音楽の喜び フルートとともに

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音楽出版と作曲

2023-10-19 20:57:00 | 古典
今日はヴィオラの金重さんが牧野に来てくれました。
まずはお昼ごはん。
樟葉モールのタニタ食堂で腹ごしらえ。
金重さんのカレーデリ

究極の卵かけご飯定食
鶏南蛮

卵かけご飯

美味しい!
ホフマイスターのフルートとヴィオラのための二重奏。
三楽章仕立てのソナタ形式で3曲。
初見で3時間ほど喋ったり、弾いたり充実の時間でした。

フランツ アントン ホフマイスター
(1754ー1812年)
ビュルテンベルク王国 ビュルテンブルク アム ネッカー生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没

1780年代までウィーンで最も人気のある作曲家の一人でした。
しかし、最も評価されているのは音楽出版社としての活動です。
1785年までに音楽出版を開始しました。
ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、クレメンティ、アルブレヒツベルガー、ディッタースドルフ、ヴァンハルなどの作品を出版しました。

オフマイスターはモーツァルトは弦楽四重奏曲第20番

を彼に捧げ、この作品は「ホフマイスター」と呼ばれています。
また、ベートーベンは手紙に「最も愛しい兄弟」と綴っています。

1791年出版活動はピークを迎えましたが、その後は作曲活動へとシフトしました。
彼のオペラの多くは1790年代初めに作曲上演されました。
しかし、ビジネスセンスが欠如していて、その後は作曲数も減っていきました。

1799年ホフマイスターとフルート奏者のフランツ トゥルナーはロンドンまでのコンサートツアーに出発します。しかし、ライプツィヒでオルガン奏者のアンプロージ キューネルと友人になり、2人で1年以内に楽譜出版で提携する約束をして旅は中断されました。

ライプツィヒにビュロー ド ミュージックを設立し、ウィーンとライプツィヒを行き来していました。

その間バッハの鍵盤曲集第一巻を出版したりしました。

1805年ライプツィヒの会社をキューネルに譲渡します。(1914年買収され現在も続くペータース社

ペータース刊のベートーヴェン・ピアノソナタの楽譜(1890年頃)
になりました。)

ウィーンの会社が危機にあったからでしたが、1806年結局はケーミッシュ ドゥルッケライに売却されました。

1812年ホフマイスターはウィーンで亡くなりましたが、作曲者としても同時代の作曲家たちに高く評価されました。

多様な作品の中で最も有名なのはフルートのための作品で協奏曲、室内楽をフルートのために書きました。
8つのオペラ、50以上の交響曲、多数の協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲集を残しました。

ホフマイスターの「フルートとヴィオラのための二重奏曲Gmajor」1番第一楽章






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2 コメント

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Unknown (m-fluteangel16)
2023-10-20 02:00:54
@batasyan さん、ごはんを測って!
それは食べにくいですね。
そういうことはここの店ではやってませんでした。
人気でまだまだ長蛇の列で、できないだけかも。
ごはんの盛りは聞かれました。
写真は小盛りです。大も値段同じみたい😃👍
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Unknown (batasyan)
2023-10-19 10:15:46
タニタ食堂。かなり前に行きましたね。
やっぱりご飯は重さを計って、何キロカロリーとか出てくるんですか?これやられたら思いっきり食べられないんですよね。
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