中学校の入学式から、まる1週間が過ぎました。
今頃になって、じわじわと、新しい季節(=次のステージ)を
感じはじめています。
通っていた小学校の、すこし先に中学校があるし、
友達もみなよく知っているし、私自身は、読み聞かせボランティアと
して、まだ小学校にかかわりを残しているので、3月があっという間に
過ぎたあとも、なんとなく今までと同じ「進級」みたいな気持でいました。
この春が、旅立ちのときだった方のご様子を聞いたり、読んだり
していても、いまひとつピンとこず‥
春に進級、進学がつきものの日本よりも、6月の爽やかな時期に、
(地域によって違うと思いますが、私が知っているNYの6月は
それはそれはいい季節です)
卒業し、夏を超えて、9月に新しい生活が始まる国の方がいいかも
なんて思ったりもしてました。
でも、でもですね。
ここへきて、やはり、新しいことを始める季節が〈春〉でよかったと
しみじみ思っています。
何もないように見えたところから、芽が出たり、
ただの枝から、吹き出るように、新しい緑が出てきたりするのを
見ているのは、ほんとうに清々しいです。
別れを迎え、冷えていた心も、文字通り日々成長していく
緑の姿に、慰められることだろうし。
慣れない学校や、生活のリズムに浮足立っている、私のような
ところは、毎朝水をあげ、植物の様子を見るだけでも
その行為が、すこしづつ気持ちを落ち着かせてくれたりもしますもの。

この花は、3月12日のブログにこう書いていた「小さなポット」です。
うっかり、水をあげるのを忘れて、へたっていた小さいポットに
慌てて、昼に、水をあげたら、夕方には葉がぴんと立っていて。
植物の、そういうわかりやすさは大好きだ、と思い、
そういうわかりやすい素直さを、大事にしようと思いました。
ちょうど入学式の頃に花が咲き始めました。
油断すると、すぐにへたってしまうので、一番気にかけています・笑
中学生になったからといって、うっかりしたり、油断したりしていたら
子供もへたってしまうのでしょうね‥いろんな意味で‥
だからといって、いつ水をあげようかと見張ってばかりいても
いけないし、水のあげ過ぎにも要注意です。
昨日読み終わった『そして、ねずみ女房は星を見た』の中の
『お話を運んだ馬』について書かれたページに、こういう記述が
ありました。(引用のまた引用なので、ちょっとわかりにくいかもしれませんが)
母の大きな灰色の目が、こう言っているように見えた。
「おかしな子だけど、やはりおまえのことは愛しているんだよ」
清水眞砂子さんの大学の授業で、この作品を読み終えた学生の
ひとりがこういったそうです。
「こどものとき、こんな言葉に出会っていたら、もっとずっと
伸びやかに生きられたのに」
すると、居合わせたほかの学生たちが次々と「わたしも‥」と
いいはじめました。
「だからおかしいことはしないようにって、いつも思ってきた」と。
中略
受容し、抱きとめてくれる人の存在を信じられず、おかしな子にも、
あきれた子にもなれないでいる子どもたちの辛さを想います。
この本には、いつでも取り出せるところに置きたいことが、色々
ありましたが、上の箇所は、私には特に大切に思われました。
こどもひとり対親ふたり、の関係は、時々、こどもに妙な負担を強いている
ような気持ちにさせられるからです。
いつまでたっても、親と子、という関係は続けていくのですが、
どちらがどちらに水をあげるのでもなく、できれば、一緒に風に揺れる
野の花みたいでありたいなあと、思います。
そんなことを想わせてくれるのも、新しく迎えたステージが〈春〉だからですね、きっと。
今頃になって、じわじわと、新しい季節(=次のステージ)を
感じはじめています。
通っていた小学校の、すこし先に中学校があるし、
友達もみなよく知っているし、私自身は、読み聞かせボランティアと
して、まだ小学校にかかわりを残しているので、3月があっという間に
過ぎたあとも、なんとなく今までと同じ「進級」みたいな気持でいました。
この春が、旅立ちのときだった方のご様子を聞いたり、読んだり
していても、いまひとつピンとこず‥
春に進級、進学がつきものの日本よりも、6月の爽やかな時期に、
(地域によって違うと思いますが、私が知っているNYの6月は
それはそれはいい季節です)
卒業し、夏を超えて、9月に新しい生活が始まる国の方がいいかも
なんて思ったりもしてました。
でも、でもですね。
ここへきて、やはり、新しいことを始める季節が〈春〉でよかったと
しみじみ思っています。
何もないように見えたところから、芽が出たり、
ただの枝から、吹き出るように、新しい緑が出てきたりするのを
見ているのは、ほんとうに清々しいです。
別れを迎え、冷えていた心も、文字通り日々成長していく
緑の姿に、慰められることだろうし。
慣れない学校や、生活のリズムに浮足立っている、私のような
ところは、毎朝水をあげ、植物の様子を見るだけでも
その行為が、すこしづつ気持ちを落ち着かせてくれたりもしますもの。

この花は、3月12日のブログにこう書いていた「小さなポット」です。
うっかり、水をあげるのを忘れて、へたっていた小さいポットに
慌てて、昼に、水をあげたら、夕方には葉がぴんと立っていて。
植物の、そういうわかりやすさは大好きだ、と思い、
そういうわかりやすい素直さを、大事にしようと思いました。
ちょうど入学式の頃に花が咲き始めました。
油断すると、すぐにへたってしまうので、一番気にかけています・笑
中学生になったからといって、うっかりしたり、油断したりしていたら
子供もへたってしまうのでしょうね‥いろんな意味で‥
だからといって、いつ水をあげようかと見張ってばかりいても
いけないし、水のあげ過ぎにも要注意です。
昨日読み終わった『そして、ねずみ女房は星を見た』の中の
『お話を運んだ馬』について書かれたページに、こういう記述が
ありました。(引用のまた引用なので、ちょっとわかりにくいかもしれませんが)
母の大きな灰色の目が、こう言っているように見えた。
「おかしな子だけど、やはりおまえのことは愛しているんだよ」
清水眞砂子さんの大学の授業で、この作品を読み終えた学生の
ひとりがこういったそうです。
「こどものとき、こんな言葉に出会っていたら、もっとずっと
伸びやかに生きられたのに」
すると、居合わせたほかの学生たちが次々と「わたしも‥」と
いいはじめました。
「だからおかしいことはしないようにって、いつも思ってきた」と。
中略
受容し、抱きとめてくれる人の存在を信じられず、おかしな子にも、
あきれた子にもなれないでいる子どもたちの辛さを想います。
この本には、いつでも取り出せるところに置きたいことが、色々
ありましたが、上の箇所は、私には特に大切に思われました。
こどもひとり対親ふたり、の関係は、時々、こどもに妙な負担を強いている
ような気持ちにさせられるからです。
いつまでたっても、親と子、という関係は続けていくのですが、
どちらがどちらに水をあげるのでもなく、できれば、一緒に風に揺れる
野の花みたいでありたいなあと、思います。
そんなことを想わせてくれるのも、新しく迎えたステージが〈春〉だからですね、きっと。
小学校6年生の時にはあんなに大人っぽい感じがしていたのに、ちょっとぶかぶか気味の中学の制服を着たとたん、どうしてあんなに幼くかわいく感じるのでしょう。
きっとrちゃんもかわいいんだろうな。
清水さんのこの本はほんとに素晴らしい本ですよね。『あなたのすべてを愛します』って言うのは簡単だけどなかなか難しいことです。親ってもっともっとと上を望んでしまいますもんね。rucaさんがこの本に感動できるお母さんだってことがとっても素敵です。
私も読み返してみたくなりました。
最高学年にいた子どもたちが、一年生になったとたん
あんなに幼く感じられる不思議を、今まさに味わっています(笑)
清水さんのその本を、私はまだ読んでいませんが、
この言葉は、まさに私が思う言葉です。
特にうちみたいに暴れん坊を持つと「それでも大好き、
大丈夫」と伝える重要さをひしひしと感じます。
特に親である私がその子のその子らしさを、ちっとも嫌だとは思っていないだけに、
そのことは理解しておいてもらいたいです。
受容してくれる存在、とてもとても大切ですよね。
rucaさんちとは逆ですが、うちみたいに、
大人ひとり子どもふたりの場合、特にかもしれないです。
しびれるような感覚です。
その言葉。私も、常に自分自身に言い聞かせてきたこと。
ずーっと、弱くて、泣き虫で、感じやすい男の子だった一人息子。
すっかり、大きく、たくましくなったと判っているのに
やっぱり心配で心配で、ついつい、水加減を
確認せずにはいられません。
で、「これぐらいじゃ、だめかなあ」と
結局、不安になって、少し足してみたり(笑)
「お話しを運んだ馬」は、こうめさんの記事を読んでから(たしか)、ずっと気になっている一冊です。
先日も、生協の機関誌で題名を見つけたばかりでした。
ここでrucaさんのお話を読んで、今こそ読みどきかなと思った次第です(笑)
まずは、あと一週間の期限の「種をまく人」を読んでしまってから。
うちは2人同時に学校が変わったのと
自分の仕事内容が増えパタパタしていたのとで、
本当に怒濤のような3月4月でした
(4月はまだ終わってないけど…)
昨日おとといは長女の顔すら見ておらず。。。
今日は2日ぶりに私がまともな時間に帰宅できたので
「わーー久しぶり!」とか言い合ってしまいました…(苦笑)
ヘンテコな親子っぷりに
拍車がかかっている今日この頃なのです。
落ち着いたらまたゆっくりお話したいです☆
今の時期、まだ一目見れば、あっ1年生ね♪と
わかる初々しさが、かわいくて微笑ましいです。
しかし、記事を読みながら、どうにもこうにもハラハラと涙がとまらなくて
困りました。
泣くことなんて、何もないのに・・・ほんとうに困ったものです。
この時期の水加減は、なかなか難しいですよね。
今までのいろいろも、これからの数々も、
丸ごと受容するしかないと思うと、
あー、修行しているような気分です(苦笑)
この試練にいつか終わりが来るかしら。
この本、やっぱりわたしも読み時だなぁと思いました。
次に頼むことにします。ありがとう、rucaさん。
rucaさんの、この記事全体が清々しくって、
ジンときました。ありがとう。
芽吹きの時期、春はやっぱりだいすきだな...。
お返事遅くなりました。
>中学校の制服をきたとたん~
のくだり、ほんとにそうだなあと大きく頷きながら読みました。
女の子もネクタイがあるので、ブラウスというよりも
衿の固いシャツなんです。
その第一ボタンを留めて、後ろがゴムになっている
ネクタイをするのに、rは毎朝苦労しています・笑
どんな中学生になるんだろう?と半年前は思っていましたが
それなりに、馴染んでいくんですね‥きっと。
清水眞砂子さんは、今でも青学短大の先生なんでしょうか‥?
あんな講義を聴くことができる学生さんがうらやましいと思いました。
清水眞砂子さんのこの本は、読み応えたっぷりです。
紹介している本で、読んだことがあるのは2冊しかなかったので、
これから、すこしづつ読んでいって、またいつの日か
この本を読み返してみたいなあと思っています。
受容する
簡単なようでいて、難しいかもと思ったり、
いえいえ、今までしてきたことがそうだったんだよと思ったり‥です。
rは、いまのところ、反抗らしい反抗をほとんどしないので
それが時に心配の種になってしまうのです。
がまんしているのではないか、
自分の気持ちをおさえこんでいるのではないか、と。
もしそうだとしたら‥と思うと、時々すごくこわくなるのです。
早く大きくなってもらって、野に咲く2輪の花になってしまえば、
もう対等だから、心配しなくていいかも、と
思ったりしちゃうんです・笑
お忙しいのに、コメント残してくれてどうもありがとう。
miyacoさんちこそ、kajyuちゃんと、aaちゃんの
ご入学おめでとうございます。
ますます、3姉妹って感じになってきましたね~
心配しすぎないってことも大切なことですよねー
miyacoさんちの姉妹を遠くで想像して、そんなこと思っています。