今年5月に、たくさんのふしぎ傑作集として出版された本ですが、
初出は1995年7月の月刊「たくさんのふしぎ」。
私はそのころ、子どもを持っていなかったので、福音館書店の月刊誌の
ことを何も知りませんでした。
今、こうして単行本として、この本に出会うことができて、ほんとうに
よかったなと思っています。
教科書や歴史の本やもっと難しい本を何冊も読むよりも、いろんなことを
思うきっかけを、この絵本が与えてくれるのですから。
内容紹介ページには下のように記されています。
著者の鶴見俊輔さんは哲学者。「思想の科学」創刊などで著名な、戦後思想界の巨人です。
15歳で渡米し、太平洋戦争が始まったときはハーバード大学に在学中でした。
敵国人として留置場に入れられた後、交換船で日本に帰国した鶴見さん。アメリカにいても、
日本に帰ってからも、自分を「外人」だと感じて生きてきました。その頼りない気分が今も残っていて、
自分のくらしを支える力になっていると言います。
交換船で日本に帰る前、同級生だったアメリカ人の友人がこう言ったそうです。
「戦争がはじまった。これから憎みあうことになると思う。しかし、
それをこえて、わたしたちのつながりが生きのびることを祈る」
作者、鶴見さんはその続きに、こう書いています。
しかし、日本にもどってからも、わたしはアメリカ人を憎むことが
できないでいました。自分が撃沈か空襲で死ぬとしても、
憎むことはないだろうと思いました。
日米開戦という緊迫した状況であるにも関わらず、作者の語り口は
あくまでも穏やかで、FBIの取り調べの最中に脇を触られ、思わず
笑いだしてしまう場面や、刑事が行きつけの酒場でサンドイッチをごちそう
してくれたことなども描かれています。
作者にとってのアメリカは、そんなふうに思い出される場所だったのだなと
私は想像してみるのです。
そして、帰国した後すぐに受けさせられた徴兵検査、その後の海軍への志願。
淡々と語られる任務とジャワ島での生活と二度の手術と、敗戦と‥。
静かに文章が運ばれていくほどに、作者の胸のうちに折り重なっているであろう
ものを思い、読み進める私は胸がふさがっていくようでした。
作者は本が終わりに近づいたときに、こう記します。
わたしは、アメリカにいた時、外人でした。戦争中の日本にもどると、
日本人を外人と感じて毎日すごしました。それでは、日本人のなかで
外人として生きていたことになります。今は、わたしは外人ではないのか。
自分の底にむかっておりてゆくと、今もわたしは外人です。
この絵本は、大学1年になった娘にぜひ読んでもらいたいと思っています。