7月4日‥先週の金曜日‥は、1学期最後の当番で、3年生のクラスでした。
なんとなく、「しっかりしたおはなし」が読みたい気分だったので、
いろいろ図書館で探しましたが、結局家にあった『うみべのハリー』を
読みました。
『うみべのハリー』
ジーン・ジオン 文 わたなべしげお 訳
このハリーの出だしも、ハリーは、くろいぶちのある しろいいぬです です。
ハリーにとって、体の色と模様は、自分の特徴を示すとても大事なもの
であると同時に、ハリーの物語にとっても、重要なポイントになっています。
そして同じく、この「うみべのハリー」では、ハリーの「ハリー」という名前が
おはなしの核となっていますよね。
おうちの人とはぐれてしまったしまったハリーは、かぶってしまった海藻の
おかげで涼しくはあったけれど、犬みたいでなくって、バケモノだと
思われてしまいます。
耳の中に、水も入ってしまったけれど、遠くで、自分を呼ぶ声がしたような
気がしました。
ハリー ハリー ハリー
誰かが、自分を呼んでいます。
原書では、おそらくお店屋さんのおじさんが、ハリーアップ ハリーアップ と
呼び込みをしているのでしょう。(日本語では、いらはい、いらはいと、
かなり苦心されたのだろうなあと想像しますが‥)
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「うみべのハリー」とはまったく関係ないのですが、名前=名づけるで、
こんなふうに書かれていたことを思い出しました。
『すべてきみに宛てた手紙』の中にです。
ことばのすることというのは、結局のところ、名づけるということです。
ことばをことばたらしめてきたものは、名づけることであり、また名のる
ことでした。みずからことばのなかにすすみでる、ということです。
生まれた子どもがこの世で最初にもらうのは名。つまるところ、
この世と人を、またこの世で人と人をむすぶものは、ことばです。
そして人がめいめい違った名をもつように、ことばというのは、
多様なものをたがいに認めあう方法です。ことばがあなどられるところに、
人の、人としてのゆたかさはない。わたしはそう思っています。
ハリーも(私も)、その名をもらったことで、この世との結びつきが
できたということです。
名前をもらってはじめて、この世の中に、認められたということでしょう。
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今日、Arne の24号が届きました。
突然に年間契約することにしたのです。
エッセイのコーナーで、大橋さんが、「いい名前をつけるのはむつかしい」と
いう題で、書いていらっしゃいました。犬につける名前のこと、ご自分の会社に
付けた名前のこと、ご本名とペンネームのこと。
大橋歩 はペンネームなのだと、初めて知りました!
BOOKのコーナーでは、松浦弥太郎さんが、「ヒルサイドライブラリー」で
まっ白な机に向かっうのが好き、と書いていました。
この、ヒルサイドテラス内にある、図書館は、様々な百人の方に、
「自分の10冊」をお薦めいただき、並べてあるそうです。
(末盛千枝子さんの10冊や、松浦さんの10冊もあるそうです)
次々に、ちょこっと知っている事柄が繋がってきて、
それだけで楽しい気持ちになってゆきます‥