なんかこの頃、
ブログに書くことが思いつかない、という
ごく軽いスランプみたいなものを感じていました。
家のPCが修理中のせいかもしれないし、
長い小説を読み始めたからかもしれません。
日に2度は訪れる、ことり文庫さんの日誌を開いたら、
駒形克己さんのワンストロークの絵本フェアが開かれて
いるというお知らせが載ってました。
駒形克己さんといえば、うちではこの絵本です。
『ごぶごぶ ごぼごぼ』
リンクしているのは、ハードカバー版ですが、家にあるのは
こどものとも0,1,2の1997年7月号。
rが生まれたのが、1996年8月だから、購入したのは
1歳になる前ですね。(定期購読してましたから)
絵本のついての思い出を語る時、もう何度も書いているので
同じことを、別のところで読んだ方が、いらっしゃると思いますが‥
私、自分自身の絵本の思い出の始まりは、幼稚園で見たと
思われる数冊の絵本からなんです。
(たぶん「ぐりとぐら」と「ふしぎなえ」だったと思うのです)
家にも何冊かはあったと思うのですが、今、自分が持っている
ような絵本は全然なくって、本の思い出は、挿絵つきの
アンデルセン童話とかグリム童話とかのシリーズものです。
なので、娘が生まれ、書店の絵本のコーナーに足を踏み入れる
ようになったとき、懐かしいというよりも、驚きのような気持ちに
包まれました。
そして、こどものとも0,1,2の存在を知り、パンフレットに書いて
あるように、赤ちゃんが8か月になったときから定期購読を始め(笑)
毎月の絵本が届くのが、大きな楽しみになりました。
そんな絵本ビギナーの新米ママに、ある時(97年の7月号ですが)、
『ごぶごぶ ごぼごぼ』がやってきたわけです。
その色の美しさ、洗練されたデザインに驚き、また
コトバの少なさにも驚きました。そして、すぐに夫にも見せたことを
覚えています。
絵本ってすごいんだと、最初に思わされた1冊かもしれません。
ぷく ぷく ぷく ぷくん
と、生まれてくるのは泡なのかな と思い、
ど ど どぉーん
のところでは、声を大きくし、
ざぶ ざぶ ざぶん
と 読んでいる自分の声を聞きながら、頭の中で打ち寄せる波を思い‥
さわ さわ さわ
と風を思い浮かべながら、私が読めば、娘は決まって
くすぐったそうに笑いました。
そうして、おしまいは「しーーーーー」と、ちいさなちいさな声で
読んで、本を閉じましたっけ。
rの頭の中に、この本のテキストは残ってないと思いますが
体のどこかには、声や音や息遣いや、その時々の匂いが残っていて
それが彼女の一部になって、今を作っているのかな、
そうだったらいいなと、思います。
ブログに書くことが思いつかない、という
ごく軽いスランプみたいなものを感じていました。
家のPCが修理中のせいかもしれないし、
長い小説を読み始めたからかもしれません。
日に2度は訪れる、ことり文庫さんの日誌を開いたら、
駒形克己さんのワンストロークの絵本フェアが開かれて
いるというお知らせが載ってました。
駒形克己さんといえば、うちではこの絵本です。
『ごぶごぶ ごぼごぼ』
リンクしているのは、ハードカバー版ですが、家にあるのは
こどものとも0,1,2の1997年7月号。
rが生まれたのが、1996年8月だから、購入したのは
1歳になる前ですね。(定期購読してましたから)
絵本のついての思い出を語る時、もう何度も書いているので
同じことを、別のところで読んだ方が、いらっしゃると思いますが‥
私、自分自身の絵本の思い出の始まりは、幼稚園で見たと
思われる数冊の絵本からなんです。
(たぶん「ぐりとぐら」と「ふしぎなえ」だったと思うのです)
家にも何冊かはあったと思うのですが、今、自分が持っている
ような絵本は全然なくって、本の思い出は、挿絵つきの
アンデルセン童話とかグリム童話とかのシリーズものです。
なので、娘が生まれ、書店の絵本のコーナーに足を踏み入れる
ようになったとき、懐かしいというよりも、驚きのような気持ちに
包まれました。
そして、こどものとも0,1,2の存在を知り、パンフレットに書いて
あるように、赤ちゃんが8か月になったときから定期購読を始め(笑)
毎月の絵本が届くのが、大きな楽しみになりました。
そんな絵本ビギナーの新米ママに、ある時(97年の7月号ですが)、
『ごぶごぶ ごぼごぼ』がやってきたわけです。
その色の美しさ、洗練されたデザインに驚き、また
コトバの少なさにも驚きました。そして、すぐに夫にも見せたことを
覚えています。
絵本ってすごいんだと、最初に思わされた1冊かもしれません。
ぷく ぷく ぷく ぷくん
と、生まれてくるのは泡なのかな と思い、
ど ど どぉーん
のところでは、声を大きくし、
ざぶ ざぶ ざぶん
と 読んでいる自分の声を聞きながら、頭の中で打ち寄せる波を思い‥
さわ さわ さわ
と風を思い浮かべながら、私が読めば、娘は決まって
くすぐったそうに笑いました。
そうして、おしまいは「しーーーーー」と、ちいさなちいさな声で
読んで、本を閉じましたっけ。
rの頭の中に、この本のテキストは残ってないと思いますが
体のどこかには、声や音や息遣いや、その時々の匂いが残っていて
それが彼女の一部になって、今を作っているのかな、
そうだったらいいなと、思います。