豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小泉徹『クロムウェル――「神の摂理」を生きる』

2021年07月27日 | 本と雑誌
 
 小泉徹『クロムウェル――「神の摂理」を生きる』(山川出版社、2015年)を読んだ。<世界史リブレット・人>シリーズの1冊で、オリバー・クロムウェルの生涯(1599~1658年)を素描する。
 高校時代に世界史を勉強した時以降、クロムウェルは、フランス革命におけるロベスピエールとともに、恐怖政治を行った独裁者というイメージが強い。しかし何故か、ロベスピエール、クロムウェルともに忘れがたく、強い印象をぼくに残した。

 最近になって、ホッブズを読み、ホッブズが(「内乱」ないし「内戦」と呼ぶ)ピューリタン革命への反省から、主権者権力(sovereign power)の絶対性を唱えるに至った背景としての「ピューリタン革命」の実際をもう一度勉強しようという気になった。
 そして、手はじめに読んだのが、この『クロムウェル』である。
 著者のクロムウェル観の基本は、現実の動きの中に「神の摂理」を見い出すピューリタン(プロテスタント改革派)としてのクロムウェルである。
 
 クロムウェルは没落しつつあるジェントリの次男として生まれた。ケンブリッジ大学を卒業するまでの学校教育の中で、ローマ教皇を反キリストの総帥と考えるピューリタンとなり、この信仰は生涯変わることはなかった。由緒ある家柄の出である妻との結婚によって人脈を築き、下院議員となり、長期議会(1620~40年)において次第に実力をたくわえることになる(~18頁)。
 しかし彼が頭角を現したのは、1642年からの国王派と議会派の内戦(ピューリタン革命)における軍事指導者としてであった。軍隊経験もないクロムウェルだったが、民兵部隊を組織し、給与の支払いを保障し、出身階級を問わずに士官を登用し、プロテスタントであれば宗派を問わずに待遇したという。
 最終的に1645年のネイビスの戦い(ネイビスという地名は高校世界史の教科書にも載っていた。下の写真)でクロムウェル率いる騎兵隊が国王軍を破ったにもかかわらず、国王は敗北を認めず、結局は1646年のコーンウォール(あのG7開催地?)の戦いで、ついに国王チャールズ1世はスコットランドに敗走し、内乱は終結する。
 これらの戦いにおいて、クロムウェルは「神の摂理」によって勝利に導かれていることを確信する(~32頁)。
 
 その後は、議会内において、国王との和平を主張する長老派と、戦争(内戦)推進派だった独立派(=議会派)、さらには末端兵士らを支持者とする平等派との抗争が続く(のだが省略)。
 エピソード的な話題としては、社会契約説に基いて全人民の同意による統治を提案した1647年の「人民協定」にクロムウェルが反対したこと(38~9頁)が印象的である。
 そのクロムウェルらの行動に危機感、反感を抱いたホッブズが、人民主権、全臣民の同意による政治体の正統性を唱えるのである。クロムウェルにとって世界を統べるのは神のみであるが、無神論の(少なくとも信仰の自由を掲げる)ホッブズにとってそれは全臣民(の意思)だったのである。 

           

 1649年1月の国王処刑までにも様々な動きがあったが、内戦におけるおびただしい流血の原因は国王にあるとする軍の主張を、最終的にクロムウェルは受け入れた。「神の摂理」がそれ(国王処刑)をわれわれに命じているとクロムウェルはいう(50頁)。
 ※ 高校世界史の教科書にはチャールズ1世の処刑の挿絵が入っていた!(上の写真) クロムウェルの顔写真はない(柴田三千雄ほか『新世界史』山川出版社、193頁)。本書の扉にも宮殿前の処刑場で国王の生首を刑吏が掲げる当時の挿絵が載っている。
 国王処刑後の議会派、クロムウェルはカトリックのアイルランド、スコットランドを制圧し、さらにオランダとの戦争を指導する。アイルランドでの「虐殺」も、彼には「神の摂理」に導かれての行為であった。その反カトリック感情は強烈な印象を与える。

 国王なき共和政期の「統治章典」(1654年)によって彼は「護国卿」という地位に就く。「国王」への就任打診を彼は断っているが、実質的にはイングランド、スコットランド、アイルランドを統合した国家の国王の地位である。ところで、チャールズ1世の「正統性」は何に由来するのだろうか?
 護国卿となったクロムウェルの政治は「独裁」といわれるが、彼は当初は「古来の国制」すなわち議会を尊重する姿勢だった。しかし、議会の反動的態度、混乱、無能ぶりから、彼は「古来の国制」の実現を断念せざるを得なかったのである(82~5頁)。
 長くなったので、王政復古に至る過程も省略。

   *   *   *

 『ビヒモス』への解説の中でテンニェスが語ったように、ホッブズが(主権者権力の絶対性とともに)個人の自由、人間の平等、選挙によって選ばれた人民の同意による立法権などを唱えたのだとすれば、ホッブズにそのような思想を抱かせる契機となったピューリタン革命そしてクロムウェルは、その後の西欧のリベラル思想の契機、遠因といってもよいだろう。
 本書の序章で、著者はクロムウェル評価の歴史的変遷を記述しているが、その中でクリストファー・ヒルがクロムウェルを「市民革命を実現した偉大な指導者と認めた」と紹介している(3頁)。
 本書を読んだのちには、「市民革命を実現した偉大な指導者」の1人であることは間違いないという印象を抱いた。しかも、腎臓結石やマラリアを抱えて奮闘しながらも、1歳の孫(オリバーと命名されていた)と、その母である娘を相次いで失うと、同じ年に自らも失意のうちに59歳で亡くなるという人間的な最期も印象的である(96~7頁)。
 辞世の言葉は「主よ、私に何をなさろうとも、主の民に良き業をお続けください」だったという。

 2012年7月27日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホッブズ『ビヒモス』(読み始める前に)

2021年07月25日 | 本と雑誌
 
 さて、昨日7月22日にホッブズ『リヴァイアサン(2)』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018年)を読み終えたのだが、きょうの昼間は、第2部をもう一度ざっと読み直し、そして『リヴァイアサン(1)』(水田洋訳、岩波文庫)に収められた同書第1部を読み始めようと思っていたのだが、午前中にAmazonから注文していた荷物が届いた。

 Hobbes “Behemoth”(Simpkin, Marshall, and Co.)、小泉徹『クロムウェル』(山川出版社)、そしてDVD「わが命つきるとも」(ソニー・ピクチャーズ)の3点である。
 「クロムウェル」と「わが命つきるとも」が欲しかったのだが、両者を合わせて1800円にしかならない。Amazonは2000円未満だと送料がかかる。何とか200円くらいのAmazon発送の商品はないかと探していたら、Hobbesの“Behemoth”のペーパーバック版の新品が何と215円で出ていた。残り1冊だったので飛びついてクリックした。これで送料は無料になった。そして今日現物3点が届いたのである。

 『ビヒモス』の英語版など読む気はなかったのだが、いつか邦訳『ビヒモス』(山田園子訳、岩波文庫)を読むときに横に置いておいてもいいなと思った程度である。
 ところが、届いたこの“Behemoth”が不思議な本だった。
 まずサイズが変わっている。ペーパーバックだから新書版くらいのサイズかと思っていたら、タテ26cmxヨコ20・5cmと、絵本のような大きさである。厚さは1cmもない。もらい物の計器で測ってみると0・6cmだった。
 これで本当に岩波文庫版で331頁もある“Behemoth”の全部が収まっているのだろうかと心配になる厚さである。しかも本文各ページに頁数が入っていないので、全部で何ページなのかも分からない。数えてみると本文が110頁あった(+扉、目次各1頁)。
 出版社はSimpkin, Marshall, and Co.とあるが、出版年はない。こんな本は初めて見た!
 しかも編者は、Ferdinand Toennies, Ph.D. とある。Toenniesって、あの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』のテンニースなの? そうだとしたら、テンニースって「フェルディナンド」って名前だったのだ! 
 ※ これまで、ぼくはToennies を「テンニェス」と表記してきたが、何を典拠にそう覚えたのか記憶がない。岩波文庫の『ゲマインシャフトと・・・』は「テンニエス」となっている。今後は、新明正道『社会学の発端』(有恒社、1947年)に従って「テンニース」と表記することにした。 

 テンニースといえば、わが中川善之助先生が家族法の基礎理論を構築する際に参照した学者の一人として、家族法を勉強した人にとってはなじみ深い名前である。中川先生が身分法(家族法)の特質として指摘した「本質社会結合性」や「統体性」などが、テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の影響をうけたことは明らかであろう。
 --と書いたが、自信がないので改めて中川善之助『身分法の基礎理論』(河出書房、昭和14年、1939年)を確認すると、先生はテンニース(テニースと表記)をあまり評価していない書きっぷりである(14、18~9頁)。同所で中川先生は、テンニースより高田保馬の理論のほうが精緻であると述べている。「影響をうけた」とまでは言えないかもしれないが、身分(家族)関係の「本質社会結合性」論の形成にテンニース「ゲマインシャフト」論が影響を与えなかったわけではないように思う。。
 いずれにせよ、専修大学の中川善之助文庫に収められた中川の旧蔵書を見ると、彼が1920~30年代に当時の社会学関係の書物を丁寧に読んでいたことがうかがえる。

       

 さて、話はホッブズ『ビヒモス』に戻る。

 『ビヒモス』は晩年のホッブズが自分が生きた時代、とくにいわゆるピューリタン革命の前史から王政復古にいたる時代(~1690年頃まで)を回顧した本である。
 『リヴァイアサン』の背景を知るために、川北稔『イギリス史』などを読んだけれども、この時期がイギリスの宗教革命の時代だったことは分かるが、「長老派」「平等派」「独立派」、それらと国教会との関係はよく理解できなかった。いっそ、ホッブズ自身がピューリタン革命(彼は「内戦」(山田訳。ホッブズは“troubles”と呼んでいる)やクロムウェルをどう見ていたかを彼自身の言葉で知りたいと思うようになった。
 Amazonで調べると、わが国で唯一の邦訳である岩波文庫『ビヒモス』は現在品切れになっていて、定価の2、3倍の値段がつけられている。それではと、「日本の古本屋」で調べると、いくつかの古書店で1000円で売られていたが送料が明示してない。日本郵便で250円かせいぜい300円程度の送料なのに400円とか500円の送料を取っているところもあるから、不用意に注文はできない。
 その時、ふと閃いた。
 岩波文庫の『ビヒモス』は、たしか駅前の書店の文庫コーナーに置いてあった(残っていた)のではないか? その背表紙の映像までわが頭のなかに蘇ってきた。さっそく暑い中を駅まで出かけた。ジュンク堂にはなかったが、くまざわ書店に行くと、まさにわがデジャブとおり、『ビヒモス』がぼくを待っていた。
 ということで、ぼくは『ビヒモス』の新品を定価で入手することができたのである。

 Amazonで届いたテンニース(Toennies)編の “Behemoth”のほうは、いぶかしく思って、山田訳『ビヒモス』の解説を読むと、この本の編者は、やはりあの「テンニース」だった(なお、山田解説は「テニエス」と表記する。いろいろな表記がされるが本当はどれが一番近いのだろうか)。
 彼は、ホッブズとマルクスから大きな影響をうけた社会学者で、オックスフォード大学に赴き、同大学所蔵の“Behemoth”の手稿を翻刻し、1889年に自費出版したのだそうだ。 後にこのテンニース版を出版したのが、これも山田解説の書誌情報によれば「シンプキン社」とあるから(401頁)、ぼくが215円でゲットしたSimpkin,・・・Co.の“Behemoth”はまさにテンニース版そのものなのだろう。
 各ページに頁数が入っていないのも、もともとホッブズの手稿だったからなのだろう。不便だが仕方ない。自分で各ページ下に手書きでもするしかない。

 テンニースは、自分が翻刻した“Behemoth”のドイツ語翻訳版が後に出版された際の序文で、ホッブズの民主主義的原理を強調したという(山田解説402頁)。
 ぼくが手に入れたSimpkin版“Behemoth”の最終頁には筆者名の記載がない20行足らずの解説がついているのだが、そこには「ホッブズは、理性的な根拠に基づいて主権者権力の絶対性を擁護したが、同時に、個人の権利、すべての人間の本質的な平等、政治秩序の人工的性質(それは後に市民社会と国家を区別する理論の契機となった)、すべての立法権力は人民の同意に基礎を置く「代表者」によらなければなければならない、人民は法律によって禁止されていないすべての行為を自由に行なうことができるというリベラルな法解釈など、ヨーロッパのリベラル思想の基礎を築いた・・・」と書いてある。
 ひょっとすると、この後書き的な解説もテンニースによるものなのだろうか。
 
 山田解説に触発されて、『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(岩波文庫)の杉之原寿一解説を読んだり(確かにそこでもホッブズへの言及があった)、山田解説を読んだり、届いた“Behemoth”をぱらぱら眺めたりしているうちに、11時半を過ぎた。
 呪われた東京オリンピックの開会式は終わっただろうと見計らってリビングに行ってみると、まだやっていた。

 2021年7月23~25日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「呪われた」東京オリンピック

2021年07月23日 | あれこれ
 
 「呪われた東京オリンピック」は、わが麻生副総理の名言だが、その呪われた東京オリンピックの開会式が行われているようである。
 しかし、そもそもコロナ感染者の増加に1年半以上対応しつづけている医療従事者が疲弊している中での東京オリンピック強行に反対する者として、せめてもの矜持としてテレビでのオリンピック視聴を拒否して、ホッブズを読んでいる。
 菅首相は「オリンピックを中止することは簡単だ」と語ったそうだが、それならぜひ今からでも有言実行してほしい。どの世論調査でも回答者の半数以上が開催に反対しているのだから。

 7月22日のCNNニュースで、東京特派員に対して(アメリカ国内の)スタジオのキャスターが、開口一番に「東京オリンピック中止の条件は何か?」と質問していた。それに対して特派員は「そのようなことは何も示されていない、政治判断になるだろう」と答えていた。

 昨夜(7月23日)の11時半に勉強を切り上げて、リビングに行ってみるとまだ開会式をやっていた。4分間短くなるはずなのに、どうして予定より延びているのか。劇団ひとりが出ていて「開会式」ごっこ風の芝居をやっていた。

 これからどのくらいオリンピック中継を見ないでいられるか。本当は今夜も、設計の最初から観客がいなくても賑やかに見えるように観客席の色を変えたと隈研吾氏が語っていた観客席がどんなものか、見てみたい気はあったのだが。無観客を想定していたという彼の先見性には驚く。国立競技場に聖火台を設けなかったことも防火上の理由だけでなく、ひょっとすると聖火が到着しないことを予見していたのだろうか。
 ぼくのプライドが試される2週間が始まった。なんとかぼくのホッブズ熱、16~7世紀イギリス熱が冷めないでくれれば持ちこたえることができるのだが。
 もっとも現在のぼくが好きなスポーツは、大相撲の照ノ富士とエンジェルスの大谷翔平だけで、オリンピック競技のほとんどの種目に興味がないから、見ないことが強いストレスになるわけではない。あえて言えば400mリレーと3000m障害くらいだが、今度の東京オリンピックには、1964年のアン・クリスチネ・ハグベリ選手のような胸ときめく選手もいない。

 ※ 冒頭の写真は1964年の東京オリンピックの開会式(朝日ソノラマ1964年12月号の表紙)。1964年の東京オリンピックだけはまったく「呪われた」オリンピックではなかった。今回の開会式だって、古関裕而の行進曲と団伊玖磨のファンファーレ、1964年とまったく同じプログラムで簡素にやっておけばよかったのにと思う。
 1964年10月10日の、東京の、秋晴れの青空の感動は二度と訪れないだろうけれど。
 今回のブルーインパルスによる五輪の輪の失敗も(パイロットやスッタフの技量も関係しているのかもしれないが)、主因は8月の暑さと湿度と雲のせいだろう。と言うことは、「8月は東京のベストシーズン!」などと言ってのけた招致委員会の責任だろう。

 2021年7月23日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホッブズ『リヴァイアサン』第2部

2021年07月21日 | 本と雑誌
 
 トマス・ホッブズ『リヴァイアサン(2)』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫、2018年)を読んだ。

 水田洋訳(岩波文庫)で読むか、角田訳(光文社)で読むか迷った。Amazonの角田訳にはキンドル版もあって、キンドル版の「試し読み」で一部を読むことができた。
 図書館から借りてきた水田訳と読み比べると、角田訳のほうが読みやすい。今風に言えば「サクサクと」読めそうである。そこで角田訳を購入し、さっそく読んた。

       

 法律を勉強した者にとって、一番興味をもって読むことができたのは第26章「市民法について」である。
 この章の表題の原文は“civil laws”である。角田訳では「公民法」と訳してあるが、法学の世界では“civil law”は「市民法」又は「ローマ法」と訳すのが一般的だろう。水田訳では「市民法」となっている。
 この章の中に(おそらく)1か所だけ“common law”という言葉が出てくる所がある(Oxford World's Classics の “Leviathan”(Oxford University Press、以下ではOxford版)では178頁)。角田訳は“common law”も「公民法」と訳しているが(179頁)、“civil law”と“common law”は違うだろう。あるいは、角田訳が底本としたCambridge版では“civil law”となっているのだろうか。

       

 水田訳は、この個所を「普通法(Common Law)」と訳した上で(169頁)、訳注で「普通法は慣習法ともよばれる」が地方慣習法と区別するために「一般(全国共通)慣習法という意味で、コモンと名づけられた」。「なお、衡平法、制定法、ローマ法、教会法などと区別するために使われることもある」と説明する(196頁)。後半はその通りだが、最近の法学界ではコモン・ローを「普通法」とか「慣習法」とはあまり言わないように思う。
 田中英夫編『英米法辞典』(東大出版会)では、“common law”の第一義は「コモン・ロー」のままになっている。そして、ノルマンによる征服以前の慣習に対して、それ以降に形成された王国の一般的慣習を「コモン・ロー」と定義している。この意味でのコモン・ローと対比されるのが“equity”(衡平法)であり、equityは、国王裁判所によるcommon lawでは救済されない事案を大法官(Lord Chancellor)のもとに請願する中から形成された法体系であるとされる。
 同辞典の“common law”の第二義が「判例法」で、制定法と対比される。法学の世界ではこの意味で使われるのがもっとも普通(common)ではないか。

 ホッブズが『哲学者と法学徒との対話ーーイングランドのコモン・ローをめぐる』(田中浩ほか訳、岩波文庫)で批判の標的にしたのは、まさに第二義としてのcommon law(判例法)だったが、『リヴァイアサン』でも、先例拘束性(同種の事案に対する過去の裁判例は、後に同種事案を裁判する裁判官を拘束するという原則)を批判して、「同種の事例を最初に取り扱った裁判官の判断が不当だった場合には、不当な判断は、後に続く裁判官にとって従うべき先例とはならない」と述べている(角田訳194頁、一部改変)。コモン・ローへの言及も「Common Lawを統制するのは議会だけである」という法学者(クックか?)の言説を批判する文脈で使われているのだから、「公民法」や「市民法」ではなく、判例法か慣習法としての「コモン・ロー」だろう。
 なお、ホッブズはコモン・ローを統制するのは「議会」ではなく、「議会における国王」(rex in parliamento)だという。ホッブズは、議会と国王による共同統治(主権)とか、議会による王権の制約を(許されない)「主権」の分割としてあくまで否定する。

 “equity”も、法学界では「衡平(法)」と訳すのが一般的だと思う。なお上記辞典では第一義が「衡平、公正」で、第二義は「エクイティ」のままになっている。第二義のエクイティの意味は上記の通り。
 ところで、『ユートピア』のトーマス・モアはヘンリー8世の治世に大法官を務めた人物だが、大法官としてのモアもエクイティの請願を受け、その裁判を担ったことがあったのだろうか。トマス・モアの生涯を描いた「わが命つきるとも」という映画があるらしいが、そこには出てくるだろうか。
 角田訳ではequityに「正義」とか(192頁)「正・不正」という訳語があてられている(同じく192頁)。意味はそのとおりだから「衡平」などという法学用語をあえて避けたのかもしれない。 

       


 もう1つ、角田訳『リヴァイアサン』の中で「後天的に成熟した理性」という訳語に出会った(180頁)。法律は理性に反するものであってはならないが、ここで言う「理性」とは、クック(角田訳では「コーク」と表記する)がいうような法律家が長年の研究と経験で獲得した「後天的に成熟した理性」ではないというのである。
 ぼくは「成熟」とか“mature”という言葉に過剰に反応する「過敏性“成熟”反応症候群」とでもいうべき病癖がある。そこで、さっそくOxford版にあたってみたが、残念ながら原語は“mature”や“maturity”ではなく、“artificial perfection of reason”だった。ガックシ!

 訳出された角田氏の努力のおかげで何とか『リヴァイアサン』第2部は読むことができた。つづいて、第1部に挑戦するのだが読み終えることができるか自信がない。訳(わけ)あって第1部は水田洋訳の岩波文庫で読むつもりなのだが、第1部もまずは角田訳で読んだほうがよいのではないかと思っている。第1部こそ「人間の本性」がテーマであり、理解力や判断力も扱われているのだから、ひょっとしたら「成熟」に出会えるかもしれない。『リヴァイアサン』のさきがけとなったホッブズ『法の原理』を読んだ限りでは期待はできなさそうだが。
 第3部と第4部(岩波文庫の3と4)はキリスト教(教会批判)がテーマで、基礎知識がなさすぎるのでスルーするつもりだったが、教会問題(信仰の自由)はホッブズの時代背景として避けて通ることはできない。しかも、ぼくは親による宗教教育の限界に関する現代のイギリス判例を報告する義務を果たさないままに定年退職してしまった。読まなければいけないだろうか。

 良くも悪くも「サクサク」感が角田訳の特徴であった。といっても最近の軽い小説のように読むことができるわけではない。
 今回も上記のような極私的な感想しか述べられないにもかかわらず、生意気かつ生半可なコメントをするのは「烏滸がましい」ことであると自戒している。

 2021年7月21日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロック『市民政府論』(統治二論)

2021年07月16日 | 本と雑誌
 
 上の写真は、J. Locke “Two Treatises of Government ”(1690年。P. Laslett ed., Cambridge Univ. Press,1988 Student Edition)。扉に 北沢書店のシールが貼ってあり、「1988年11月17日、北沢書店で購入」と書き込みがしてあった。当時の北沢書店は、法律書も含めた洋書専門店だった。写真の右側は北沢書店のブックカバー。Amazonが洋書の通販を始めるより以前のことである(と思う)。

 この本の中に、「自然法のもとにおいて、人を自由にするものは何か?」という問いに対して、「それは成熟の状態<State of Maturity>である、この状態に達すれば、その人(原文は‘he’だが)は法を理解することができると見なせるようになるのであり、その人は己の行動を法の制限の範囲内にとどめることができるのである」(第2部59節、307頁)という一文を見つけたときの喜びーー「しめた! これで “mature minor rule” の起源をロックまで遡らせることができる!」ーーを今も忘れない。
 
      
 
 ぼくが最初に読んだのは鵜飼信成訳『市民政府論』(岩波文庫)だが、鵜飼訳は “State of Maturity” に該当する個所を「完全に成長した状態」と訳しており(61頁)、宮川透訳「統治論」(『世界の名著(32)ロック、ヒューム』中公バックス、1980年)では「成人の状態」と訳していた(228頁)。さらに、ぼくが最初に参照した原書は Everyman's Library 版の J. Locke “Two Treaties of Government” だったが(Dent, 1986。初版は1924年。上の写真)、この部分の原文は “State of Maturity” ではなく “an estate” となっていた(144頁)。

      

 “Two Treaties ・・・” は、最初は亡命先のオランダでラテン語で出版されたものがイギリス国内に持ち込まれたというから、英語版には多くの異本があるのだろう。1980年代には歴史人口学者としてのラスレットの令名が高かったので(彼はロックを理解するためにはロックの生きた時代の研究が必要だということで『われら失いし世界』などを執筆した)、彼が校注を加えたCambridge UP 版を参照したところ、“State of Maturity” を発見したのであった。
 「完全に成長した状態」や「成人の状態」、あるいは “an estate” ではダメなのである。たとえ「成人年齢」(成年)に到達する前であっても、理解力、判断力が成熟した未成年者は「成熟した未成年者」として成人と同じに扱おう、その自己決定権を認めようというというのが、Gillick事件でイギリス貴族院判決(1985年)が示した “mature minor rule” という原則だった。
 この原則が、デニング卿(Lord Denning M.R.)の判決(1970年)に由来することはギリック判決自体が明記している。そこからブラックストン(W. Blackstone)『イングランド法釈義』にさかのぼる道程は、(これもギリック判決自体が若干触れているのだが)、内田力蔵氏と堀部政男氏の著書、論稿に支えられて辿ることができたのだが、この “state of maturity” の発見によって、ブラックストンからさらにロックにまで遡ることができたのである。
 この言葉(Maturity)のおかげでぼくの修士論文も “State of Maturity” の域に近づくことができた、と自分では思っている。

      

 ちなみに、その後に出版されたロック『市民政府論(統治二論)』の翻訳書のうち、伊藤宏之訳では「一人前の状態」(『全訳・統治論』柏書房、1997年、196頁)となっているが、加藤節訳では「成熟した状態」(『統治二論』岩波書店、2007年、235頁)となっており、「原語は state of maturity である」という訳注もついている。加藤訳が底本としたのはラスレット版ではないようだが、Laslette版を参照したと凡例に書いてある(ただしLasletteでは s と m は大文字)。おそらく今後は「成熟した状態」が定訳になるだろう(と期待する)。

 ※ 前の書込み(川北稔編『イギリス史(上・下)』)のうち、ロックに関する部分を分離独立させ、多少加筆したものです。新しい書込みだと誤解された方、申し訳ありません。
 
 2021年 7月16日 記          

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川北稔編『イギリス史(上・下)』

2021年07月15日 | 本と雑誌
 
 川北稔編『イギリス史(上・下)』(山川出版社、2020年)を図書館で借りてきた。
 最終頁に「『新版世界各国史第11 イギリス史』1998年4月 山川出版社刊」と書いてあり、同書との関係が分からないが、2019年の総選挙の記述などがあるから、たんなる新装版ではなさそう。いずれにしろ、知りたいのはホッブズ『リヴァイアサン』を読むための時代背景だから、1998年刊と2020年刊との間に大きな違いはないだろう。
 ほかの部分は流し読みで済ませ、上巻の近世以降(チューダー朝からオレンジ公ウィリアムの名誉革命まで)をきちんと読んだ。

 著者によれば、名誉革命の成果は、(1)「権利章典」によって議会と国王の抗争に決着をつけ立憲君主制を確立させるとともに、カトリックの君主による王位継承を否定したこと(議会主権)、(2)「寛容法」によってカトリック教徒と無神論者を除いて非国教徒の処罰が廃止されたこと(信仰の自由)、(3)農業の発展と貿易の振興によって経済発展を遂げたことの3点に集約される。
 この時代のイギリス史は、じつは宗教「革命」(緩慢だったので「革命」と呼べるかはともかく)の歴史でもあった。スコットランドがイングランドに併合されて「グレート・ブリテン」となり、カトリックのアイルランドは植民地化された背景も宗教が大きな要因になった。アイルランドの背後にいたフランスとの覇権争いもあるが。
 著者によれば、上記名誉革命の成果のうち(1)はあくまでイギリス固有の歴史的経験(議会と国王の抗争)の中から承認されたもので、自然権と社会契約論が普遍的な市民社会の原理となったのは、ロック『市民政府論』(『統治二論』)がアメリカ独立革命やフランス革命に受け継がれた結果であるという(上巻243頁)。

              

 なお、ホッブズにも言及はあるが、あくまでジョン・ロックに先行して社会契約説を唱えた点に意義を認めるようで、国家主権の絶対性を唱えた点への言及はない。ホッブズが時代状況にどのような危惧感を抱いて、あのような主権の絶対性を唱えたのかを知りたかったのだが。
 『リヴァイアサン』の第1部は「人間の本性」ではなく、第2部「コモンウェルス」で強大な国家主権をとなえることになったホッブズの本心を書いてほしかった。書いてあるのかもしれないが抽象的で、凡庸なぼくの能力では第1部の議論は読み取れない(まだ読んでないのだから、正確に言えば「読み取れなさそう」である)。パラパラ眺めた感じでは『法の原理』の第1部よりは整理されている印象だが。キリスト教を論じた第3部、第4部は(時代背景からすると、本当は重要なのだろうが)理解できないだろうから、はなからスルーするつもりでいる。
 上の写真は図書館で借りてきた岩波文庫の『リヴァイアサン』全4冊のカバー
 
 ホッブズ『リヴァイアサン』を読み始める前に、ロック、クロムウェルと、気が散ってしまった。
 
 2021年7月15日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランケ『世界史概観--近世史の諸時代』

2021年07月13日 | 本と雑誌
 レオポルド・フォン・ランケ『世界史概観ーー近世史の諸時代』(鈴木成高、相原信作訳、岩波文庫、1961年改版、原著は1854年刊)を読んだ。前に書いたとおり、この本は歴史家ランケが時のバヴァリア国王マクシミリアン2世に行なった講義と両者間の質疑応答(対話)からなっている。

 読むきっかけは、弓削達『ローマはなぜ滅んだか』に書いたとおり、買ったきっかけもそこに書いたとおり、学生時代のゼミの先生の(ドイツ語の)先生の翻訳だったから。訳文は読みやすく「達意の日本語」と言ってよい。達意すぎて、本当にドイツ語の翻訳なのかと思うくらいである。

 ランケは(古代)ローマの後世に対する寄与の第一として法の発展を挙げる。「ローマ人特有の学問的天才は、元来法律的な性質のものであった・・・、彼らは・・・民法のそれにおけるほど独創的であったことはなかった。ローマ人は、そもそもその建国の初めから法的諸概念を鋭くとらえ、整然たる論理性をもってそれらを組織した」のである(60頁)。
 ぼくは法学部生になったきわめて初期、「法解釈学」といわれるものを身につける前に、ジェローム・フランク『裁かれる裁判所』(古賀正義訳、弘文堂)や、末弘厳太郎『嘘の効用』(日本評論社)などを読んで、「法解釈」というものの嘘くささを感じてしまったため、現在に至るまで上記のような古代ローマ人の発明品のご利益にあずかることができないままにいる。

 ランケによれば、古代ローマ人は、「最初から宗教や道徳の点で独自の精神を有し、世界の他のいかなる民族よりもはるかに豊富に厳格な道徳観念をもっていた・・・。たとえばローマ人が結婚に関して抱いていた高い観念を思って見よ。ローマ人は最初数世紀の間は離婚なるものを知らずに過ぎたのである。その他、ローマ人の家庭生活や父権の制度などを考えて見るがよい。これらの道徳的傾向(は)はるか後に至ってローマが極度のはなはだしい退廃の時代に入ってからも、なお作用し続けたのである」(68頁)。
 しかし、弓削達『ローマはなぜ滅んだか』を読んだ後では、この記述には首をかしげざるを得ない。「離婚」は禁じられていたとしても、別居、姦通、蓄妾などは上流階級にあっては日常茶飯だったろう。離婚禁止時代にあっても、それこそ法律家が、「未完成婚」ーー婚姻の外観はあるが実は婚姻はまだ成立していなかったーーなどという法律構成で当事者を婚姻から解放する方便(抜け道)を作ったことをぼくたちは教えらて知っている。

 ローマ教会の建設に際して、「キリスト教においても僧侶は一般人民(ギリシャ語原語省略)に対して、神の選択(ギリシャ語略、訳注ーー抽選の意。)と考えられた」(71頁)。
 ランケでまで「抽選」、くじ引きに出会うとは思わなかった。くじ引きによる決定など、民主社会にあってはならないことと思ってきたが、ホイジンカ、ホッブズ、ランケとつづけて「くじ引き」の肯定に出会うと(モンテスキューもそうだったか?)、いよいよ「くじ引き」の合理性は考え直さなくてはならないと思う。
 ぼくは現役時代に職場の労働組合の忘年会の「くじ引き」で1等賞を当てたことがある。景品は横浜ホテル・ニューグランドのペア宿泊券だった。突然壇上に上がってスピーチを求められ、ついつい「こんなことに(!)運を使いたくないです」などと言ってしまい、司会者の不興を買ってしまった。あれも、実はぼくがきちんと組合活動をし、言うべきことを言ってきたので運命がほほ笑んでくれたのだったかもしれない。

 ローマの衰退に関してランケは、ローマ帝国が抱えていた内部の弊害として「腐敗しやすい、暴力的干渉に流れ勝ちの行政」に加えて、「荒廃をもたらす内乱、漸次起こって来た結婚回避その他の理由から、帝国は底知れぬ人口減少に悩んだ。キリスト教なるものもきわめて早く禁欲主義的傾向を現わしたゆえに人口増加には何の寄与もできなかった」と指摘する(73頁)。
 弓削さんの本にはローマの人口減少の話題は出てこなかったように思うが、人口が減少しつづけているうえに、ローマ社会に同化したゲルマン人を排除する運動が起こったのでは滅ぶしかないだろう。「滅ぶ」といっても弓削さんの言葉ではローマが「中心から周縁」に変化した(転落した?)ということだが。ランケのこの本はまさに「周縁」だったドイツが「中心」に近づく過程を論じている。

 後半においては、17世紀のフランス、ブルボン王朝のヨーロッパ席捲に対抗する3つの勢力として、イギリス、ロシア、そしてオーストリア及びプロシアの動向を概観し、最後にアメリカ独立、フランス革命、ナポレオンのヨーロッパ制覇、ナポレオン後の立憲主義時代で結ばれるのだが、ここまで書いてきて疲れてしまった(ワクチン接種の副反応か?)。

 ホッブズを読むための背景理解としての読書だったので、イギリスだけを簡単に触れておくと、基本的にはエリザベス(1世)からジョージ2世にいたる200年弱の同国における国王と議会との抗争、結局は議会の歴史的に獲得してきた諸権力(憲法)の承認が述べられている。印象に残ったことは、クロムウェルが議会を転覆させ国王を刑死させたことに対して「不忠の父と呼ばれるのももっともだ」としつつ、英国統監として重商主義的政策によって英国民に利益をもたらしたことを評価している記述であった(224頁)。
 「クロムウェル」という映画があったと思うが、クロムウェルを再評価する立場からの映画であれば、見たいものである。

 2021年7月13日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弓削達『ローマはなぜ滅んだか』

2021年07月09日 | 本と雑誌
 
 弓削達『ローマはなぜ滅んだか』(講談社現代新書、1989年)を読んだ。

 ホッブズを読んでいると、ギリシャ、ローマの歴史や人物(歴史家、皇帝など)がしきりに出てくる。ヨーロッパ人なら誰でも知っている故事なのだろうが、そういう知識がないために、何のためにその故事が援用されているのかを理解できないことになる(訳注はあるのだが)。

 かと言って高校の世界史の教科書を読むのも癪なので、ランケ『世界史概観ーー近世史の諸時代』(岩波文庫、鈴木成高他訳)のギリシャ、ローマ時代を読んだ。
 ぼくの大学時代のゼミの先生から、旧制三高時代に訳者の鈴木成高さんからドイツ語をならった話をうかがった。「スズキ・セイコー」というので、「誰ですか」と聞き返したら、「君はスズキ・セイコーを知らないか! あのランケのスズキ・セイコーだよ」と仰られたので、「ああ、スズキ・シゲタカですか」といったら、「そう、そう」と納得された。
 当時のぼくは、岩波文庫の末尾についている岩波文庫の目録を眺めるのが好きだったので、読んでない本でも書名と著者名を結びつけるのは得意だったが、ランケを読んだのは今回が初めてである。

 この本は、ランケが1854年にバヴァリア国王マクシミリアン2世に対して行った御進講を活字化したものである。著者はヘーゲルらの歴史哲学派を否定し、歴史学(実証主義ということか)の立場から記述したと言うが(序言)、国王に対して当時(19世紀半ば)の情勢を背景にヨーロッパの歴史を語ったものであり、冒頭から「歴史力」なるものが語られているなど、純粋な実証主義歴史学の著述ではない。
 残念ながら、ローマの歴史に関する記述はホッブズを読む前提知識を得るためには十分ではなかった。むしろ、チャールズ1世統治下のイギリス(の議会と国王の関係)を論じたあたりのほうが、ランケの論述は生き生きとしており、ホッブズ理解のためにも役立ちそうである。
 この本で最も印象的だったことは、ランケの講義を聞いた後で国王が発した質問とランケの回答が対談形式で載っているのだが、その質問が的確で国王の教養と問題意識の高さがうかがえたことである。国王など世襲の愚帝ばかり、市民革命によって処断されるのも当然と思っていたが、どうしてなかなかの君主もいたのだ。

 それでは、もう少しローマに特化した本を読もうということで、弓削達(ゆげ・とおる)『ローマはなぜ滅んだか』を読むことにした。
 ランケのローマ時代の記述に比べればもちろんかなり詳しいが、本書も古代ローマの通史的記述は初めから考えてなく、むしろ1989年の時点で「ローマの衰亡」を論ずることの意義を念頭に書かれたローマ史であった。
 
 最終的には、ローマ社会に同化しラテン文化を身につけた教養あるゲルマン人に対する排斥運動が起き、有能なゲルマン人を排除したことがローマの力をそぎ、ゴート人によって滅ぼされたというのが、「ローマはなぜ滅んだか」という問いに対する著者の結論のようである。
 ただし、ローマの全盛時代といわれる時代も、一部のローマ人の栄華に過ぎず、その「栄華」も奢侈や姦通の横行する乱れた時代として描かれている。古代ローマの皇帝が庶民を手なずけるために提供したのがサーカスと競技会だったというが、オリンピック開催で世間の目を失政からそらそうとする昨今のわが国の状況を彷彿させる。「すべての道はローマに通ず」か。

         

 古代ローマの通史を期待するなら、同じ弓削さんの『新書世界史2 地中海世界』(講談社現代新書、1973年)のほうがよかった。巻末の年表も詳細である。
 ぼくの持っている同書には、傍線を引いたり、「パトリキvsプレブス」とか「カヌレイウス法」などと書き込みがしてあり、巻末には「1990年4月16日読了」とメモしてあるが、内容は全く忘れてしまった。    
 ちなみにアスリート(athlete)の語源は、古代ギリシャ語で「賞を争う人」の意味だと辞書に書いてあった。

 2021年7月9日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホッブズ『法の原理』

2021年07月02日 | 本と雑誌
 
 トマス・ホッブズ『法の原理ーー自然法と政治的な法の原理』(高野清弘訳、ちくま学芸文庫、2019年)をようやく読み終えた。
 よく理解できなかったので、要約もはたして正しいか、心もとない。情けないが、今回も印象批評になってしまった。

 第1部が人間の本性について、第2部が政治体についてと題されている。
 第1部でホッブズは、数学ないし自然科学における演繹的な推論と同様に、言葉の定義を積み重ねて「人間の本性」を解明しようと試みる(らしい)。感覚(sense)から始まって、対象、概念、知識、想像、記憶、推測、しるし(signs)、理解、判断、意志、約束、脅迫、命令・・・など数十語の概念が規定され、それらの概念が積み上げられていく。「愛」、「情念」、「怒り」、「嫉妬心」、「復讐心」なども分析の対象となっている。
 興味はあるのだが、残念ながらこの段階ですでにぼくはついて行けなくなってしまった。
 
 第2部では、自然状態における「自然法」(=「神の法」?)と、政治体が成立した後の「政治的な法」との関係が論じられる。
 人々の群れが自然状態にあっては、各々が自分自身の裁判官であり、「私のもの」と「君のもの」を区別し、正邪・善悪を判断する権利を有し、自己保存のために必要不可欠であると信ずる防衛行為を行う権利を有する。このような「戦争の状態」を免れるためには、人々は合意によって一つの「共通の権力」を設立し、この共通の権力に対する恐怖によって構成員間の平和を維持し、外敵に対抗するしかない。これが「政治体」(政治社会、ポリス、都市[シティとルビがある])であり、人々は自己を防衛する権利を共通の権力(=政治体)に移譲する。政治体は「私のもの」と「君のもの」を区別し、正邪・善悪を判断する共通の基準を提示する。これが「政治的な法」(Law Politic)ないし「国家法」(Civil Law)と呼ばれるものである。

 本書は書名の通り「法の原理」がテーマなのだが、そもそも「神の法」と「自然法」と「国家の(civil)法」の区別がよく理解できなかった。その前提として、ホッブズがキリスト者なのか理神論者なのか無神論者(ではなさそうだが)なのかもよくわからない。ただ、裁判官の理性(の積み重ね)によるコモンローの支持者でないことは分かる。
 ホッブズが君主制を支持しているのか、民主制を支持しているのかも読み取れなかった。貴族制は支持していないようで、どちらかといえば君主制を支持しているように読んだが、民主制を否定しているわけでもなさそうである。3つの政体を並列させて論じており、政体の異同よりも「主権者(君主ないし人民)」の「主権的権利」が重視されている。
 ギリシャの「都市」やローマの民主政を背景に論じた箇所についてはヨーロッパの古代史の知識が足りず、執筆当時(1620~40年頃)のイギリス政治を背景にした個所についても「短期議会」などイギリス近代史の知識がおぼろげなために、ホッブズが当時のイギリスのどのような状況を背景に民主政を危惧しているのかが読み取れなかった。

            

 この本のメイン・テーマとは直接関係しないかもしれないが、ぼくの関心をひいた記述をいくつかメモしておく。
 (1)コモンウェルスにおいては(君主制にせよ貴族制にせよ民主制にせよ)主権的権力者による平和の維持があってはじめて、人民の自由も可能になるのであって、主権的権力者からの「自由」などいうものはありえない、とホッブズはいう。
 むかし村上淳一『イェ―リング「権利のための闘争」を読む』(岩波書店)を読んだ時に、ドイツ語の“Freiheit”の原義は「保護されてある」という意味であり、この語に“free from everything”などという意味はない、ゲルマン時代のドイツにおける“free from everything”など「森の中で狼に食われて死ぬこと」に等しいといった趣旨が書いてあったことを思い出した。最近読んだ「営業の自由」と「精神の自由」の優劣に関する江藤祥平氏という若い憲法学者の論議も想起した(法律時報93巻4号90頁)。ホッブズとはあまり関連はないかもしれないけど。

 (2)自己保全はすべての人間が目指す目標であるから、そこに至る道程は「善」であり、自己保全に資する自然法や自然法に従う慣習は「徳」(“virtue”)と呼ばれる、とホッブズはいう(190頁)。
 民主政治における“virtue”、新渡戸稲造のいう「平民道」はぼくの永遠のテーマだが、自己保全に資する自然法に従うことが“virtue”であるというホッブズはどう考えればよいのか。ホッブズのいずれかの本には、保全されるべき「生命」に関するホッブズの考えを述べたものがあるのだろうか。  
 
 (3)モンテスキュー『法の精神』は近親婚に対してかなり寛容な記述が散見され、望ましくない遺伝的疾患が出現する恐れなどはまったく考慮されていなかった。これに対して、ホッブズ『法の原理』では、創造主は2人の人間しか作らなかったが、「産めよ、殖えよ」の教えに従い、人間の数が多いことは人間の福利の第一にあげられる。この目的を実現するため、主権的権力者は人間の数が増えるように「交接に関する法令」を作ることを義務づけられており、その内容として「自然に反する交接を禁止する」こと、「女を乱れた性のために用いることを禁止する」こと、「一定の血族、姻戚間の結婚を禁止する」ことを定めなければならない、なぜなら、これらの行為は人類の改善にとってきわめて有害だからであるという(355頁)。
 「一定の血族、姻戚」がどの範囲までを想定しているのかは明記していないが、ホッブズはそれが人類の改善にとって有害であるという理由で近親者間の結婚を禁止する法令の制定を要求している。ホッブズは「婚姻」外の交接を認めているが、婚姻外であれば近親者間の「交接」(原語は何だろう?)も認める趣旨だろうか。人類に対する有害性という理由は、現代における(血族間の)近親婚の禁止と同じ理由づけである。1640年当時は、人間の遺伝に関する知見は現在ほどではなかっただろうが、畜産における近親交配の影響に関する知見はすでにあったはずである。

 (4)子どもは男女共同の子を作る行為(generation)の結果であるが、出生後に1人の人間が子に対する権利を取得する根拠は何か。ホッブズは、生まれてきた子に対する権利は原則として母親に帰属するという。自然法によって人は自らの身体に対する権利(所有権)を持っており、子どもは分娩の時まで母親の身体の一部なのだから母親は子どもに対する所有権を持つことになる。自然状態にあって母親は産んだ子の生殺の権利を持っているが、子に対する支配権は、その子を産んだことによってではなく子を保護することによって母親に帰属する。しかし、母親が夫に服従する信約を結んだ場合は、信約によって夫は(母親が子に対して有する)支配権を獲得することになる。その子が夫の子であるか否かは関係ない。男女間の信約が同棲の信約にとどまるか、交接に関する信約にとどまる場合には、子どもをどちらが引き取るかは信約の内容によって決まる(264~7頁)。
 ホッブズは、親子関係は「子を作ること」(“generation”)によってではなく、生まれた子を保護することによって生ずるという。しかも血縁関係の存否には関わりないという。さらに現代語で言えば、「内縁関係」や「性的パートナーシップ関係」にとどまる男女の場合、子の帰属は当事者の契約によって定まると言っているように読める。ちなみにロック『市民政府論』は、“generation”(「産みの力」と訳されている)を親権の根拠にしていた(鵜飼信成訳、岩波文庫56頁、Everyman's Library,p.141.)。

 (5)自然状態においては争いに決着をつける「正しい理性」などというものは存在せず、実は「正しい理性」による決着を主張する人の個人的理性にすぎない。「正しい理性」の役割を果たすのは主権的権力を有する人(人々)の意志、すなわち「国家の法」であるとして、その具体例として、奇形児が生まれた場合にそれが「人間」かどうかは「法」によって判断されなければならないという例をあげている(371頁)。
 「国家の法」による判断の具体例が障害新生児の生殺の問題ということにまず驚いた。障害新生児の治療差控えの基準として、現代イギリスの裁判例では、障害の程度が“demonstrably so awful”か否かという基準を掲げたものが先例とされているが、該児が「人」か“monster”かという基準を唱える法学者がいることを宮野彬氏が論文で紹介しているのを読んだことがあった(確か「鹿児島法学」に載っていたはず)。ホッブズもその一人だったのか。

 (6)くじ(籤)による決定の正当性を説く個所も印象に残った。分割できないものや共同で使用できないものの使用はくじ引き(か交互使用)しか解決手段はないという(183~4 頁)。長子相続は生まれた順番という「偶然」によって後継者を決定する制度であり、くじ(籤)による決定と同じく正当な決定方法であるとホッブズは言う。くじによる決定は最も平和的な決定方法であると記した旧約聖書の一節(「箴言」18章18節)も援用されている(198頁)。
 最近わが法学界でも「くじ引き」の合理性の議論が見られるが(数年前の「論究ジュリスト」で特集を組んでいた)、ホッブズも「くじ引き」論者だった。夫婦別姓の選択を認めるべきであるという主張がなされているが、夫婦は別姓でよいとしても生まれてくる子の氏をどうするかが隘路となっている。くじ引きによる決定は有力な選択肢となるだろう。

 ホッブズ『法の原理』には何冊かの翻訳書が出ているようだが、本書の訳者、高野氏は早稲田を卒業後に藤原保信氏とともに本書の翻訳をはじめ、それから数十年をかけて本書が完成したのだという。相当読みやすい訳文になっているのに十分理解できなかったのはぼくの能力のゆえだろう。
 なお、巻末の加藤節氏の解説によれば、わが国のホッブズ研究は水田洋、福田歓一氏らの第1世代に始まり、藤原氏らの第2世代、高野、加藤氏らの第3世代を経て、現在の第4世代では聖書解釈学に基づく研究や中村敏子氏の『トマス・ホッブズの母権論』などこれまで触れられなかったテーマを扱う研究が出てきているという。ぼくは、第1期かせいぜい第2期の自然権思想や社会契約論者としてのホッブズに光を当てた議論に関心があり(『近代人の形成』!)、それ以降の議論は(読んでいないが)些末な感じがする。何のためにホッブズを研究しているのかが分からない。第1世代への反発、反「近代」主義なのだろうが。
 アダムとイヴの子孫は母子相姦ないし父子相姦か兄妹相姦によるしか子孫をもうけることはできなかったはずであるというダニエル・ゲラン(だったか)の批判と、ホッブズの近親相姦批判は最近の研究ではどのように止揚されているのか(そんなことを最近の研究が論じているかは知らないけれど)、興味のわくところである。これも些末な興味だが・・・。

 2021年7月2日 記

 ※ 2021年7月3日 追記
 ホッブズは「自然状態にあって人は万人の万人に対する闘争状態、すなわち弱肉強食に陥ってしまうため、人々は契約によって自己保全のための権利を絶対権力=国家に移譲した」とか覚えていたが、高校の教科書(柴田三千雄ほか『新世界史(改訂版)』山川出版社)を見ると、「ホッブズは自然法を解釈しなおして、人間は自然状態においては『万人の万人に対する闘争』状態にあるため契約によって国家をつくったとし、個人は自然権を主権者(国王)に譲渡したのだから主権者に服従するのは当然だとした(『リヴァイアサン』)。この理論はイギリス王政復古の専制政治を弁護する結果になったが、神権ではなく経験にもとづく人間の観察から主権の根拠を論じた点で画期的であった」と書いてあった(204頁)。
 なるほど、と思った。『リヴァイアサン』を読まなければならないが、最後の部分などは『法の原理』の第1部にも当てはまりそうである。ホッブズは誰のどのような行為の「観察」から、「怒り」や「復讐心」や「嫉妬」について論じたのだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする