に役立つ情報いっぱいだったが多作なので未読も多い。

(ブライアン・フリーマントル)

 ドイツの映画監督ヴォルフガング・ベッカーが12月12日死去、70歳。この人も報道はないけれど、『バグダッド・カフェ』のパーシー・アドロンの訃報(2024年3月)を見逃したので、ちょっと注意深く見て知った。『グッバイ・レーニン!』(2003)の監督。これは母親が昏睡中に東ドイツが崩壊し、奇跡的に意識を回復した母にショックを与えないよう皆で東ドイツが存続しているように装うというコメディで、当時は大評判になった。他に『僕とカミンスキーの旅』(2015)がある。また、インドの映画監督シャーム・ベネガルが12月23日死去、90歳。70年代に「インディアン・ニューシネマの旗手」と呼ばれた人で、日本ではアジア映画祭、大インド映画祭などで『ミュージカル女優』(77)、『ゴアの恋歌』(85)が紹介された。有名な映画監督グル・ダッドのいとこに当たる。社会性と娯楽性を兼ね備えた巨匠で、『ミュージカル女優』では「ボリウッド」の裏側を鋭く描いている。

ヴォルフガング・ベッカー)(シャーム・ベネガル)


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