昨日の朝のNHKラジオで、高橋源一郎が『締切り本』という本を紹介していた。
原稿締切りをめぐる作家と」編集者の攻防をテーマとしたエッセイをまとめた本らしい。
その話によると、締め切り破りの最高峰は、手塚治虫と井上ひさしだったらしい。井上は有名だが、手塚がそうだったとは知らなかった。
“手塚遅虫”などというあだ名までついていたそうである。
しかし、高橋が一番凄いエピソードとして紹介していたのが、柴田錬三郎の『うろつき夜太』だった。
『うろつき夜太』は週刊プレーボーイの連載で、横尾忠則のユニークでセクシーな場面の多い挿絵(?)が印象的だった。
そして、時折本文の中に、主人公“うろつき夜太”と著者、柴田との会話や、横尾忠則までもが登場したりするのである。
横尾忠則の「東京ロマン主義」と言う朝日新聞の連載エッセイによると、うろつき夜太の(イラストの)モデルは田村亮で、柴田と横尾が1年間缶詰めになっていた高輪プリンスホテルにやってきてサムライの衣装をまとってモデルになったという(1996年2月4日付)。
高橋によると、その連載中に、締切りに間に合わなかった柴田が、連載が書けなかった言い訳を、連載1回分の分量で書いているというのである。
さっそく、単行本化された『うろつき夜太』(集英社、1975年)を見たが、その回は見つからなかった。
そのかわり、と言っては何だが、わが浅間山の夕景が挿入されているのを見つけた(冒頭の写真)。
あの連載に浅間山が登場したのは意外だったが、天明3年(1783年)の浅間山大噴火がフランス革命の遠因だったという説もある(桜井邦朋『夏が来なかった時代--歴史を動かした気候変動年』吉川弘文館、2003年)。
その意味では、江戸時代とフランス革命期のフランスを行き来する“うろつき夜太”に浅間山が登場するのは必然かもしれない。
あの連載に浅間山が登場したのは、おそらく柴田が連載の合間に軽井沢に滞在したからだろうと思うが・・・。
横尾のエッセイによれば、横尾は柴田の手ほどきで日本中の名門ゴルフ場を回ったとあるから、軽井沢にも行ったことだろう。
2017年3月25日 記