尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「移民」「難民」と日本-「入管法改正」と外国人労働者問題②

2018年12月10日 23時00分21秒 | 政治
 「入管法改正」に見られる安倍政権の対応はどうにもおかしいものだった。しかし、それ以上に僕が心配するのは野党側の対応である。真正面から外国人労働者の人権を論じるよりも、日本人労働者への影響を心配して外国人を排斥するかの論調も見られた。健康保険が家族にも適用されるのかなど、制度の本質から離れた論議が繰り広げられた。それだったら年金はどうなのか。家族を呼べないなら母国へ帰るしかない。年金は払い損になってしまうのか。

 日本の場合「外国人労働者」の制度問題以前に、まずは「難民認定」のあり方を再考しなければいけない。裁判所で二度にわたって難民と認められらながら、法務省は未だ認定しないケースまである。日本の裁判所は外国人の人権に敏感とは言えない。そんな裁判所でさえ認めたケースを行政が認めないのは、三権分立の精神に反している。入管の収容所での人権無視の長期拘束も大問題。入管だけでなく、刑事司法での長期の身柄拘束が世界基準から見て異常だ。日産のゴーン事件をきっかけに、世界からの批判も厳しくなりつつある。

 しかし、ここで言いたいのはちょっと違うことである。日本が直面している「少子化」をどう考えるのか。人口バランスの崩れた日本社会をどのように維持していくかという問題である。例えば「介護」の問題で、介護福祉士の待遇が悪いから介護の人材が集まらないという人もいる。介護だけでなく、労働者の待遇をよくすれば日本人の労働力が集まるという発想だ。同じように、女性や高齢者が働ける社会を作れば労働力不足の問題が解決するように説く人もいる。
 (人口動態統計に見る出生数の推移)
 しかし、出生数の動向を見れば、日本人だけで必要な労働力が足りるというのは幻想だと思う。もちろん介護や保育の待遇を改善することは大事だし、若年層を支援する政策も必要だ。だけど、今後少子化が改善したり「女性が輝く社会」が実現したとしても(その可能性はないと言うべきだろうが)、「もう遅い」のである。1970年代初頭は「第二次ベビーブーム」で一年間に200万人以上が生まれていた。その後漸減して行って、85年ころに150万を割り2017年には94万人程度の出生数となっている。外国人の養子を迎えることは少ないから、世代人口は増えない。

 今30歳を超えて結婚・出産期を向かえている世代は、第二次ベビーブーム世代の4分の3である。どんどん減っていって、2018年に生まれた世代が子どもを産むころには100万人を割る。女性はその半分だし、結婚しない人もいるし、子どものできない人もいる。何らかの政策により、この世代の女性が突然たくさんの子どもを産んだとしても、元の人口が少ないんだから人口に大きく影響しないだろう。高齢者や女性が「活躍」するといっても、建設業や長距離ドライバーはやっぱり若い男性にふさわしい仕事だろう。世の中にはそういう仕事もあって、AIなどにより働き方が大きく変わったり、報酬を大幅に上げたとしても、元々の人口が少ないんだからどうしようもない。

 「日本はいい国」だというテレビ番組がいっぱいある。「外国人観光客」はどんどん来て欲しいと国も力を入れている。そんなにいい国なら、観光で来て日本が気に入って、この国で働きたいと思う人が増えるはずだ。観光推進政策を進めているのに、どうして労働者になることだけ拒否できるのだろうか。家族が一緒で来ると「移民」になるとか、意味不明の議論ばかりしている。だから「技能実習生」という名前で来た「外国人労働者」は、乏しい給料を節約して母国の家族に送金している。安定した資格を持って働き、家族も日本に呼べたならば、彼らは日本で家を買い自動車も買うのである。日本で一定水準の消費者になってもらう方がずっといいと思うが。

 しかし日本人は「それでもいろいろ面倒」だと感じると思う。「外国人移民」というか、「日本が直面する問題を正視する」ことをしないだろう。その結果、少しずつ社会の歯車がずれて行っても、まあ仕方ないと諦める。いろんなことを諦めてガマンする様に言われて育ってきた。自分で考えて、自分でリスクをとることは避ける。こうして日本社会はゆっくりと沈んでいくのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入管法改正」と外国人労働者問題①

2018年12月09日 21時18分27秒 |  〃  (安倍政権論)
 2018年12月8日(土)に「入管法」(出入国管理及び難民認定法)「改正」案が参議院本会議において賛成多数で可決された。この法案にはその中身の問題とともに、国会審議のあり方を問題視する批判も多かった。法案には今後政令で決める事項が多すぎ、「政府一任法案」と野党は批判した。法案のベースになるはずの「技能実習生」に関する調査データの「不備」も多く見つかった。
 (参議院法務委員会の「採決」)
 もっと審議を尽くすべきだとする野党を押し切って、上記のような採決が衆参両院で行われた。これは通常の言い方で「強行採決」だと思うが、菅官房長官は「強行」ではないとしている。野党である「日本維新の会」が採決に加わっているから、「与党が全野党を押し切って採決した場合」のみを指す(と勝手に意味を自分で狭めた)「強行採決」にはならないということらしい。「維新」は閣内に大臣を送っていないけど、「憲法改正」を含む安倍政権の政策に協力する代わりに、大阪に「万博」と「カジノ」がやってくるということなんだろう(と邪推している)。

 恐らくこの筋書きは相当前に決まっていた。もともと「外国人労働者政策の転換」は、6月15日に発表された「経済財政諮問会議」の「骨太の方針」で公表された。僕は当然の道筋として、そうなるだろうと思っていた。「復興」を掲げながら「東京五輪」を実施する以上、労働力不足が深刻になるのは判っている。2013年9月に東京五輪決定時に書いた「2020年東京五輪問題④」で、「外国資本と外国人労働者」によって対応するだろうと書いた。ずいぶん前から、やがて外国人労働力をもっと受け入れるしかないというコンセンサスは政府内で形成されていたはずだ。

 それにしてはずいぶん遅いじゃないか、内容も決まってないじゃないかと思うかもしれない。しかし、人出不足が一番深刻になる2019年に実施するためには、どうしたらいいか。「もっと議論を」となれば「外国人労働者の人権問題」がクローズアップされる。外国人労働者の人権に配慮したルールになれば、それは「外国人移民」だとして、安倍政権のコアな支持層が離反しかねない。また単に「使い捨て労働力」が欲しい経済界も反発する。よって、2018年秋の臨時国会で「スカスカの法案」を強行するしかない。今回だって、自民党総務会での承認は難航した。安倍政権としては、これ以上「中身のある法案」にはできないのである。

 「水道法」や「漁業法」の「改正」も成立した。今まで僕も安倍政権を「極右」政権だと批判してきた。「日本会議」に共鳴する議員が安倍政権では重用される。それは「保守」じゃなくて、外国基準では「極右」の「歴史修正主義」だと言ったと思う。そういう面も確かにあるけど、今回の臨時国会で成立した「改正」は、むしろ右翼民族派が反発してもおかしくないような内容である。安倍首相は政権復帰後の初の施政方針演説で「日本を 世界で一番企業が活躍しやすい国にする」と述べた。そっちが優先だったんだということである。

 安倍首相の党内基盤は右派にある。トランプ政権やプーチン政権との外交、天皇の代替わりなどを控えて、右派の反発を抑えるためには、慎重な手続きがいるだろう。しかし、「経済界」と「アメリカ」の要請は、最大限に重視する。これが安倍政権の本質だった。そう見ると、今後詰められる外国人労働者受け入れ政策の具体的方針も、大体想像できるというもんだ。一応家族を呼び寄せ定住も可能なようなシステムを作るけれど、それは可能な限り難しい資格となるだろう。「日本人と外国人を差別しない」かもしれないが、それは「日本人も切り捨て可能な派遣労働者にする」という意味なのだ。(続けてもう一回)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山崎朋子、赤木春恵、黒澤満等-2018年11月の訃報②

2018年12月08日 22時51分05秒 | 追悼
 11月の訃報の前に、11月に公表された10月の訃報を。映画「サンダカン八番娼館 望郷」の記事を書いた直後に、原作者の山崎朋子の訃報があって驚いた。10月31日没、86歳。「サンダカン八番娼館」が大きな評判を呼び、70年代には女性史、民衆史に影響を与えた。戦前の評論家山田わかを扱う「あめゆきさんの歌」が興味深かった。他にも多くの著書があり、かつては文庫されていた。夫の上笙一郎との共著、「日本の幼稚園」「光ほのかなれども」なども重要だ。
  (前=山崎朋子、後=入沢康夫)
・詩人・仏文学者の入沢康夫(いりさわ・やすお)が10月15日に死去していた。86歳。僕は入沢氏の詩は読んでないけど、宮沢賢治研究者、全集の編集者として知っていた。
・国際経済学者の西川潤が10月2日に亡くなっていた。82歳。「飢えの構造」など多くの著書、共著がある。南北問題、「第三世界」を論じてずいぶん知られていたのだが。
・俳優の三上真一郎が7月14日に亡くなっていた。小津監督の「秋刀魚の味」で岩下志麻の弟をやっていた俳優である。「仁義なき戦い」のチンピラ役など多くの映画に出ていた。これらの人々を見ると、現役バリバリの時代を過ぎると訃報が極端に小さくなるなあと感じる。

 ちょっと驚いたのが映画プロデューサー、黒澤満の訃報。11月30日、85歳。年齢を考えればそう驚くものではないが、実は国立映画アーカイブで1月に特集上映が行われる。すでに日程が公表されているが、元気なら本人のあいさつも聞けるかなと思っていたところだった。日活に入社し、その後東映系で松田優作の「最も危険な遊戯」を作った。以後の松田優作の活躍を支えてゆくことになる。テレビの「あぶない刑事」もこの人の業績。
  (前=黒澤満、後=赤木春恵)
 女優の赤木春恵が死去。11月29日、94歳。多くのテレビや舞台で活躍したが、ほとんど見てないので何も言えない。映画では88歳で「ペコロスの母に会いに行く」に初主演。これは世界最高齢の記録だという。戦中から活躍していた俳優はもういないのではないだろうか。

 扱いとして大きかった人として、元経団連会長の米倉弘昌がいる。11月16日没、86歳。住友化学会長を務め、2010年から14年まで経団連会長。この時期は民主党政権から自民党政権へという時期で、米倉会長は誰に対しても言うべきことは言う感じだったと思う。だから安倍政権の金融政策や中国政策にも物申し、経済財政諮問会議の民間委員(それまで経団連会長の指定席とされた)から外された。安倍政権の「度量の無さ」を最初期に示した出来事だった。

 衆議院議員の園田博之が死去。11月11日、76歳。1986年以来、連続11期当選だが大臣にはなってない。93年に自民党を離党して「さきがけ」結党に参加。99年に復党後、2010年の野党時代に再び離党、「立ち上げれ日本」結党に参加。15年に再び復党。こういう経歴の人は他には誰もいない、園田直元外相の長男。父は「白亜の恋」と言われた松谷天光光との再婚で有名だが、この人は前妻との間の子。

日吉フミコ、11月7日死去、103歳。水俣病市民会議会長として長年患者支援に努めた。
笠原芳光、11月10日死去、91歳。宗教思想史、特にキリスト教を論じた。キリスト者の戦争責任を取り上げた他、80年代、90年代に広く宗教の問題を問う本を出している。
向山光昭、11月17日死去、91歳。日本有機化学の父と言われる東大名誉教授、文化勲章。
十川信介、11月18日死去、81歳。近代文学研究者。漱石や二葉亭四迷などアカデミックな明治文学研究の第一人者。
宮崎晃、11月25日死去、84歳。映画監督、脚本家。特に山田洋次映画の初期にたくさん書いた。「家族」「故郷」「男はつらいよ望郷篇」「男はつらいよ寅次郎忘れな草」など70年代の名作である。監督として「泣いてたまるか」「友情」などがあるが、あまり大成しなかった。むしろテレビや劇場のアニメの脚本家として知られているかも。「あらいぐまラスカル」やムーミンシリーズなど。
前田憲男、11月25日死去、83歳。ジャズピアニストだが、多くのテレビ番組の音楽を手掛けた。「ミュージックフェア」や「題名のない音楽会」「11PM」など。知らずに沢山聞いてたことだろう。
高取英、11月26日死去、66歳。劇作家、演出家。「月蝕歌劇団」を旗揚げした他、「寺山修司論」などを書いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢昭一七回忌追善ー「日本の翻弄芸」を見る

2018年12月07日 22時43分00秒 | 落語(講談・浪曲)
 2018年12月6日。浅草・木馬亭で「小沢昭一七回忌追善」と銘打った「日本の翻弄芸」を見に行った。「爆笑三人組」と名乗るは、上方落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福、スタンダップコメディの松本ヒロの三人。それに芸能評論家の矢野誠一が加わったトークと盛りだくさんの2時間半。

 2012年12月10日、今思えば第二次安倍政権が誕生する直前だった。16日が衆議院選挙である。そんな日に小沢昭一の訃報が伝えられた。その時に「追悼・小沢昭一」を書いた。僕は映画や舞台で見る小沢昭一が好きだったけれど、それ以上にこの世代の人々から受け取ったきたものが多い。その後、池袋の新文芸座で追悼上映があり、多くの人が詰めかけたので追加の企画も行われた。その時も感想を書いたはず。ゲストもいっぱい語っていたが、永六輔加藤武が「これからも小沢昭一を語り継いでいこう」と意気投合していた。今ではその二人ももういない。

 そんなときに、もっと若手の三人が中心になって「日本の翻弄芸」なる追善公演を企画した。場所は浅草木馬亭で、小さい会場だから満員御礼。混雑が判っていたので、事前には書かなかった。僕がなんで知っていたかというと、奈々福・吉坊で続いている「みちゆき」という上方落語と浪曲の会に行ったからである。浪曲師の玉川奈々福さんは去年の今頃まで名前も知らなかった。あちこちで紹介され妻が見に行って、良かったいうことで、以後一緒に何回か聴いてる。

 今回の三人は以下のチラシ裏側のある写真の縁。小沢昭一の葬儀に際し、なんとか手伝いをしたいと思いながら、何も役がなかった松本ヒロ。見かねた奈々福さんが受付の役を代わったけれど、それが芸能人向けの受付。松本ヒロは全然芸能人を知らず、「役に立たなかった」(奈々福談)。そこに吉坊も加わり、葬儀後に写真を撮ったという三人組である。この写真を松本ヒロが「週刊金曜日」に載せたところ、マネージャーから「こころからの笑顔」と表現されたという。でも、それで小沢昭一も喜んでいるだろうとうことだったけど。

 桂吉坊は上方落語の「天王寺詣り」。これは「日本の放浪芸」に四天王寺のアホダラ経がある縁。犬の供養をめぐる笑話だけど、「俗名クロ」が昔飼ってた「クル」に似てるから思い出す。玉川奈々福は浪曲「浪花節更紗」で、これは小沢昭一や桂米朝の師である正岡容作という縁。明治期の浪曲界をめぐる情話を力強く語る。しかし、そこまでなら「みちゆき」と同じ。今回は何と言っても松本ヒロさんのトーク。何度も聴いてるけど、実は集会以外では初めて。政権批判のモノマネや「憲法くん」の話などで、「テレビに呼ばれない」芸人の本領発揮。

 小沢昭一の講演を聞いて感動して、自分も紀伊国屋ホールでやりたいと思った話。「花咲き花散る 宵も 銀座の 柳の下で」と「東京ラプソディ」を歌いだすと、そこは戦前の東京になった。「ハーモニカが欲しかったんだよ」と歌う時、そこに焼け跡の東京が見えた、と松本ヒロは語る。これは本当によく判った。ホントにそうだったよなあ。「論」ではなく、「本当に二度と戦争はしてはいけないんだ」という「庶民の非戦」を伝えていた。そういう人たちがどんどんいなくなると、戦時下で軍人と軍に追随する人たちがどれほど非道なことをしていたかを知らない人が出てくる。そんなことも感じながら、大いに笑った一日だった。小沢昭一コレクションにあった乃木将軍の映画が発掘され、12月15日に早稲田大学の演劇博物館で上映の催しがあるという。(僕は行けないけど。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランシス・レイ、ジョージ・ブッシュ、ドーア等-2018年11月の訃報①

2018年12月05日 22時58分21秒 | 追悼
 2018年11月の訃報特集は最後に一気に多くなったので2回に分けて、まず外国人から。最初に誰を書こうとおもったけど、ベルナルド・ベルトルッチ監督は別に書いたのでフランシス・レイから。1932~2018.11.7、86歳。正式な死亡日や死因は未発表。フランスの作曲家で、特にクロード・ルルーシュ監督作品で知られた。「男と女」「白い恋人たち」(68年のグルノーブル冬季五輪の記録映画)なんて、ある年代ならばアタマの中にメロディが鳴り響き、それは「フランスの香り」をしていたのである。1970年にはアメリカ映画「ある愛の詩(うた)」(Love Story)でアカデミー賞受賞。最近まで活動はしていたけど、やはり70年代頃を思い出す名前だ。

 アメリカ合衆国第43代大統領のジョージ・H・W・ブッシュが死去。1924.6.12~2018.11.30、94歳。長男も大統領になったわけだが、父親はフルネームで言えばジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュという。息子の方にはハーバートが付かない。ビジネス界からテキサスで政治家になったが、大統領になる人材とは思われてなかったと思う。国連大使や初代駐中国連絡事務所長(国交樹立前の事実上の中国大使)を務め、80年大統領選でレーガンの副大統領候補となった。保守的で外交経験のないレーガンのもとで、外交的な経験を買われたということだろう。

 レーガンの高支持を受け継ぎ88年大統領選でブッシュが当選した。現職副大統領が直後に当選することは珍しく、144年ぶり4回目だという。就任した1989年はベルリンの壁崩壊、東欧革命の年だった。「冷戦終結」と「湾岸戦争」(イラクのフセイン政権が90年夏にクウェートに侵攻し、91年初めに多国籍軍がクウェートを解放した。)現代史の最も重大な時点で、世界最高レベルの地位にこの人がいた。しかし、92年大統領選では、経済政策が批判されクリントンに敗れた。実業家のロス・ペローが2割近い得票をして、保守票が取られたのだ最大要因だった。戦争中に日本ぐに撃墜された経験がある。バーバラ夫人は賢夫人で知られ、2018年4月に先に死去した。

 長くなってしまったので、後は簡単に。アメリカのコミック原作者、スタン・リーが死去。11.12日、95歳。1939年にタイムリー・コミックス(後のマーベル・コミック)社で働き始め、18歳で編集長に就任。60年代以後、スーパーヒーローものコミックを多数生み出した。「アメイジング・スパイダーマン」「X‐メン」「アイアンマン」「ハルク」「マイティ・ソー」「アベンジャーズ」など映画化されて大ヒットしたものが多い。自作の映画化にカメオ出演したことでも知られている。

 アメリカの脚本家、ウィリアム・ゴールドマンが11.16日に死去、87歳。「明日に向かって撃て!」と「大統領の陰謀」で2回アカデミー賞を受賞した。その後も「ミザリー」「マーヴェリック」「目撃」などを書いているけど、やはり70年代に輝いていた。映画界以前に作家として「マラソンマン」「華麗なるヒコーキ野郎」などを書き、自分でシナリオ化している。

 映画監督ニコラス・ローグが死去、11.23日、90歳。元々はカメラマンで「アラビアのロレンス」の撮影の一人。トリュフォーの「華氏451」などを担当した。監督になってから「赤い影」「地球に落ちて来た男」「ジェラシー」「マリリンとアインシュタイン」などがある。耽美的な映像がミニシアターに合っていた。今はデヴィッド・ボウイが出演した「地球に落ちて来た男」が一番有名だろう。

 「香港映画の父」と呼ばれるレイモンド・チョウが死去、11月2日、91歳。有名なショー・ブラザースに50年に入社、70年に独立して「ゴールデン・ハーベスト」を創設した。ブルース・リーの映画を製作し、「燃えよドラゴン」が世界的に大ヒット。カンフー映画ブームが世界に広がった。その後ジャッキー・チェンの映画が大ヒット。「プロジェクトA」や「ポリス・ストーリー」などジャッキー・チェンの一番面白かった時代である。「キャノンボール」でハリウッドにも進出した。

 イギリスの社会学者、日本では「知日派の日本学者」と言われたロナルド・ドーアが11月13日死去、93歳。日本をテーマに資本主義や共同体意識の比較研究をして、非常にたくさんの本が紹介されている。「都市の日本人」「学歴社会 新しい文明病」「イギリスの工場・日本の工場」などが最も有名だろう。「誰のための会社にするか」(2006)、「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2011)、「日本の転機 ─米中の狭間でどう生き残るか」(2012)は、いずれも岩波、中公、ちくまの新書で刊行された。「幻滅 外国人社会学者が見た戦後日本70年」(2014)が最後に書かれた。題名にあるように、21世紀にはアメリカ的な文明への批判、日本への幻滅を語ることが多かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画

2018年12月04日 22時57分00秒 |  〃 (世界の映画監督)
 イタリアの映画監督、ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)が亡くなった。1941.3.16~2018.11.26、77歳。21世紀に入ってからは闘病生活が伝えられていた。2012年に「孤独な天使たち」が作られたが、実質的には20世紀の映画監督だったと言える。訃報特集で書くと長くなりそうなので、ベルトルッチ監督の映画についてまとめて書いておくことにする。

 ベルトルッチは不思議な、というか困った映画監督だったと思う。世界的に有名になる前の作品は素晴らしいけど、有名になってからはあまり良くない。ベルトルッチは1961年にピエル・パオロ・パゾリーニのデビュー作「アッカトーネ」の助監督についた。そのままローマ大学を中退して、1962年に「殺し」で監督デビュー。二十歳を超えたばかりで、恐るべき早熟の才能である。そして1964年には自伝的と言われる「革命前夜」を発表して広く知られた。
 (革命前夜)
 これらの作品は長く日本では公開されず、80年代末のミニシアターブームでやっと見ることができた。思わせぶりな「革命前夜」という題名だが、ブルジョワ出身でありコミュニストでもある主人公の生活を描く映画だった。ベルトルッチの「革命」は70年代初頭にやってくる。1970年に作られた「暗殺のオペラ」と「暗殺の森」の二つの映画である。前者はボルヘス、後者はモラヴィアの映画化だが、原作を自在に織りなおして自分のスタイルで語っている。特に後者の「暗殺の森」は完成度が高い。2013年に「『暗殺の森』とベルトルッチの映画」を書いているので、ここでは省略する。

 日本で初公開された映画は「暗殺の森」だったが、小規模な不幸な紹介だった。そのベルトルッチが世界的にブレイクしたのが、1972年の「ラストタンゴ・イン・パリ」で、あからさまな性描写がスキャンダルのように報じられた。「ゴッドファーザー」で久方ぶりに世界の話題になったマーロン・ブランドとまだ19歳の無名に近いマリア・シュナイダーが主演した。パリで部屋を探していた中年男と若い女性が出会う。二人は何もない部屋で先行きのない性交を続ける。

 70年代初頭の暗い世相を反映するような映画で、僕はこの映画をどう評価していいのか戸惑った。その後、この映画には重大な問題があることが明らかになった。マリア・シュナイダーには説明のないまま、レイプのようなセックスシーンが撮られたというのである。つまりシナリオに書かれていたシーンを演じたのではなかった。この映画は主演の二人、特にマリア・シュナイダーに大きな傷を残したとされる。今ではその撮影方法はアウトだろう。マーロン・ブランドの存在感や全体に漂う暗い抒情は捨てがたいが、今では当時と違った意味で「問題作」である。

 次の「1900年」(1976)はノーカット版316分、当時の公開版でも4時間を超える超大作だった。イタリアの20世紀前半を2部作で描いている。映画は1900年にヴェルディが死んだというところから、ファシズム崩壊までを一つの村の人々を追いながら描き続ける。主演にロバート・デ・ニーロジェラール・ドパルデューと米仏の名優を起用、実に見応えがあった。なかなか日本公開されなかったが、1982年にやっと公開されて嬉しかった。イタリアのファシズムの諸様相をこの映画で理解することができた思いがする。この映画もぜひデジタル版で見直してみたい。

 はっきり言ってベルトルッチはここまでだった。いや「ラスト・エンペラー」(1987)があるというかもしれない。でもあの映画は紫禁城でロケしたという壮大さ、清朝最後の皇帝から「満州国」皇帝へと歩んだ溥儀という人物の人生行路。その両者をウリにしたこけおどし的な超大作だったと思う。現代史に不案内な人は知らない話かもしれないけど、「わが生涯」をずっと前に読んでたから絵解きのような映画だなと思って見ていた。見直せば貴重なロケに感謝するかもしれないが。

 ポール・ボウルズ原作の「シェルタリング・スカイ」は僕がモロッコを知らないから、面白く見た。チベットを舞台にしたり、知らない国を描くとドラマとしては弱くなったと思う。それがベルトルッチの問題で、自国を離れてはいけない人だった。2003年のフランス五月革命を背景にした「ドリーマーズ」はムードに流されてしまった失敗作だった。そういう「こけおどし」的な作風は、実は「暗殺のオペラ」「暗殺の森」にもあった。作家的野心が外国での超大作に向かわなければ良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「消滅世界」と「抱く女」②

2018年12月03日 22時41分00秒 | 本 (日本文学)
 「消滅世界」に続いて、桐野夏生「抱く女」の話。この小説は1972年9月から12月の4か月間の東京を舞台にしている。主人公は東京の大学に通う20歳の女性。名前は「三浦直子」というが、今の感覚では「女子大生」の名前らしくない。逆算すると直子は1952年生まれとなり、2018年には66歳になっている。桐野夏生は1951年生まれで、一年違う。自分の経験を描く描写もあるだろうが、「自伝」じゃないということだろう。解説の村田沙耶香が生まれる7年前のことである。

 吉祥寺の雀荘が冒頭に出てくる。吉祥寺のS大学に通うとあり、桐野夏生の経歴を見れば成蹊大学法学部卒業である。成蹊大学は吉祥寺にあるので、そういう設定かなと思う。(ちなみに1954年生まれのシンゾー君とはキャンパスですれ違っていたかも。)直子は大学に行く気がなくなって、今しか遊べないんだと思って、毎日のように麻雀に通っているがそれも空しい。72年春に「連合赤軍事件」が発覚し、「学生運動」は一挙に下火になった。そんな状況が影響している。

 60年代にはまだ強かった「純潔」意識(結婚まで処女を守るのが当然という考え)は、60年代末の世界的な「文化革命」の中で急速に変わっていた。直子もすでに何人かと性交渉を持ったが、そのことで傷つくことも言われる。吉祥寺のジャズ喫茶でアルバイトする友人に会いに行くと、町中で男たちから卑猥な言葉を浴びせられる。まだ「セクハラ」という言葉もなく、「男女雇用機会均等法」もなかった。言葉や法律だけでは社会は変わらないが、まだそれ以前の時代だった。

 直子の周囲には「運動家」もいた。もちろん「新左翼」の「セクト」(党派)に入っているという意味である。(新左翼というのは、共産党を「既成政党=旧左翼」と批判してより左側に結成された左翼党派のこと。)しかし新左翼の中にも女性蔑視があると直子は思う。偶然参加した「ウーマン・リブ」(女性解放運動)のコミューン開きでも、違和感を持ってしまう。「抱く女」というタイトルは、ウーマン・リブで唱えられた「抱かれる女から抱く女へ」に由来している。

 この小説は直子を通して「女の怒り」を描く。彼女の人生は新宿でアキというジャズシンガーにあって、大きく変わってゆく。しかし、もう一つ大きなテーマがある。70年代初頭の「後退期」に「」が身近に迫ってくるのだ。「自殺」したり、殺しあったり、「パレスチナの大地」に飛び立ったり…。ラスト近くになると直接「内ゲバ」が直子の家族に降りかかってくる。今はあまり語られないが、特に「革マル派」と「中核派」の「革共同」(革命的共産主義者同盟)から分裂した党派対立は多くの死者、重傷者を出した。その凄惨な殺し合いは、変革を求めた時代を完全に終わらせてしまった。

 自分自身は1972年秋には高校生だった。この時代の数年間の年齢の違いは大きく、僕は「遅れてきた青年」だった。それでも大学時代にはまだ「内ゲバ」の残り火があり、その恐怖感は想像できる。「抱く女」はまずは女性の生き方を語るが、読んでいくうちに70年代の重苦しい雰囲気が身に迫ってくる。「性と政治の革命」が時代のテーマだったが、どちらも志ならず「挫折」した。そのことが今の日本に影響している。それにしてもノンポリである直子にも、思うことは多かったのだ。

 当時の東京を知っているなら、小説全体に半端ない臨場感が満ちていると思うだろう。本当に息苦しいまでに、時代の空気をまとっている。しかし、その息苦しさはもう先のない絶望からではなく、もがきながらも何か新しいものへチャレンジする強さも持っていたと思う。解説の村田沙耶香は、「この本は、過去の物語ではない」という。「直子の痛みは私たちに引き継がれている。この痛みは大切なバトンなのだ。」「抱く女」は2015年発表で、「消滅世界」と同じ。両者を読むと、世界は変わったようでもあり、同じように病んでいるようでもある。

 桐野夏生(きりの・なつお)は1993年に「顔に降りかかる雨」で江戸川乱歩賞を受賞した。それ以前にジュニア小説などを書いていたようだが、僕は読んでない。だからミステリー作家として僕は読んできた。1999年の「柔らかな頬」で直木賞を受けた。一応エンタメ系作家として活動を始めたわけだが、「OUT」「グロテスク」「魂萌え」「東京島」と次第にミステリーを超える活動担ってきた。僕が読んでいたのはその頃までで、しばらく読んでなかった。見事な描写力で読みごたえがある。しかし、作中人物がタバコ吸い過ぎだなあと改めて思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「消滅世界」と「抱く女」①

2018年12月02日 21時16分45秒 | 本 (日本文学)
 村田沙耶香「消滅世界」(河出文庫)と桐野夏生「抱く女」(新潮文庫)が相次いで文庫化されたので、続けて読んでみた。「抱く女」の解説を村田沙耶香が担当しているというつながりがある。両書ともとても面白くて読みやすい。あっという間に読めると思うけど、中身は深い。あちこちで立ち止まる。現代日本で、特にセクシャリティを考えるときに必読の作品だ。

 まず「消滅世界」から。村田沙耶香(1979~)は2016年に「コンビニ人間」で芥川賞を受賞した。「消滅世界」はその前作で、2015年に発表された。さらに前作は「殺人出産」、最新作は「地球星人」で、どっちもまだ読んでないけど、名前を見ただけでもすごそうだ。とにかく今このような小説を書いてる人がいるということは、好き嫌いを超えて知っておくべきだ。そう言わざるを得ないほど、「消滅世界」はぶっ飛んでる。正直言えば、僕には気持ち悪くて受け入れがたい。

 それでも傑作だし、面白く読める。その作家的力量は明らかだが、こういう発想はどこから出てくるのか。「消滅世界」では人々はもはやセックス(男女の性交渉)によって子どもを作ることはない。「人工授精」で妊娠するのである。(普通の夫婦であっても。)というか、夫婦間に性交渉はあってはならない。それは「近親相姦」とみなされてタブーとされる。信頼でつながれた家族間に、セックスのような面倒で汚いものを持ち込んではならない。

 どうしても「コイビト」を持ちたいなら、それは家庭外なら許される。それでも「ヒト」の恋人を持つ人は年々少なくなっていて、キャラクターなどの「コイビト」(それは今の世の中の概念では、「恋人」ではないと思うけど)を持つ人が多くなっている。主人公の「雨音」は両親の「交尾」で生まれた「人類最後」(?)の人間で、「近親相姦」としていじめられるし、母親にも嫌悪感を持って育つ。そんな雨音はヒトにもキャラクターにも「コイビト」がいる珍しい存在だ。

 雨音の一回目の夫は、夫婦でありながら映画を見ていてキスしてきた「変態」だった。離婚したのち、再婚するが二人とも「コイビト」がいる。しかし夫とコイビトの関係がうまくいかなくなり、悩んだあげく「実験都市」の千葉県に移住することを決意する。実験都市では子どもたちは集中的に教育され、夫婦間の人工授精も一元的に管理されている。男も人工子宮を付けて妊娠する実験が続けられている。男女の別なく子どもを産めるなら、大人は全員「おかあさん」である。すべての子どもは集中的に育てられるから、子どもたちは大人を見れば「おかあさん」と慕い寄ってくる。
 
 映画「カランコエの花」について書いたときに、養護教諭の教え方に疑問を持ったと書いた。セクシャル・マイノリティに関して授業をして、「思春期になれば誰かを好きになる。それって素敵なことだ。そして中には好きになる対象が同性の人もいる。それも素敵なことだと思う」って言うようなことを語る。つまり「ロマンティック・ラブ神話」を自明視して、その中に今まではヘテロセクシャルだけが入ってたけど、これからはホモセクシャルも組み入れる。それが「LGBT理解」だとすると、「ロマンティック・ラブ」神話そのものを受け入れられない人にはかえって抑圧の増大にならないか。

 村田沙耶香は世の「ロマンティック・ラブ神話」を解体させる戦いの最前線にいる。この小説が面白く出来ているのは間違いない。また「ペット」「犯罪」など無くなるはずのないものを周到に小説世界から排除して、読んでる間は何となく納得させてしまう手腕は大したものだ。しかし、小説は言葉で書ける範囲内で何を書いてもいいけど、「消滅世界」まで行くと正直僕には気持ち悪い。

 斎藤環による解説を読むと、この小説は「ユートピア」か「ディストピア」か、女性の間で論争になったと出ている。「ユートピア」(理想社会)と「ディストピア」(反ユートピア、恐怖社会)は正反対のようでいて、実はコインの裏表だと思うけど、この小説に限っては明らかに「ディストピア」。それは「性」(であれ何であれ)を集中的に管理するという社会そのものに「恐怖」しか感じない。そういう意味で、僕は恐ろしい社会だなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする