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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

久しぶりにもやっとしたので書いてみました

2018-02-05 17:36:47 | ふと思ったこと

今朝のニュースで『あたしおかあさんだから』の歌詞のこと
初めて知りました。(#のことも含め)

私は母歴21年半で、ひとり娘も成人したので、もう「現役のママ」という
気持ちではなく、OGのひとり、みたいな気持ちで居るのですが。
この歌詞のことや、それに対する批判および賛同のあれこれなどをちょっと
だけ読んで、いやいやいや子育ての本質はそういうものではないでしょ、と
朝から気持ちがもやもやしています。



子どもを持ったら、お母さんになりますが、「お母さん」になっても、
わたし自身(あなた自身)は、当たり前ですが、わたしのままそこに居ます。
家族の構成上、立場上、一時的にお母さんになるだけであって、私が消えて
なくなるわけでも、別の人になるわけでもないと思うのです。

いつか、だいぶむかし、宇野千代さんのエッセイの中で、子供と一緒に
いられるのは長い人生の中でたったの20年か25年、という文を読んで、
目が覚めたような気持ちになったことがありました。
そのころ、私は今でいうところの妊活中でしたが、なかなかうまくいかず、
子供を持てないことを悲劇的に考え過ぎていました。
でも、それを機会に、持てたらラッキー、でも持てなくても、私は私で
生きていこうと思えるようになりました。(だって70年~80年のうちの
20年くらいのことですもの)
すこし話がそれましたが、要するに、子育てというか、子供とともに暮らす
時間は制限があるということなのです。
だから、母になってもそれが私のオールではないということ。(まして
ゴールでもないと思うのです)


そして、ある時、こういうエピソードを聞きました
お母さんが写真の展覧会に出かけて帰ってきたとき、その展覧会がいかに
素晴らしかったかを話してくれて、買ってきた図録を家族みんなで見ることが
できるように居間にずっと置いてあった、というはなし‥。


この本の中ほどにある 家族の風景—The Family of Man に書かれています



ポイントは、お母さんが楽しい時間を過ごしてきた。それを楽しかったと言って、
家族に話てくれた、の2つだと思うのです。

子供は誰でも、お母さんが(もちろんお父さんも)楽しそうにしている姿を
見るのが大好きです。
自分の子ども時代を思い返してみても、娘が幼かったころを思い返してみても、
それは確かだと、言いきってもいいかなーと思います。
(逆に、自分のために母が何かを我慢している、何かを犠牲にしている、何かを
あきらめた等々のネガティブな面をみることはとても哀しいと思うのです。
さらに、あなたのためにそうしたの的な、だから感謝してね的な面が見えて
しまったら、、、哀しいを通り越してもはや呪縛の域‥)

で、結局何が言いたいのかと言えば、お母さんというポジションにあるのなら、
それは期間限定なので、楽しく過ごしてほしいなあということです。
そして、こどものためとか、しつけとか、お勉強ができるように、とか、の
前に、なんでも一緒に楽しむ、やってみる、教えてもらうくらいの気持ちでいると
いいんじゃないかなーと、OGは思うわけなのです。


 

コメント (2)
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