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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

あなた、なの?

2005-09-03 19:40:38 | 好きな絵本
 ○○さんの奥さんとか、○○ちゃんのお母さん、と呼ばれることが、
どうしても嫌なわけではありません。(嫌なわけではないけれど、
もちろん好きでもありません)それよりも、私は私の名前で、呼ばれたほうが
やっぱりうれしい気がします。
 それは、きっと、いつも心の中で、私は「私」でいたいなあと思っているからなのでしょう。   
おおきなポケット2000年4月号に『あなた』という作品が載っています。
谷川俊太郎文、長新太絵の黄金コンビ『わたし』の続編です。  

 『わたし』の中では、「わたし」山口みちこ5歳 が他者からみると
どんなふうに呼び方が変わるかということで、「わたし」というものを
とらえようとしています。おかあさんからみれば、娘のみちこ、という具合に。  

 『あなた』を書く時に、谷川俊太郎さんは考えたそうです。
以下は「おおポケつうしん」(おおきなポケットについている大人向けのページのこと)
からの抜粋です。   

 他人の立場から「わたし」を見るのではなく、「わたし」の立場から
他人、つまり「あなた」を見るとなると、極端に言えば自分以外の
全人類を「あなた」と考えることも出来るのです。(中略)
絵本『わたし』と同じ方法でこの『あなた』を書くのは不可能でした。

 それでは、「わたし」からの「あなた」はどんなふうに描かれているのかというと…。
限定された関係(親子、友だちなど)の中で、行き交う感情をもとにして、
もちろん子どもにもよくわかるように、「ものがたり」とはひとあじ違ったテイストで
とても詩的に仕上げています。  
たとえば、出だしはこんな具合です。         

    ずっとまえ       
    わたしは おかあさんの        
    おなかにいた         
    でもいま わたしは わたし         
    おかあさんは おかあさん        
    あなたとは よばないけど        
    おかあさんも あなたの ひとり  


 「わたし」はともだちの「さっちゃん」と出会い、自分とは、顔や、背丈、
お母さんやお父さん、指紋がちがう、と認識していきます。
さっちゃんとのけんかや、新しい友だちの出現などを通して、「わたし」は
自分と「さっちゃん」という他人(=あなた)を、どんどんわかっていこうとします。         

    かがみで みても わたしは わたし       
    でも あなたから みると        
    わたしは あなた                
    どんなわたしでも わたしは いつも わたし        
    どんなあなたでも あなたは いつまでも あなた  


 他人=あなたをわかっていこうとすることは、同時に自分自身=わたしを
わかろうとすることに繋がっていくことだと思います。
とてもとても基本的なことですが、「わたし」は一人では成り立たず、
大勢の「あなた」の存在によって、「わたし」で居ることができるのです。  

 「おおポケつうしん」の中で、松居直氏がこの事をとてもうまく述べています。
以下はー「人生はあなたからはじまる」ーよりの抜粋です。   

 赤ちゃんはお母さんの腕と温かい言葉に抱かれているときに、
自分を支え、護り、慈しんでそこの居る人を感じました。
この人が居れば大丈夫、安心だという感覚にみたされていました。
そして絶対に頼りになる誰か、つまり他者である「あなた」の存在を、
全身全霊で感じました。無意識のなかに、愛を信じるという最初の体験を
したのです。このようにわたしたちは、自分というものに気づく以前に。
他者=「あなた」をしったのです。自分=「わたし」はまだありませんでした。
このことは「わたし」は「あなた」によって生かされ、支えられているのだという、
人間の絆のほんとうの姿を示しています。
                   
     
コメント (5)
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