MAKIKYUのページ

MAKIKYUの公共交通を主体とした気紛れなページ。
初めてアクセスされた方はまず「このページについて」をご覧下さい。

米坂線・今泉駅ですれ違った「べにばな」号~この姿を見ると急行時代を連想しますが…

2008-09-28 | 鉄道[東北]

先日「MAKIKYUのページ」では、米坂線・米沢駅に停車中の気動車群に関して取り上げましたが、MAKIKYUが今月初頭に米沢駅から乗車した列車(米沢駅を10時台に出発する坂町行です)は、坂町まで約90kmをおよそ2時間かけて運行するにも関わらず、途中での列車行き違いは僅か2回という有様でした。

しかもその内の1回は、新形式キハE120形の試運転列車でしたので、途中駅での反対方向の旅客列車との交換は僅か1回のみ、この話を聞くだけでも米坂線の相当な閑散ぶり(それにも関わらず現段階でワンマン運転が全く行われていないのは凄い話ですが、JR東日本では超閑散線区でワンマン運転を行っていない路線が幾つもあり、他社との大きな違いと言えます)が伺えるかと思いますが、その1回だけの交換列車は今泉駅で行き違いとなる快速「べにばな」号でした。

「べにばな」号はかつて山形~新潟間を、奥羽本線~米坂線~羽越本線~白新線経由で結んでいた急行列車で、その後山形新幹線開業に伴う改軌工事(軌道幅1067mm→1435mm)によって、在来線車両(軌道幅1067mm)が奥羽本線福島~山形間(その後標準軌区間は更に新庄まで延伸)を走行不可能になる事もあって、米沢~新潟間に運行区間が短縮、種別も快速に格下げとなった列車です。

「べにばな」号は現在米坂線から直接羽越本線に乗り入れ、新潟まで直通する唯一の定期列車(他の普通列車は米坂線内のみ運行)となっていますので、一応米坂線の花形的存在とも言えますが、快速を名乗りながらも米坂線内は「各駅停車」となっており、かつての急行時代などに比べると、随分寂れた感があります。

ただMAKIKYUが先日米坂線に乗車した際に見かけた快速「べにばな」号は、運行形態こそ完全なローカル列車になっているものの、2両の編成は旧型のキハ58+キハ28形急行気動車コンビで、それも以前はありふれた存在であったものの、最近は見る機会も激減した国鉄急行色リバイバル塗装車同士でしたので、よく新潟でも数少ない国鉄急行色キハ58系列のみで構成された編成が走っているモノと感心したと共に、種別表示の文字を見なければ、見た目は随分前にMAKIKYUが乗車した急行「べにばな」号なのでは…と錯覚しそうな感じでした。

また先日の記事で取り上げた米沢駅では、ただでさえ様々な形態・塗装の車両が見られる状況でしたので、この編成が米沢駅に到着した際には、相当な状況になる事は察しがつくかと思いますが、これに加えて新形式気動車の試運転列車(これもMAKIKYUが目撃した際は新鋭キハE120形気動車単独ではなく、敢えて形態の大きく異なるキハ110形気動車と併結したアンバランスな編成で試運転を行っていましたので…)までもが揃ったとすれば、どれだけ凄まじいものかと連想してしまったものです。


米坂線・米沢駅の国鉄型気動車群~気動車の見本市を連想する状況でしたが…

2008-09-25 | 鉄道[東北]

   

今年夏の青春18きっぷ有効期限が迫っていた今月上旬に、MAKIKYUが18きっぷを使って仙台方面へ出向いた帰りには、随分久々に米坂線を経由するルートを用いた(以前乗車した際は、EEきっぷ利用で今はなき急行べにばな号乗車でしたので、事情に詳しい方はどれ位久々の乗車であるか分かるかと思います)のですが、その際に米坂線の始発・米沢駅では、乗車する列車(3両全てが異なる塗装:写真1枚目が乗車列車の先頭)以外にも、数編成の気動車が留置されている姿を見かける事が出来ましたので、少々取り上げたいと思います。

MAKIKYUが訪問した日には、キハ47形・キハ52形・キハ58形の3形式、また塗装も新旧新潟色に加え、首都圏色(通称タラコ:キハ47形のこの塗装は山陰地区で多数が走っていますので、余りリバイバル塗装という印象はありませんが…)や、赤・クリーム2トーンの国鉄リバイバル塗装車が入り混じり、留置両数の割によくここまでバリエーションが揃ったものと関心してしまう程で、まるで気動車の見本市を連想する状況でした。

ただ米坂線では新形式キハE120形が試運転を始めており、MAKIKYUが米坂線に乗車した際にも、キハ110形と併結して走る姿を目撃しており、各駅のホームにも米坂線ではまだ行われていないワンマン運転(路線の状況を考えると、今でも各列車に車掌が乗務している事自体が驚異的ですが…)に対応する為のミラーが設置されているなど、新型車両の運行開始が近づいている事を実感させられたものです。

またこれと共に国鉄型気動車の中でも旧式で、今では随分希少な存在になってきた新潟地区のキハ52形や、キハ58形は代替される事にもなっていますので、これらの車両が活躍する姿を見れる場所はますます減ってしまう事になりますが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方も関心がありましたら、是非旧型気動車が最後の活躍をしている米坂線を訪問してみては如何でしょうか?


馬頭の街中で見かけた那珂川町営バス

2008-09-23 | バス[北関東]

先日「MAKIKYUのページ」では、栃木県那珂川町を走る那珂川町営バス(旧馬頭町営バス)を取り上げましたが、MAKIKYUが馬頭の街中で谷川・盛泉線のバスから下車し、烏山へ向かうJRバスへ乗り継ぐまでの間には、他路線で用いている車両も一台目撃していますので、取り上げたいと思います。

その車両は五輪場発着の路線で運用されていた車両で、余所者が乗車する事はまずない路線と言え、那珂川町営バスの運行本数自体が少ない状況ですので、限られた滞在時間で複数の町営バスを目撃できただけでも上等と言えるのですが、こちらは谷川・盛泉線で乗車したLIESSEと同じ日野製ながらも、路線バスとしての使用例は余り多くないMELPHA(送迎バスなどでは結構見かけますが…)でした。

車体長もLIESSEより少々長い事もあって、似た様な姿ながらも、LIESSEより少々高級感を感じたものですが、那珂川町営バスは盛泉と五輪場発着の路線以外にも幾つかの路線が存在しているだけに、他にも幾つかの車種が存在しているのかも気になったものです。


新塗装・フルカラーLED行先表示の相鉄8000系電車~今後当たり前の姿になりそうですが…

2008-09-21 | 鉄道[首都圏・私鉄等]

 

昨日は近場を動き回っていたMAKIKYUですが、その際には横浜市内やその周辺を走る大手私鉄・相模鉄道(相鉄)を利用する機会がありました。

相鉄の電車は最近車両の塗装変更が進み、今までとは趣が変わりつつありますが、それと並行して字幕式行先表示器の交換(フルカラーLED化)も行われており、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方の中でも、相鉄沿線やその近辺に居られる方などは、最近その姿を見かける事も多いかと思います。

ただ相鉄の塗装変更(新塗装化)と行先表示器交換(フルカラーLED化)は、時期的には今次々と…という状況にありながらも、同時に行われている訳ではなく、新塗装にも関わらず行先表示器は字幕式であったり、逆に行先表示器はフルカラーLEDにも関わらず旧塗装の車両が見られたりもします。

これらは過渡期の存在とも言え、その姿が見られる期間はそう長くはなさそうですが、その一方で新塗装・フルカラーLED行先表示の車両は、まだまだ見る機会が…というのが実情です。
(それでも毎日相鉄を利用する方などは、時折見かけると感じているかと思いますが…)

そのため今後当たり前の姿になりそうな新塗装・フルカラーLED行先表示の車両も、昨日MAKIKYUが乗車した際には新鮮に感じたものですが、その一方で9000系には比較的似合っていると感じる新塗装も、写真の8000系では元がアルミ無塗装であった車体を、地下鉄東西線直通で用いられた旧国鉄~JR東日本301系電車(現在は全車退役)の如くグレーに塗装し、ドア部分だけが西武線(比較的古い黄色塗装の電車)の如く無塗装としている事もあって、これは新7000系新塗装編成程ではないにしろ、少々違和感を感じてしまいます。

また相鉄8000系は製造途中で行先表示器がLEDに改められ、比較的後期に製造された編成は3色LEDを装備していますが、こちらも今後フルカラーLEDに改められるのか否か(近隣の東急ではLED行先表示装備車両でも、一部でフルカラーLEDへの交換が行われていますので…)も気になるものです。


那珂川町営バス・谷川盛泉線~越境ルートの鍵になる路線ですが…

2008-09-19 | バス[北関東]

 

昨日「MAKIKYUのページ」では、常陸大子~盛泉間を走る茨交県北バスに関して取り上げましたが、今日はその続きとして、盛泉で乗り継いだ那珂川町営バスに関して取り上げたいと思います。

栃木県那珂川町は、馬頭町と小川町が合併した自治体で、旧馬頭町が運行していた町営バス(過疎地特例の白ナンバー)はそのまま那珂川町に引き継がれ、現在那珂川町営バスとして運行していますが、盛泉を発着する谷川盛泉線と呼ばれる路線をはじめ、旧馬頭町内で幾つかの路線を運行しています。

那珂川町営バスの路線は専ら生活路線で、どの路線も運行本数が少ない事もあって、余所者には利用し難い感がありますが、谷川盛泉線は一応盛泉で茨交県北バスと乗り継ぐ事で県境を超え、路線バスによる栃木~茨城県跨ぎの越境ルートを構成できる事もあって、余所者が那珂川町営に乗車するとすれば、最も乗り易いルートとも言えます。

ただ一般路線バスが撤退し、過疎地特例による白ナンバーの自治体運行路線(通称80条バスなどと呼ばれます)だけあって、谷川盛泉線も運行本数は1日3往復しかなく、必要最小限の運行本数ですので、馬頭~常陸大子間を路線バス乗り継ぎで移動するとなると、この路線の時刻が越境ルートの鍵になると言えます。

また運行本数が1日3往復と極めて少ないだけでなく、ダイヤも茨交県北バスとの接続を考慮したものにはなっておらず、実質的に乗り継ぎ利用可能な便は上下共に1本ずつに限られる状況ですし、その上日曜・祝祭日は全便が運休、また一部の便は土曜日も運休となり、馬頭方からの乗り継ぎ利用に適した便も土曜運休となっていますので、非常に利用し難く、乗車自体が至難の業と言えます。

その上盛泉自体も近くに小さな商店が一軒あるだけの寂しい所ですので、大子方からの乗り継ぎ利用に適した便(それでも盛泉での待ち時間が40分程度発生します)を利用したMAKIKYUも、待ち時間を潰すのに苦労する状況でしたが、この様な状況だけあって那珂川町営バス~茨交県北バスの乗り継ぎ利用者は皆無に等しいと思われ、それどころかMAKIKYUが乗車した那珂川町営バスの乗客自体が3名と言う状況でしたので、路線が存在しているだけでも有難いと考えた方が良いのかもしれません。

そのため水郡線(茨城県)~烏山線(栃木県)間のバス乗り継ぎルート(馬頭~烏山間はJRバスの路線があります)としては、本数の少なさに加えて接続時間が長く、曜日も選ばなければならないなど、「MAKIKYUのページ」で以前取り上げ、決して便利とは言い難い常陸大宮~烏山(高部車庫乗り換え)のルートなどと比べても、このルートは極めて利用し難いですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も機会がありましたら、是非那珂川町営バスを使った栃木~茨城県跨ぎのバス乗り継ぎルートを辿ってみては如何でしょうか?

写真は谷川盛泉線のマイクロバス(日野リエッセ)と、乗り継ぎ場所になる盛泉バス停(折返場)の様子です。


茨交県北バス・盛泉線~県境を越えるローカル路線は、他路線と乗り継ぐと…

2008-09-18 | バス[北関東]

 

先日「MAKIKYUのページ」では、今月初頭にMAKIKYUが北関東方面へ行った際に乗車したひたちなか海浜鉄道の、朝ラッシュ時間帯における輸送力列車に関して取り上げましたが、この小旅行の計画を立てる際には、常陸大子から栃木県方面へ抜ける路線バスの時刻が最も大きなキーとなっており、常陸大子(Hitachi-Daigo)でこの路線バスに接続する列車(JR水郡線:水戸駅を9時台に出発する郡山行)の時刻などを考えると、余所者にはなかなか乗車機会がない平日朝ラッシュ時間帯のひたちなか海浜鉄道訪問も丁度良い事もあって、同線を訪問したものでした。

ところで本題に入りますが、水戸から水郡線で1時間強を要する県北の山間に位置する常陸大子は、JR水郡線の運行における拠点として知られ、袋田の滝(常陸大子の一つ手前に位置する袋田駅が最寄ですが、駅から徒歩圏ではなくバスなどを利用する事になります)などの観光名所がある事でも知られていますが、常陸大子からは路線バスを乗り継ぎ、栃木県方面へ抜けるルートが存在しています。

このルートは、常陸大子~盛泉(Moriizumi)間の茨交県北バス盛泉線と、盛泉~馬頭間の那珂川町営バス(旧馬頭町営バス)、そして馬頭からは烏山へ向かうJRバスや、氏家(Ujiie)を経て宇都宮へ向かう東野バスに乗り継ぐものです。

その内常陸大子から出発する場合、最初に乗車する事になるバスが、茨交県北バスの盛泉へ向かう路線で、この路線に限らず、大子一帯の各バス路線は茨城交通の分社である茨交県北バスによって運行されていますが、比較的経年車が多い茨交の中でも、特に古参車両の比率が高い事でも知られています。

さすがにモノコックボディの車両は見かけなかったものの、常陸大子の駅前で盛泉行を待つ間にやって来る他路線で充当される車両を見ても、排ガス規制の厳しい大都市圏ではもはや見かけなくなった車両ばかりでした。

そしてMAKIKYU乗車した際に盛泉行きでやってきた日野製中型車両も、昭和59年(1984年)製という結構な古参車で、床も板張りになっているなど、最近ではなかなか乗車する機会がない車両という点も有難かったですが、古参車ながらも手入れが行き届き、車両の状態が比較的綺麗だった事には、好感を感じたものです。

ちなみに盛泉までは常陸大子駅から所要約20分程、盛泉の手前で県境を越えて栃木県(那珂川町)に入るのですが、この路線は殆どの区間が自由乗降区間(停留所以外でも乗降可能)となっており、車窓も農村風景が拡がる中を駆け抜けるなど、ローカル路線の典型とも言えるでしたが、運行本数もこの路線自体は1日7.5往復(内1.5往復は土休日運休)となっており、決して本数は多いとは言えないものの、土地柄を考えるとこれでも割合健闘しているのでは…と感じたものです。

また盛泉で乗り継ぐ那珂川町営バスに関しては、近日中に別記事で取り上げたいと思っていますが、大子方から乗り継ぎ可能な便は、実質的にMAKIKYUが乗車した時間(常陸大子駅を11時過ぎに出発)に限られており、これもすぐに接続と言う訳ではないのですが、MAKIKYUが盛泉線に乗車した際は、盛泉まで乗り通す乗客自体がMAKIKYU一人だけと言う状況でしたので、一応バス乗り継ぎで栃木県方へ抜ける事は可能になっているものの、実際このルートを使って茨城県~栃木県間を移動する乗客は殆どいないと思われる状況でした。

あと余談ながら、この記事を見て盛泉線に乗車しようと思われる方もいるかもしれませんが、この路線は常陸大子~盛泉間で片道560円を要するものの、茨城交通(本体)では1000円で1150円分利用可能なセット回数券を発売しており、水戸周辺などでも利用できますので、茨交を時々利用する機会がある方には回数券の利用がおススメです。

ただ茨交県北バスで発売しているセット回数券は、1000円セット券で1100円分利用可能(本体と相互利用可能ですが、表紙や券面の文字色が異なっています:また3000円券もありますが、こちらも利用可能金額は3400円です)でしたので、盛泉線に限らず、大子エリアで予め県北バスを利用する事が分かっているならば、水戸から水郡線で常陸大子へアクセスする場合、必要分を事前に水戸で調達しておいた方が良いかもしれません。


ひたちなか海浜鉄道・キハ205号の車内~外観だけでなく車内の雰囲気も…

2008-09-16 | 鉄道[北関東]

昨日茨城交通から経営移管され、今年春から新体制で再出発したひたちなか海浜鉄道の2両編成列車(朝ラッシュ時の輸送力列車)に関して取り上げましたが、今日はその列車で冷房の必要なこの時期に、冷房車という事で主力の3710形と共に用いられる旧型気動車・キハ205号の車内の様子を少々取り上げたいと思います。

この車両は現在、外観が国鉄時代の装いを復刻した朱色とクリームの塗装に改められ、この装いは30年~40年程前を連想させる雰囲気を漂わせていますが、車内も現代のサービス水準に合わせるために後付けで、一部の荷棚部分に簡易型の冷房装置を設置するなどの改造は行われているものの、大きなリニューアルなどは施されずに昔ながらの雰囲気を漂わせています。

またキハ20系列の特徴とも言えるプレスドアなども残存していますが、MAKIKYUも昨年冬に乗車する機会があった島原鉄道のキハ20形(今年春の南目線廃止まで活躍しましたが、同線廃止伴う所要車両減もあって、現在は残念ながら退役しています)と比べると、こちらはラッシュ輸送に特化した車両ではなく、昼間の単行ワンマンでも使う事もあって、ワンマン運転に対応するために自動両替器付運賃箱や整理券発行器が設置されており、車内のボックス席数が異なっている事(湊線の車両の方がボックス数は少ないです)や、所要時間が短い事もあって化粧室が撤廃されている事など、同種の車両ながらも差異が見られる点は興味深いものです。
(今となっては両者の乗り比べは叶いませんが、昨年島鉄の元国鉄キハ20形に乗車した際の記事がありますので、興味のある方はこちらもご覧頂き、写真で両者を比較して頂ければと思います)

ちなみに今でも活躍する国鉄型気動車は近年、エンジン換装などが行われた車両が多く見受けられますが、この車両に関しては結構な古参車にも関わらず、新型エンジンへの換装も行われていませんので、乗車していてもなかなか良い雰囲気ですが、新型車3710形がオールロングシート(路線の長さなどを考えると、設備的には充分ですが…)なのに対し、車両中央部にボックス席を配したセミクロス配置という事も、更にこの車両の魅力を高める要因と言えます。

その上全国的に見ても、先述の島原鉄道所属車両が退役した今では、非常に数少ないキハ20形の残党ですので、新型車との2両混結列車では、少々両者を乗り比べたとはいえ、MAKIKYUは殆どキハ205号に乗車する始末でしたが、この様な希少な旧型気動車の末永い活躍と、他ではなかなか見られない新型車との競演が暫く続く事に期待したいと感じたものです。


ひたちなか海浜鉄道・朝の輸送力列車~新旧混結のアンバランスな編成も…

2008-09-15 | 鉄道[北関東]

 

今月初めにMAKIKYUが青春18きっぷを使用し、北関東方面を訪れた際には、常磐線の勝田行き終電で水戸入りし、ネットカフェで夜を明かすという強行日程を取ったのですが、これは青春18きっぷの特性を活用して運賃を節約するために、敢えて終電を利用したという理由もあるのですが、朝早くから水戸周辺を動き回りたいというのが最大の動機でした。

湊線は単線・非電化の典型的なローカル線で、昼間は基本的に1両ワンマンの気動車が2両稼動しているだけですが、増発の余地がない事もあって、朝ラッシュ時間帯には車両の増結(2両編成での運行)が行われ、この列車のへ乗車が水戸周辺を朝早くから動き回る大きな動機でしたが、今日はこの2両編成列車の様子を取り上げたいと思います。

ひたちなか海浜鉄道の現役車両は現在8両、その内新型車3710形3両を含む4両が冷房車となっており、冷房の必要な時期は基本的にこの4両のみの運用となっているのですが、冷房の必要な時期の昼間ともなれば、新型車3710形のみの運用となっている事も多く、希少な旧型車狙いで湊線を訪問したにも関わらず…という事も有り得ます。

ただ4両が稼動する朝ラッシュ時間帯となれば、今の時期は非冷房車の稼動こそなかなか期待できないものの、冷房付きの旧型車・キハ205号(元国鉄キハ20形)は余程の事がない限り稼動します。
(余談ながら冷房の必要な時期の朝ラッシュ時間帯にキハ205号が稼動できない場合は、両数の関係で必然的に非冷房車が稼動します)

MAKIKYUが訪問した際には期間限定で発売されていた一日乗車券(800円:湊線は片道乗り通しでも570円ですので、往復乗車となればかなり得です)を所持していた事もあって、2運用の列車双方に乗車しましたが、1運用は新型車3710形による2両編成だったものの、もう1運用は新型車3710形+キハ205号の新旧混結編成で、現在キハ20形自体がJR線からは消滅(2エンジン装備のキハ52形は辛うじて少数が残存していますが…)しており希少な存在です。

そのためキハ205号に乗車出来る事自体が非常に有難いものですが、その上新系列気動車(JRでは九州で活躍する黄色いワンマン気動車・キハ125形気動車が3710形とほぼ同等の車両です)との混結は他に類がないだけに、見た目や乗り心地が全く異なるアンバランスな2両の組み合わせは、見ているだけでも興味深いものです。
 
ただ学校の長期休暇中などは、主たる顧客とも言える通学利用者が大幅に減少し、輸送力増強の必要性が乏しい事もあって、昼間と同じ単行運転になってしまい、専ら長期休暇中をターゲットに発売される青春18きっぷで茨城を訪問し、湊線に乗車(湊線はJRではなく私鉄ですので、当然ながら青春18きっぷとは別で乗車券を購入する必要があります)するとなれば、訪問可能な時期がかなり限られてしまうのは難点ですが、MAKIKYUが同線を訪問した9月2日は「18きっぷ利用可能+朝ラッシュ増結実施」である上に、期間限定の一日乗車券発売期間という絶好の条件が揃っていたのは嬉しい限りでした。

とはいえキハ205号や、夏場を避けて運用される非冷房の旧型気動車(旧国鉄キハ22形相当の北海道廃止私鉄からの移籍車両)などはかなり古い車両で、現段階で具体的な車両代替の話こそ聞かないものの、今後どれだけの活躍が可能なのかも気になりますので、興味があれば早めに乗車しておきたい車両である事は事実です。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も、平日朝のラッシュ時間帯にひたちなか海浜鉄道沿線を訪問される機会がありましたら、最低1運用は確実に希少な旧型車両の稼動が期待できる、朝の2両編成列車に乗車してみては如何でしょうか?


臨時快速・おもいで湯けむり号~見た目は昔懐かしの車両ですが…

2008-09-13 | 鉄道[東北]

 

昨日「MAKIKYUのページ」では阿武隈急行からJR線に乗り入れる「ホリデー宮城おとぎ街道号」に関して取り上げましたが、MAKIKYUがこの列車の終点・仙台駅で下車した時間は18時過ぎ、この日は臨時快速・おもいで湯けむり号が運転されており、丁度この列車も終点の仙台駅に入線する時刻でしたので、この列車には乗車こそしていないものの、その様子も見てきました。

「おもいで湯けむり号」は、かつてはJR非電化線区の大半で姿が見られたものの、今や老朽化で廃車が進み、希少な存在となっている急行形気動車・キハ58系列を用いた臨時快速列車で、運転日限定で仙台~新庄間を1往復だけ走る全席座席指定制列車です。

この列車で用いているキハ58系列は、国鉄時代に修学旅行専用列車が纏っていた朱色と黄色の装いに改められた車両を用いており、修学旅行専用列車が掲げていた「おもいで」ヘッドマークまで付けている有様ですので、外見だけなら2両と編成は短いものの、「昔懐かしの修学旅行列車」をリバイバルしたかの様に感じられます。

仙台駅では運転日限定で1往復のみにも関わらず、ホームにもきちんとイラスト入りの乗車位置目標が出ていたのは驚いたもので、現在行われている宮城県観光キャンペーンの一環として、JRも随分力を入れていると感じたものです。

この装いとなったキハ58系列は、JR化後に急行月山・よねしろ号用として、特急並みの回転式リクライニングシートに改められた車両で、月山号・よねしろ号が廃止になった後は快速列車の指定席などに用いられていた車両ですので、MAKIKYUもこの車両には何度か乗車した事(中には知名度の低い臨時快速・千秋号での乗車もありましたが…)があり、普通・快速列車ではかなり乗り得に感じた反面、修学旅行専用列車をイメージさせる列車での抜擢には不似合いな感もあり、乗るよりも見て楽しむ列車と考えた方が良さそうな感を受けたものです。

ただ全席指定制で指定席料金を要する事を考慮すると、設備も「昔懐かし…」のレベルでは非常に限られた日数のレールファン向け列車であればともかくとして、鳴子などの陸羽東線沿線を訪れる一般旅行者には、現代のサービス水準には遠く及ばず、それどころか今や比較的新しい気動車(キハ110系列)で運転される同線のワンマン列車と比べても、明らかに見劣りしますので、レトロなイメージを持ちつつも、別途料金を徴収する列車に見合う車両を用いる必要性がある事を考えると、この車両の抜擢はまさに適材適所なのかもしれません。

またこの列車が終点の仙台駅に入線した際は、降車扱いを終えた後も暫く停車しており、その時には隣のホームに原ノ町行きの普通列車が停車していましたが、原ノ町行きは見るからに現代の車両という雰囲気を漂わせる低床の新型ステンレス車・E721系でしたので、30年以上前を連想させられるレトロな雰囲気(MAKIKYUがまだ生まれていない頃の話ですので、MAKIKYUは写真でしか知らない世界ですが…)が漂う列車と並ぶ姿は対照的で、この様はリバイバル列車ならではと感じたものです。


阿武隈急行・ホリデー宮城おとぎ街道号~JR直通列車は土休日になるとヘッドマークも…

2008-09-12 | 鉄道[東北]

先日取り上げた阿武隈急行の8100系電車は、阿武急線内を走る列車では主に2両編成で運転され、宮城県方や昼間の福島発着列車などでは、現在ワンマン運転を実施している列車も多数存在する状況です。

ただ現在唯一の他線直通列車となっており、朝夕にそれぞれ一往復が運転される梁川~仙台間のJR直通列車は、阿武急8100系を使用していながらも、2編成併結の4両編成で運転され、これも東北本線仙台近郊では標準的な部類に入りますが、阿武急線内でこの列車に遭遇すると、随分長い編成と感じたものです。

このJR直通列車は毎日2往復の運転ながらも、平日と土休日で朝に運転される列車の時刻が異なっている他、土休日に運転される列車の1往復(朝仙台発と夕仙台着)は「ホリデー宮城おとぎ街道号」という名称付きの列車で運転されている事も特徴です。

MAKIKYUが阿武急に乗車した際は日曜日で、たまたま夕方に仙台着となる列車の時間だった事もあり、阿武急線内~仙台まで「ホリデー宮城おとぎ街道号」に乗車したのですが、車両自体は阿武急線内ではありふれた存在の8100系とはいえ、比較的大型の四角い特製ヘッドマークが取りつけられている事は、レアな存在と言える阿武急直通列車の存在を大きくPRするのに一役買っています。

しかも阿武急では珍しくない車両とはいえ、仙台では一日2往復しか運転されない珍車的存在で、比較的最近までJRでも割合類似した車両とも言える417系や717系が運用されていたものの、これらも近年運用離脱してステンレス製車両ばかりになっていますので、417系などが走っていた頃は、素人目には「JR車両の色違い」に近い感を受けてもおかしくなかった8100系も、今では非常に目立つ存在になっています。

またMAKIKYUがこの列車の乗車している際に、長町辺りでたまたま乗り込んできた乗客が「随分古い電車」と驚いていたのも印象的で、国鉄の面影を漂わせる車内の雰囲気や走りっぷりも影響しているのかもしれませんが、年代的には「ボロ」と言う程の車両ではありません。
(JR某社の交流電化エリアなどでは、この車両と同程度でもローカル用では新しい部類に入る程、老朽車がゴロゴロしている状況ですが…)

一般客がこの様に錯覚する様を見ると、JR東日本が近年猛烈な勢いで車両取替えを進めた事を、改めて印象付けられたものですが、ステンレス製電車ばかりが走る東北本線の仙台近郊で、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方も阿武急直通列車の時刻に当たる事がありましたら、異色の存在とも言えるこの列車、それも可能であれば特製ヘッドマーク付きの「ホリデー宮城おとぎ街道号」に乗車してみては如何でしょうか?


阿武隈急行 8100系電車~私鉄では異色の交流電車は車内にも特徴が…

2008-09-11 | 鉄道[東北]

  

先日「MAKIKYUのページ」ではJR東日本から阿武隈急行に譲渡された417系交直両用電車(阿武急での形式はA417系)に関して取り上げましたが、阿武急では全線開業・電化から今日に至るまで8100系と呼ばれる電車が活躍しており、今日はこの車両に関して少々取り上げたいと思います。

この車両は製造から約20年が経つものの、A417系を除く阿武急の現役旅客用車両は全てこの形式で揃えられ、2両編成9本が活躍しています。

阿武急ではかつてJRとの相互乗り入れも行っており、今はJR東日本から引退した455系によるJR~阿武急直通列車の運行や、阿武隈急行車両による郡山乗り入れも存在し、後者はMAKIKYUも一度乗車した事がありますが、現在JR~阿武急直通の定期列車は、阿武隈急行車両による槻木~仙台間JR乗り入れ列車の設定があるのみです。

その上阿武急線内の列車は全て阿武急車両による運行となっていますので、現在阿武急に乗車すれば必然的に8100系に当たる状況となっており、今後A417系が稼動するとは言っても、当面主力として活躍する事が見込まれる状況です。

この様な車両ですので、阿武急では特に珍しくない車両と言えますが、日本の私鉄は大半が直流電化と言う状況ですので、私鉄で交流専用の電車と言うのは、全国的に見ても極めて異色の存在と言えますが、この手の車両は旧国鉄~JRでは数形式が存在しています。

これらをベースにしている車両という事もあって、乗車した際の印象もほぼ同年代のJR車両と比較的類似した印象を受けますが、台車はボルスタレス式の空気バネ台車となっており、阿武急自体も比較的新しい路線で軌道状況が良好な事もあって、居住性は比較的良いと感じたものです。

また当初からワンマン運転を考慮した設計とした為に、運転台仕切りは比較的簡素な設計となっており、片側2箇所のドアは片開きと両開きの双方が混在している事や、2両の車両間に貫通扉を設けず、旧営団地下鉄の一部車両や遠州鉄道の如く、隣の車両が見渡せる造りとなっている点などは、同年代の交流専用、或いは交直両用のJR近郊型車両には見られない特徴となっており、車内に設けられている半自動ドアスイッチが、片開きドア部分に設けられているものと、両開きドア部分に設けられているものでは、設置時期が異なる関係で別物になっている点はユニークです。

あとつり革がおむすび形のモノとなっている点や、ボックス席の手すりが丸みを帯びたモノとなっている点など、年代の割に古風な印象を受ける部分もある反面、現在では自動放送装置(JR線乗り入れ時には使用されませんが、阿武急線内ではワンマン列車でなくても使用されます)やドアチャイム(JR東海などでお馴染みのタイプです)が設置されており、運賃表示装置にLCDモニター(これはワンマン運転時のみ使用で、車掌乗務時の案内装置としては活用されていないのは少々残念ですが…)が用いられているなど、年代の割に近代的な印象を受ける部分も見受けられます。

この様に新旧が混在する辺りは不思議な印象を受け、地味な印象を受ける車両ながらも車内を見回すと意外と特徴的で面白い車両と感じたものですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方も青春18きっぷなどを用いて福島~仙台方面を移動する機会がありましたら、ちょっと寄り道して阿武隈急行を利用され、8100系に乗車してみては如何でしょうか?


阿武隈急行 A417系電車~阿武急全線開業20周年の年に導入の新形式

2008-09-09 | 鉄道[東北]

 

今年夏の青春18きっぷ有効期間は10日まで、それにも関わらず今月に入った段階でまだ3回分(うち1回分は2日に使用)を残していたMAKIKYUですが、一昨日・昨日の2日間で有効期間が迫った2回分の18きっぷを使用して東北方面へ出向いていました。

一昨日は横浜市内から仙台まで普通・快速列車乗り継ぎで移動し、その途中福島で途中下車したのですが、一昨日は第1日曜日という事で福島・宮城両県に跨って走る第3セクター鉄道・阿武隈急行が全線フリー乗車券(第1日曜日以外に、元旦と鉄道の日にも設定)を600円で発売していました。

福島~槻木間全線を片道乗り通すだけでも940円を要する路線ですので、この価格設定は非常に割安と言え、利用機会の少ない阿武急に乗車(MAKIKYUの阿武急乗車は2回目です)するにも絶好の機会でした。

そのため一昨日は久々に阿武急に乗車したのですが、乗車中に途中の梁川で車庫の前を通った際には、新形式A417系の姿も目撃し、フリー乗車券では一日の間であれば途中下車も自由自在という事で、乗車していた列車を梁川で下車し、予定を変更して一本後の列車で宮城県入りする事にして、車庫に停車中の新形式・A417系の姿を視察して来ました。

A417系は阿武隈急行において、20年前の全線開業・国鉄引継区間の電化完成の際に導入された電車・8100系電車以来の車両導入となり、近年では昼間時間帯の福島発着列車など、ワンマン運転の対象列車を増やす一方で、ラッシュ時間帯の混雑に手を焼いていると言われる阿武急の混雑解消にも貢献しそうですが、この車両は形式名からも推測出来る通り新型車両ではなく、JR東日本の仙台地区で昨年まで活躍していた交直両用の近郊型電車・417系電車を譲り受けたものとなっています。

編成は元がJR417系であるだけに、既存車両(8100系)より1両多い3両編成となっており、仙台方から順にAT418+AM417-2+AM417-1の付番となっており、AM(電動車)が奇数・AT(制御車・モーターなし)がAMに1を足した偶数という付番方法は、既存車両と同等の法則性があります。

ただ電動車が2両に跨る事から、AMのみハイフンが振られているのが特徴で、この付番方法は阿武急初となりますが、形式名が元の車両を意識したものとは言っても中途半端な番号となり、その上制御車(AT)にはハイフンが振られていない事などを考えると、1編成のみの異端車両となる公算が高そうです。

また見た限りでは塗装が既存の8100系電車とほぼ同等の装いに改められ、前面の窓周りが黒く塗られている辺りなどは少々奇妙な印象も受けますが、編成が8100系よりも1両長い3両と言う事もあるのか、青と緑のラインが下から上へ上がる位置がドア間ではなく、先頭車端~中間車端に跨る塗り分けとなっており、アイボリーの色合いも若干薄く感じたものです。

近い内に営業開始と言われるA417系は、車両構造や編成両数故にラッシュ時のみの稼動になり、乗車機会が少ない車両となる公算が高そうですが、JR時代から少数派で地味な存在であったこの車両が、阿武急で末永く活躍する事に期待したいと感じたものです。


「わ」ナンバーの那須烏山市営バス~元々白ナンバーの路線とはいえ…

2008-09-05 | バス[北関東]

先日MAKIKYUが青春18きっぷを使用し、北関東方面へ出向いた際には、烏山駅を利用する機会もあったのですが、駅前で路線バスを降りて烏山線に乗り継ぐ際、駅前に停車していたバスの中に「わ」ナンバーの車両が止まっている姿を見かけましたので、少々取り上げたいと思います。

ナンバープレートの4桁数字(或いはそれ以下)の前に付く仮名が「わ」ナンバーの車両は、レンタカーが用いている事はご存知の方も多いかと思いますし、MAKIKYUも自家用車のレンタカーを何度か利用した際には、当然この手のナンバーの車両でしたが、これが路線バスともなれば、極めて異色の存在と言えます。

MAKIKYUも「わ」ナンバーを付けた路線バスの姿を実際に目撃したのは、先日の烏山駅が初めてで、写真の車両は烏山駅~高部(たかぶ)車庫間を結ぶ栃木県(那須烏山市)~茨城県(旧美和村:現在は常陸大宮市に合併)跨ぎの路線で充当されていましたが、この路線は高部車庫で茨城交通の路線バスに乗り継ぐ事で、常陸大宮駅へ抜ける事が出来る路線(その気になれば、更に常陸大宮で乗り継いでバスで水戸まで行く事も可能です)としても知られています。

この路線は過去に一度MAKIKYUも乗車した事(「MAKIKYUのページ」で取り上げた事もありますので、興味のある方はその際の記事もご覧下さい)があり、その際はISUZU製の中型車が充当されていましたので、この車両(もしくは現在その後任の車両になっているのかもしれませんが…)が何らかの事情で使えなくなったと推測され、その代替でレンタカーを用いていたものと思われます。

ちなみにこの路線は自治体運行による通称80条バスで、特例で白ナンバー車両での運行が認められている路線ですので、レンタカーを用いて運行する事も、決して有り得ない話ではないのかもしれませんが、真っ白で運行事業者名などの表記が全くないバスが「高部車庫行」という行先を掲げた姿は非常に奇妙に感じたものですが、この路線に限らず那須烏山市営バス(烏山駅発着の路線バスは、馬頭方面へのJRバス以外は全て那須烏山市、或いは同市と他自治体の合同による市町営バスとなっています)では、他路線でもこの様な事が時折あるのかも気になったものです。


18きっぷの特性故に…

2008-09-02 | Weblog

今年夏の青春18きっぷは既に発売期間が終了し、有効期間も今月10日で終了となりますが、今月に入った段階でもまだ3回分…という事で、MAKIKYUは今日3回目を使う事に…

今回は0時から有効となる青春18きっぷの特性を生かす事もあり、上野駅を23時過ぎに出発する北関東方面行き最終列車の一つに、今回初めて途中駅から終点近くまで乗車したのですが、日付変更駅までは別途乗車券を購入する事になるものの、私鉄や地下鉄をうまく使うと意外と安く日付変更駅まで移動する事ができ、横浜~日付変更駅まで要した運賃は、日付変更駅~下車駅までの普通運賃より10円だけ安いものでした。

ここで「MAKIKYUのページ」をごらんの皆様に、今までも何度か実施しているクイズを出題したいと思いますので、答えに自信のある方は是非挑戦してみて下さい。

1.上記の文中にある「日付変更駅」とは何駅でしょう?
(ヒント)この駅からは東京の通勤圏では珍しく、僅か1両編成の気動車ワンマン列車が走る、私鉄の短距離路線が出ています。

2.上記の文中にある「下車駅」は何駅でしょう?
(ヒント)「日付変更駅」と同一県内にあり、この県の県庁所在地になっています。また乗車した列車は一駅先が終点で、ここには車両基地が存在するほか、最近発足した私鉄への乗り換え駅にもなっています。

また下車駅に到着した際に撮影した写真の一枚を、以下に掲載しますので、こちらもヒントとして活用して下さい。


それにしても凄まじい時間だけあり、到着駅では県都にも関わらず列車内・駅構内共にガラガラでしたが、到着時には如何にも深夜帯らしい光景も見られました。


ちなみにMAKIKYUはこの記事を作成している段階では、下車駅近くの某ネットカフェにおり、到着が遅く、早朝の出発(今回は遠方を目指すのではなく、今日中に帰還予定ですが…)を予定しているだけあって、一日程度であれば夜を越すにはホテルを手配するまでもなく、この程度で充分といった所です。

あと更に上級編のクイズとして、横浜駅~日付変更駅までの経路も分かる方がおりましたら、こちらも是非挑戦してみて下さい。
(ちなみにこれは必要最小限以上に改札を出入りする事で、乗り通すよりも安くなる手法を用いていますので、経路検索などでもなかなかヒットせず、結構難問かと思います)


樽見鉄道・谷汲口駅~谷汲における玄関口存在の駅前には、旧型客車の姿も…

2008-09-01 | 鉄道[東海]

   

先月MAKIKYUが岐阜へ出向いた際には、樽見鉄道に乗車して終点の樽見まで乗車した後、谷汲口駅でバスに乗り換えて旧谷汲村(現在は揖斐川町に合併)の中心部を目指したのですが、今日はその谷汲口駅に関して取り上げたいと思います。

谷汲口駅は旧名鉄谷汲線、そしてその代替バスまでもが廃止となった今日では、旧谷汲村の玄関口的存在となっており、岐阜・名古屋方面から谷汲を目指すには、大垣から樽見鉄道に乗車してこの駅を利用する方法が、公共交通利用の場合は現在最もポピュラーなアクセス方法となっていますが、「谷汲口」という名前の通り中心部からは離れた場所に位置しており、徒歩での移動はかなり厳しい距離です。

そのため谷汲口~谷汲山間で昼間時間帯を中心にバスの便があり、現在は名阪近鉄バスの路線バスとしては廃止扱いとなって、揖斐川町コミュニティバスに転換(運行自体は名阪近鉄バスが路線車両を用いて行っていますので、一般路線と大差ないのですが…)されており、概ね大垣方面の列車と接続するダイヤで運行されているのですが、以前の記事でも触れた通り、この区間では片道100円という格安運賃で乗車できます。

ただ谷汲口駅は現在、谷汲の玄関口的存在と言える存在でありながらも、昼間は1時間半に一本程度の列車、それも1両のレールバスが発着するだけに過ぎず、駅自体も一応駅舎は存在するものの、ホーム一本(構造的には元々島式ホームですが、現在は1線のみ使用)の無人駅となっています。

駅前も公衆トイレこそあるものの、数軒の民家がある程度の侘しい所で、飲み物の調達すら…という有様(駅近くに自動販売機はあったのですが、使用中止となっていました)で、樽見方面の列車から谷汲山方面へのバスに乗り継ぐ場合は、30分ほど待ち時間が発生してしまうのですが、暑い中時間潰しに困る状況で、その上次々と寄ってくる蚊と格闘する状況でしたので、乗り継ぎ時間が大幅に開く際などは、それなりの覚悟が必要かもしれません。

また駅前には旧国鉄から樽見鉄道に譲渡され、樽見鉄道発足当初から暫くの間、ラッシュ時間帯の機関車牽引による輸送力列車(この類の列車自体は比較的最近まで存在しており、第3セクター鉄道としては異例の存在でした)として用いられた昭和22年製の旧型客車・オハフ500形(樽見鉄道での称号・国鉄時代はオハフ33形)が1両保存されていますので、これがせめてもの暇つぶしになるといった所です。
(大垣方面列車との乗り継ぎでは、接続時間が短すぎて撮影すらおぼつかないかもしれません)

とはいえ車両自体は野ざらしとなっていますし、その上一見しただけでも出入口のステップが朽ちているなど、状態は決して良いとは言えないのは残念な所で、このまま姿を留めて保存されるのかも気になる所でしたし、おまけに車両の周囲が草地で絶好の蚊の住みかという状況でした。

そのため同じ旧谷汲村内に存在する、旧名鉄谷汲駅の現役さながらの状況(或いはそれ以上)にも見える綺麗に整備された電車群(先月の記事を参照)と比べると、こちらはもう少し適当な保存方法がないものかと感じたものです。

写真は谷汲口駅と駅前の様子、駅前に保存されている旧型客車です。