川本三郎「ひとり遊びぞ我はまされる」(平凡社、2022年)を読んだ。
永井荷風「摘録・断腸亭日乗」(岩波文庫)が面白かったので、川本三郎「荷風と東京ーー『断腸亭日乗』私註」(都市出版)も読んでみようという気になり、その助走として川本の荷風に関する随筆「荷風好日」(岩波現代文庫)を読んだ。しかし重複もあって荷風は少し食傷気味になったので、目先を変えて、荷風を前面に出さない川本の随筆集を読むことにした。
なかでも特にこの本を選んだのは、「三原葉子を偲んで盛岡へ」という文章が目にとまったからである。
三原葉子は新東宝の女優だが、以前にも川本の本で彼女にふれているのを読んだことがある。川本は、ぼくが30歳代の頃にけっこう読んだ筆者の1人だが、彼の広い守備範囲にもかかわらず、ぼくの興味と重なる所はそれほど多くはなかった。しかし三原葉子と大西康子、それと西荻映画通りのことだけは、彼と思い出を共有している。
中学生か高校生だった昭和39~40年頃に、ぼくは「猥褻と表現の自由」に関するファイルを入手した。そのファイルに収められた新聞記事や週刊誌の記事、グラビアの中でぼくの心をとらえたのが、三原葉子と筑波久子と嵯峨三智子だった(嵯峨は荷風原作の「裸体」という映画で主役を演じたと「荷風好日」に書いてあった)。
その後忘れていた三原葉子のことが、30代になってから川本の「シネマ裏通り」(冬樹社、1979年)に書いてあるのを発見した。川本はもっと高尚な映画を論じる人だと思っていたから、新東宝のグラマー女優のことが出てきたので驚いた。
※「シネマ裏通り」の最終ページには、「1981・2・8(日)pm1:07 春の訪れか、暖かい。12、3℃ありそう。谷ナオミと三原葉子とジャック・レモンのことがいい」と感想が書いてあった。
それどころか、川本の本には、大西康子のことまで出てきた。「忘れもしない、大西康子」と書いてあった(と思う)。大西はピンク映画の女優である。中学時代に同姓同名の女生徒がいたので、ぼくの記憶にも残っていた。ピンク映画など新東宝以上に日陰の存在だと思っていたから、川本があっけらかんとして論じていることに驚いた。
さて、本書「ひとり遊びぞ・・・」だが、これも「荷風と東京」と同じく、「東京人」という雑誌の連載を本にまとめたものである。表題は良寛の句の一節だという。
旅行と読書と映画の話題、中でも鉄道の話が多い。台湾の映画、鉄道のことも出てくる。
三原葉子の話も、彼女の出身地である盛岡を訪ねた旅行記である。彼女は盛岡の裕福な毛皮商の娘で、お父さんが娘の活動が記録された記事類をファイルにしてあったという。地元の(三原の)後援会(?)に依頼されての講演旅行だった。彼女はなかなか周囲の人望の厚い女優だったらしい。
お父さんが保存したファイルには、昔ぼくが目にした週刊誌の記事なども保存されているだろうか。「彼女は可愛い口をとがらせて抗議した」云々という文章があった(と思う)。
荷風のことも少し出てくる。ぼくが勤めていた出版社は須賀町にあり、信濃町駅で下車して通勤していた。その「信濃町」の由来が、荷風の先祖の戦国武将の名前(何とか「信濃守」)に由来するとのことだった。
会社の近所にあった須賀神社のことも出てきた。近くには「於岩稲荷」というのもあり、四谷怪談を演ずる役者は必ずお参りに来るという話だった。
映画は「エデンの東」だけ、小津は「父ありき」だけ、女優はソフィア・ローレン(+ジーナ・ロロブリジータ、ロッサナ・ポデッサ)だけ、鉄道は草軽電鉄と玉電だけ、漫画は寺田ヒロオだけが有難いといった狭量なぼくにとっては、知らない人物、見ていない映画、漫画(家)ばかりが多かった。三原葉子は除いて。
川本は、以前何かでマリリン・モンローよりジェーン・マンスフィールドのほうがいいと書いていたように記憶する。これも数少ない共感するところだった。※「シネマ裏通り」67頁にあった。
※282頁の「台湾人児童の就業率は70%を超えている」は、前後関係からすると「就学率」の誤りではないか。
2024年7月5日 記