豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

映画『わが命つきるとも』を見た

2021年08月31日 | 映画
 
 映画『わが命つきるとも』を見た(ソニー・ピクチャーズ、原題は“A Man for All Seasons”.1966年製作)。

 『ユートピア』の作者でもあるトマス・モアの生涯を描いた作品である。
 トマス・モアは庶民階級出身の弁護士だったが(祖父も父も法律家だった)、ヘンリー8世に才能を認められ大法官に任命される。ローマ教皇が禁止していた離婚の許可を得ることが国王の目的だったが、トマス・モアは最後までカトリック信仰を曲げずに、ヘンリー8世の離婚およびアン・ブーリンとの再婚を認めなかったため、かつての部下の偽証によって反逆罪で裁判にかけられ、斬首の刑に処せられてしまう。

 トマス・モアを演ずるポール・スコフィールドの演技がうまい。
 節を曲げない信仰の人であり、有能な法律家ではあるが、ただの頑固者ではなく、家族とくに娘を大事にする父親、家庭人でもあることが伝わってきた。
 なかでも、国王や枢機卿や枢密院議長(ピューリタン革命のクロムウェルの遠縁のクロムウェル)らとの会話シーンの表情がよかった。最期の断頭台で黒覆面の刑吏に語りかけるシーンもよかった。そういえば、『クロムウェル』のラストシーンで、断頭台の上のチャールズ1世を演じたアレック・ギネスもうまかった。

    

 この演技で、ポール・スコフィールドはアカデミー主演男優賞を受賞した。なおこの映画は同年のアカデミー作品賞、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚本賞ほかを受賞している。
 フレッド・ジンネマンは『日曜日には鼠を殺せ』の監督だが、たしか『ジュリア』も彼の監督だったように記憶する。彼の作品はこの3作しか見ていないと思うが、ずいぶん毛色の違う映画を作ったものだ。
 撮り方も随分違う。ーーと言っても『日曜日には・・・』は50年近く以前に見た映画なので、レジスタンス物という以外は、ストーリーをはっきりと覚えているわけではない。しかし、濡れたような黒を基調にしたモノクロの画面が強く印象に残っている。

 さて『わが命つきるとも』だが、初めのほうで、時の枢機卿を周囲の貴族たちが「肉屋の息子」「肉屋顔」(“butcher's face”)などと悪口を言っていたが、何と演じていたのはオーソン・ウェルズだった! (上の写真、DVD盤面のイラスト右下がウェルズ)悪役かと思ったが、トマス・モアの意見を容れて国王の離婚を承認せず最後には斬首されてしまう。
 『クロムウェル』のときは17世紀イギリス史の勉強を少しやったのだが、もう少し遡ってヘンリー8世の時代のイギリスの歴史も勉強しておいた方がより面白く見ることができただろう。ヘンリー8世の実像はもっと知っておきたいと思った。
 トマス・モアを裏切って偽証までして断頭台送りにし、後には大法官の地位に上りつめたリッチという人物などは実在したのだろうか。ちなみにヘンリー8世を演ずるロバート・ショウ(冒頭の写真の向って左側の人物)が赤毛に同色のあご髭を蓄えた小さな眼の俳優で、現代のヘンリー王子を彷彿させた。

 原題の“A Man for All Seasons”とはどういう意味なのだろう。手持ちの辞書にはこのフレーズは載っていなかった。直訳すると「全天候型の男」、season には「旬の」という意味もあるようだが「いつも旬の男」ではトマス・モアの生涯を表すには不適切である。
 映画に描かれた彼の生涯から想像するなら、むしろ「常に節を曲げなかった男」とか「いつも変わらない男」くらいのニュアンスではないだろうか。

 ネット上でこの映画に対する批評を眺めていたら、この映画について、“ ・・・ like all Zinnemann's best films this is a story of moral conflict and personal victory” と評しているのに出会った。
 そう言われてみると、ぼくが見たことのあるジンネマンの3作品は、いずれもこの評言が当たっていると思う。「ずいぶん毛色の変わった映画を撮った」ものだと書いたが、時代や登場人物の状況は異なるものの、“moral conflict and personal victory”(心の葛藤とその克服)という点では確かにぼくが見た3本の映画は共通していた。
 本作品のトマス・モアも、何の葛藤もなしにカトリック信仰に殉じて国王の離婚に反対して刑死したわけではなく、家族とくに娘の行く末を案じて本心を家族にさえ洩らすことなく、ひたすら沈黙を貫いて証言を拒否した結果として国王の離婚を承認しなかったのである(ただし妻はモアを理解しない悪妻として描かれている。史実なのかどうか)。
 
 『ユートピア』(岩波文庫、平井正穂訳)も古本を買ったきり何十年も読まないままになっているが、こんな興味深い人物、しかも法律家が思い描いた「ユートピア」となると、どんな内容なのか知りたくなった。
 今読んでいるホッブズ『リヴァイアサン』でも、この映画の中でも「法律に忠実に従う」ことがたびたび強調されている。イギリス社会に根づいた「法律」の力強さを感じる。
 ともすると政府や行政の側に流されがちなわが国の法律家、とくに物分かりの良すぎる若い法律家にぜひ見てもらいたい映画である。

 2021年8月31日 記

 ※ 『真昼の決闘(High Noon)』、『地上より永遠に』もジンネマンの作品だった。ぼくは上記の3本のほかにもう2本を見ていたことになるが、5本とも、まさに“moral conflict and personal victory”がテーマだった。『真昼の決闘』のゲーリー・クーパーも、『地上より・・・』のフランク・シナトラも、指摘されてみれば『わが命・・・』のトマス・モアと同様の境遇にあった。この評者の評言はすばらしいと改めて思った。

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映画『父ありき』を見た

2021年08月30日 | 映画
 
 小津安二郎監督『父ありき』(キープ社版、小津安二郎大全集)を見た。

 小津の『東京物語』を見たついでに、『父ありき』も見たくなった。初見の時にぼくは『東京物語』よりも『父ありき』のほうが気に入った。笠智衆も『父ありき』が好きだと語っている(笠『小津安二郎先生の思い出』朝日文庫)。
 テーマが親子関係(父子物語)だったためかもしれないし、父子がともに学校教師だったためかもしれない。舞台が信州、上田だったからかもしれない。
 前にも書いたが、上田城の石垣の上に親子が座って語り合うシーンは、上田城ではなく小諸城の石垣の上で撮影されたものだと思う。小諸城に行った時に右端の石垣の石の形で確認した。木が繁った以外は変わっていなかった。
 上田城にも行ったことがあるが、あのような石垣はなかった(と思う)。

       

 もう1つ、父子が料理屋の二階の座敷で食事をするシーン(上の写真)もぼくの好きな場面である。
 このシーンは別所温泉で撮影されたのではないかと思ったが、こちらはセットで撮影されたということだった。しかも残念なことに、息子が旧制中学生だった頃のシーン(津田晴彦)と、秋田の鉱山学校教師になった時のシーン(佐野周二)が実は同時に撮影されたなどという裏話が貴田庄さんの本に書いてあった(と思う)。

 キープ版の『父ありき』は音声が悪いのに驚いた。声がこもっていて聞き取れない台詞が多数あった。前に見たときもこんなだったのか、それともぼくの耳が当時よりさらに悪くなったのか。
 ストーリーを知っているので、弁士なしで無声映画を見るように見た。

 2021年8月30日 記


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映画『東京物語』を見た

2021年08月30日 | 映画
 
 小津安二郎監督『東京物語』を見た。
 着想を得たというアメリカ映画『明日は来らず』を見たので、『東京物語』も再見したくなった。
 「あの頃映画50’s 松竹DVDコレクション」と銘打ったニュー・デジタル・リマスター版である(松竹、2011年。公開は1953年、昭和28年)。

 前に見たのはキープ社版の古いものだったので、見苦しいとか音が聞き取りにくいというほどではなかったが、本来の1953年に公開された映画がどんな色調だったのかはわからなかった。
 今回はじめて公開時に近い状態に復元された画像、音声で見ることができた。
 やはり『明日は来らず』とは出来が違っていた。ただし、前回見たときは、妻に先立たれた笠の面倒を末娘の香川京子が見つづけてくれそうな気配を感じたが、今回見ると、香川は原節子のように自立しそうな感じがした。

       
 ※ 上の写真は、付録についていた特典の家族集合写真。このような場面は映画にはなかった。
 
 キープ社のものに比べると、ずいぶん画面が明るくなっている。とくに尾道でのロケ部分の画面が明るい。しかし、夏の尾道の暑さが表現されているかというと、あまり暑さは感じられなかった。
 酷暑といわれる夏のさなかに見たせいか、『12人の怒れる男』もそうだったが、映像から夏の暑さが伝わってこなかった。杉村春子や山村聡らがせっせと団扇を煽いでいるのだが、みんな涼しげで、かえってわざとらしく見えてしまった。
 ぼくの祖父は学校の教師だったが、暑い夏の授業の時でも背抜きの夏服の上着を決して脱がなかったという。帰宅すると、明るいグレーのスーツの背中が汗でダークスーツのように黒く濡れていたと祖母が言っていた。昭和28年のニッポンの夏はそれくらい暑かったはずである。
 『東京物語』の撮影時期はいつだったのだろうか。小津は年に1本しか撮らなかったから、いい時候に撮影したのかもしれない。

 ちなみに杉村春子だったかが使っている団扇に高峰秀子の顔写真が見て取れた。松竹の宣伝用の団扇で済ませたのか、小道具にこだわる小津らしくない。あるいは、当時のパーマ屋では松竹女優の団扇が定番だったのかも。   

 1950年生れのぼくは、笠智衆、東山千栄子、杉村春子はもちろん、山村聡、三宅邦子、中村伸郎、水戸光子など出演者はみんなテレビドラマやテレビのCMなどで知っている。ところが1954年生れの妻は、三宅邦子までは知っているが中村伸郎、水戸光子はまったく知らないという。4年違うとそんなものか。
 健在なのは(子役を除くと)香川京子だけになってしまった。
 香川京子は、数十年前の週刊誌のグラビアで、山手線、目黒駅の恵比寿寄りの跨線橋の橋の上でポーズをとった写真を見た覚えがある。親戚の家に行くときに渡る跨線橋だったので、印象に残っている。 
 橋のこちら側には「メイ牛山美容室」があり、橋の向う側にはライオン座という映画館があった。三越よりは小ぶりのライオン像が入口の脇に鎮座していた。

 2021年8月30日 記


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きょうの浅間山(2021年8月27日)

2021年08月29日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月27日(金曜)、この日も好天。
 借宿の交差点から眺めた浅間山がきれいだったので、遠回りをして浅間テラスに向かう。
 ここから眺める浅間山は、ぼくの個人的な<浅間百景>のベスト・ファイブに入る。
 真正面に浅間山、向かって左側に石尊山、右側に小浅間山を眺めることができたのだが、木立が茂ったため残念ながら右側の小浅間山は見えなくなってしまった。左右のすそ野がのびやかに伸びている全景を眺めることができるところがよかったのだが。
 ちなみに<浅間百景>のベストワンは、御代田の旧メルシャン美術館の裏庭から眺めた浅間山である。

       
 
 そして『カルメン、故郷に帰る』(1950年!)のなかで笠智衆が唸った(詩吟を「うなる」のはこの漢字でよいのか?)とおり、「変わらないのは浅間山だけである」ことを今年も確認した。
 ここのレタス畑の永遠なることを願うばかりである。

 2021年8月29日 記

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きょうの軽井沢(2021年8月27日)

2021年08月29日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きょう(8月27日)、久しぶりに旧軽井沢に出かけた。2年ぶりか3年ぶりのように思う。

 いつものように神宮寺の駐車場にクルマを止めて、旧道(旧軽銀座?)に出る。
 下の写真は、神宮寺入口の石碑(?)。昭和30年代から40年にかけて、毎夏この寺を定宿にしていた友人の美術史家を訪ねる父のお供をして訪れた寺である。

       

 コロナ禍とはいえ、人通りの少ないことに驚かされる。たしかに数十年前も、8月20日の諏訪神社の花火大会が終わると旧軽井沢は急に寂しくなってしまったが、それでも今日のようなことはなかった。
 人通りが少ないだけでなく、閉店してしまった店舗が多いのにも驚かされた。
 路地裏に比較的新しくできたような店だけでなく、表通りに面した店でもシャッターを下ろした店舗が何軒も目についた。
 神宮寺の石碑のとなりにあった三陽商会の店舗も、三笠会館の後に入った喫茶店か何かも撤退してしまったらしく、テナント募集の広告が掲げられていた。

         

 一番驚いたのは、大城レース店が閉店していたことだった。
 もう何年も前に閉店してしまったのか、閉店の貼り紙さえなく、シャッターにも汚れが目立ち始めていた。
 この店は亡くなった母のお気に入りの店で、わが家の枕カバーやレースのカーテンは大体この店のものだった。
 亡くなる何年か前、最後に軽井沢に行った時も、買い物用バギー(?)をひきながら、あの狭い店内を歩きまわっていた。その後、すたこらと道を横切って、向かいの蜂蜜屋の店先に座って蜂蜜ソフトを食べていた。

 表通りを一歩入った路地に面した店舗はさらにひどい状態で、シャッターを閉じた店舗が何軒も並んでいた。テナントビル1棟すべて閉店したところもあった。
 そんな路地に面した万喜で天丼を食べた。
 これまた、亡くなった祖母がごひいきの店だった。97歳で亡くなった祖母は健啖家で、旧軽井沢に来ると、たいていはここで天丼を食べた。

       

 柏倉製菓、鳥勝、藤田肉店、浅野屋そして土屋写真館、軽井沢物産館など、残っている店のほうがわずかになってしまった。この日は通らなかったが、テニスコート通り沿いの中山農園はどうだろうか。
 軽井沢物産館の店頭に<軽井沢遺産>だったかのプレートが飾ってあった。
 1893年建築とある。日清戦争の1年前である。入口の脇に大きな牛のフィギュア(?)が立っていたが、神津牧場のコーヒー牛乳は今もあるのだろうか。
 隣の明治牛乳(販売店)、明治屋、小松ストア、三笠書房、デリカテッセンなどはとうの昔になくなってしまった。
 かつては郵便局だった観光会館、移転した郵便局は健在だったが、以前には局舎の前で売られていた軽井沢ご当地限定の切手や絵葉書はなかった。白樺の幹を薄く輪切りにしたバームクーヘンのような変形はがきなども昔はあったけれど。

       

 最後にもう一度、神宮寺の本堂に参拝して帰宅した。

       

 

 2021年8月29日 記
 

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閲覧数180万回突破!

2021年08月17日 | あれこれ
 
 このブログ<豆豆先生の研究室>のトータル閲覧数が180万回を突破したようです。
 2006年2月18日の第1回の書込み<タイムマシンのつくり方>以来、15年ちょっと、我ながらよく続いたと思います。

 アクセス解析というページを見ると、<トータル閲覧数 1800382 PV,トータル訪問数 693644 UUとなっています。その意味はよくわからないのですが、ぼくのブログを見てくれた人が延べ180万人を超えたのだろうと勝手に解釈しています。
 記念に、きわめて初期の書込み<軽井沢文化村>に添付した写真(獅子岩近くの培風館山本山荘)を冒頭にアップしました。
 下の写真は今年の夏の浅間山の写真です。

 

 数年前まではクルマに関する書き込みがよく読まれていたのですが、ぼくがクルマに関心がなくなって以降は、けっこう本や映画に関する書き込みを見ていただけるようになりました。本望です。
 豪徳寺や軽井沢の思い出話も見てもらえるようですが、種が尽きてきました。 

 200万回を超える日まで続けられるか自信がないですが、まずは190万回突破を目ざして、折折の雑感を書いていきたいと思います。
 よろしかったら、たまにはご覧ください。

 2021年8月17日 記


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映画『12人の怒れる男』を見た

2021年08月16日 | 映画
 
 映画『12人の怒れる男--評決の行方』(原題“12 Angry Men”。20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン、DVD)を見た。
 「評決の行方」という副題は不要だろう。「12人の怒れる男」で陪審裁判のことが分からない人は「評決の行方」といっても分からないだろうし、「評決」だの「~の行方」だのを名のったその後の法廷映画に便乗する匂いを感じる。『12人の怒れる男』は『12人の怒れる男』だけで十分である。

 ヘンリー・フォンダの『12人の怒れる男』のリメイク版。1998年の製作らしい。
 ヘンリー・フォンダが演じた陪審員役を、今回はジャック・レモンが演じている。有罪の疑いに疑問を投げかけるジャック・レモンに対して、最後まで(証拠も論理もなく、スラムに住む移民に対する偏見から)有罪を主張しつづけて抵抗する頑固な陪審員役をジョージ・C・スコットが演じている。
 
 原作はどちらもレジナルド・ローズで、今回の映画も基本的に原作を踏襲している。ただし、前作では陪審員全員が白人の男性だったが、今回の陪審員にはアフリカ系、ヒスパニック系、イスラム系の有色人種や、東欧系の移民も入っている。
 原作が「男」(Men)となっているので、女性を入れるわけにはいかなかったのだろう。少し前までの判例法では、すべての陪審員が同一の性(男だけ、女だけ)では陪審は無効になったが、最近のジェンダー・フリーや性別の相対化(男女不問)のもとではどうなっているのだろうか?
 今回の映画では、罪滅ぼしのためか、裁判官は女性だった。
 ※ 下の写真は、原作、Reginald Rose, “Twelve Angry Men”(“Ladder Edition”, Yohan Pub. Inc., 1975)および、同著、額田やえ子訳『十二人の怒れる男』(劇書房、1982年)。
       

 ストーリーは改めて紹介する必要はないだろうが、父親殺しの嫌疑で訴追された息子に対する陪審裁判である。
 前作のヘンリー・フォンダに良心的アメリカ人の典型を見た思いを抱いてきたが、その後ヘンリー・フォンダの私生活上の問題行動を知ってしまった後では、以前ほどの感慨はなくなっていた。
 ヘンリー・フォンダが中年の精悍なアメリカ白人男性だったのに対して、今回のジャック・レモンは、年齢を重ねた穏やかだが信念を曲げない老人を好演していた。ジャック・レモンもぼくも年を取ったなと思った。
 ジョージ・C・スコットの隣りに座る陪審員を演じたアーミン・ミューラー-スタールという俳優も(有罪、無罪どちらに傾くかが読めない)両義的な役をうまく演じていて印象に残った。
 
 しかし、ぼくが一番気になったのは、イスラム系の有色の陪審員だった。
 いかにも品性が下劣で、英語も汚いらしい。喋り方や態度に品がないのは分かるが、その英語がどの程度品がないのかはぼくには分からなかったのだが、英語ネイティブの陪審員から「汚い口を閉じていろ」と怒鳴られるシーンがあったので、汚い英語なのだろうと想像した。
 まるでエディー・マーフィーが陪審員室に突然闖入してきたような演技だった。ポリティカル・コレクトの時代に、イスラム系の人間をあのように描くことが許されていることに驚いた。あるいは9・11の余波が及んでいたのだろうか。
 ひょっとすると彼が一番“angry” だったかもしれないが、ああいう態度を“angry” というのだろうかと疑問になって辞書を引いてみると、“angry” は「他人の悪いふるまいや不公平な状況などに対して怒っている状態をさす」とあり、ムカついている、カッカしているという場合は“mad”や“pissed”を、性格が怒りっぽいことを表す場合には“short-tempered”といった語を当てるらしい(ウィズダム英和辞典)。
 あの役者の怒りは後者だったように見たが、もし彼の怒りの根源がイスラム系アメリカ人に対する不公平な扱いに由来するのであれば、あれも“angry”といえるだろう。

 リメイクは本作ほどの出来栄えではないことが多い。しかし、この映画は結末が分かってしまっているのであまり期待もしないで見たのだが、時代に程よくあわせて陪審員の年齢、背景などが変更されており、陪審員間の激論も一部は改変されており、ほぼ新作と言ってもいい印象だった。
 ただし前作のようなアメリカ中西部(?)の蒸し暑さは伝わってこなかった。この作品では陪審員室のあの(気象上の)熱気が必須なのだが、本作では陪審員の来ているシャツの背中が少しずつ汗にまみれてゆくのだが、いかにも衣装係が霧吹きか何かで濡らしただけといった感じだった。

 2014年にイギリス旅行をした際も、ピカデリー・サーカスの劇場でマーティン・ショウ主演で「12人の怒れる男」が上演されていたが、英米では、陪審裁判劇(とくに「12人の怒れる男」)は定番の作品のようだ。
 英米の刑事裁判においては、「合理的な疑い」(a reasonable doubt)をさしはさむ余地がないまでに被告人が有罪であることを訴追側(検察官)が証明できないかぎり、陪審員は「無罪」(not guilty)を評決しなければならないのであるが、ごく普通の市民である陪審員の口から「合理的な疑い」という言葉が自然にしかも頻繁に出てくるところにアメリカ陪審制の強みを感じた。さっさと有罪の評決をして野球の試合を見に行きたいと思っている陪審員でさえ、検察官の主張に「合理的な疑い」が残っている限り、有罪評決ができないことは理解していた。

 2021年8月16日 記


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映画『明日は来らず』を見た

2021年08月14日 | 映画
 
 映画『明日は来らず』(原題“Make Way for Tomorrow”,1937年パラマウント映画、1937年日本公開)を見た(ジュネス企画発売DVD)。

 小津安二郎『東京物語』(松竹)はこの映画に着想のヒントを得て作られたことは有名な話だが、アメリカで製作された同じ年に日本でも公開されていたことにまず驚いた。しかも1937年といえば、日本では昭和恐慌で娘身売りなどの問題が起こり、中国との泥沼の戦争に踏み込んでいくという時代である。
 老親のたらい回しのような話も、当時の東京あたりではそろそろ現実味を帯びてきていたのだろう。小津の『戸田家の兄妹』は1941年の製作だが、『明日は来らず』と同じ老親扶養がテーマになっている。結末は、いかにも戦時中の作品だけあって、『東京物語』とは全く違う。『東京物語』は1953年の公開だから、小津はこの映画を見てから15年以上も構想を温めていたことになる。
 余談になるが、『戸田家の兄妹』が小津家の長男の嫁と二男(小津自身)の軋轢が背景にあることも多くの映画評論家が指摘するところで、小津家の長男の嫁ご本人がインタビューに答えて、この指摘を認める発言をしていた(YouTubeで見ることができる)。彼女は、小津家であのような出来事があったのは事実だが、姑(小津のお母さん)はあの映画で描かれた姑よりもっときつい人だったと語っていた。

 さて、『明日は来らず』に戻ろう。
 ストーリーは1930年代のアメリカ北部の(何州だったか忘れたが、雪が降っていた)小さな町の老夫婦の物語。夫は経理係を退職して数年がたっており、家のローンを返済できなくなり、住み慣れた家を銀行に明け渡すことになる。妻は専業主婦だったようだ。明け渡す数日前に5人の息子、娘たちがこの家に集まる。
 問題は、明け渡した後の老夫婦の居住である。息子、娘たちはそれぞれに家庭の事情があり、両親を二人とも引き取ることはできない。さし当りということで、父親は娘の家に、母親は息子の家に引き取られることになるのだが、いずれも息子家族、娘家族とうまくいかない。
 結局、夫婦は別れ別れになり、肺に病気のある父親は温かいカリフォルニアに住む娘の家に、母親はニューヨークの老人ホームに入ることになるのだが(そのことを妻は夫に告げないで息子の家に居続けるように装っている)、別れる最後の日に、二人で50年前の新婚旅行で訪れたことのあるニューヨークの高級ホテルでカクテルを飲み、ディナーをとり、ワルツを踊り、そしてニューヨーク(セントラル)駅から夫は列車に乗り込み去っていくのを、妻が見送る・・・。

 残念ながら『東京物語』のように感情移入して見ることはできなかった。
 老夫婦の性格があまりにも協調性がないように、ぼくには思えたのである。もちろん息子、娘たちやその家族にも問題はあるが、老親の側にも原因があるように描かれている。
 老妻を引き取った息子の嫁は、生活費を稼ぐためにブリッジ教室を開いているのだが、老妻はその教室に入ってきて、客たちを後ろからのぞいて「ハートがたくさんあるわね」だの「私はスペードの女王は嫌いだわ」などと持ち札をばらしてしまう。
 娘の家で風邪をひいた老夫も、娘が呼んだかかりつけの医師に対して、「お前は医者になって何年だ」とか「聴診器が冷たすぎる」などと悪態をつく。
 何でこんなシーンを観客に見せなければならなかったのか、ぼくには理解できなかった。息子、娘側の言い分にも耳を傾けて撮っているということか。

         

 上の写真は『東京物語』(松竹DVDコレクション、あの頃映画50’s)のケース。
 この老夫婦に比べれば、『東京物語』の笠智衆と東山千栄子の方が100倍好感のもてる老夫婦である。
 その老夫婦が生活に追われる息子や娘たちから冷たくあしらわれるのだから、観客の共感を呼ぶのである。しかも東山千栄子が急死してしまい、尾道に一人残された笠智衆には、面倒を見てくれる優しい未婚の末娘(香川京子)がいる。
 どちらが悲劇かといえば、おそらく『明日は来らず』の老夫婦のほうがはるかに悲劇的に思える。しかし個人主義のアメリカでは、あのような結末でも観客たちは納得するのだろう。

 老夫婦が二人でニューヨークの街中を歩くシーンや、老父が知り合いの雑貨屋主人に愚痴をこぼすシーンなど、『東京物語』にも対応する場面(上野公園での笠と東山の散歩や、笠が旧友の東野英治郎らと一杯飲み屋で息子たちの愚痴を語り合う場面など)があった。ストーリーの概略は『明日は来らず』から拝借したことは明らかだが(小津自身が語っているのかも)、作品の出来栄えは『東京物語』の方が上だろう。素人評定だが。
 なお、『明日は来らず』の脚本、監督、俳優らはぼくの知らない名前ばかりだが、唯一、音楽(の中の1人)にビクター・ヤングの名前があった。そして、ラスト近くのニューヨークのホテルでのダンスのシーンで演奏されたジャズ(曲名は知らないけどぼくでも聞いたことがあるスタンダードな曲)がいい曲だった。

 2021年8月14日 記


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映画『クロムウェル』を見た

2021年08月13日 | 映画
 
 映画『クロムウェル』を見た(原題“Cromwell”、ハピネット発売、DVD)。
 ケースに説明がないため、製作年や日本公開年は不明。“1970 Renewed 1988 Columbia Pictures Inc.”という著作権表示があるけど、1970年製作か。テーマからして日本では未公開だったのかもしれない。上映時間140分という長編。
 8月3、4日に一度見て、8月12日に再度見た。

 「アレック・ギネス&リチャード・ハリス2大名優が放つ歴史スペクタクル決定版」とケースに銘打ってある。チャールズ1世役がアレック・ギネスで、クロムウェル役がリチャード・ハリスだが、主人公のクロムウェルより、アレック・ギネスの演ずるチャールズ1世の謎めいた雰囲気が印象的だった。
 アレック・ギネスは『ドクトル・ジバゴ』でジバゴのお兄さん役を演じていた俳優で、“Sir” の称号をもつという。あの「ギネス」の一族か?

 第1回目は8月3日の夜に半分だけ見て、翌4日に残りを見た。
 予備知識は、高校時代の世界史で学んだクロムウェルおよびピューリタン革命のおぼろげな記憶と、7月に読んだ小泉徹『クロムウェル』(山川出版社)で知ったことだけだったが、小泉本で紹介されたクロムウェルの人物像に近いように役作りされているように思った。
 「神の摂理」を信じて行動する敬虔なピューリタンであるが、反カトリック、反ローマ教皇の信念もきわめて強い信仰の人、だからピューリタン信仰を守るためには国王の処刑も、アイルランド人大虐殺にも及んでしまう、というのが小泉本から得たぼくのクロムウェル像だが、この映画では観客のカトリック教徒への配慮からか、反カトリックの側面はあまり強調されていなかった。

 映画は1640年のケンブリッジから始まる。腐敗にまみれたイングランドを捨てて、家族とともにピューリタンとしての生活を送るために新天地アメリカにわたる準備をしていたクロムウェルのもとをかつての同志が訪ねてきて、議会に戻るように説得する。議会への復帰、議会と国王との対立、内戦の勃発そして議会派の勝利、国王の処刑、その後の議会との軋轢、そしてクロムウェルが護国卿(護民官)に就任するところで映画は終わる。
 信仰の人としてのクロムウェルという人物像は小泉本によって了解できたが、最初に見たときは、背景にある議会と国王の対立、議会内での議員間の対立、国王と王妃(カトリック信者)との関係など、知識不足で十分には理解できなかった。
 とくに内戦の実戦場面では誰と誰が対戦し、画面のどちらが国王派でどちらが議会派なのかすら分からなかった。

 そこで、「イギリス内戦の原因の歴史」という副題のついたホッブズ『ビヒモス』を読み終えた今日(12日)の夜、再び全編を通して見た。さすがに2回目の今回はよく理解できた。むしろ事実関係や人間関係が省略され過ぎていて(例えば議会派のアイアトンがクロムウェルの娘婿であることなどは省略されている)、話が飛んでしまってついて行けないところがあった。
 イングランド国王であるだけでなく、イギリス国教会の長でもあるチャールズ1世が、カトリックのアイルランドばかりでなくフランスとまで密約を結んで議会軍=クロムウェル軍を鎮圧しようとしたことを知って、クロムウェルは国王を大逆罪で裁判にかけることを決意し、その結果王は処刑されるのだが、このアレック・ギネス演ずるチャールズ1世が不思議な存在をもって描かれている。下の写真は、処刑前に家族(二男と娘)に別れを告げるチャールズ1世(アレック・ギネス)。

       

 軍事に長けた迫力ある国王としても、専制君主としても描かれていない。どちらかといえば軟弱な風情である。しかし最初に見たときも今回も、クロムウェルよりも、クロムウェルをはじめとする議会派との交渉、そして裁判と処刑場に至る場面などのチャールズ1世(というかアレック・ギネス)の表情ばかりが思い出される。
 公開処刑場における態度に威厳があったため、「殉教者」として庶民の評価が高まったと山川の高校教科書にまで書いてあったように記憶するが、威厳というより飄々としてちょっと旅にでも出かけるような演技であった。アレック・ギネスのメイクは、教科書などに載っていたチャールズ1世の肖像画に似ていた。
 ※ 下の写真は、宮殿前の処刑台を取り囲む民衆たち。教科書に載っていた断頭台の挿絵(当時のもの)を思い出させる。

       

 議会の主権を尊重したいと思いながら、利権をむさぼる腐敗議員の跋扈する議会に失望して、クロムウェルが議会を解散するところで映画は終わっている。タイトルバックには、どこかの会堂で眠るクロムウェルの遺体と、「我は王に非ず、ただ神のみが王である」という彼の言葉が記されたプレートが写されていた。

 2回目は、ホッブズ『ビヒモス』を読み終えてから見なおしたのだが、ホッブズがどうしてあそこまでチャールズ1世を評価し、議会派を批判するのかの一端を体感することはできた。

        

 クロムウェルについては小泉『クロムウェル』でおおむね理解していたが、チャールズ1世の評価は分からなかったので、家にあった中公ホームスクール版『世界の歴史(4)』で確認すると、チャールズ1世は「謹厳、まじめ、柔和」な人物で、立派な容貌をし威厳にみちていた、美術愛好家でもあり、王子にはよき父、王妃には忠実な夫だったが、洞察力とユーモアを欠き、来たるべき大嵐にはまったく無防御だった、とある(208頁)。
 誰の評価かは書いてないが、アレック・ギネスは、チャールズ1世をまさにそのような人物として演じ切っていたと思う。

 2021年8月12日 記


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きょうの軽井沢(2021年8月10日ころ)

2021年08月12日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 最近の軽井沢の風景を何点かアップします。
 最初は7月30日の発地市場。

       

 つぎは8月1日の軽井沢駅前。
       

 むかし小林麻美のポスターが交差点に面したショー・ウィンドウに貼ってあった中軽井沢駅前交差点の桐万薬局。
       

 8月4日に、ケーヨー・デイツーの駐車場から、軽井沢消防署ごしに眺めた浅間山。入道雲に隠れていて見えない。
       


 つづいて8月6日の中軽井沢駅、沓掛テラス前、図書館から眺めた浅間山。
       

 冒頭の写真は8月10日の発地市庭から眺めた浅間山。
 この日は浅間山の全景を見ることができた。すそ野、とくに石尊山側の長く伸びたすそ野が好きだ。

 2021年8月12日 記


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ホッブズ『ビヒモス』

2021年08月12日 | 本と雑誌
 
 ホッブズ著、山田園子訳『ビヒモス』(岩波文庫、2014年)を読んだ。

 定年後に読んだ本の中で一番面白かった。
 訳文がこなれているので、翻訳本にありがちな判じ物を読むような苦労はまったくなかった。訳注のつけ方も適切で、「これ誰だろう?」「これ何のことだろう?」と思う個所にはほとんど訳注がついている。
 訳注を参照していると本文が進まないが、イギリス史の知識がなくても訳注を読むことでほぼ解決できる。しかもホッブズの記述が史実に反する場合には(そのような場合が少なからず存在する)、訳者が正しい史実を指摘してくれる。

 他方で訳者の知識をひけらかすような無用の訳注はない。法律に関係する個所もよい助言者がいたのだろう、納得できた。原語との対応関係も訳注に原則が示されていて(People, Common People, King, Majesty, Gentleman, Gentry, Equity, etc.)、一貫性がある。あえて言えば、頻出する長老派、主教についてもう少し初学者向けの、そして当時のイギリスの状況を背景にした説明がほしかった(339頁の訳注32に簡単な説明はあるが)。
 せっかくなので220円で買ったテンニェス版“Behemoth.”も時おり参照したが、テンニェスの出番はあまりなかった。ちなみにテンニェス版は本文109ページの薄い本だったが、全文が入っていた。1ページに岩波文庫ほぼ3ページ分が収まっている。

 さて内容だが、アメリカ憲法を経由してジョン・ロックの自然権論および社会契約論を基調とした日本国憲法の価値を肯定するぼくの立場からは、そしてロックの社会契約論がホッブズ『リバイアサン』に由来すると教えられてきたぼくとしては、『ビヒモス』に示された、絶対君主制を熱烈に支持するホッブズの記述に唖然とした。ホッブズは否定するがチャールズの政治は専制としか思えない。
 訳者も十分承知で、訳者の解説の中で、「ここまで解説を読まれてきて、うんざりされた方がいるかもしれない」と言っているが(383頁)、ぼくも最初はまさに『ビヒモス』の本文を読んでいて「うんざり」させられた一人だった。
 しかし途中からは、社会契約説の創始者としてではなく、絶対君主制支持者、チャールズ1世支持者としてのホッブズが、議会やクロムウェルらによるイングランド内戦(ピューリタン革命)をどう見ていたかを示すものとして興味深く、やめられなくなってしまった。「うんざり」感は早い段階で消えた。

 世界史上の出来事をこんなに詳細に読んだのは初めての経験かもしれない。ジョン・リードの『世界を揺るがせた10日間』と比べたら見当違いかもしれないが、若いころに読んだ『パリは燃えているか』のような印象である。すべてがホッブズの見聞したことがらではなく、イギリス内戦史の先行文献に依拠した個所もあり、しかも史実に反した記述もあるらしいが、(一部)フィクションが混在しているとしても、絶対君主制支持者から見た内戦史として堪能した。

 ぼくの一番の疑問は、『ビヒモス』と『リヴァイアサン』の関係である。
 『ビヒモス』に示された絶対君主制支持こそが、『リヴァイアサン』における主権者権力(sovereign power)の唯一の発現形態なのか。
 『リヴァイアサン』を読んだときは(第2部だけだが)、ホッブズは、君主制、貴族制、民主制(ないし議会制)のいずれに対しても中立の立場から、主権者権力の絶対性を唱えているように読めたのだが、『ビヒモス』を読めば彼は間違いなく絶対君主制の支持者である。
 また『リヴァイアサン』では国王と議会との混合政体の伝統(議会における王 rex in parliament)を否定していないように思ったが、『ビヒモス』では混合政体は完全に否定される。

 それが変節(ホッブズの言葉でいえば転回 revolution)なのか、あるいは、議会が主権者権力を保持する可能性も一般論としては否定しないが、ただイギリス内戦前後の時期の(長老派が支配した)イギリス議会に対する反発とチャールズ1世に対する個人的な愛顧から、内戦期においては君主制を支持しただけなのかは分からなかった。クロムウェルでさえも議会には失望させられたのだから、ホッブズが当時の議会の状況に批判的な立場をとることは十分に理解できる(現在の日本の議会だって偉そうなことは言えまい)。
 はたまた訳者の解説によれば(372頁)、ホッブズは『リヴァイアサン』に対する異端審問によって焚刑に処せられるという恐怖から弁明として『ビヒモス』を書いた可能性もあるらしい。焚刑は怖いだろう。

 巻末の訳者解説も丁寧で、『ビヒモス』理解に大いに役立った。
 とくに、そこで指摘されたイングランド、スコットランド、アイルランドの三国関係(ブリテン問題)、コモンロー体制のイングランドと制定法主義のスコットランドとの関係も興味が湧くところである(395頁~)。ホッブズ『哲学者と法学徒との対話』は徹底した反コモンロー(反クック、裁判官の理性への不信)で貫かれていた。

      
 ※ 写真は、『ホームスクール版世界の歴史(4)』(中央公論社)に載ったステュアート朝の系図。
 
 今回もまた極私的感想だが、ローマ教皇が国王の主権を侵害する一事例として、(教皇が)婚姻の正当性の最高の審判者となり、姦通および未婚者淫行に関する全事件を審理することが挙げられていることが印象に残った(26頁)。
 国王の地位の世襲(ヘンリー8世の再婚)を教皇が握るという文脈だが、未婚者淫行(Fornication)は未婚者間または未婚者との合意ある性的行為につき未婚者に成立する罪であるという訳注がついている(335頁)。未婚者だけが処罰されるというのは既婚者(性行為の相手側)に都合が良すぎるだろうが、それがイギリスの当時の価値観だったのだろう。トマス・ハーディの『テス』や『日陰の二人(ジュードだったか?)』を思わせる。

 最後に、ホッブズのチャールズ1世擁護を読まされても、ぼくはクロムウェルの方が望ましい人物に思えた。『ビヒモス』にはチャールズ1世(2世も)がどのような善政を行ったのか、どのような好ましい人物だったのかはまったく書かれていない。ただスチュアート朝の数百年(600年)の血をひく人物だったというだけではないか。それが尊かったのか。

 2021年8月12日 記

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『フォレスト・ガンプ』を見た

2021年08月06日 | 映画

 映画『フォレスト・ガンプ――一期一会』(パラマウント、1995年日本公開、同年アカデミー賞作品賞受賞)を見た。「一期一会」は不要だろう。 

 バス停留所のベンチに座ったトム・ハンクスが隣りに座った人に向かって自分の生い立ちから現在までを回想して語る、朗読劇に画がついているような映画。
 アメリカ映画の文法(そんなものがあるのかどうか分からないが)に従ったいい映画だったと思う。
 障害をもつ子が出てきて、気丈な母親が出てきて、奇跡の回復が出てきて、しかし不治の病いも出てきたり、サクセス物語が出てきたりもする、そして主人公とヒロインとの純愛も出てくるという、典型的なheart-warming映画である。

 足の不自由だった男の子フォレスト・ガンプ(後のトム・ハンクス)がスクール・バスに乗ると、みんなが意地悪をして座席に座らせない。一人だけかわいらしい少女ジェニーが自分の隣りに座らせる。 
 フォレストのジェニーへの愛を縦糸に、フォレストの大学生活、軍隊生活、実業家としての成功など彼の経験が横糸となってストーリーが展開する。
「霧のサンフランシスコ」など1970年代のポップスやニュース映像(ケネディ、ニクソンから毛沢東まで)も登場する。ぼくらには懐かしいシーンである。

 思春期に見ていたら、通学のバスで毎日乗り合わせる武蔵野女子学院の女の子の向うにジェニーを思い浮かべて、声をかけていたかもしれない。

 2021年8月6日 記

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ホッブズ『リヴァイアサン(2)』補遺

2021年08月06日 | 本と雑誌
 
 『リヴァイアサン』第2部でもう1つ、追加しておくことがあった。
 イギリスの陪審制についてのホッブズの記述についてである。

 第23章「主権者に仕えて国政を代行する者」と題する章の中に、「陪審制」にかかわると思われる文章がある。角田訳では「あらゆる民事裁判において各臣民は・・・、係争中の問題が起こった土地の人間を裁判官とした。そして、それに対しては異議の申し立てが許されており、それは、十二人の裁判官が異議なく承認されるまで許された。判決を下すのは、この十二人であった。」自分自身の裁判官を戴くのであるから、その判決が最終的なものとされるといった文章が続く(138頁)。

 読みやすい角田訳にしては、「それに対しては」、「それは」といった指示代名詞が何を指しているのか明確でない。
 この部分はイングランドの陪審裁判のことを言っているのだと思うが、ホッブズはなぜか、“jury”という語はいっさい使わない。
 陪審裁判はノルマン制服の後にイングランドに入ってきた制度であり、前にも『少年たちの迷宮』か何かで書いたことだが、その制度趣旨は、「クラッパムの乗合馬車に偶然乗り合わせた12人の地域住民の意見が一致した場合には、彼らの判断、結論は当該地域のコミュニティ・スタンダードとして認められる」というものだと言われる。
 陪審員は12名で構成されるが、陪審員候補者の中には被告側(あるいは訴追側)に対して偏見を持っている者が含まれうるため、被告側は(訴追側も)一定数の陪審員候補者を理由なしに忌避することができる。原文の“exception”(Oxford World Classics, p.162)は「異議」とも訳すことができるが、異議は(裁判官によって)却下されることがあるのに対して、陪審員に対する「忌避」申立ては濫用に及ばないかぎり原則として無条件で認められる。水田訳『リヴァイアサン(2)』(岩波文庫、133頁)では「忌避」と訳している。

 もう1つ、この部分に出てくる“judges”を角田訳、水田訳ともに「裁判官」と訳し、角田訳では“twelve men”も「十二人の裁判官」と訳している。“(were)judged”を、角田訳は「判決を下す」と訳し、水田訳は「裁判される」と訳している。
 しかし陪審員(審理陪審)の任務は事実認定すなわち事実関係の有無に限られ、有罪無罪の「評決」は行うが、「判決」を下すのは(陪審員ではなく)裁判官である。『哲学者と法学徒との対話』をみても、ホッブズは相当な法知識をもっていたことが分かるから、ホッブズは、あえて「陪審(員)」(“jury”“juror”)という言葉を使わなかったと思う。
 したがって、この部分の“judge”を「陪審(員)」とまで訳すのは意訳にすぎるだろうが、「裁判官」と言い切ってしまうことにも疑問がある。“judges”は「判断者」、“(were)judged”は「判断される」くらいにとどめておいたほうがよいのではないか。もし『リヴァイアサン』か他の著書のどこかに、ホッブズが「陪審員」を「裁判官」ないし「裁判官の代行者」と考えていたことを示す文章があるのなら、以上はぼくの不勉強による誤りである。

 全臣民の同意に基づく主権者権力(sovereign power)の行使である司法権の中の、その一部である事実認定を、地域で選ばれた12人の素人に委ねる陪審制度はホッブズの政治理論にとってどのような位置にあるのだろうか。説明しにくいのではないか。トクヴィルはアメリカの陪審制度を民主主義の中核と理解したが、民主政に好意的ではなく、一般人民の愚昧を嘲笑するホッブズが陪審制度に好意的であったとは思えない。
 現役時代だったら、教員控室で出会った同僚の政治思想史研究者や英米法の専門家に気軽に質問できるのだが、今では独り言をいうしかない・・・。

2021年7月28日 記

 ※ 適当なっ写真がなかったので、アメリカ映画だが『12人の怒れる男たち』(ヘンリー・フォンダのではないリメイク版)のカバーを。

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軽井沢にやって来た(2021年7月28日)

2021年08月06日 | 軽井沢・千ヶ滝
 7月28日。朝10時すぎに出発して、正午すぎに軽井沢に到着。
コロナ自粛の影響か、オリンピック観戦の影響か、関越道、上信道ともにすいていた。

 軽井沢に近づくと、高速沿いの山の木々の明るい緑が青い夏空に映えていた。その夏空には真っ白な入道雲が湧いている。絵に描いたような夏もようである。
 井上陽水「少年時代」を思う。あの歌は夏の終わりを歌っているけれど・・・。

         

「パンデミック下でのオリンピックは、普通は無しである」という専門家の助言を無視してオリンピックが強行開催されている。
 IOC貴族をはじめオリンピック関係者ばかりを特別扱いしておきながら、なんでわれわれが県境を超えての移動を自粛しなければならないのかという怒りを抑えられないのだが、内心どこか後ろめたい気持ちを感じつつのドライブであった。

       

 来てみれば、軽井沢は、例年に比べればやや人出は少ないようだが、ツルヤも、星のやも、峠のそば茶屋も、かぎもとやも盛況であった。プリンス・ショッピング・モールの人出はやや少なかったか。
 ここ軽井沢では、コロナの脅威はあまり感じられない。

2021年8月4日 記

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