尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

不条理な「ブランディング事業」打ち切り

2019年05月09日 22時52分14秒 |  〃 (教育問題一般)
 「私立大学研究ブランディング事業」というものがある。それ自体の評価は別にして、とにかく2016年度に40大学、2017年度に60大学が指定を受けた。2018年度も20大学が選ばれて計120大学が指定を受けた研究をしている。ところがこの制度が途中で打ち切られることになった。最長5年の助成をうけるはずが、軒並み3年で終了となるという。
 (文科省ホームページにある事業の概要)
 きっかけは東京医科大による文科省官僚汚職事件である。東京医科大は2017年度に「先制医療による健康長寿社会の実現を目指した低侵襲医療の世界的拠点形成」という研究で指定を受けている。しかし、この選定に絡んで文科省の官僚に賄賂が渡されていたという事件が2018年7月に発覚した。そのため財務省の理解が得られず、事業の中途打ち切りになった。しかし助成金は数千万単位の高額にのぼるため、期限付きで採用した研究者の中には雇用継続が難しくなった人もいるという。

 僕はこの問題を4月9日付朝日新聞の記事で知った。その後5月9日の東京新聞でも記事が掲載されている。僕は非常におかしなことだと思って、もっと大きな問題になるかと思った。しかしどうも大きく報道されないので、ここで触れておきたいと思う。何がおかしいと言って、どこか一校で起こった問題で、なんで「連座制」のごとく全部助成が無くなるのか。当初5年ということで助成が決定しているのなら、予算は単年度で作られるわけではあるが、問題を起こした大学はともかく他大学の助成金を打ち切るのは「契約違反」というべきじゃないか。

 財務省は「ブランド形成より教育や研究の質的向上を」と言ってるらしい。しかし、この事業に代わる新事業計画はないようなので、私立大学への支援事業が初めて完全に打ち切られると言われている。財務省の言ってることはそれ自体は正しいと思う。文科省のホームページを見ると、そもそもの目的が「学長のリーダーシップの下、大学の特色ある研究を基軸として、全学的な独自色を取り組みを大きく打ち出す取組を行う私立大学の機能強化を促進する」と書かれている。文科省直々で、上意下達の大学作りをお金の力で作っていこうという政策と考えられる。

 しかし、僕が納得できないのは助成すると決めた決定を途中で勝手に打ち切っていいのかということだ。財務省は文科省だけを見ているのかもしれないが、実際のお金はその助成金で研究する研究者に回る。税金がどこに回って生きたお金になるかを財務省が考えていないのだ。この問題はそのことをはっきり示している。そして僕が一番思うのは、2018年に大きな不祥事を起こしたのは文科省だけじゃないだろということだ。むしろ大きな問題になったのは、森友文書書き換え問題財務次官セクハラ問題に揺れた財務省ではないか。文科省の事業を打ち切るというのなら、財務省は財務省にどんなペナルティを課したのか。もっと大きな財務省予算の削減があって然るべきじゃないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国映画「芳華ーYouthー」、懐かしき苦難の青春

2019年05月08日 22時27分15秒 |  〃  (新作外国映画)
 「モンテ・クリスト伯」が最終盤の佳境に入っているので、簡単にかける新作映画の話。中国映画「芳華ーYouthー」という映画を見た。中国でも文革時代を懐かしく語れる時代になってきたんだなと思った。もっとも国や時代を問わず、青春時代は言うに言われぬ苦難に満ちた時代だろう。そこを通り抜けると「懐かしさ」が生じる。音楽もカメラワークもノスタルジックで、誰でも思い当たる若い頃の恥ずかしき事々を思い出してしまう。こういう映画は昔から世界的に作られてきたが、最近の韓国映画、台湾映画でよく見る気がする。中国でもそんな映画を求める時代になってきたんだろう。

 1976年の中国。同時代を生きた人なら覚えていると思うが、この年は中国の激動の年として知られている。周恩来、朱徳に続いて、秋に毛沢東が亡くなる。その後、毛沢東の妻、江青らの「四人組」が逮捕され、やがて文化大革命の終焉を迎える。この映画は、そんな時代の中で軍の「文芸工作団」に所属した若者たちの運命を描いている。「文工団」とは、つまり歌や踊りの慰問団だけど、他の娯楽が許されない時代にあっては、憧れの対象だっただろう。

 そこに17歳のホー・シャオピン(何小萍)が入団する。実父が労働改造所に送られ、母は再婚した。家でも疎まれていたが、実父という「政治的汚点」を隠して入団できた。その時に迎えに来てくれたリウ・フォン(劉峰)は「模範団員」と呼ばれている。文工団でもなじめないシャオピンは、それでも親切にしてくれるフォンに惹かれている。フォンはケガして踊れなくなり、美術担当に回る。そんなとき文革が終わり大学が再開される。「模範」であるフォンも軍の大学に推薦されるが、彼は堅く辞退する。「模範」かと思われたが、実は彼には理由があったのだ。

 そして問題が起こって、フォンは前線に飛ばされる。フォンを守れない文工団にシャオピンは絶望し、ついに彼女も野戦病院の看護婦として前線に送られる。時あたかも1979年。「中越戦争」が起き、中国は苦戦する。映画内では「中国対越自衛戦争」と呼ばれているが、実際は中国がヴェトナムに侵攻したものだ。ヴェトナムがカンボジアのポル・ポト政権を打倒したことに「懲罰」したもので、アメリカ軍と現代戦を戦ったヴェトナムに対し文化大革命で軍事技術が遅れた中国が思わぬ苦戦をしたと言われる。「4つの現代化」を目指す「改革開放」が始まる原因にもなった。

 前線で負傷するフォン、あまりにも悲惨な戦いを見過ぎて心に変調をきたしたシャオピン。そんなときに文工団は解散となる。皆はどうするのか。この映画は実は団員の一人スイツ(穂子)がナレーターとなって進行していく。スイツは文工団内の人間関係を中立的に描いていくが、革命のための組織であっても恋愛感情は避けられない。文革終了後に社会が少し自由になり、ある日カセットプレーヤーを持ってきた人がいて、カセットテープを秘密に聞く。知ってる人には想像が付くだろうがテレサ・テンを聞くわけである。そしてテレサ・テンが思わぬ影響をもたらしてしまう。

 監督は実際に文工団の体験があるフォン・シャオガン(馮小剛)で、北海道ブームを起こした「狙った恋の落とし方」や、1976年に起こった大地震を描く「唐山大地震」などで知られる。ヒットメーカーで知られ、この映画も中国で大ヒットしたらしい。基本的に娯楽映画路線で、「芳華」も現代史を厳しく振り返る映画ではない。むしろ社会的な視点を避けて青春の懐かしさを強調した映画だ。文革時の悲惨さは多少触れられても、中越戦争への批判は出来ない。そんな状況も判る。

 文工団が練習しているような革命バレエは、当時は日本でも中国派の人々が大宣伝して褒めたたえていた。でも紋切り型の振り付けや大げさな歌詞の歌はどうにも時代遅れ。テレサ・テンの歌と聞き比べると、ずっとダサいのが明らか。でもそのダサさが今になるとちょっと懐かしいという感覚が生まれるんだろう。東ドイツやソ連なんかでも同様だ。とにかく軍以外では歌ったり踊ったり出来ないんだから、親が「反革命」じゃない限り入りたい若者がいる。そんな彼らの青春が改革開放後にどうなっていくか。フォンとシャオピンはどうなったか。中国現代史の苦節を思い、涙する人が多いんだろう。映画の出来というよりも、東アジア現代史ウォッチの意味で興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海部宣男、ケーシー高峰、小出義雄等-2019年4月の訃報

2019年05月07日 22時50分38秒 | 追悼
 2019年4月の訃報をできるだけ簡単にまとめたい。多くの「有名人」が亡くなった中で、僕は国立天文台名誉教授の海部宣男(かいふ・のりお)を最初に取り上げたい。13日没、75歳。宇宙電波の研究者として長野県野辺山の大電波望遠鏡建設の中心となり、続いてハワイに作られた「すばる望遠鏡」建設に携わった。僕は野辺山の公開日に訪問したことがあるし、「すばる」のホームページも時々見ている。『すばる望遠鏡の宇宙  ハワイからの挑戦』(岩波新書カラー版 2007)という本も読んだけど感動的な名著だった。子ども向け、一般向けの本もたくさん書いている。
 (海部宣男氏)
 学術会議会員としても活躍し、社会的発言も多い。東京新聞2018年7月4日には「科研費巡る『反日』騒動」という寄稿では、かの杉田水脈議員が取り上げて一時騒がれた「科研費問題」に関して「保証されるべき政権批判」と論じた。社会科学系の科研費が標的にされたわけだが、自然科学系からきちんと発言したことはとても立派だと思う。なお海部俊樹元首相のいとことしても知られた。

 建築評論家、建築史家の長谷川堯(はせがわ・たかし)が17日死去、81歳。俳優の長谷川博己の父親として報道されたが、僕はこの人を何冊か呼んだ。「都市回廊」や「建築有情」などで70年代後半の都市論ブームに大きな貢献をした。僕は都市散策や洋館めぐりなどが昔から好きだった。
 (長谷川堯)
 医事漫談で人気があったケーシー高峰が8日死去、85歳。ケーシーというのは米ドラマ「逃亡者」から。俳優としても活躍し、「遠雷」の永島敏行の父親役など味があった。漫画原作者が二人。「ルパン三世」のモンキー・パンチは11日死去、81歳。「子連れ狼」の小池一夫は17日死去、82歳。小池は「修羅雪姫」の作者でもある。二人とも後進育成にも務めた。
   (左からケーシー高峰、モンキー・パンチ、小池一夫)
 一番大きく報道されたのは、マラソン指導者の小出義雄有森裕子高橋尚子を指導したことで知られている。高橋尚子は陸上女子で初めての金メダルだった。「褒めて伸ばす」ことで知られている。元関脇の黒姫山が死去。25日、70歳。三賞受賞8回、金星6個と記録が残る。
 
 政治家から。相沢英之は非常に有能な大蔵官僚(元事務次官)で知られ、また女優司葉子を後妻に迎えたことでも知られた。その割に政治家としては大成しなかった(入閣は森内閣の金融相だけ)のは、田中角栄の影が強すぎたからだろう。代わりに党税調会長として裏で影響力を発揮する政治家となった。シベリア抑留体験者だが、国を訴えた抑留者団体を脱退し別団体を作った。
 (相沢英之)
・元法相の保岡興治(やすおか・おきはる)が、19日死去、79歳。裁判官、弁護士から、落選中の父の地盤を継いで立候補。計13回当選した。小選挙区後は鹿児島1区から出たが、それ以前は日本で唯一の1人区だった奄美群島区から出馬した。最後の頃は徳洲会の徳田虎雄とのし烈な選挙で知られた。2回法務大臣を務め、自民党では「憲法族」と呼ばれた。
・非議員だが、社会党副書記長として実力者といわれた曽我裕次の訃報も。18日、98歳。
渡辺千萬子(わたなべ・ちまこ)が14日、89歳で死去。谷崎潤一郎の義妹の息子の妻。「瘋癲老人日記」のモデルとされ、往復書簡が出版されて話題となった。
・作詞家の有馬三恵子が18日死去、83歳。「小指の思い出」や「17才」を書いた。
シドニー・ブレンナー、5日死去、92歳。分子生物学の権威でRNAの発見者。2002年ノーベル医学生理学賞受賞。沖縄科学技術研究基礎整備機構理事長を務めた。沖縄科学技術大学院大の設立準備組織である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「12ヶ月の未来図」とフランスの教育制度

2019年05月06日 21時06分12秒 |  〃  (新作外国映画)
 岩波ホールで公開中(17日まで)のフランス映画「12ヶ月の未来図」は、公開から一月近くたって終わりも近いからそろそろ見ないと。今じゃ見たり見なかったりの岩波ホールだが、この映画はパリ郊外の学校が舞台というから前売り券を買ってある。パリの学校が舞台の映画には、「パリ20区、僕たちのクラス」や「奇跡の教室 受け継ぐものたちへ」があった。どっちも校外の「荒れた学校」を舞台に人種も宗教も様々な子どもたちを教える様子を描いて興味深かった。

 子どもたちの自然な演技などは面白いんだけど、この映画はちょっと予想と違った。まず主演する教師が「意に反して郊外に異動した」という設定。名門高校アンリ四世校で教えるフランソワ・フーコー(主に舞台で活躍しているというドゥニ・ポダリデスが好演)は、作家の父の出版記念会で「教育格差をなくすため、問題校へベテラン教師を派遣するべきだ」と論じる。教育省の美人官僚が聞いていて、教育省に呼ばれて言われたのは、良いアイディアだから是非先生が行って欲しいと頼まれる。なんとか一年だけでもということで、フランソワ自身が行くハメに。

 そこは郊外地区の中学校。車で通勤してみると、やる気のない生徒たちと教員たち。堅物風で文法専門のフランソワも最初は強圧的に授業するけれど、生徒は反発するだけ。というあたりはかなり類型的で大体先が読める。ところでパリの名門高校から郊外の中学へって、それは教育省が関与することなのか。調べてみるとフランスの教育制度は完全に中央集権のようで、そういうこともあるのかと思った。日本だって戦前の旧制教育制度では同じである。

 もう一つ不思議なのは、中学でもどんどん退学させること。義務教育は6歳から16歳までで、小学校は5年、中学は4年だそうだ。親に義務があると言うことで、学校としては秩序を乱す者は退学ということか。この映画ではセドゥというアフリカ系の子どもが退学の危機になる。そのときは関係者が集まって評議会が開かれる。それは「パリ20区 僕らのクラス」でも描かれていたが、法律で定められた公的な制度のようだ。一度は退学の危機にあったセドゥは、地元の犯罪少年に巻き込まれそうになってしまう。日本では義務教育の学校に退学、落第がないことが「犯罪予防」になっている。

 教育方法に悩むフランソワは、ある日「レ・ミゼラブル」を教材に使うことを思いつく。本を読むことが人生でいかに大事か。それをヴィクトル・ユゴーを通して学ぶ。映画もあるよと言われたが、本を読んでからといなす。そして「レ・ミゼラブル」を皆で調べ学習しながら、学ぶ面白さを見つけてゆくのだった。という展開はどうなんだろう? 「レ・ミゼラブル」は長大だから、一冊を与えるのはフランスでもダイジェスト版があるのだろうか。これはこれで面白そうだけど、どうも「優れたフランス文化」にすべてが回収されてしまう構造が気になる。

 生徒たちは学期末に「おやつ教室」にしようという。中学でそんなことはどうかと思う同僚もいるけど、楽しみも必要と言う同僚もいる。フランソワもやってみたが、皆がお菓子を持ち込んでパーティのようになる。それはいいけど、ベルが鳴ると生徒たちは全部放っといて帰ってしまう。ここが日本と全然違うところで、どうしても違和感が残る。そしてその時に持ち込まれたお菓子の中には、とんでもないものも入っていた。これが日本と一番違うところで、大きな問題にならない。代わりに遠足のヴェルサイユ宮殿でのいたずらが大事になってしまう。日本だったら、「レ・ミゼラブル」に当たるものは何だろうと思いながら見ていたけど、どうも思いつかなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野の「鈴本新緑寄席」昼席に行く

2019年05月05日 21時16分27秒 | 落語(講談・浪曲)
 10連休もあと2日となって、テレビでは渋滞とか帰国ラッシュなんかのニュースが多くなってきた。長すぎるという声も多いようだけど。確かに病気や障害、あるいは介護や育児を抱える人には長いかなと思う。しかし、それはそれとして、「ヒマなときの過ごし方」も知ってないと「長い老後」が大変だ。

 自分はこういう混雑するときは、昔からノンビリすることにしている。昔の映画を少し見に行き、後はひたすら「モンテ・クリスト伯」を読んでいる。この前ウエルベックの「ランサローテ島」というのを借りに近くの図書館に行ったら、そこに「ワイド版岩波文庫」の「モンテ・クリスト伯」があった。普通の岩波文庫全7巻は、買うには長くて重い上、字が小さいから、一度も読んだことがなかった。これがワイド版なら全然目に苦にならない。ハズキルーペなんか必要ない。今4巻目の半ばだから、10連休じゃ終わらない。 

 さて5月5日「こどもの日」は、上野鈴本演芸場の昼席で落語。長い休みの一日ぐらいは夫婦で落語でもと、家に一番近い鈴本の昼席を買っておいた。(鈴本だけパソコンやスマホからチケットを買える。)トリは林家正蔵だが、柳家さん喬春風亭一之輔、襲名披露中の4代目三遊亭円歌(前歌之介)、さらには桃月庵白酒古今亭文菊らいつもはトリを取る売り出し中の人気者も続々。いつもより高いけど、立ち見もいっぱいの連休興業の賑わいだ。

 (鈴本演芸場ホームページから)
 ただボケッと聞いてたら、最後の頃になって「子どもの噺が多いな」と気づき、そうか「こどもの日」かと思った。一之輔は「人形買い」という噺で、長屋に生まれた男の子のために男二人が人形を買いに行く。うまく値切ったつもりが、人形を持たせた店の小僧がませたガキで、あることないこと内情をバラしていく。本来もっと長い噺のようだが、とにかく「顔芸」がすごい。何度も聞いてるが、やはりただ者ではないなと思う。桃月庵白酒古今亭文菊はたたずまいが面白いけど、短い噺。
 (春風亭一之輔)
 寄席では落語の合間に「色物」と呼ばれるさまざまな芸人が出てくる。最近はそっちの方が楽しみで、今日も大満足。太神楽曲芸の「鏡味仙三郎社中」、漫才の「ロケット団」(いつもの四字熟語だが大受けだった)、浮世節の立花家橘之助、紙切りの林家二楽(場内からのお題「チョコレート」と「バルタン星人」が見事。チョコはバレンタインでチョコをあげる少女少年だった。大喝采)と満足。

 でも一番の収穫は「のだゆき」さんだった。江戸家子猫の代演だったけど、どういう人かと思うと「ピアニカ」なる楽器を持った女性が出てきた。それで救急車やコンビニの出入り音なんかを再現する。続いてリコーダーを2本、短いのと長いの(アルトとソプラノ)を同時に吹いて演奏。とぼけたムードも最高で、すごく面白かった。検索すると東京音大大学院卒で、2013年から落語協会加盟という。
 (のだゆき)
 トリの林家正蔵は久しぶり。「ねずみ」という仙台の没落した宿屋の噺。子どもが客引きをしていて、宿とも思えぬぼろ屋に案内される。訳ありとにらんだ客が話を聞き出していくと、そこには悲しい事情があった。同情した客は自分が彫り物をしていこうという。前に聞いてる噺なので、この人が左甚五郎だと判っていたけど、なかなか聞かせた。そして「彫刻なのに動くネズミ」が虎の彫刻に怯えて動かなくなる。下げは検索すればすぐ判ると思うけど、下らないところがいい。マクラの小三治師匠のことも面白かった。軽すぎもせず重すぎもしないところが、深まってるんだかどうだか不明だけど、まあ当代の正蔵の持ち味と思って楽しんだ。上野松坂屋で買い物して6時前帰着。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランスの女性作家コレットを読む

2019年05月03日 22時46分49秒 | 〃 (外国文学)
 最近フランスの小説を読んでるから、この機会にコレットを読もうと思った。フランスの女性作家で、今度キーラ・ナイトレイ主演で「コレット」という映画が公開される。改めて買うんじゃなくて、すでに何冊か持ってるからこの機会に読むかと思った。映画のチラシには「ココ・シャネルに愛され、オードリー・ヘプバーンを見いだした実在の小説家」って書いてある。オイオイいくら何でも「実在」はないだろうと思ったけど、コレットを検索すると「コレットは死ぬことにした」というコミックのことばかり出てくる。今ではフランスの小説家など知られてないんだろうなと思った。
 (シドニー=ガブリエル・コレット)
 ホンモノのシドニー=ガブリエル・コレット(Sidonie-Gabrielle Colette、1873~1954)は、作品もすごいけど人生そのものがすごい人だった。晩年にはアカデミー・ゴンクール初の女性会員(にして初の女性総裁)に選ばれ、葬儀は女性として初めて国葬となった。そのときに離婚経験を理由にパリの大司教は協力を拒んだという。生涯に3回結婚し、その間には夫の連れ子と恋愛関係も生じたり、また同性愛者でもあるという自由な恋愛を生きた。生活のためミュージック・ホールの踊り子になったし、自作の舞台化では主役を務めるなど、小説以上に波乱の人生を送った人である。

 コレットの父は元軍人で地方暮らしだったが破産して、コレットは20歳の時に14歳年上の男性(父の軍隊時代の友人の息子)と結婚してパリに出た。ジャーナリストだった夫は、妻の学生時代の話を小説化するように勧め、それはシリーズ化され大人気となった。しかしバイ・セクシャルの夫の恋愛関係に疲れて、自分も同性愛の女性のもとに身を寄せ、舞台にたって生活費を稼いだ。こういう風に最初からスキャンダラスな女性作家として売り出したのである。1913年に3歳年下の男性と再婚して男爵夫人となるも、義理の息子と恋愛関係になる。そして1935年に17歳年下の男性と結婚して、これが最後。

 こうしてみると、単に恋愛スキャンダルが売りの「女流作家」に思われるかもしれない。昔は確かにそんな風な理解もあったようだが、今読むと先見的な身体性の作風に驚く。本人が自由に生きたように、その小説も物語も描写も時代を突き抜けて自由。まあセックス描写については、どうしても時代の制約を抜けられないが、生き生きとした心理描写が素晴らしい。小説はどうしても「視覚」的な描写が多くなるが、コレットの小説は触覚、嗅覚、聴覚などをフル回転させた「五感の文学」である。

 僕が一番面白かったのが「牝猫」(岩波文庫、1933)で、現在品切れ中だが活字を大きくして再刊して欲しい。青年アランと新妻カミーユは仲良く暮らし始めるが、アランは実家に残してきた愛猫サアが忘れられない。実家に行くと寂しそうにしているので連れてゆくが、カミーユとサアは微妙な関係に…。多分書かれた当時は何だろうなという変な話に思われただろうが、今になると実によく判る先見的な物語。パリの風景や母親の心理も面白い。アランはいつも「サア、サア」って気にしていて、お前は福原愛かと突っ込みたくなる。新妻より猫が大事な男を1930年代に書いてたコレットはすごい。物語はどうなるのかと思ってたら、ラスト近くであっと驚く展開になった。(2019.5重版)

 最高傑作とよく言われるのが、「シェリ」(1920)で、評判になって続編「シェリの最後」(1926)も書かれた。どっちも岩波文庫に収録されている。レアはフランス文学によく出てくる「高級娼婦」で有力者の愛人として生きてきて、経済感覚もあって豊かに暮らしている。友人が若い頃に産んだ息子シェリと関わるうちに彼はレアに惹かれてしまう。こうして10代後半からシェリは年上のレアと暮らして、男として磨かれていった。そして同じく仲間うちの美しい年下の娘と結婚することになる。キレイに別れるつもりの二人だったが…。という風に年上の女と若い男の関係が事細かに描かれる。実際にそういう関係を経験したコレットだけど、それは「シェリ」を書いた後で起こったことだそうだ。年増女の魅力と容色の衰えを心憎いほどに描きだしている。まさに五感の文学で傑作だと思う。

 「シェリの最後」は無理矢理終わらせる感じの続編だけど、第一次大戦に従軍したシェリの変貌、そしてその間看護婦として社会体験を積んだ妻の自立などコレットの実際の体験も交えて描く。そしてシェリは悲劇の泥沼にはまり込んでゆく。日本でよく読まれたのは「青い麦」(1922)で、ウィキペディアを見ると11もの翻訳がある。今入手簡単なのは光文社古典新訳文庫で、ここには鹿島茂の傑作解説が付いている。高級娼婦レアと違い、今度は中間層の若い二人が夏のバカンスを同じ別荘で暮らす。パリの商工業者二人ががブルターニュの別荘を毎年借りているという設定。

 一体フランスの有名小説(19世紀)は、大体「年上の人妻の姦通小説」だと鹿島茂が書いている。「赤と黒」も「ボヴァリー夫人」もバルザックやモーパッサンのたくさんの小説も。言われてみればその通りで、それには理由がある(鹿島茂解説に詳しい。)一方、20世紀になり、ようやく第三共和政の教育改革で「同じ階級の若者同士の恋愛」が可能になった。「青い麦」で16歳と15歳の若い二人が惹かれ合うが、しかしこの小説でもそこに「年上の女」が登場する。海辺の大自然の中で展開される幼い恋と年増女。僕はこの小説だけは若い頃に旺文社文庫で読んだ。興味本位で読んだんだけど、はっきり言ってしまえば三島由紀夫「潮騒」の方が興奮した。「青い麦」は心理描写が中心だから、五感文学のまだるっこしい描写が若い頃にはうっとうしい。今読む方が面白い。やはりすごい作家だなと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近現代の時代区分を考える-元号に代わる区切りを

2019年05月02日 22時48分41秒 |  〃 (歴史・地理)
 天皇代替わりで改元されて、いろんな店で「改元セール」なんかをやっている。それはまあ商戦だから、利用できるものは何でも利用して当然だろう。でもそこで「新時代を祝賀」のように書かれているのを見ると、果たしてそれでいいんだろうかと思う。確かに天皇家も元号も「新時代」になったのは間違いない。しかし、それは歴史的な意味で「時代が変わった」とは言えない。単に「天皇が交代」しただけである。近年ヨーロッパでも王室の代替わりが続いたが、オランダやベルギーやスペインなどで国家社会が変化したわけではない。日本の天皇交代も同じだろう。

 歴史では「時代区分」というものがある。古墳を作ってた時代と江戸幕府があった時代は全然違う。明治時代と現代も全然違う。大きな変化で時代を分けて、「○○時代」と名付けて年表で区別する。それを「時代区分」と言うが、不思議なことに明治以後は年表でも元号で分けているのが普通だ。歴史教科書の後ろに付いてる年表を見れば判る。なんだか不思議である。奈良時代とか室町時代というのは、政治上の中心地で付けられている。それなら明治以後は「東京時代」なのか。
 (日本史の時代区分)
 今まで近現代(=日本史では明治以後)は、大体元号で示していた。「昭和」が長かったので、教える側もあまり違和感がなかった。歴史の通史などでは「明治」が憲法制定と日清日露戦争で二分される。「大正」は「大正デモクラシー」で、「昭和」は戦争と高度成長で三分される。それで大体済ませていた。授業もそこまで行かないことも多かったし。でもそこに「平成」が加わり、さらに「令和」となった。もう「本質的な区分」を考えないといけないだろう。

 前近代では最近、中世史家の保立道久氏によって、時代区分の見直しが唱えられている。簡単に紹介だけしておくと、従来は縄文弥生の後に、古墳飛鳥奈良平安鎌倉室町安土桃山江戸となる。これを保立案では、飛鳥、奈良を合わせて「大和時代」とし、その後「山城」「北条」「足利」「織豊」「徳川」とするというのである。これは僕の見るところ、長岡京時代を「山城時代」に入れられるので、より判りやすいと思う。それにしても保立氏も近現代の区分を提唱していないので別に考えないといけない。(なお、沖縄と北海道の前近代は全然違うので、別の時代区分になる。今は省略。)

 上記の時代区分は、要するに「権力の中心地」か「権力者の姓」で区別するということだ。天皇家には姓がないから、都の場所で区分する。武士政権では武士の姓で区別する。保立氏の新区分案は、現行の区分が教科書等で定着しているので、なかなか変えられないだろう。それはそれとして、議論はしていかないといけない。近現代史の時代区分も、そろそろきちんと考えるのが歴史学、歴史教育関係者の責務だろう。そこで諸外国をちょっと見てみると、フランス史では前近代は王朝交代で、フランス革命以後は政体の変革で区分している。

 フランス革命で「第一共和政」、ナポレオンが皇帝となって「第一帝政」、その後「復古王政」「七月王政」と続き、1848年の二月革命で「第二共和政」、ナポレオン3世が皇帝となり「第二帝政」、普仏戦争で崩壊して「第三共和政」、第二次大戦後に憲法が改正され「第四共和政」、ドゴールによって大統領権限を強化する憲法改正が行われ、1959年から「第五共和政」となる。このように現代では「憲法」で規定される権力のあり方が時代区分となっている。

 それを参考にして考えてみれば、日本の場合、「大日本帝国憲法時代」、「日本国憲法時代」に大きく分かれることになるだろう。明治の憲法制定までをどうするか日本国憲法制定後も占領下で主権が制限されていたことをどうするか。そういう問題もあるけど、まあ「第一憲政」「第二憲政」とでも呼ぶのが適当なんじゃないだろうか。帝国憲法以前の「明治」は、徳川時代崩壊後の憲法制定「前史」である。だから「第一憲政」でいいかと思うが、現実には憲法制定後を含めて「薩長藩閥」が事実上の最高権力である。ペリー来航から帝国憲法制定までを「雄藩時代」とでも言うべきかも。

 「第一憲政」の帰結が「アジア太平洋戦争」なので、「第二憲政」は占領後からとするのも一つの考えだろう。でもそんなことを言えば、今もなお、あるいは少なくとも沖縄返還までは「占領」みたいなもんだという考えも出てくる。しかし、占領期でも日本側の最高権力者である総理大臣は日本国憲法の規定で選ばれているから、まあ「第二憲政」に入るとするべきだ。そして、72年までの「高度成長時代」、90年代半ばまでの「国際化とバブル時代」、その後の「グローバル化時代」と「第二憲政」は三分される。その細かな区分はまだ完全には決められないが、そんな感じで見通せるんじゃないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タヴィアーニ兄弟の映画を見る

2019年05月01日 23時15分00秒 |  〃  (旧作外国映画)
 毎年ゴールデンウィークの期間に、イタリア映画の新作を紹介するイタリア映画祭が開かれる。調べてみると2001年から続いている。最初の頃はけっこう行ってたんだけど、最近は行かなくなってしまった。ここで上映された後で正式に公開される映画も多くなって、そのときに見ればシニア料金。出来映えが中程度の映画なら、早く見てもすぐに忘れてしまうから、まあいいじゃないかとなる。一時は公開されるイタリア映画は全部見ようと思ってたけど、最近は多すぎてもう無理だ。

 しかし、今年は新作じゃなくて旧作をイタリア映画祭で見た。タヴィアーニ兄弟の2本の映画である。世界には兄弟で映画を作っている監督がいて、ベルギーのタルデンヌ兄弟やアメリカのコーエン兄弟などが有名。イタリアのタヴィアーニ兄弟は中でも早くから活躍してきたが、弟のパオロ・タヴィアーニが2018年に亡くなった。そこで同じく物故したエルマンノ・オルミとともに追悼上映が行われた。
 (ベルリン映画祭で金熊賞を受けるタヴィアーニ兄弟)
 兄弟監督にもいろんなタイプがあるが、タヴィアーニ兄弟は兄のヴィットリオと弟のパオロが脚本と演出を共同で担当する。脚本には第三者が加わることもあるが、演出はシーンごとに交互に行っているという。共同脚本の段階でイメージが共有されているからだろうが、映像上の違和感はどこにも感じられない。60年代から活躍してきたが、日本で初めて公開されたのは、1982年の「父 パードレ・パドローネ」(1977年カンヌ映画祭パルムドール)だった。その後、1987年の「グッドモーニング・バビロン」はキネ旬ベストワン。2012年の「塀の中のジュリアス・シーザー」はベルリン映画祭金熊賞。

 今回見たのは、まず30日夜に「ひばり農園」(2007)、そして1日に「サン★ロレンツォの夜」(1982年カンヌ映画祭グランプリ)の2本。前者は後回しにして、「サン★ロレンツォの夜」から。イタリアでは8月10日がサン・ロレンツォの日だそうで、その日は「流れ星に願いをかける」という。ペルセウス座流星群の季節で、日本でも流星が見られる時期である。この映画は1944年の8月10日を描く。第二次大戦末期、イタリアでは米軍が南から進攻する一方、北イタリアでは一時は失脚したムッソリーニがナチス・ドイツの援助で復権し、パルチザン部隊との間にし烈な戦いが起こっていた。
 (サン★ロレンツォの夜)
 ナチスが村を破壊すると脅して、村人に聖堂に集合せよと通知する。一部の人々はナチスを信用できず、他の村へ逃げようという。村人が二つに分かれたが、どちらを選択しても過酷な現実が待っていた。その逃避行を描くのが「サン★ロレンツォの夜」で、トスカーナの美しい農村地帯を舞台になっている。当時6歳の女の子の目を通して描かれるが、子どもからすればナチスによる町の爆破も一種の楽しみ。戦闘も古代ギリシャの戦闘みたい。子どもの目にはファンタジーのような戦争だが、実は凄惨な内戦だという現実。その対照が非常に興味深く、また感銘深い。戦時中のレジスタンスが同じ村の知り合い同士による残虐な殺し合いだったという苦い認識に重みがある。公開当時に見たときからすごく好きな映画で、もう一回見られて良かった。

 一方、「ひばり農園」は第一次大戦中のオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を正面から描く作品だった。これは映画祭上映のみで、正式には公開されていない。日本ではテーマになじみがないと思われたのだろうが、これほどの力作が埋もれてしまうのはもったいない。原作はイタリアで書かれた小説らしいが、映画の展開はかなり類型的なパターンになっている。町ではトルコ軍とアルメニア人の関係は悪くない。アルメニア人の有力者一家には、トルコ人軍人と恋仲の娘もいる。しかし、軍中央から来た特命部隊が子どもも見逃さず男は全員虐殺してゆく。
 (ひばり農園)
 女たちは捕えられ長い苦難の行軍を強いられる。逃避行を描くことで2本の映画は共通しているが、「ひばり農園」の逃避行は監視付きである。演出力で人物がうまく描き分けられて一気に見られるが、確かに「告発映画」に止まる感じもする。アルメニア系カナダ人のアトム・エゴヤン監督の「アララトの聖母」(2002)のような映画もあるが、まだまだ世界的には知られていない。問題の大きさから、この映画も意味があると思う。若くしてイタリアへ移民した一族の兄が一家を救おうとして奔走する。そのときにトルコ人の「乞食組合」のネットワークが活かされる。アラブ人の「乞食組合」もあって、金はかかるが協力は得られる。そのような下層民の描き方が興味深かった。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする