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紀州鉄道 キテツ1形気動車~日本唯一の現役2軸レールバス

2009-09-27 | 鉄道[近畿・その他私鉄等]

    

先月MAKIKYUが紀伊半島を訪問した際には、紀伊田辺~大阪方面へ向かう際にJR普通列車利用では大半が乗換えとなる御坊駅で途中下車したのですが、その際には御坊名物とも言えるミニ鉄道・紀州鉄道にも初めて乗車したものでした。

その際に乗車した車両がキテツ1形と呼ばれる気動車(レールバス)で、この車両は元々国鉄末期に廃止→第3セクター鉄道に転換し、現在も営業を続けている兵庫県の北条鉄道が、1985年の発足当初に導入したフラワ1985形と呼ばれる車両です。

北条鉄道ではその後軽快気動車を導入してレールバスの代替を行っており、2000年に北条鉄道から譲り受けた車両を就役させた車両がキテツ1形で、中古車両ながらも紀州鉄道初の冷房車であるなど、サービス向上に大きな役割を果たしています。

紀州鉄道移籍後は1両のみが主力車として活躍を続けていたものの、最近になって北条鉄道からもう1両移籍し、車庫内で整備を受けている姿も目撃したものです。

基本的に稼動車両・予備車両それぞれ1両ずつで事足りる小規模鉄道である事や、長い間使用している旧型気動車は老朽化もかなり進行している事もあって、今後紀州鉄道の稼動旅客車両は同形のみとなる日も、そう遠くなさそうな状況です。

紀州鉄道では旧型気動車が人気を集めている事もあって、それに比べると遥かに新しく、近代的な雰囲気を持ったキテツ1形は、稼働率が高い上にすぐに引退する可能性も低い事から、余り注目を集める存在ではない状況です。

とはいえレールバス自体、第3セクター鉄道の設立が相次いだ国鉄分割民営化(JR発足)前後には幾つかの鉄道で導入されたものの、第3セクター鉄道各社ではバス並みの輸送力の小ささや寿命の短さもあって退役が相次ぎ、今や2軸のレールバスで営業用として稼動している車両は国内では他に類がないだけに、非常に希少な車両と言えます。
(2軸のレールバス車両自体も、国内で他に稼動可能な車両は路線廃止後も古参レールバスを動態保存している青森県の南部縦貫鉄道程度しかありませんので…)

この車両はバス用のパーツを多用している上に、デザインが同時期の富士重工製大型路線バス(5E形)に類似しており、車内もバス並みの小柄さと言う事もあって、列車に乗車しているものなのか?という錯覚を感じてしまう雰囲気があります。

乗り心地も小型の2軸車だけあって快適とは言い難く、全長3kmに満たない路線で途中に駅が3つもある紀州鉄道線を、軌道条件も影響しているとはいえ、路面電車並みの低速で走っていてもフワフワと揺れる有様です。

これがそこそこ路線長や駅間距離があり、結構な速度で走る地方の国鉄廃止転換線だったら…と思ってしまいますが、快適とは言い難い車両も紀州鉄道の短い距離や乗車時間では、乗り心地を試すのに丁度良いと感じたものでした。

このキテツ1形はレールバスの耐用年数や、既に北条鉄道で退役した車両を譲り受けている事などを考えると、幾ら緩やかな使用条件の紀州鉄道といえども、今後暫く主力車両として活躍し続けるのか、それとも更に他の代替車両が現れるのかも気になる所です。

また紀州鉄道は市街地から離れたJR駅と、御坊の市街地間をシャトル輸送する路線である事から、各列車共1両ワンマンの短い編成ながらも、昼間毎時1~2本程度と、土地柄の割に比較的多くの本数が運行されています。

紀州鉄道はミニ鉄道だけあって全線乗り通しても片道10分足らずで運賃も200円に満たず、比較的手頃に乗車できるのも魅力的ですので、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も御坊へ立ち寄る機会がありましたら、是非今や希少な存在となった紀州鉄道の2軸レールバス・キテツ1形に乗車してみては如何でしょうか?


JR西日本 113系電車(日根野区F408編成)~先頭車と中間車の格差は…

2009-09-25 | 鉄道[近畿・JR]

 

数日前「MAKIKYUのページ」では、専ら御坊~紀伊田辺間で運用されるきのくに線ワンマン用の113系電車に関して取り上げましたが、MAKIKYUが先月この車両に乗車して御坊に到着した後は、御坊で一旦途中下車(この事に関しても、近日中に別記事で取り上げたいと思います)した後に再び紀勢本線(きのくに線)に乗車し、和歌山を目指したものでした。

御坊~和歌山間は昼間は概ね毎時2本程度の普通列車が運転され、それも4両編成で運転される列車が大半を占めていますので、紀勢本線の他区間に比べ、普通列車のサービスレベルは高いと言えます。

その充当車両は主に113系と117系が充当(一部列車では221系など、JR化後に新造された車両も運用されます)され、元々転換式クロスシートの117系だけでなく、近年は113系の中にも通称N40工事などと呼ばれる大規模な延命改修工事と併せ、転換式クロスシート装備に改められた編成が存在していますので、御坊~和歌山間の普通列車は量・質の両面できのくに線随一と言えます。

この御坊~和歌山間の普通列車は、充当系列は基本的に決まっており、117系などが充当される列車の場合は、確実に転換式クロスシート車に乗車できるのですが、過半数を占める113系は、延命工事施行の有無に関係なく同系の運用に充当されます。

そのため113系充当列車の場合は、同じ時刻の列車でも日によって大きな当り外れがあり、しかも御坊~和歌山間を中心に、阪和線や紀伊田辺方面などでも運用される日根野区の113系は、現在殆どの編成が4両全て延命工事施行車で構成されているか、逆に4両全てが延命工事を施工していない車両のいずれかで構成されています。

この両車は同系列の車両だけあって、車内設備だけでなく外観も大きく異なり、塗装も前者は近年のJR西日本標準塗装とも言えるベージュと茶色に青帯、後者は通称阪和色などと呼ばれ、基本的に日根野区所属車両だけ(車両転属の関係などで、一時的に他地区で運用される事もあります)が国鉄時代から纏っている灰色にブルー帯ですので、容易に識別可能となっています。

しかしながら日根野区の113系は、現在殆どの車両がどちらかの装いで統一されている中で、F408編成と呼ばれる1編成だけは、両先頭車が延命N40工事施行車、中間2両の電動車ユニットが阪和色の比較的原型を保った車両の混成編成となっています。

MAKIKYUが御坊駅で和歌山方面へ向かう普通列車に乗車する際は、偶然この不揃いな外観のF408編成に遭遇したのですが、この編成は日根野区113系各編成の中で最も異彩を放ち、注目を集める存在にもなっています。

しかもF408編成の中間電動車ユニットは、今では姿を見る機会も少なくなった窓の四隅が丸い非ユニット窓、冷房装置脇のベンチレーターも113系では今や少数派のグローブ形となっている古参車(昭和39年汽車会社製)で、当然ながらセミクロスシートのボックス席はシートピッチ拡大前の非常に狭い座席(113系は現在大半を占める後期形のシートピッチ拡大車でも、決して快適とは言い難い車両ですが…)です。

中間車2両は113系の現在稼動している車両の中では、設備的に最低レベルと言っても過言ではない状況(ここまで酷い車両は遭遇機会自体が少ないですので、希少価値はありますが…)なのに対し、両先頭車は新快速などで活躍している223系と同レベルにまで車内設備のグレードが高められ、117系などを凌ぐ程ですので、乗車する号車によって設備面では雲泥の差があります。

この設備格差はかつて首都圏の東海道線や横須賀線などで、長編成を構成して活躍した同系グリーン車組み込み編成の普通車とグリーン車並か、内装の格差等も加味するとそれ以上かも…と感じる程でした。

しかもF408編成はどの車両でも全車普通車自由席で、専ら普通乗車券だけで乗車できる普通・快速列車での運用ですので、F408編成に遭遇したらMAKIKYUは座れる限り両先頭車を選びます(先月乗車した際は、一番前の車両に乗車しました)が、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様は如何でしょうか?


紀伊田辺地区を走る西日本JRバス~熊野線の運行は今月末まで

2009-09-24 | バス[近畿]

 

先月MAKIKYUが紀伊半島を訪れた際には、乗車する機会こそなかったものの、紀伊田辺で西日本JRバスの姿を目にする事もできました。
(何故かその後MAKIKYUは、今まで余り縁のなかった同社のバスに2回も乗車する事になっているのですが…)

同社で紀伊田辺駅を発着する路線は現在、紀伊田辺~栗栖川間の熊野線と呼ばれる一般路線1路線の他、明光バスと共同で大阪方面~紀伊田辺・白浜間の高速バスも運行しています。

その内一般路線(熊野線)は、かつては栗栖川以遠の熊野本宮方面にまで足を伸ばしていたものが、栗栖川以遠の撤退→龍神自動車への移管が行われているものの、紀伊田辺~栗栖川間は概ね毎時1本程度(紀伊田辺~栗栖川以遠を直通運行する龍神自動車の便を含めて)運行していますので、土地柄の割には比較的健闘している部類ともいえます。

しかしながら現在運行している熊野線も、今月末限りで西日本JRバスが撤退する事になっており、先月紀伊田辺を訪れた際にMAKIKYUは龍神自動車の方から話を伺っており、西日本JRバスHPでもその旨が告知されています。

ただ熊野線の現在残存している区間の10月以降の運行は、既に栗栖川以遠の運行が移管され、栗栖川以南の熊野線残存区間でも並行してバスを走らせている龍神自動車ではなく、明光バスへ移管される旨が発表されています。

そのため紀伊田辺~栗栖川間ではJRバス撤退後も、さほど大きな需要があるとは見込めない区間にも関わらず、紀伊田辺~芳養・南部方面などの如く、明光・龍神2社の競合状態となります。

現ダイヤでは紀伊田辺~栗栖川間でJRバスを利用し、栗栖川で以遠へ向かう龍神自動車便へ乗り継ぐダイヤもあるだけに、JRバスのダイヤをそのまま明光バスへ移管→栗栖川で別事業者の便へ乗り継ぎという形態が移管以降も残存するのか、それとも移管を気にダイヤを修正するのかも気になるものです。

また紀伊田辺ではJRバスの車庫が駅から至近の場所に立地する事もあり、MAKIKYUは車庫内で同社一般路線車の姿も記録(当然許可を得ての撮影です)しており、停車していた車両はいすゞLRが数台と三菱MK1台でしたので、専ら中型車での運行でいすゞ車主体というのが現行熊野線の現状(その内いすゞ車1台は、後に栗栖川行の運用に充当されていた事も確認しています)です。

これらの車両は地方ではさほど古参の部類には入らないとはいえ、決して新しい車両とも言えませんし、10月以降に熊野線の移管運行を引き受ける明光バスは専ら日野車を使用し、グループの近鉄バスから多数の中古車両を導入できる環境があるだけに、現行の熊野線使用車両が路線と共に移管される公算は低いと思われますが、現在熊野線で使用している車両の今後の行く末も気になるものです。

写真は熊野線用のいすゞLRと三菱MKです。


龍神自動車(2)~マイクロバス・観光車編

2009-09-22 | バス[近畿]
先日和歌山県の龍神自動車に関する記事を取り上げましたが、今日は先日の続編で、同社に所属する中型路線車以外の車両に関して取り上げたいと思います。

まずマイクロバスですが、こちらは中型と並び、同社の一般路線では多数見られる存在となっていますが、中型とは異なり見たのは日野車ばかりでした。

日野車も年式によって車種が異なり、最近は見かける機会も減ってきたRainbow RBと、今日ローカル路線やコミュニティバスで非常にポピュラーな存在となっているLiesseに2分されています。

  
マイクロバスでありながらも前扉が前輪より前にあり、前中扉車での導入も多いLiesseも、龍神では座席定員を確保するためなのか、見かけた車両は前扉車ばかりでした。

その上この手の車両を、比較的足の長い龍神温泉・胡麻壇山方面へ向かう路線などにも運用しており、MAKIKYUも胡麻壇山行きのマイクロバスを田辺駅前で目撃しているのですが、マイクロバスと言っても比較的長時間の乗車を想定してか、見かけた車両は標準仕様よりも高級なハイバックシートを装備しているのも特徴です。

また龍神自動車は一般路線バス以外に高速バスの運行はないものの、観光バスも一般路線とほぼ互角と言える規模を誇り、営業所も一般路線は田辺の本社営業所のみですが、観光部門は岩出にも営業所を設けている程です。

 
そのため本社営業所でも路線車と共に、観光バス車両の姿も多数見かけたもので、大型車両は新型SELEGAをはじめ、旧年式で大都市圏の排ガス規制に合致せず、大阪府内などへ乗り入れできない車両まで、様々な年式の車を見かけたものでした。


また観光バス車両は大型車が主体となっており、こちらは塗り分けこそ一般路線車とは異なるものの、白に赤のラインは同社の一般路線車に通じるものがあるのに対し、路線車と共に停車していた中型観光車は、塗り分けが大型観光車と同じにも関わらず、グレーのラインが入る独特の装いとなっていたのも特徴的でした。

このほか龍神自動車では本社営業所内に郵便輸送車など、バス以外の運送車両が停車していたのも印象的(車両には龍神自動車の社名入り)でしたが、こちらの紹介は割愛させて頂きます。

龍神自動車(1)~中型路線車編

2009-09-21 | バス[近畿]

  

「MAKIKYUのページ」では数日前に、JR西日本の113系きのくに線ワンマン車に関する記事を取り上げ、この記事中では「ワンマン車狙いだったにも関わらず、4両編成による代走が行われており、1本見送って後の列車(約1時間待ちになり、その際の時間潰し(?)に関しても後日…」と記しましたので、この1時間の時間潰しとは?と思われた方も居られるかと思います。

先月紀伊田辺で予定より1本列車を遅らせたMAKIKYUは、この時紀伊田辺駅から徒歩で15分程度、また龍神自動車の路線バス便もある同社本社営業所(あけぼの)へ出向き、同社路線バスへの試乗と共に、許可を得て車庫内に停車中の車両撮影を行っていました。

龍神自動車は田辺周辺でもさほど規模の大きい事業者ではなく、MAKIKYUも同社バスへの乗車は先月が初めてだったのですが、同社路線バスは田辺から栗栖川・熊野本宮方面と龍神温泉・護摩壇山(南海りんかんバスへ乗り継いで高野山へ到達可能)が2本柱となっています。

これらの路線はどちらも土地柄故に決して高頻度ではなく、その上紀伊半島の山中へ進んでいく長大路線ですので、なかなか乗り難いですが、本社営業所や紀南病院と紀伊田辺駅の間であれば、田辺市内の比較的短い距離で幾つも系統が重なるだけに、本数もそこそこあって運賃も手頃ですので、比較的容易に試乗できます。

田辺での滞在時間が限られていたMAKIKYUは、バス時刻の関係もあって片道は徒歩で本社営業所まで移動し、本社営業所→紀伊田辺駅の片道だけ龍神バスに乗車したのですが、系統によっては芳養(Haya)や南部(Minabe)駅を通る便もありますので、時間が上手く会えばJRでの旅行中に、途中でこの便を利用してみるのも良いかもしれません。

ちなみに路線用車両は土地柄もあって、専ら中型車やマイクロバスが用いられており、MAKIKYUが乗車した車両も日産ディーゼル製の中型車で、同社で2段ステップの中型車は、この車両の様な前後扉の車両が主体となっています。

本社営業所内の中型路線車は、他に日野製の前中扉車も停車していたのですが、他に田辺市内ではいすゞや三菱ふそう製の車両が稼動している姿も目撃しており、比較的小規模な事業者ながらも、一応国産4メーカーを取り揃えています。

また同社の路線車は白に赤帯の塗装が標準塗装となっていますが、他に近年導入が進んでいるバリアフリー対応の低床車両も車庫内に一台停車しており、こちらは緑色1色の派手な装いが特徴ですが、他にも姿を見る事はなかったものの、黄色やオレンジ色の車両も稼動している様です。

中型路線車以外の車両に関しては、近日中に別記事で取り上げたいと思います。


富士急山梨バス 都留市・月夜野線~今では月夜野で乗り継ぎ可能な便も…

2009-09-19 | バス[甲信越]

  

数日前MAKIKYUが山梨県内へ出向いた際には、先日取り上げた富士急行の「富士登山電車」乗車も一つの目的だったのですが、大きな目的の一つに今月限りで利用終了(発売は昨年9月で終了)となる「富士急グループ<共通>バスカード」の使い残しを使う事もあり、今日はこのカードを利用して乗車した富士急山梨バスの都留市・月夜野線に関して取り上げたいと思います。
(余談ながら来月以降、富士急グループの路線バスはバス共通カードが利用可能な神奈川県内の富士急湘南バスとフジエクスプレス(こちらは富士急グループ<共通>バスカードは利用不可)を除き、磁気カードの取り扱いが廃止(残額無手数料払戻)となり、「今後は便利なPASMOをご利用下さい…」といった車内放送が流れる始末です)

この路線は都留市内と道志村を結ぶ唯一の公共交通機関になっており、自家用車を運転できない交通弱者の貴重な足であると共に、道志村を訪れる観光客の足にもなっています。

しかしながら近年は減便が相次ぎ、自家用車を運転可能な人間は殆ど車で移動する土地柄もあって、都留市内・道志村内それぞれで区間便の設定もあるものの、峠を越えて都留市~道志村に跨って運行する便は朝の月夜野発1本と、午後の都留市方(市民病院が起点となっており、都留市駅を経由します)からの2本のみとなっています。

即ち他所から訪れる人間が都留市内からバスで道志村を訪れる場合、都留市内を出発したその日の内に、再び都留市内へ戻る事は不可能という事を意味します。

しかも僅かな本数しか運行していない都留市~道志村に跨って運行する便も、土休日は全便運休(休校日が続く夏休み期間などは、比較的長期に跨って休日ダイヤで運行となる期間も存在します)となっていますので、現在の運行本数は必要最小限の本数のみと言っても過言ではありません。

また月夜野は神奈川県相模原市(旧津久井町)との境に位置する道志村の東端で、ここからは三ヶ木(Mikage)へ抜ける津久井神奈交バスの便も運行されています。

以前は橋本などから路線バスを乗り継ぎ、都留まで到達する事も可能だったのですが、こちらも現在は大半が2km程手前の東野(ここまではやまなみ温泉からの便もあり、藤野駅からのバス乗り継ぎでアクセスする事も可能です)までの運行に短縮され、月夜野までの便は2往復しか存在しない状況です。

その上三ヶ木発月夜野行の月夜野到着後では、既に月夜野発の都留市駅行きは出発(待ち時間はかなり長いものの、道志村内の長又までの便には乗り継ぎ可能です)しており、逆に都留市駅からのバスが到着した後では、月夜野からの三ヶ木行き最終便は出発している状況です。

路線図を見ると、路線自体は月夜野でつながっているものの、バスを乗り継いで都留方面~神奈川県内を移動しようと思ったら、数年前まではこのルートで接続を確保している便も僅かに存在したのですが、現在路線バスのみで都留方面~神奈川県内を道志村を経るルートで移動しようと思ったら、野宿か月夜野近辺にあるキャンプ場で夜を明かすしかない状況です。

そのため現在の都留市・月夜野線は余所者が乗ろうにも極めて乗り難い路線になっているものの、都留市駅を14時台に出発する便に終点月夜野まで乗車した場合、その後東野まで徒歩で移動(約2km・徒歩で約30分程)して津久井神奈交バスに乗り継ぐ事は辛うじて可能で、MAKIKYUもこのルートで都留市・月夜野線→徒歩→津久井神奈交バスと乗り継いだものでした。

ただここまで乗り難い路線だと、逆に興味を惹かれてしまう方も多いかと思いますが、都留市内~道志村内への間に峠があり、結構な山道を通るとはいえ、都留市内の市街地を抜けた後はずっと閑散とした所(当然ながら路線の殆どは自由乗降区間です)を走り続け、所々で道幅がやや狭い箇所も存在するものの、過疎地ながらも意外と整備された道路を運行しており、同社上野原管内の旧秋山村へ至る路線(奥牧野・無生野方面)や、飯尾・小菅方面への路線などに比べれば、はるかに程度が良いと感じたもの(その上無生野や飯尾へは中型車は勿論、大型で運行する事もあります)でした。

使用車両もMAKIKYUが乗車した車両は三菱製小型車(AEROMIDI MJ)で、平成10年式ですので大都市圏でもまだ姿が見られ、床が板張りで2段ステップのバスが今もゴロゴロしている富士急グループにおいては、そこそこ程度が良い方なのでは…と感じる車両でした。

輸送力的には中型車よりも更に短く、収容力の小さい7mクラスのこの車両でも持て余す程と感じたものでしたが、都留市・月夜野線でMAKIKYUが乗車した便は、現在この車両がほぼ専属で用いられている様で、側面の行先表示幕を不使用(富士急山梨バスの社名で固定)としている点も特徴的です。

この様な路線ですので、MAKIKYUが以前乗車した富士急山梨バスの小菅村~飯尾~上野原駅間を運行する路線(小菅村~飯尾間は季節運行)などに比べれば、趣味的な面白さはやや…と感じる面もあったものの、非常に乗り難い路線で、路線を取り巻く状況(都留地区では比較的運行本数の多い幹線ともいえる富士吉田方面のバス路線ですら、今月限りでの廃止が告知されています)を踏まえると今後更に…という事も考えられますので、興味のある方は是非一度富士急山梨バスの都留市・月夜野線に乗車してみては如何でしょうか?

写真は都留市・月夜野線の三菱AEROMIDI MJと終点・月夜野バス停の様子、走行中のワンシーンと都留市駅バス乗り場に掲出された各方面へのバス路線案内&時刻表です。


大月駅の「吉田うどん」

2009-09-16 | 日本国内その他

先日MAKIKYUが日帰りで山梨県内へ出向いた際には、大月駅から富士急行線を利用し、その際乗車した「富士登山電車」に関しては、昨日の記事で取り上げていますが、JR線から乗り換えて「富士登山電車」に乗車するまでは少々時間がありました。

そのため駅舎に隣接するそば店(改札内・外いづれからも入れます)に立ち寄り、日頃余り見かけない「吉田うどん」といううどんがメニューにあった事もあり、首都圏近郊の駅でうどんを注文する機会は少ないMAKIKYU(関西以西を訪問した際には、そばよりうどんを注文する方が多いです)も、気になって試しに注文してみたものでした。

出てきた「吉田うどん」は、麺は非常にコシがあり、比較的柔めの麺が多い印象の駅うどんとは一線を画するもので、汁は醤油と味噌の合わせ、付け合せにキャベツや千切りのニンジンが乗るなど独特で、薬味も「すりだね」と呼ばれる唐辛子などを油で炒めたものを用いるなど、一般的な駅うどんとは大きく異なり、期待以上と感じたものでした。

MAKIKYUは大月駅で食して初めて「吉田うどん」の存在を知ったものでしたが、「吉田うどん」を名乗るだけに、本場は大月から富士急行線に乗って富士山麓へ向かった富士吉田で、富士吉田を中心に付近一帯で食べられている様ですが、今後富士吉田やその周辺を行く機会があれば、また食べてみたいと思ったものでした。

また大月駅の構内にある店舗は、JR改札内からも入場可能で、乗り換え時間などに手早く食事を済ます事もできますので、富士吉田まで行く機会はないものの…という方にもおススメです。

余談ながら大月駅構内の店舗は駅構内店舗だけに、店内に仕切りが設けられているのも特徴で、Suica電子マネー対応(当然MAKIKYUが日頃使用しているICOCAやPASMOをはじめ、Kitacaも相互利用可能です)のステッカーも貼られていますが、店内に2台ある食券販売機の中で、SuicaなどのICカードに対応した機器は改札内側のみですので、ICカードでの食券購入希望で、改札外側から入った場合は要注意です。
(改札外から店舗に入り、ICカードでの食券購入希望の旨を伝えれば、一旦柵を越えて改札内側の食券販売機を利用する事は可能です)


富士急行1200形「富士登山電車」~運行形態には賛否両論がある様ですが…

2009-09-15 | 鉄道[甲信越]

   

今日MAKIKYUは日帰りで山梨県内を訪問し、富士急行線の電車に乗車する機会があったのですが、その際には先月から走り始めたばかりの1200形「富士登山電車」に乗車する機会がありましたので、取り上げたいと思います。

1200形は90年代に富士急が、非冷房車置き換えなどの車両体質改善を図るために、この頃廃車が相次ぎ、地方私鉄への譲渡が相次いでいた京王電鉄の5000系車両を譲り受けて就役させた車両です。

京王線は1372mmという特殊な軌道幅(乗り入れしている都営新宿線を除くと、他に現存する路線は路面電車系のみです)を採用しているため、台車やモーターなどの下回りはそのまま転用できず、富士急以外の地方私鉄への譲渡車も含め、下回りは他社の廃車発生品を組み合わせているのも大きな特徴です。

現在の富士急行線では1編成だけ存在する自社発注車を除き、普通列車用の自社車両は、種車による個体差こそ見受けられるものの、全て1000・1200形(1000形は収容力重視のオールロングシート車ですが、車内設備以外に大差はありません)という程の勢力になっており、今日の富士急を代表する車両とも言えます。

富士急への移籍後は、昔の塗装を復刻した車両を次々と登場させているといった動きはありますが、比較的最近まで大きな動きはなく推移していました。

しかし今年「富士山に一番近い鉄道」でもある富士急は開業80周年を迎え、1編成が「富士登山電車」と呼ばれる観光列車に改装され、大変貌を遂げています。

外観は創業当初の車両を模したさび朱色に金帯という装いですが、ロゴやローマ字標記が各所に散りばめられ、単なるリバイバル塗装ではない非常に特徴的なものとなり、JR九州や両備グループの鉄道をはじめとする各種交通機関のデザインで有名な某デザイナーが携わっている車両ならではと言えます。

車内設備の関係もあって、「富士登山電車」は真ん中の扉が埋められ、2扉車になっているのも大きな特徴で、京王5000系譲渡車では既に島根県の一畑(Ichibata)電車でもこの様な事例が存在していますが、譲渡時の改造以外で後に扉を埋めたのは「富士登山電車」が初であると共に、大規模な改造を行った割には前面形状には敢えて手を加えず、原型を残存させているのも大きな特徴と言えます。

また「富士登山電車」は外観こそ、塗装以外の変化は扉数を除けば…という状況ですが、車内を派手に改装しており、その変貌振りは観光向け車両として内外共に派手な改装を施し、京王5000系がここまで変貌する事例は今後現れないと推測していた一畑電車5000系「出雲大社号」をも凌ぐ程です。

その内装は木材を多用し、特徴的な座席形状なども、某デザイナーが最近手がけた車両の一般的傾向が強く感じられるものですが、「富士登山電車」ではそれに加えて真ん中の扉を埋めた部分に設置した座席を、富士山の方向に向けるなど、富士山の近くを走る富士急向けの観光列車ならではの趣向を凝らしています。

それに加え2両編成の富士吉田方を「赤富士」、大月方を「青富士」として、それぞれ使用する木材や内装の色彩などを変える事で、雰囲気の異なる車両に仕上げている事も大きな特徴と言えます。

「富士登山電車」は普通列車としての運行でありながらも、基本的に「赤富士」を定員制の「着席券車両」(乗車券の他に200円の整理券が別途必要)として運行しているのも特徴です。
(一部列車では車両運用の都合で2両共自由席(料金不要)として運行しており、また土休日などで混雑が見込まれる際などには「青富士」も含めて「富士登山電車」全体が「着席券車両」になり、一般車両2両を併結した4両での運行となる事もある様です)

今日は大月から乗車して途中の都留市内で下車する行程だったMAKIKYUは、乗車時間も考えて「青富士」の方に乗車(「赤富士」も入線直後に許可を得て車内を視察&撮影しています)したのですが、「青富士」の連結面寄りにカウンターが設置されている事などもあって座席数は「赤富士」の方が多くなっています。

その上「青富士」は短距離客の利用が多い事を見越してか、ドア付近をソファー状のロングシートにしており、乗り降りなどで車内を移動する乗客も多く、自由席車が1両だけともなれば車内もそこそこ混雑します。

そのためボックス席に座ってゆっくりと富士山を眺め、大月から富士吉田や河口湖までの一時を…と考えるのであれば、着席券を購入して「赤富士」に乗車するのも良いかもしれません。
(また着席券購入者には限定で非売品の「富士登山電車」をデザインした飴(同種で「フジサン特急」をデザインしたものは富士急行線の駅で発売しています)も配布していましたので、乗車の記念になるものを求める方にもおススメです)

この「富士登山電車」は普通列車にも関わらず、一部車両は決して割安とは言い難い富士急行線の運賃に加え、別料金の着席券を要する事もあって、運行形態などは賛否両論がある様ですが、少なくとも自由席車でさほど混雑していない状況であれば、富士急行線の運賃に見合う付加価値を備えた車両なのでは…と感じたものです。
(逆に他社から乗り入れてくる「某社レンズ付きフィルム」に良く似た名称で呼ばれる事が多い車両などは、幾ら新鋭とはいえ富士急線内での乗車は避けたいものですが…)

機会があればまた「富士登山電車」に乗車したいと感じ、今後もこの運行形態のまま推移していくのか気になると共に、MAKIKYUも関西以西で活躍する某デザイナーがデザインを手がけた列車やバス、船などには幾種も利用機会があり、その一部は「MAKIKYUのページ」でも取り上げていますが、首都圏から至近のエリアでこの手の車両が登場したのは初めてで、今後首都圏近郊でもこのデザイナーが手がけた車両が次々と見られる様になるのかも気になるものです。

写真は大月駅停車中の「富士登山電車」の外観(駅の外から撮影)と、涼しげな印象を受ける「青富士」・重厚な印象を受ける「赤富士」車内の様子です。


JR西日本 113系電車(きのくに線用ワンマン車)~異様な外観が特徴的な異端車

2009-09-13 | 鉄道[近畿・JR]

   

つい先日MAKIKYUは、残存していた期限迫る青春18きっぷ(10日が使用期限でした)を使い、JR西日本エリア某所まで出向いていました。
(ここ数日更新がなかったのも、この旅行が大きな要因です)

先日の旅行に関してはまだ整理が出来ていない&先月の旅行に関しても取り上げたい事はまだまだ…という状況ですので、今日は先月紀伊半島を訪問した際に乗車した、JR西日本の113系きのくに線用ワンマン車に関して取り上げたいと思います。

113系は国鉄時代に直流電化区間用の近郊型電車として大量に導入され、JR化の際には本州3社に継承された車両ですので、お馴染みの方も多いと思います。

近年ではJR東日本→JR四国への譲渡などもあったものの、老朽化や新系列車両の導入などで大幅に数を減らしており、JR東海では既に全廃、JR東日本でも現在は千葉地区だけに残っている車両もあと数年という状況になっています。

ただJR西日本では、かなり大規模な改修工事を施した車両も多数あり、まだまだ活躍が期待できそうな状況ですが、大規模な改修工事を施した113系の中でも、異端と言える存在の一つが、今日取り上げるきのくに線用ワンマン車です。

この車両は2002年にきのくに線(紀勢本線)の御坊~紀伊田辺間の普通列車を、朝夕の一部を除いて和歌山方面の列車と分断し、ワンマン運転を行うために改造されたものです。

JR西日本の113系や、同系と比較的類似した115系は、近年ローカル線区用に2両の短編成に改造したワンマン運転用車両が多数存在しており、その中には中間車の先頭車化改造を行い、原型とは大きく異なる風貌が話題を集めるゲテモノ異端車が幾つも…という状況です。

きのくに線ワンマン用の車両もその一つで、前面は通勤型の103系を連想させる非貫通型で、他の113系には見られない独特な風貌となっています。

その上113系ではこの車両のみとなっているオーシャンブルーのきのくに線塗装(他に105系や117系などで、この塗装の車両が存在しています)を纏っている事や、先頭車は両側共に原型と大きく異なる形状となっている事(異様な前面形状となっている113・115系のJR西日本の改造車各種では、片側は原型となっている車両が大勢を占めています)など、JR西日本のゲテモノ改造車各種の中でも、非常に際立つ存在と言えます。

またJR西日本の車両事情にある程度詳しい方であれば、この車両は通称N40と呼ばれる大規模な延命工事を施した車両である事が、見た目からお分かり頂けると思いますが、こちらは原型とは大幅に変化した外観とは裏腹に、車内設備は化粧板などを張り替えてイメージチェンジしているとはいえ、ほぼ原型のままのセミクロスシートとなっています。
(それでも一部のロングシートが撤去され、機械類を収める箱が設置されているなど、良く見ると差異もあるのですが…)

そのため車内はワンマン化改造やトイレ設置(元々トイレのない中間電動車からの改造ですので…)などを除くと、同じきのくに線でも主に御坊以北で活躍する113系のリニューアル車などに比べ、設備的に見劣りが否めないのも事実です。

それでも新宮方面から普通列車を乗り継いで北上したMAKIKYUとしては、紀伊田辺以南の普通列車で運用しており、オールロングシートで高速走行時の走行音(元々高速運転を行わない線区で運用する事を前提とした車両ですので…)が凄まじく、後に改造で取り付けた冷房も簡易型故に利きも今一つ…と、全体的に芳しくない印象を受けた通勤型電車・105系に比べると、はるかに快適に感じたものでした。

きのくに線の御坊以南を走る普通列車は基本的に2両ワンマンというのであれば、いっその事紀伊田辺を境に車両運用を分断せず、113系のワンマン車追加改造(JR西日本には113系が多数残存しており、その上今後JR東日本で比較的状態の良い後期車に多数の廃車が見込まれる現状では、種車は幾らでもあるはずです)を行い、長距離乗車には難のある紀伊田辺以南の105系を他線区へ転用→老朽105系の取替えでも出来ないものかと感じたものです。

また御坊~紀伊田辺間の普通列車は昼間2本のワンマン車を運用し、ピストン運行を行っており、入出庫の関係で早朝の日根野発と、深夜の日根野行きが1本だけ存在する他は、基本的にこの運用に専属していますので、御坊~紀伊田辺間のみを運行する普通列車を狙えば、大抵この車両を捕獲する事が出来ます。

しかし2運用に対して2両2編成のみの存在で、現段階では予備車が存在しません(これもワンマン車追加改造で、同じく普通列車の2両ワンマン運転を行っている紀伊田辺以南との車両運用共通化を行えば、解決できそうな事ですが…)ので、検査やトラブルが生じた際などは、主に御坊以北で運用される113系4両編成が代走(この場合はワンマン運転を行わず車掌乗務)します。

MAKIKYUが紀伊田辺で御坊行き普通列車に乗車しようとした際には、ワンマン車狙いだったにも関わらず、4両編成による代走が行われており、1本見送って後の列車(約1時間待ちになり、その際の時間潰し(?)に関しても後日取り上げたいと思います)に乗車した程で、珍車狙いで御坊や紀伊田辺を訪問したにも関わらず運悪く…という事もありますので要注意です。

写真は113系きのくに線用ワンマン車の異様な外観と、その一方で設備はほぼ存置された客室、この車両ならではの特徴とも言える運転席背後の様子です。


明光バスの「パンダバス」~アドベンチャーワールドを

2009-09-08 | バス[近畿]

 

昨日も取り上げた明光バスが走る和歌山県白浜町は、日本では数少ないパンダを飼育している事で知られる「アドベンチャーワールド」がある事でも知られています。

町の玄関口となる白浜駅にはパンダのモニュメントがあり、最近ではJRの特急「くろしお」号にまで「パンダシート」なる座席(記念撮影用:長時間の居座りはダメ)まで登場している程ですが、明光バスもアドベンチャーワールドへのアクセスを担うと共に、「パンダバス」なる車両まで走らせています。

「パンダバス」は車体側面や後部にパンダを描くと共に、パンダの顔をイメージした様な前面の塗り分けも独特で、様々な塗装のバスが混在する明光バスの中でも、非常に目立つ存在となっています。

MAKIKYUは幸いにも町内循環線(臨海経由:便数が限られ、白浜駅~白浜町中心部[バスセンターなど]間ではやや大回りになりますが、運賃は同額で景色の良い海沿いを走りますのでおススメです)で乗車する事が出来ましたが、他の車両に比べて見た目がユニークで、アドベンチャーワールドへの訪問客にも喜ばれそうな雰囲気の車両とはいえ、特定時刻での限定運行などは行っていない模様(少なくとも公式な掲出は目撃していません)です。

時刻を限定してアドベンチャーワールドへの輸送に優先的に充当すれば…とも感じる程(大阪方面からの訪来客が多い事を考えると、逆に近鉄塗装そのままの近鉄中古などは望ましくないですが…)ですが、この車両に当るかどうかは運次第の様です。

ちなみに「パンダバス」の車両は神戸市営バスからの移籍車で、外観こそ目を引くものの、車内は特別な改装等は行われておらず、背もたれの大きい緑色モケットの座席など、神戸市営バスの特徴が色濃く残っています。

年式も平成2年式と、明光バスの中でも割合古参の部類に属する車両(おまけに海沿いを走り、潮風に吹かれる環境で走っていますので…)ですので、今後の活躍もどの程度続くのだろう…と感じると共に、この車両が退役しても「パンダバス」は他車両で再び走らせるのだろうか?と感じたものでした。
(ちなみにこの車両の前にも明光バスでは別デザインで「パンダバス」を走らせていた様です)


明光バスの最近の車両~シンプルな装いは一般路線に限らず…

2009-09-07 | バス[近畿]

  

先月MAKIKYUが紀伊半島を訪問した際には、白浜周辺を走る明光バスにも何度か乗車し、グループの近鉄バスから移籍した車両に関しては既に取り上げていますが、今日はその続編として比較的近年導入された車両に関して取り上げたいと思います。

近鉄バスからの転籍以外で近年導入された車両は、バイオレット一色の装いに、白のラインが入ったもので、シンプルながらも比較的特徴的なものとなっています。

この装いは近年明光バスで導入が進んでいる一般路線用のレインボーHRをはじめ、マイクロバス(ポンチョ)でも用いられています。

白浜駅で見かけたポンチョはコミュニティバスなどではなく、「空港」(南紀白浜空港)の行先を出した一般路線で活躍しており、いくら南紀白浜空港の規模が小さくとも、収容力のなさが際立つこの車両で航空機連絡便は…と感じたもの(MAKIKYUには余り縁のない話ですが…)でした。

また紀伊田辺駅では、明光バスが運行する和歌山市方面への高速バスに充当されている車両でもこの装いの車両を見かけており、この塗装は一般路線車に限ったものではありません。

この塗装を纏った車両は、今後近鉄バス塗装の車両と共に、明光バスでは勢力を拡大していく事になりそうですが、その一方で観光気分を盛り上げ、白浜の雰囲気に見合った装いと感じている白と水色の塗装を纏った車両もまだまだ走っているものの、これからは…と思うと、少々寂しい気もしたものです。


遠鉄バスで中部天竜駅へ~佐久間レールパークへの穴場ルート

2009-09-04 | バス[東海]

MAKIKYUが先月末に浜松市にある「佐久間レールパーク」を訪れた際には、前日夜に浜松入りして駅近くのホテルに宿泊し、朝出発して佐久間レールパークへ向かったものでした。

佐久間レールパークは近年の市町村合併で浜松市に編入されたエリアで、浜松と言っても浜松駅などがある中心部からは、50km以上離れた山中に位置します。

そのため浜松市という実感は薄く、まして鉄道利用ともなればJR飯田線は愛知県の豊橋駅を基点に、長野県方面へ向かいますので、浜松市はおろか静岡県内を通る事すら実感が…という方も居られるかと思いますが、一応浜松市内という事もあってか、市外へ出ずに浜松駅周辺~中部天竜駅間を公共交通機関で結ぶルートも存在しています。

このルートはMAKIKYUが先日佐久間レールパークへ出向いた際にも利用したのですが、遠鉄(遠州鉄道)電車の終点で、天竜浜名湖鉄道との乗換駅にもなっている西鹿島駅(新浜松から約30分:遠鉄電車の便は昼間12分毎と頻発していますので、時刻表要らずです)からの遠鉄バス路線で、西鹿島~水窪[Misakubo]間の北遠本線と、浜松市佐久間自主運行バス(旧佐久間町営バス)を乗り継ぐ行程となります。

そのため浜松駅周辺から中部天竜駅までアクセスする場合は、新浜松~西鹿島間で遠鉄電車を利用し、その後バスに乗り継ぐ行程となります。
(西鹿島~浜松市内中心部へ直接向かうバス便は僅少ですが、山東~磐田間のバス便(磐田天竜線)はそこそこの本数があり、浜松駅周辺~磐田間のバス便もそれなりの便数がありますので、その気になれば遠鉄バスだけでの移動も可能です)

北遠本線は国鉄バス~JR東海バスが運行していた路線を、同社撤退後に遠州鉄道が引き受けた路線で、閑散とした山中を進む長大路線は、全国版の時刻表にも時刻が掲載されている程ですので、ご存知の方も多いかと思います。

遠鉄バスの一般路線は、現在630円の上限運賃を設定している事もあり、北遠本線は約100分かけて全区間を乗り通しても630円で乗車できますので、距離や土地柄を考えると、非常にお値打ち感のある路線とも言えます。

 
車両もオムニバス(ノンステップ車:遠鉄では独自の呼び名で他車両と識別しています)で運行する便が設定されており、MAKIKYUが乗車した便もオムニバス、それも遠鉄バスだけあって背もたれの大きい座席を装備しているなど、ハイグレードな印象を受ける車両を使用しているなど、サービスレベルは比較的高いですが、土地柄故に運行本数がかなり少ないのは難点です。

西鹿島駅を出ると旧天竜市の中心・二俣地区を経て山東(天竜営業所)に至り、ここまでは市街地だけあってバスの便も頻発しています。

山東を過ぎると山中を進み、天竜川沿いの長閑な景色の中を進んで行きますが、途中では脇道に入り、結構狭い箇所もありますので、よく長いバス(日野HRですので、車幅はさほどでもないですが…)を通すものと感心してしまう所もあります。

   
西鹿島駅から1時間程で西渡[Nishido]という停留所に到着し、ここは山中の小さな集落ですが道が二手に分岐し、一方が水窪方面、もう一方が中部天竜駅方面となるのですが、北遠本線は水窪方面へ進むのに対し、MAKIKYUは中部天竜駅(佐久間レールパーク)へ向かうため、ここで北遠本線のバスを下車し、中部天竜駅方面へのバスに乗り換えです。
(ちなみに西鹿島駅~西渡間でも運賃は上限の630円ですが、距離や土地柄を考えると割安感を感じる程です)

西渡~中部天竜駅間の路線は、浜松市佐久間自主運行バス(旧佐久間町営バス)と呼ばれる廃止代替路線で、運行主体は自治体となっているものの、遠鉄の車両を用いて運行しており、ナイスパス(遠州鉄道が発行するICカード乗車券)も通用しますので、実質的には遠鉄の一路線と言っても過言ではありません。

佐久間自主運行バスは、MAKIKYUが乗車した際には行先幕の表示がないのか、遠州鉄道の方向幕を掲示し、行先のプレートを掲出した平成2年式の三菱ふそう製中型車(P-MK117J)が充当されていました。


比較的洗練された印象が強い遠鉄バスも、山中に入ると結構古い車を走らせていると少々驚いたもの(もっと新しい年式の車両でも退役し、地方の他事業者で第2の活躍をしている車もありますので…)です。

この年式の車は大都市圏では何年も前に退役を余儀なくされていますので、MAKIKYUとしてはこの手の車両に当ると嬉しい限りですが、古参車ながらも高級感のある内装などは遠鉄ならではで、北遠本線のオム二バスとの乗り比べも面白いものでした。

こちらも土地柄故に北遠本線と同じく運行本数が限られ、その上日祝日運休便も存在している点は要注意ですが、概ね西鹿島方面の北遠本線と西渡で接続するダイヤが組まれ、浜松市中心部・西鹿島~中部天竜駅方面を移動する際の便宜が図られています。

そのため閉園が迫る佐久間レールパーク(中部天竜駅構内)へのアクセス手段としても有用で、遠州鉄道では西鹿島駅のバス停ポールにも、遠鉄バスでのアクセスを紹介していた程です。


とはいえ飯田線でのアクセス(JR東海は自社以外の公共交通機関でのアクセス方法を案内していない事も一因ですが…)に比べると、知名度は極めて低いものです。

土地の人間以外はこのルートの存在自体を知っている人物が限られる事もあってか、多数の乗客で大混雑している飯田線とは異なり、MAKIKYUが乗車したバスは西渡で乗り継いだ乗客は指の数も…という状況で、比較的空いていて快適に移動できましたので、佐久間レールパーク訪問の際の穴場ルートとも言えます。

また北遠本線は佐久間レールパーク訪問に限らず、浜松市内中心部~長野県内の飯田線沿線などを、水窪などでJRと乗り継いで安く移動するにもうってつけです。

本数が少なく、やや利用しにくい感もありますが、ローカルムード溢れるバスの旅を、630円の上限運賃設定もあって比較的割安に移動できますので、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も機会がありましたら、是非乗車してみては如何でしょうか?


佐久間レールパーク号に充当された旧塗装117系~見栄えは良くとも余りの混雑に…

2009-09-02 | 鉄道[東海]

  

先月末にMAKIKYUが11月1日での閉園が発表されており、浜松市にある「佐久間レールパーク」を訪問した際には、先日取り上げた119系電車の旧塗装と共に、登場当時の装いに戻された117系電車(今でもJR西日本でこの塗装のまま走っている車両がありますので、119系程の有り難味はないのですが…)も中部天竜駅に姿を現しています。

その様子は「MAKIKYUのページ」の先日の記事でも取り上げ、両者を並べての撮影会も行われるなど大盛況でしたが、他にも様々な所で取り上げられていますので、ご存知の方も多いかと思います。

この117系は佐久間レールパークへの訪問者向けに運転されている臨時快速「佐久間レールパーク号」に充当され、終点の中部天竜駅で一旦レールパーク方の留置線に引き上げられています。

このポジションは午前中にホームから、豊橋方先頭車を撮影するには絶好の状況でしたが、ヘッドマークを装着した飯田方先頭車(レールパーク内から撮影)の撮影にはやや難ありでした。

その後昼過ぎには119系と並んでの撮影会を行うためにホームへ入線し、暫く撮影の被写体となった後、停車中のホームでドア扱い→復路の「佐久間レールパーク」号として中部天竜駅を去って行きました。
(余談ながら佐久間レールパーク号が去った後の同駅ホームは、119系復活旧塗装車の撮影会状態となっていました)

中部天竜駅での構内移動は、上下の特急「伊那路」号行き違いもあるにしろ、敢えて撮影しやすい場所への停車を取り図ったのか、偶然撮影しやすいポジションに停車したのかも気になる所です。

また「佐久間レールパーク」号は、飯田方に月毎に変わる専用ヘッドマークを装着し、先日はわざわざ塗り直した旧塗装車の充当、その上豊橋方には昔用いていた「快速」表示を出すなど、ファン向けの取り計らいは相当なものと感じました。
(ただ「快速」表示は種別幕の上に貼り付けただけのモノで、「佐久間レールパーク」号客扱い開始後に、係員が脚立を持ち込んで線路上に降り、貼り付けられている「快速」表示を剥がす様子も目撃しています)

このため先日の「佐久間レールパーク」号は見栄えはなかなかで、その上快速ですので駅間が短く、遅い事で定評のある飯田線普通列車よりも早く、車両自体も転換式クロスシート車で設備的にそこそこですので、「佐久間レールパーク」訪問には是非…と考える方も多いかと思います。

しかしながら「佐久間レールパーク」号は4両編成中2両が指定席(当初の予定より1両増加)となっており、自由席は2両しかありません。

ダイヤ設定も佐久間レールパーク訪問に便利な設定となっている事から、MAKIKYUも当初中部天竜発の列車も検討していたのですが、自由席の凄まじい混雑振りを見て、見栄えは良くても乗車するのは…と感じ、2本後の列車に乗車(レールパーク号の後に中部天竜を発車する普通[313系3両編成]も凄まじい混雑でした)する事にした程です。

117系で指定席料金を払うのは…と思う方も居られるかと思いますが、もし同列車に乗車するのであれば、指定席券を確保された方が良いと思います。

とはいえ先日訪問した際の名古屋行きは「指定席本日満席」の案内がされていた程ですので、指定席乗車を望むのであれば、早めに手配された方が良いかと思います。

また閉園迫る「佐久間レールパーク」へのアクセスは、公共交通機関利用となればJR飯田線利用がメイン(自家用車ではアクセスし難い所で、駐車場所なども考えるとおススメできません)で、先日訪問した際には特急「伊那路」号の自由席乗車率が上下共100%を超えて…といった業務放送が流れる状況でした。

本数が少なく編成も短い飯田線は、輸送力の小ささ故に佐久間レールパーク開園日には臨時快速「佐久間レールパーク」号をはじめ、中部天竜駅を通る各定期列車も軒並み混雑しますので、飯田線を利用しての訪問はそれなりの覚悟が必要ですが、穴場とも言える飯田線や自家用車以外でのアクセス方法も存在しており、こちらに関しても近日中に取り上げたいと思います。