5月13日にユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)が「百舌鳥・古市古墳群」(もず・ふるいち・こふんぐん)の世界遺産登録を適当とする勧告を発表した。正式決定は6月30日から7月10日にかけてアゼルバイジャンのバクーで開かれる世界遺産委員会で行われる。とはいえイコモス勧告で大体方向性が決まるので、まあ世界遺産に登録されるのだろう。これを受けて日本のマスコミは「仁徳天皇陵 世界遺産へ」(東京新聞5月14日朝刊一面下の見出し)と大きく報じている。僕はこの報道や国内の動きに懸念があり、いくつかの疑問を持っている。
(大仙古墳、伝仁徳天皇陵古墳)
僕は昔大阪府堺市にこれを見に行ったことがある。もちろん中へは入れないが、日本史が専門なんだから一度は遠望しておきたい。堺市は戦国時代の「自由都市」、与謝野晶子の生地、そして百舌鳥古墳群と歴史ファンには魅力的な町である。大古墳の周囲を一周しようかと思ったけど、半周したところで飽きてしまった。古墳は堀の向こうで木しか見えないし、周りはずっと住宅街でホテルまであった。歴史的風景のたたずまいとしては、奈良県の「山辺の道」にある「行燈山(あんどやま)古墳」(伝崇神天皇陵)周辺に比べるべくもない。世界遺産への疑問の一つはそこにある。
何でも近畿地方の各府県の中で世界遺産がないのは大阪府だけだと言う。確かに京都府、奈良県、兵庫県、和歌山県、三重県、滋賀県にはすべて世界遺産がある。(それが何かはじっくりと思い出してください。ちなみに三重県は「東海地方」とされることも多いけど、教科書的には近畿地方である。なお関東地方はあるけど、関西地方はない。)初めての世界遺産にめどが付き、大阪を支配する「維新の会」も大歓迎している。安倍政権としても指定に向けバックアップしてきて、その成果が今回のイコモス勧告に結実したらしい。つまり、IR(カジノ)、万博、G20サミットなどと同じように、「改憲に向けた維新支援策」が「世界遺産」なのである。これが疑問の第二。
今回の世界遺産指定が天皇代替わりと重なったのは、偶然だろうか。世界遺産への推薦は「狭き門」になっていて、今は一年に一件に限られる。数年以上前から「順番待ち」状態だから、意図的かどうかは判断できないが、「天皇退位」が現実のスケジュールになってからは、合わせようという意図もあったのではないか。今回のニュースに関して、産経新聞は社説(「主張」)で「仁徳陵が世界遺産 国の成り立ち考える機に」と主張している。「令和への御代替わりで皇室の歴史に国民の関心が高まる中での朗報」であって、「日本という国の成り立ちを考え、広く陵墓や古墳に親しむきっかけにしたい」と言うのである。このように古代の史跡が「天皇制の政治利用」につながっている。疑問の第三。
ところで「世界遺産」とは何だろうか。主管官庁である文化庁のホームページを見ると、「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷,破壊等の脅威から保護し,保存することが重要であるとの観点から,国際的な協力及び援助の体制を確立すること。」が世界遺産条約の目的と書かれている。つまり、「観光」や「国威発揚」が目的なのではなく、「人類全体のために」「保護・保存」するのが世界遺産の目的なのである。従って指定に当たっては国内法での保護が必要である。かつて「原爆ドーム」の世界遺産推薦に際して、事前に「史跡」に指定したことがある。時代が近いため難しかったが、規定の方を改めて戦時中の史跡も保護対象にしたわけである。
しかし、これらの古墳群は「文化財」としては何の保護対象にもなっていない。それは「古墳」じゃなくて、「皇室の財産」として「信仰の対象」だからである。実際に何か重大事があれば、例えば今回の新天皇即位などは、そのたびに「皇祖皇宗」に「報告」しているはずである。だから「文化財」として本格的な調査対象にもならない。近年になって多少研究者が近づけるようになったが、それでも墳丘そのものには近づけない。この現状は、今回の指定対象がけっして「人類全体」のものではないことを示している。最低限、「史跡」に指定することが世界遺産の前提ではないだろうか。疑問の第四である。
そして疑問の第五、最後のものは「最大の前方後円墳」である「大仙古墳」を、多くのマスコミがカギ括弧もつけずに「仁徳天皇陵」と書いていることである。これは全くの間違いで、研究が進めば進むほど「大仙古墳は仁徳天皇陵ではない」ことがはっきりしてきている。「陵」(りょう、みささぎ)は天皇・皇后等の墓を指す言葉だから、そもそも文化遺産を指すには不適当だ。戦後の歴史学、考古学では地名で呼ぶように変わってきて、「大仙古墳」とは堺市の地名から付けられている。文化庁のホームページでは「百舌鳥・古市古墳群」と学術的な書き方をしているが、マスコミは「仁徳天皇陵」と書く。
神話上の天皇を含めて、第16代に当たる天皇(大王=オオキミ)が仁徳(にんとく)天皇だ。大きな古墳があるんだから、そこに当時の国家リーダーが葬られているのは間違いない。それは時代的に中国南朝の「宋」に朝貢した「倭の五王」であることも確かだろう。かつては地方政権論などもあったが、「埼玉古墳群」から出土した「稲荷山鉄剣」にあった文字の解読で消えたと言っていい。鉄剣にある「ワカタケル大王」が「宋書」にある倭王「武」であることは、今では疑えないと判断している。
(宋書と記紀の「五王」の比較表)
この「ワカタケル」は21代雄略天皇と判断できるから、雄略天皇こそが「日本史上最初の実在の人物」と考えていい。「仁徳天皇」になると、その実在性自体から異論もある。しかし、まあ誰かがいたわけである。古墳はあるんだから。問題は順番で、進展した研究による古墳の順番と天皇の順番が合わない。もっとも古墳の順番そのものも、墳丘部自体を発掘できないんだから絶対確実とまでは言えない。天皇陵は長い間忘れられていて、江戸時代末期に「尊皇思想」が高まってから決められたものだ。いい加減に決めたわけではなく、当時の研究水準を反映してそれなりの判断をして決められた。しかし、今では間違いだろうという「治定」(ちじょう=陵の決定)が多い。
宮内庁は「治定」のやり直しをするべきだが、実際には難しくて手を付けないだろう。新天皇は歴史学を専攻したんだから、そこら辺は判っているはずだが、家族で神武天皇陵を訪問しているぐらいだから変化は難しいんだろう。そうなると、科学的に全く誤った内容の史跡が世界遺産に指定されてしまうことになる。それは恥ずかしいことだと僕は思うけど、思わない人が多いという現実が恐ろしい。
(大仙古墳、伝仁徳天皇陵古墳)
僕は昔大阪府堺市にこれを見に行ったことがある。もちろん中へは入れないが、日本史が専門なんだから一度は遠望しておきたい。堺市は戦国時代の「自由都市」、与謝野晶子の生地、そして百舌鳥古墳群と歴史ファンには魅力的な町である。大古墳の周囲を一周しようかと思ったけど、半周したところで飽きてしまった。古墳は堀の向こうで木しか見えないし、周りはずっと住宅街でホテルまであった。歴史的風景のたたずまいとしては、奈良県の「山辺の道」にある「行燈山(あんどやま)古墳」(伝崇神天皇陵)周辺に比べるべくもない。世界遺産への疑問の一つはそこにある。
何でも近畿地方の各府県の中で世界遺産がないのは大阪府だけだと言う。確かに京都府、奈良県、兵庫県、和歌山県、三重県、滋賀県にはすべて世界遺産がある。(それが何かはじっくりと思い出してください。ちなみに三重県は「東海地方」とされることも多いけど、教科書的には近畿地方である。なお関東地方はあるけど、関西地方はない。)初めての世界遺産にめどが付き、大阪を支配する「維新の会」も大歓迎している。安倍政権としても指定に向けバックアップしてきて、その成果が今回のイコモス勧告に結実したらしい。つまり、IR(カジノ)、万博、G20サミットなどと同じように、「改憲に向けた維新支援策」が「世界遺産」なのである。これが疑問の第二。
今回の世界遺産指定が天皇代替わりと重なったのは、偶然だろうか。世界遺産への推薦は「狭き門」になっていて、今は一年に一件に限られる。数年以上前から「順番待ち」状態だから、意図的かどうかは判断できないが、「天皇退位」が現実のスケジュールになってからは、合わせようという意図もあったのではないか。今回のニュースに関して、産経新聞は社説(「主張」)で「仁徳陵が世界遺産 国の成り立ち考える機に」と主張している。「令和への御代替わりで皇室の歴史に国民の関心が高まる中での朗報」であって、「日本という国の成り立ちを考え、広く陵墓や古墳に親しむきっかけにしたい」と言うのである。このように古代の史跡が「天皇制の政治利用」につながっている。疑問の第三。
ところで「世界遺産」とは何だろうか。主管官庁である文化庁のホームページを見ると、「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷,破壊等の脅威から保護し,保存することが重要であるとの観点から,国際的な協力及び援助の体制を確立すること。」が世界遺産条約の目的と書かれている。つまり、「観光」や「国威発揚」が目的なのではなく、「人類全体のために」「保護・保存」するのが世界遺産の目的なのである。従って指定に当たっては国内法での保護が必要である。かつて「原爆ドーム」の世界遺産推薦に際して、事前に「史跡」に指定したことがある。時代が近いため難しかったが、規定の方を改めて戦時中の史跡も保護対象にしたわけである。
しかし、これらの古墳群は「文化財」としては何の保護対象にもなっていない。それは「古墳」じゃなくて、「皇室の財産」として「信仰の対象」だからである。実際に何か重大事があれば、例えば今回の新天皇即位などは、そのたびに「皇祖皇宗」に「報告」しているはずである。だから「文化財」として本格的な調査対象にもならない。近年になって多少研究者が近づけるようになったが、それでも墳丘そのものには近づけない。この現状は、今回の指定対象がけっして「人類全体」のものではないことを示している。最低限、「史跡」に指定することが世界遺産の前提ではないだろうか。疑問の第四である。
そして疑問の第五、最後のものは「最大の前方後円墳」である「大仙古墳」を、多くのマスコミがカギ括弧もつけずに「仁徳天皇陵」と書いていることである。これは全くの間違いで、研究が進めば進むほど「大仙古墳は仁徳天皇陵ではない」ことがはっきりしてきている。「陵」(りょう、みささぎ)は天皇・皇后等の墓を指す言葉だから、そもそも文化遺産を指すには不適当だ。戦後の歴史学、考古学では地名で呼ぶように変わってきて、「大仙古墳」とは堺市の地名から付けられている。文化庁のホームページでは「百舌鳥・古市古墳群」と学術的な書き方をしているが、マスコミは「仁徳天皇陵」と書く。
神話上の天皇を含めて、第16代に当たる天皇(大王=オオキミ)が仁徳(にんとく)天皇だ。大きな古墳があるんだから、そこに当時の国家リーダーが葬られているのは間違いない。それは時代的に中国南朝の「宋」に朝貢した「倭の五王」であることも確かだろう。かつては地方政権論などもあったが、「埼玉古墳群」から出土した「稲荷山鉄剣」にあった文字の解読で消えたと言っていい。鉄剣にある「ワカタケル大王」が「宋書」にある倭王「武」であることは、今では疑えないと判断している。
(宋書と記紀の「五王」の比較表)
この「ワカタケル」は21代雄略天皇と判断できるから、雄略天皇こそが「日本史上最初の実在の人物」と考えていい。「仁徳天皇」になると、その実在性自体から異論もある。しかし、まあ誰かがいたわけである。古墳はあるんだから。問題は順番で、進展した研究による古墳の順番と天皇の順番が合わない。もっとも古墳の順番そのものも、墳丘部自体を発掘できないんだから絶対確実とまでは言えない。天皇陵は長い間忘れられていて、江戸時代末期に「尊皇思想」が高まってから決められたものだ。いい加減に決めたわけではなく、当時の研究水準を反映してそれなりの判断をして決められた。しかし、今では間違いだろうという「治定」(ちじょう=陵の決定)が多い。
宮内庁は「治定」のやり直しをするべきだが、実際には難しくて手を付けないだろう。新天皇は歴史学を専攻したんだから、そこら辺は判っているはずだが、家族で神武天皇陵を訪問しているぐらいだから変化は難しいんだろう。そうなると、科学的に全く誤った内容の史跡が世界遺産に指定されてしまうことになる。それは恥ずかしいことだと僕は思うけど、思わない人が多いという現実が恐ろしい。