映画『わが命つきるとも』を見た(ソニー・ピクチャーズ、原題は“A Man for All Seasons”.1966年製作)。
『ユートピア』の作者でもあるトマス・モアの生涯を描いた作品である。
トマス・モアは庶民階級出身の弁護士だったが(祖父も父も法律家だった)、ヘンリー8世に才能を認められ大法官に任命される。ローマ教皇が禁止していた離婚の許可を得ることが国王の目的だったが、トマス・モアは最後までカトリック信仰を曲げずに、ヘンリー8世の離婚およびアン・ブーリンとの再婚を認めなかったため、かつての部下の偽証によって反逆罪で裁判にかけられ、斬首の刑に処せられてしまう。
トマス・モアを演ずるポール・スコフィールドの演技がうまい。
節を曲げない信仰の人であり、有能な法律家ではあるが、ただの頑固者ではなく、家族とくに娘を大事にする父親、家庭人でもあることが伝わってきた。
なかでも、国王や枢機卿や枢密院議長(ピューリタン革命のクロムウェルの遠縁のクロムウェル)らとの会話シーンの表情がよかった。最期の断頭台で黒覆面の刑吏に語りかけるシーンもよかった。そういえば、『クロムウェル』のラストシーンで、断頭台の上のチャールズ1世を演じたアレック・ギネスもうまかった。
この演技で、ポール・スコフィールドはアカデミー主演男優賞を受賞した。なおこの映画は同年のアカデミー作品賞、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚本賞ほかを受賞している。
フレッド・ジンネマンは『日曜日には鼠を殺せ』の監督だが、たしか『ジュリア』も彼の監督だったように記憶する。彼の作品はこの3作しか見ていないと思うが、ずいぶん毛色の違う映画を作ったものだ。
撮り方も随分違う。ーーと言っても『日曜日には・・・』は50年近く以前に見た映画なので、レジスタンス物という以外は、ストーリーをはっきりと覚えているわけではない。しかし、濡れたような黒を基調にしたモノクロの画面が強く印象に残っている。
さて『わが命つきるとも』だが、初めのほうで、時の枢機卿を周囲の貴族たちが「肉屋の息子」「肉屋顔」(“butcher's face”)などと悪口を言っていたが、何と演じていたのはオーソン・ウェルズだった! (上の写真、DVD盤面のイラスト右下がウェルズ)悪役かと思ったが、トマス・モアの意見を容れて国王の離婚を承認せず最後には斬首されてしまう。
『クロムウェル』のときは17世紀イギリス史の勉強を少しやったのだが、もう少し遡ってヘンリー8世の時代のイギリスの歴史も勉強しておいた方がより面白く見ることができただろう。ヘンリー8世の実像はもっと知っておきたいと思った。
トマス・モアを裏切って偽証までして断頭台送りにし、後には大法官の地位に上りつめたリッチという人物などは実在したのだろうか。ちなみにヘンリー8世を演ずるロバート・ショウ(冒頭の写真の向って左側の人物)が赤毛に同色のあご髭を蓄えた小さな眼の俳優で、現代のヘンリー王子を彷彿させた。
原題の“A Man for All Seasons”とはどういう意味なのだろう。手持ちの辞書にはこのフレーズは載っていなかった。直訳すると「全天候型の男」、season には「旬の」という意味もあるようだが「いつも旬の男」ではトマス・モアの生涯を表すには不適切である。
映画に描かれた彼の生涯から想像するなら、むしろ「常に節を曲げなかった男」とか「いつも変わらない男」くらいのニュアンスではないだろうか。
ネット上でこの映画に対する批評を眺めていたら、この映画について、“ ・・・ like all Zinnemann's best films this is a story of moral conflict and personal victory” と評しているのに出会った。
そう言われてみると、ぼくが見たことのあるジンネマンの3作品は、いずれもこの評言が当たっていると思う。「ずいぶん毛色の変わった映画を撮った」ものだと書いたが、時代や登場人物の状況は異なるものの、“moral conflict and personal victory”(心の葛藤とその克服)という点では確かにぼくが見た3本の映画は共通していた。
本作品のトマス・モアも、何の葛藤もなしにカトリック信仰に殉じて国王の離婚に反対して刑死したわけではなく、家族とくに娘の行く末を案じて本心を家族にさえ洩らすことなく、ひたすら沈黙を貫いて証言を拒否した結果として国王の離婚を承認しなかったのである(ただし妻はモアを理解しない悪妻として描かれている。史実なのかどうか)。
『ユートピア』(岩波文庫、平井正穂訳)も古本を買ったきり何十年も読まないままになっているが、こんな興味深い人物、しかも法律家が思い描いた「ユートピア」となると、どんな内容なのか知りたくなった。
今読んでいるホッブズ『リヴァイアサン』でも、この映画の中でも「法律に忠実に従う」ことがたびたび強調されている。イギリス社会に根づいた「法律」の力強さを感じる。
ともすると政府や行政の側に流されがちなわが国の法律家、とくに物分かりの良すぎる若い法律家にぜひ見てもらいたい映画である。
2021年8月31日 記
※ 『真昼の決闘(High Noon)』、『地上より永遠に』もジンネマンの作品だった。ぼくは上記の3本のほかにもう2本を見ていたことになるが、5本とも、まさに“moral conflict and personal victory”がテーマだった。『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーも、『地上より・・・』のフランク・シナトラも、指摘されてみれば『わが命・・・』のトマス・モアと同様の境遇にあった。この評者の評言はすばらしいと改めて思った。