1月にMAKIKYUがしまなみ海道を経て今治へ向かい、今治市内で1泊した後は四国内を廻った際には、松山市内や近郊を走り、過去にも何度か乗車した事があった伊予鉄道の郊外線電車にも乗車したものでした。
首都圏では最近、お馴染みの車両が次々と退いており、先日「MAKIKYUのページ」でも取り上げた小田急5000形などはその代表格ですが、伊予鉄では京王井の頭線でつい最近まで活躍していた3000系電車が、伊予の地でも同形式を名乗り、新たな活躍を始めた事でも注目されています。
MAKIKYUも伊予鉄道を利用する際には、是非この電車に一度は…と思っていたのですが、MAKIKYUが郡中線始発の郡中港駅(JR伊予市駅に隣接)で、松山市行きの電車に乗車しようとしたら、丁度3000系が現れたものでした。
MAKIKYUが郡中線に乗車した際には、途中駅ですれ違う列車にも3000系が1運用充当されており、単線の限られた設備ながらも昼間4運用で15分毎、地方私鉄では破格のフリークエントサービスを提供する同線では1本おきの割合、また高浜線~横河原線でも見た限りでは半分程度の列車に運用され、MAKIKYUが松山市駅で乗り換えた高浜線電車も3000系という状況でした。
そのため現段階でも、既に郊外線の主力車両と言って過言ではない程で、今後増備が進み導入予定数が揃うと、7割程度が3000系という状況になりますので、これからは3000系以外の車両を狙う方が…という事になりそうです。
ちなみにこの3000系電車は、伊予鉄道での導入に際し、編成数の短縮(5→3両)や下回りの換装(VVVF化)などが行われ、装いも伊予鉄道の他車両で用いられているオレンジ系統に改められています。
とはいえ元々がさほど古い車両ではない上に、行先表示も今流行のLEDではなく、字幕を新調して対応しており、京王時代に更新工事が施された車両だけあって、外観上の変化は少なく、それどころか新たに取り付けられた社紋の脇には、「KEIO」ロゴを剥がした痕跡までしっかりと残存しているなど、如何にも京王で活躍していた電車という雰囲気が色濃く感じられたものです。
車内に足を踏み入れても、伊予鉄道の他車両でも見られるドア上の電光式文字案内装置が装備された他は、井の頭線時代の雰囲気がよく残っていますが、下回り換装のお陰で、走り出すと走行音が随分静かになっているのは少々違和感を感じたものです。
また3000系導入によって、かつて京王から譲渡された古参車が全廃となり、一部がまさかの再譲渡で首都圏に出戻りした事も話題となりましたが、元5000系(700系)は今日でも多数が活躍しています。
京王時代は軌道幅の関係で並ぶ事がなかった元京王の2形式が、首都圏とは遠く離れた伊予の地で並ぶ光景も日常のものになっていますが、700系も伊予鉄道に移籍してからの活躍が長い車両ですので、いつまで元京王車2形式が揃って活躍する姿を見られるのかも気になる所です。