ピアノのSさんとアンサンブル。
イベールのコンチェルト、2,3楽章と、プロコフィエフのソナタ1,2楽章、フルート2本のドップラーのアンダンテとロンドとリゴレット。
イベールは近代音楽、特有の無調整音階ですが、彼の音楽には、情感。喜怒哀楽のようなものを感じます。といって情に流されてもいず、知性が勝ちすぎて難解になる直前で踏みとどまって、情と理性の絶妙なバランス感覚を感じます。すごい実験的な新しいことをやっているけれど、人の感性からは、はずれないと言うようなバランス。
プロコフィエフは形は近代の枠に入っているけれど、中味は民族音楽と言う感じ。ゆったりしたメロディからいきなりテンポ感が詰まって爆発。また、何事もなかったように静かに、そしてまた、急な雪解け。ピアノとの関係も緊密に絡み合っていておもしろい。ちょっとでもずれると、わけがわからなくなります。
ドップラー2曲は、前にやっていたパートを交換して、Kさんと組むので、ピアノとも一度合わせておきたかった。2nd抜きだと、ピアノとフルートとの音程がわかりやすいです。この間に2ndが入ってきてどうなるか?
楽しみです。ドップラーは1884年に亡くなっているので、まだ形式音楽。ここに音が来るだろうと言うところに来るので、他の二人に比べると格段に演奏しやすいです。
独特の連符や、装飾音を日本の民謡のこぶしと考えると、日本人である私が共感してしまうのも納得です。
「かりぼし切り歌」の節回しにも似ている感じがします。リトアニアやハンガリーの音楽が騎馬民族とともに大陸を渡って日本にやってきたような想像も沸いてきてとても興味深いです。
午後から欠けたお茶碗を買いに夫と京都へ、写真は高瀬川。河原町は様変わりしていて、陶器店の一軒もみつけられませんでした。ロフトや、inobunで見つけたけど、京都の町のお店で買いたかった私は意地になって買えませんでした。また、さがさなくっちゃ。