「カメラを止めるな!」という新鋭監督の映画が面白いと評判になっている。実は先週も見に行ったんだけど、満員で入れなかった。新宿のケイズシネマという84席の小さな映画館で一日3回上映。口コミで広がって、早い時間に夜の回も満員になっている。やっと何とか一回目に見ることができた。なるほど、なるほど、これは確かに面白い。前半30分超はなんと「ワンカットのゾンビ映画」である。撮影場所の廃墟も面白く、疑問もありながら一気に見てしまう。でも、そこに映画の仕掛けがあり、終わったと思った映画が突然一月前に時間が戻る。

「ゾンビ映画をワンカットで撮る」というのは、もともと新たに始まるテレビ「ゾンビチャンネル」の企画で、その「メイキング」が後半なのである。作られたメイキングの常として、危機に次ぐ危機が訪れるが現場の知恵と工夫でなんとかなる? いや、実はなんともならないところもあって、それが前半の映画でどうにも疑問になっていたところでもある。その「謎解き」が後半であって、いや裏じゃこうなってたのかというシナリオのうまさである。
現実の俳優がいて、映画の中で俳優を演じる。その映画の中の俳優が映画の中で演じている。この三重のこんがらかった面白さ。だから、危機が起こって何とかする時に、「俳優の生の顔」が出るという設定だけど、それも実は演じているわけである。例えば、出演予定の俳優が交通事故に巻き込まれて来られない。そこでどうする、監督の奥さんの元女優がたまたま見に来ていた。ホンはもう100回ぐらい読んでいる、夫の仕事のホンを読むのが趣味なのだ。もう一つの趣味が「護身術」、これがおかしい。現場で熱くなりすぎる監督の娘、この設定も実におかしい。
最初の「ゾンビ映画」の時はこういう人かなと思って見ていた俳優たちが、その後のメイキングになると印象が変わってくる。名演だと見えたものが、偶然だったりする。よく出来たセリフだと思ったものが、アドリブだったりする。それもまた事前に書かれていたんだろうから、なかなかアイディアである。最初は稚拙なシーンに見えたものが、実はどうして成り立っていたかが判るとちょっと感動である。こういうワン・アイディアで作られた映画として内田けんじ監督の「運命じゃない人」を思い出した。あるいはスティーヴン・スピルバーグの「激突!」なんかもあった。監督・脚本・編集は上田慎一郎(1984~)。今までに短編を中心に何本か撮っているが、どれも見ていない。
今後渋谷のユーロスペースなどでも上映。
(上映後のあいさつ)

「ゾンビ映画をワンカットで撮る」というのは、もともと新たに始まるテレビ「ゾンビチャンネル」の企画で、その「メイキング」が後半なのである。作られたメイキングの常として、危機に次ぐ危機が訪れるが現場の知恵と工夫でなんとかなる? いや、実はなんともならないところもあって、それが前半の映画でどうにも疑問になっていたところでもある。その「謎解き」が後半であって、いや裏じゃこうなってたのかというシナリオのうまさである。
現実の俳優がいて、映画の中で俳優を演じる。その映画の中の俳優が映画の中で演じている。この三重のこんがらかった面白さ。だから、危機が起こって何とかする時に、「俳優の生の顔」が出るという設定だけど、それも実は演じているわけである。例えば、出演予定の俳優が交通事故に巻き込まれて来られない。そこでどうする、監督の奥さんの元女優がたまたま見に来ていた。ホンはもう100回ぐらい読んでいる、夫の仕事のホンを読むのが趣味なのだ。もう一つの趣味が「護身術」、これがおかしい。現場で熱くなりすぎる監督の娘、この設定も実におかしい。
最初の「ゾンビ映画」の時はこういう人かなと思って見ていた俳優たちが、その後のメイキングになると印象が変わってくる。名演だと見えたものが、偶然だったりする。よく出来たセリフだと思ったものが、アドリブだったりする。それもまた事前に書かれていたんだろうから、なかなかアイディアである。最初は稚拙なシーンに見えたものが、実はどうして成り立っていたかが判るとちょっと感動である。こういうワン・アイディアで作られた映画として内田けんじ監督の「運命じゃない人」を思い出した。あるいはスティーヴン・スピルバーグの「激突!」なんかもあった。監督・脚本・編集は上田慎一郎(1984~)。今までに短編を中心に何本か撮っているが、どれも見ていない。
今後渋谷のユーロスペースなどでも上映。
