豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『騙し絵の牙』を見てきた

2021年03月31日 | 映画
 
 2021年3月30日、映画『騙し絵の牙』(松竹、2021年)を見てきた。
 TージョイSEIBU大泉シネマ。

 練馬区の高齢者生き生き健康券(?)というのの期限が3月31日までだったので、慌てて出かけた。65歳以上の練馬区民なら、年間映画を3本まで1000円引きで見ることができる。今回はシニア1200円のところを200円で見ることができた。
 この1年間で、『82年生れ キム・ジヨン』というのと、芦田愛菜の『星の子』を見たのだが、その後はあえて見たい映画がなくて困っていたのだが、先週末から『騙し絵の牙』が上映されることになり、出版社が舞台のドラマだというので、元編集者のぼくとしては、ようやく食指を動かされる映画に出会うことができた。

           

 舞台は、老舗の文芸書出版社の編集部。100年の歴史を誇るオーナー経営の出版社という設定だから、モデルは講談社か新潮社といったところか。先代社長の御曹司が「これたかさん」=惟高さん(?)というあたりは講談社を思わせる。
 他社の雑誌編集部から、この会社にやってきた情報誌の編集長(大泉洋)と、部下の若い編集者(松岡茉優)が主人公。松岡は、同社お抱えの作家(国村隼。モデルは誰だろう、彼かな?)の不興を買って文芸誌から情報誌の編集部に異動させられる。しかし、新人作家を見抜く眼力を大泉に認められれて活躍するのだが、やがて社内抗争に巻き込まれてゆく・・・、といったストーリー。

 出版社というか出版業界の内幕ものとしては、筒井康隆の『大いなる助走』のほうがはるかにリアリティもあって、ぼくには面白かった。編集会議における作品や作家をめぐる議論なども、『大いなる助走』に比べれば浅いが、この映画のよいところはアクションが多く、展開のテンポがよいところ。2時間弱を飽きさせなかった。
 ただし年寄りにはBGMの音楽がうるさかった。音楽といえば、ピアノの新垣隆も出ていた。ぼくはこのピアニストのキャラが好きである。「交響曲広島」騒動は売名行為かと思ったが、まったくそうではなかった。
 松岡茉優という俳優はテレビのCMでしか見たことがなく、期待もしていなかったが、まずまずの演技を見せていた。大泉洋や佐藤浩市らのエキセントリックな演技に合わせて、テンション高く青臭い役柄を演じていた。
  
     

 ぼくが月刊誌の編集者時代に毎月2、3日間、時には徹夜で出張校正に出向いた板橋、小豆沢の凸版印刷の倉庫が映っていて、懐かしかった。
 ぼくが編集者をやっていた1970年代当時は、ゲラの出るのが遅かったり、印刷所の担当者とトラぶったり、遅筆の筆者の原稿が出張校正ぎりぎりまで入らなかったりで、毎月やきもきさせられたのだが、今となれば懐かしい。
 まだ活版印刷の時代だった。植字工の人が活字を拾って組む現場を、凸版の近くの東洋印刷に見学に行ったりもした。弁当箱のような木箱に、左右逆向きの活字を一本ずつ詰めていく作業である。改行が必要になる加筆などされようものなら、改めて詰め替えなければならない。
 あまり頻繁にゲラ刷りに大幅な加筆をする筆者に、いかに作業現場が大変か知ってもらうために、印刷所に連れて行き、現場を見てもらったこともある。それでもその先生はまったく反省することなく、その後も校正刷りに加筆をしつづけた。現在ではどんなに加筆されても、パソコンで簡単に行送りができるようになったが、植字の仕事はもう廃れてしまっただろう。今でも活字で組版をやっている印刷所はあるのだろうか。
 
 松岡の実家は、武蔵小金井で高野書店という昔ながらの小さな書店を経営している。この小さな書店の娘が主人公という設定もよかった。
 ぼくは現役の教師時代、週に1日、クルマで川崎市にあるキャンパスに通っていたが、途中の京王線布田駅のすぐ西の踏切を渡らなければならなかった。今では線路は地下化されて踏切はなくなったが、当時の京王線の踏切は朝の通勤時間帯は開かずの踏切で、いつもイライラさせられた。
 ある雨の朝、その布田駅踏切の北側で、いつものように踏切待ちで停車していたときのことである。
 道路沿いに間口一軒ほどの小さな書店があったのだが、黄色のレインコートを着た2、3歳くらいの女の子が、傘をさした母親に手を引かれてやってきて、書店の店頭に置かれた「めばえ」か何かを買ってもらって、お母さんに手を引かれて雨の歩道を甲州街道の方に遠ざかって行った。開かずの踏切に苛立っていたのだが、いい光景を見たことで気持ちが和んだ。
 その後、その書店は閉店してしまい、閉じられたシャッターに閉店の挨拶が貼られたままになっていた。通るたびに寂しい思いがした。あの女の子も小学校高学年か中学生くらいになっただろう。本好きの女の子になっただろうか。今はどこで本を買っているのだろうか。

 大泉と松岡の会話の中で、出版社の近くにかつては銭湯があったと語っているシーンがあった。ぼくが務めていた信濃町(地番は左門町)の小さな出版社の近くにも銭湯があり、ゲラが出ないで待たされている夕方に、風呂に行く編集者もいた。
 あのシーンの意味は何なのだろう。松岡が銭湯があったことを覚えているエピソードが編集でカットされたのだろうか。

 ぼくが元編集者だったことを割り引いても、この映画は面白かった。
 高齢者生き生き健康券で見た3本の映画のなかでは一番良かったし、それ以外に見た「パラサイト」や、数年前に見た山田洋次の「小さなお家」や、家族を描いた最近の映画よりもよかった。
 個人的には、徹底的に「活字」にこだわり、「本」にこだわり、小さな「書店」にこだわってほしかった。出版社もあんな現代的な本社ビルをもつ会社ではなく、小津安二郎の映画に出てきそうな、小さくて古びた社屋の出版社だとよかったが、残念ながらそういう方向では描いてくれなかった。
 でも、現在の出版社はあんなことになっているのだろう。部数が何ぼ、広告料収入が何ぼ、の世界、書店ではなくamazonなどネットでの販売が主流となり、大泉のような編集者が跋扈する業界。文芸誌編集長の佐野史郎を戯画化して演出するあたりに、部数を出した情報誌の編集長側に立った脚本家、監督の立ち位置が窺える。しかし、アンアン、ノンノ、マガジンハウスあたりから始まったかつての情報誌の隆盛も、最近ではネット上での情報流通に負けて陰りがあるという。

 本が好きで、本にしか興味がなく、就職の時には迷わず出版社を選んだぼくとしては寂しい思いが残った。まだ日本の出版界にブロックバスター時代が到来する前の1980年代初頭に出版社をやめて、教師に転職したのは正解だったな、と思わせる映画だった。

    *   *   *

 T-ジョイ大泉の館内には、先日のテレ東「アド街ック天国 大泉学園」でも紹介されていた高倉健と吉永小百合の腕(+手)のブロンズ像が飾ってあった。テレビを見るまでは気づかないで素通りしていた。ハリウッドの路上にある俳優たちの手形を真似たのだろうが、ハリウッドのほうがよい。
 現地に行ったとき、ぼくはソフィア・ローレンの手形にぼくの手を合わせてみた。ソフィア・ローレンと空間を共有している気分になった。

    

 2021年3月31日 記


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山口瞳 『新入社員諸君!』

2021年03月30日 | あれこれ
 
 現役の教師時代には、卒業シーズンになると、ゼミの掲示板に山口瞳の『新入社員諸君!』(角川文庫、1973年。ぼくは1974年にサラリーマン生活を始めた)の中から、サラリーマン時代のぼくが共感を覚えた文章に、ぼく自身の感想を添えた文章を掲載して、卒業して社会人になるゼミ生への餞(「はなむけ」と打ったらこんな漢字が出てきたので使わせてもらうことにした)としてきた。

 昨年春で定年退職となったのだが、3年次の1年間だけぼくのゼミに在籍したゼミ生4名が、全員無事卒業となり、先日卒業式を迎えたので、彼ら(実は彼女ら)に向けて、例年通りのメッセージを贈ろうとした。そうしたところが、定年後の身辺整理をしていたら、山口瞳が毎年4月1日の朝日新聞のサントリーの広告として載せた、新入社員にむけた激励の文章が3枚出てきた。(1枚は成人式のようだが)。
 どれも社会人となる若者に向けたいい文章なので、ここに載せさせていただく。

 最初は、「新入社員諸君!」(掲載紙、年月日不詳だが、広告の左下に小さく “S55.4.A-SC01 製造・販売サントリー株式会社” とある。S55 。4は昭和55年4月掲載、Aは朝日新聞、Sはサントリー、Cは会社か広告ということだろうか。以下同)。まさに単行本の書名にもなったもの。

            

 次は「正直貧乏」(“ 製造・販売サントリー株式会社S.58.1 EASC22” 。サントリー・オールドの写真の下に「成人おめでとう」とあるから、昭和58年1月か)。

            

 最後は、「大いなる羨望と大いなる期待。」(昭和62年4月1日、掲載紙は不明だが、当時はおそらく朝日新聞を取っていたから朝日だろう。)

                         

 最後のは文字が小さくなってしまい、読みにくいかもしれないが、要約すると、「人生は積み重ねである・・・新入社員諸君も地道に努力を積み重ねていくしかない、きっと誰かが見ていて、認めてくれるはずだ」といった趣旨が書いてある。
 がんばれ、卒業生たち!

 2021年3月24日 記


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大熊信行『家庭論』(新樹社)

2021年03月27日 | 本と雑誌
 
 大熊信行『家庭論』(新樹社、1963年)を読んだ。

 森本和夫『家庭無用論』(三一新書)が、この本をマルクス主義家族論の立場から批判していたので、理論的な内容かと思っていたが、婦人雑誌などに寄稿した結婚や家庭に関する時論を集めたものだった。それだけ読みやすかったが、重複も多い。掲載誌は「婦人公論」が多いが、「泉」という雑誌に掲載されたものもある。「泉」は日本女子大が出している総合誌だという。1950年代後半から60年代初めは、女子大が総合雑誌を刊行する時代だったのだ。
 全体は、「結婚ということ」、「母の像・父の像」、「家庭とは何か」、「主婦中心の思想」、「家庭の経営」、「夫婦と子供たち」、「第二結婚論その他」の7章に分かれ、結婚と家族について論じている。

 大熊によれば、人が結婚するのは、性生活を平穏に持続的に低廉に(対価なしに)成し遂げるためであり、「家庭生活が・・・人生の幸福の場である」からである(29頁)。
 結婚と家族の関係を明言した個所はなかった(ように思う)が、結婚によって子をもうけた夫婦は共同して子どもを育てることになるから、夫婦とその間の子どもによって形成されるのが「家族」ということだろう。

 家族は、以前は祭祀の単位であり、政治の単位であり、経済の単位であり、教育の単位であったが、これらの機能は次第に外部化され、現在では家族は辛うじて「消費」の単位としてのみ機能しているという議論を彼は批判する(87頁)。
 大熊によれば、家族は古来から現在まで、子を産み、子を育てるという機能を有することに変わりはない、人間の生命の再生産こそが家族の機能であるという(32頁、101頁~)。生殖(“ reproduction ”)には「再生産」の意味もある。人間の生殖は、たんに子を産み落とすだけでなく、その子を哺育、養育、教育する過程も含めて、「生殖」=「個体としての人間の再生産」=「人間そのもの再生産」の過程である(101頁)。そして人間の労働力の更新、栄養と休養をとって一日の疲労から活力を回復する「労働力の再生産」=「成熟した人間の生命力の日々の再生産」の過程も含めて、人間の再生産を担うのが家族である(102、144頁)。

 この家族を貫くのは「共同原則」ないし「共産原則」(能力に応じて働き、必要に応じて得る)であり、これに対して国家は「強制の原理」によって規律される。国家は競争の極限である戦争によって象徴され、それは(核戦争の時代にあっては)「死」によって象徴される「男性」原理が支配するのに対して、家族は平和の象徴であり、「生」によって象徴される「女性」原理が支配する世界である。
 家族は国家に対峙して、個人を守る働きを有する(343頁)。イギリスの俳優アレックス・ギネスが「タイム・ライフ」誌の表紙のために自宅を訪問した挿絵画家を門前払いしたというエピソードを、大熊は国家に対するする砦としての家族(家)の実例として紹介する(84頁)。ギネスは、あの「ドクトル・ジバゴ」でジバゴの兄を演じた俳優だが、アカデミー主演男優賞を受賞した「戦場にかける橋」以来、1本2億5000万円以上(当時)の出演料を得る大俳優だったが、ハンプシャーのさりげない家に住んでいたという。

 平穏かつ継続的な性行為、そして生殖が結婚の目的であり、夫婦による生まれた子の哺育、教育が家族の機能だという大熊の議論は、自説を因習的な結婚観とは違うと強調する大熊自身は認めないだろうが、当時の一般的な(あえて言えば伝統的、因習的な)婚姻観に合致するものである。家族法の世界では「婚姻」の意思とは、「真に社会観念上夫婦と認められる関係の設定を欲する」意思とされるが、当時の「社会観念」では、まさに生殖を目的として、夫婦が同居、協力して子育てをする、永続的な男女の結合を「夫婦」と見ていただろう。
 しかし今日では、このような生殖ないし性愛指向的な結婚観には批判があるだろう。そもそも昭和30年ころからすでに多くの批判があった。「主婦」の役割肯定論なども、本人の主観的意図としては、現に「主婦」の地位にとどまらざるを得ない当時の日本の多くの女性を擁護する目的だったのだろうが、現状肯定的に過ぎるものとして批判されるだろう。

 大熊の諸々の主張、提案の中で、ぼくが最も面白いと思ったのは、彼の「第二結婚論」の主張であった(随所で繰り返し出てくるが、例えば346頁以下など)。
 彼によれば、結婚は本来は上記のような生殖(子育てを含む)を目的とした、永続的な男女の結合であり、当然同居を前提とする。このような結婚を彼は「第一結婚」と呼び、これに対して、生殖を目的としない(さらに言えば生殖を行わない)、持続性のない(1、2年で終焉することもある)、同居も前提としない(非同居の)結婚もあり得るとして、そのような結婚を「第二結婚」と命名する(346~358頁)。
 このような「第二結婚」が可能になったのは、科学的な避妊法の確立によって「生殖なき性」が可能となり、それが新しい性道徳を生んだためであり、さらに東京などの都会では安アパートが出現して、非同居でも性行為が可能になったためであるという(婉曲に書いているがそういうことだと思う)。小津安二郎の「東京暮色」に出てきた安アパート、そこでのヒロイン(有馬稲子)の妊娠、中絶が思い浮かぶ。
 ここで大熊は、レオン・ブルム、リンゼイ判事、バートランド・ラッセルを援用し、彼らへの支持を表明する(346~9頁)。「第二結婚」を選択するものとしては、編集者、記者、医師、法律家、芸術家などの職業に従事する女性が想定されている。
 
 大熊の結婚論に示された第一結婚、第二結婚と、わが民法が規定する「法的」婚姻との関係は明確ではないが、第一結婚はもちろん、第二結婚も「法的」婚姻に含まれる場合があるように読める(354頁ほか)。生殖を前提として夫婦が共同で(当然同居して)子を養育する「第一結婚」が民法上の「婚姻」に該当することはもちろんだが、婚姻期間に終期があり(有期)、同居も要求しない(非同居)「第二結婚」を民法上の「婚姻」とすることは、現在の判例、学説では無理だと思う。

 しかし、ぼくは個人的には、可能な限り多様な結合形態の男女に(本人が希望するなら)民法の婚姻を利用することを認めるべきであり、対等な両当事者が契約によって婚姻の具体的内容を決めることを許容すべきだと考えている。
 民法が規定する婚姻の効果を、当事者間の同意によってどこまで変更してよいか(任意規定と強行規定の境界)については議論があるが、本当に対等な当事者であれば(その認定は難しいが)、かなり広く契約に委ねてよいと思っている。同居義務や婚姻費用の分担義務、離婚時の財産分与義務の解除や、死亡時の配偶者相続権の放棄も認めてよいと思う。民法の規定よりもっと個人主義的に、夫婦の独立を尊重した関係を希望する夫婦は少なくないと思う。逆に、夫婦間の経済的格差を前提にした、雇用契約に近いビジネスライクな夫婦契約もあり得るだろう(後述の石垣綾子「主婦=第二職業論」は読んでいないが、そのような主張か?)。問題は本人の自由意思をどのように確保、確認するかである。
 最終的に、夫婦間の契約によって解除、放棄できないのは子育て、子の養育に関する義務だけでよい。
 
 大熊が主張した「第二結婚」は、最近言われるようになった多様な男女結合形態の平等な保護(=「婚姻」制度の利用を認める)の先駆的な意見と見ることもできる。

 その他、印象に残ったことをオムニバス的にいくつか。
 昭和36年の「週刊新潮」創刊号が「家族」を特集していたなど、戦後の家族論はジャーナリズムが先導していたことの指摘(65頁~)、谷川俊太郎が20歳代に親の責任の重さを歌った詩を書いていたこと(328頁)、石垣綾子の「主婦=第二職業論」論をめぐる論争、奥むめおによる「主婦会館」1億2千万円の建立と「主婦連」(懐かしい!)のエピソード(162頁)、大宅壮一の亭主関白ぶりを娘が批判したことや、清水幾太郎の娘、中野好夫の息子のエピソードなど、いずれもぼくらの世代には懐かしい名前やエピソードもたくさん登場する。

   *   *   *

             

 おまけに昨日、散歩の折に見かけた桜の写真を1枚。
 石神井公園駅と大泉学園駅の中間あたりにある練馬区の女性参画センター(?)の庭の桜である。保育園も併設されており、多少は大熊『家庭論』と縁がなくもない。

 2021年3月27日 記


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卒業式――千鳥ヶ淵の桜(2021年3月22日)

2021年03月22日 | 東京を歩く
 卒業式。
 去年の3月まで1年間だけ、ぼくのゼミに在籍していた最後のゼミ生4名が巣立っていくので、お別れに行ってきた。例年は退職教員も招待されるのだが、今年は招待されなかった。しかし、断固、「招かれざる客」として押しかけた。

            

 会場の武道館は改装されて、屋根や屋根の上の玉ねぎ(!)や外壁がきれいになっていた。去年は改修工事とコロナ禍のため卒業式は中止になってしまったが、今年は緊急事態宣言も解除され、無事執り行うことができた。
 日は射したり曇ったりで、日が陰ると風がやや冷たかったが、昨日の雨風を思えば、一日違いで幸運だった。

            

 千鳥ヶ淵の桜は八分咲きの印象だったが、夜のニュースでは、気象庁が東京の桜満開宣言をしたと言っていた。東京の桜の標本木は靖国神社の桜だから、千鳥ヶ淵もあれで満開なのかもしれない。
 さすがに花見客はまばらだった。テレビのニュースによれば、目黒川は花見客でとんでもないことになっていたようだが、千鳥ヶ淵は自制されていた。

            

 正午前に式が終わり、ゼミ生たちが出てくる。全員で集合写真を撮ってから、九段下に降りて、現役時代に行きつけだった中華料理屋で昼食を一緒にする。最後のランチだろう。この店では、卒業式の日に卒業生を連れて行くと、デザートの杏仁豆腐を「祝」「卒」「業」の文字で飾ってくれる。これも今年で見納めになる。

            

 21年前にこの大学に異動した際に、新入教員の歓迎会を開いてもらったのもこの店だったし、定年退職を控えた去年の3月のぼくの誕生日に、研究室の片づけを手伝いに来てくれた息子たちとささやかな誕生祝いをかねて、食事をしたのもこの店だった。

            

 最後の写真は、九段坂上の燈台と大村益次郎像(?)。
 前にも書いたが、西山松之助さんの『江戸文化誌』によれば、かつてはこの近くまでが江戸湾で、航行する船のためにこの地に燈台が建てられたという。そして幕末の上野戦争の際には、ここ九段の砲台から大村の指揮のもと上野の彰義隊に向けて砲撃が行われたという。

            

 おまけに、いつだったかのテレビに映っていた武道館の写真も。外壁や屋根や玉ねぎが綺麗になっていることは確認できないけれど・・・。

 2021年3月22日 記

 追記(3月28日) 大村益次郎像というのは間違いで、品川弥二郎像だった。奥の馬に乗った人物は大山巌だそうだ。


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モーム『作家の手帳』(新潮社)

2021年03月20日 | サマセット・モーム
 
 久しぶりに、サマセット・モームのネタを。
 モーム『作家の手帳』(新潮文庫、1974年4月5刷)をパラパラと読んだ。
 かれの70歳の誕生日の雑感が記されていた。1944年1月25日の日記である。
 ちなみに、この本は今から20年近く前に水道橋駅前の古本屋の店頭で100円均一で見つけて買った。丸沼書店の隣りの日本文学専門の店だった。かなり傷んでいるが、この絶版本を古本屋で見たことはその一回だけである。
 2007年5月27日に読み終えたようだ。日付けとともに、「天才を探して・・・」という鉛筆書きのメモがある。何を探していたというのだろうか。

 モームは、「老年になるのを考えると恐ろしくなる」という娘ライザに向かって、以前はこんな風に答えていた。
 「老年には老年のつぐない(「埋め合わせ」くらいの意味か。“compensation”では)がある。・・・つまり、自分がやりたくないと思うことは、やらなくてもすむようになる。・・・自分の身につまされるようなことのなくなった事件の経過を観察していて、十分たのしめるものだよ。たとえ自分の喜びはなまなましい(「生き生きとした」か。“vivid”では)ものではなくなるにせよ、同時に悲しみも、刺すような痛みではなくなるからね」、と(504頁)。
 しかし、70歳になったときには考えが変わったという。
 モームは老年最大の利益は「魂の自由」である、それは、「人が盛りの時代には重大に考えることがらにたいして、ある無関心さをもつようになることから生じるものだと思う。・・・羨望、憎悪、悪意から解放されることである」という(同所)。 

 きょうは、ぼくの誕生日である。
 残念ながら、ぼくは今のところ70歳のモームの境地には達していない。若いころに比べれば、穏やかになったかもしれないが、羨望もあれば、憎悪も悪意も消えない。
 おそらく、死ぬまでこれらから解放されることはないような気がする。しかし、他方で、モームと違って、生き生きとした喜びはまだ感じることができているような気がする。

 モームの諦念は70歳という年齢の故ではなく、長年執事として(?)彼に連れ添ってきた20歳も年齢の若いパートナーを亡くしたためだったのではないかと思う。訳者の解説で知ったことだが。
 ただし、70歳を過ぎてからも、なお長編を2、3本(『昔も今も』と『カタリーナ』、さらに『世界の十大小説』ほか)を書き上げたというモームの創作意欲と筆力の旺盛さには感心する。世事に対して無関心と言いながら、よくもそんなに書けるものだと思う。

 裏表紙に、訳者の中村佐喜子さんの死亡記事(読売新聞1999年10月14日)が挟んであった。「赤毛のアン」を翻訳という見出しで、その月の10日に89歳で亡くなったとある。

 2021年3月20日 記

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桜、咲く

2021年03月16日 | 東京を歩く
 
 今日の昼前、父母、祖父母の墓参りに行ってきた。
 彼岸の入りは明日らしいが、お彼岸に入ると道路も墓地も混雑するので、今日のうちに行くことにした。

                      

 生前の母親が毎年楽しみにしていた多磨霊園の桜はまだ咲いていなかった。
 帰り道で通った武蔵野市役所前の通り(市役所通り?)の桜もいま一息だった。
 この通りは現役時代は週に1回クルマで通り、毎春の桜のつぼみ、開花、満開、散り際、葉桜、そして冬枯れ・・・を眺めては季節の移り変わりを感じていた。市役所通りでは桜が開花する直前になると、道路の両側に植えられた桜並木のアーチがうっすらと桜色を帯びてくるのだが、まさにその状態だった。
 明日、明後日には開花するのではないだろうか。

                     

 武蔵関駅と西武柳沢駅の間にある西武新宿線の踏切の両脇、川岸の桜は、すでに開花していた。1分咲きといったところか(冒頭の写真)。
 今年初めての桜である。
 道路を挟んだ反対側の川沿いの桜は、もう一息だった(上の写真)。

           

 おまけに、きのうの散歩のときに撮った近所の公園のこぶし(?)も、春らしい風景だったのでアップしておく。

 2021年3月16日 記


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岡田尊司『母という病』(ポプラ新書)

2021年03月15日 | 本と雑誌
 
 最初に質問を。以下の人々の共通点は何でしょうか?
 ジョン・レノン、ユトリロ、ジェーン・フォンダ、岡本かの子、ヨーコ・オノ、小川真由美、ジョージ・ガーシュイン、ショーペンハウエル、ヘルマン・ヘッセ、与謝野晶子、マルグリット・デュラス、宮崎駿、曽野綾子・・・。
 答えは、表題から想像がついてしまうだろうが、本書によれば、これらの人はいずれも「母という病」の被害者ないし加害者だったという。
 
 岡田尊司『母という病』(ポプラ新書、2014年)を読んだ。
 読みかけのまま数年間ほってあったのだが、気になっていたので、きょう通読した。
 幼少期の母子愛着(アタッチメント)の形成に失敗した母子関係、とくに子どもがその後どのような困難を背負うことになるかを説いた本である。
 胎児期、周産期から3歳くらいまでの間に、母親(母親的役割を担う人でもよい)から母性的な愛情を受けて、基本的安心感を獲得した子はその後も順調に成長し、円滑な人間関係を形成するのに対して、これを受けることができずに基本的安心感の獲得に失敗した子は、その後の人生において多くの困難に逢着する、という。
 
 その実例が、上記の人々の自叙伝、伝記などを通して紹介される。いずれも、かなり悲惨な人生を歩んでいる。これを読んだら、「十二人の怒れる男」のヘンリー・フォンダにもがっかりさせられる。他方で、岡本太郎は大へんな大人物に思えてくる。
 岡田の本は最終章で「母という病」の克服法を提案しているが、理解ある人や職場に出会うか(ヘルマン・ヘッセら)、子の側に天賦の才能があるか(岡本太郎、宮崎駿ら)でもない限り、本書で取り上げられたような人でも、「克服」は相当困難であるという印象をもった。後で紹介する加藤尚武の本はもっと悲観的である。

 「1歳未満から子どもを保育所に預ける場合、その後の母子関係や子どもの発達に影響が出る場合があることが知られている」という一節があるが(226頁)、本当だとしたら、そうせざるを得ない母親はどうしたらよいのだろうか。
 ぼくは、昼間の暖かい日ざしを浴びながら、保母さんが押す(子連れ狼のような)箱車に乗せられて保母さんと一緒に散歩(日光浴?)している1~2歳の保育園児に出会うと、ほのぼのとした気持ちになるのだが。

            

 ところで、教師時代のぼくは、1年生向けの基礎文献講読で、何回か加藤尚武『子育ての倫理学』(丸善ライブラリー、2000年)をテキストに使ったことがある。
 内容はほぼ岡田の本に重なる。人間の人格形成には先天的な要因と後天的な要因のほかに、第3の要因として後天的ではあるが3歳までに働きかけなければそれ以降に修復することが不可能な要因がある、という。この第3の要因こそ、母子愛着による基本的安心感の形成である。
 加藤の本では、ボウルビイ(『母子関係入門』星和書店、1981年)が援用されていたが、岡田の本には出てこない。基本的安心感の形成は、ぼくは河合隼雄『大人になることのむずかしさ』(岩波書店、1983年)で学んだ。

                           

            

 ぼくの基礎文献講読に出席した受講生の多くは、加藤の本で学んだ母子愛着の議論に深く共感するものが多かった。3年生になってぼくのゼミに入ってきて、母子愛着をゼミ論のテーマに選んだ女子ゼミ生もいた。女子学生の社会進出の心理的な妨げになっていなければよいと思うが、それでも学生時代に考えておいてほしいテーマだと思う。

 2021年3月15日 記
 

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きょうの軽井沢(2021年3月14日)

2021年03月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きょうの軽井沢。
 冒頭の写真は、気象庁のHPに載っていた現在の浅間山(鬼押出し)。
 
 以下は、長野県道路事務所のHPから、きょうの軽井沢。

        

 最初は、軽井沢町役場前の国道18号(17号だったか?)。
 東京と同じで、天気は良さそうだが、日曜日にしては道路を通る車は少ない。閑散としている。

        

 次は鳥井原東交差点の近く。
 しまむらの駐車場にはけっこう車が止まっているが、道路上の車の往来は少ない感じ。

        

 次いで、峰の茶屋の五差路の写真。道路脇にはまだ雪が残っている。

        

 最後は南軽井沢交差点。
 気温7・7℃、路面温度9・3℃と表示されている。

 2021年3月14日 記


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宇野重規『民主主義とは何か』(講談社)

2021年03月13日 | 本と雑誌
 
 宇野重規『民主主義とは何か』(講談社、2020年)を読んだ。

 日本学術会議会員の任命を菅首相が拒否した事件をきっかけに、宇野さんという人がどのような主張をした人で、何が理由で「総合的、俯瞰的に」学術会議会員として不適切と判断されたのかを知りたくて、彼の本を読んでいる。
 『民主主義のつくり方』に次いで、この本が2冊目。前の著書と同じく、古代ギリシアからヨーロッパ、アメリカを経て、日本の民主主義の歴史をたどるのだが、前書と同様ぼくにはこの本を要約する能力はない。以下は取りとめのない感想文。

 「民主主義」についての教科書を目ざした本書は、冒頭で読者に対して3つの設問を出題する。いずれも相対する2つの命題のどちらが正しいかを問うものである。
 A 「(1) 民主主義とは多数決だ、より多くの人が賛成したのだから、反対した人も従ってもらう必要がある」VS「(2) 民主主義の下、すべての人間は平等だ。多数決によって抑圧されないように、少数派の意見を尊重しなければならない」
 B 「(1) 民主主義国家とは、公正な選挙が行われている国を意味する。選挙を通じて国民の代表者を選ぶのが民主主義だ」VS「(2) 民主主義とは、自分たちの社会の課題を自分たち自身で解決していくことだ。選挙だけが民主主義ではない」
 C 「(1) 民主主義とは国の制度のことだ。国民が主権者であり、その国民の意思を適切に反映させる仕組みが民主主義だ」VS「(2) 民主主義とは理念だ。平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない過程が民主主義だ」(4~6頁)

 著者は、すべての問いに、「(1)だけれど、(2)でもある」という答えを用意しているようだが(244頁~)、その調整の議論の中で、つねに民主主義に対しては批判が伴ってきたことを紹介する。Aに関しては、古代ギリシアで、プラトンが多数決に反対して哲人政治を唱え、近代ではミルやトクヴィルが「多数者の圧政」に 対して少数者の自由の尊重を唱えた。
 Bに関しては、普通選挙は重要ではあるが、投票だけでなく当事者意識を持って参加することや、強大化した執行権を抑制するための監視が重要であること、そして、Cに関しても、民主主義は制度であるにとどまらず、私たちの生活を律する理念(永久革命)でもあることを指摘する。
 アメリカ建国の父たちの間では多数の貧民たちの力で議会が強大化することへの危惧が強かったこと(104頁)、ミルの「代議制」論では一人一票ではなく能力に応じて複数投票(一人複数投票)を提案していたこと(165頁)、ウェーバーの議会に優越する大統領論(178頁)、シュミットの「民主的独裁論」(187頁)、シュンペーターの「エリート民主主義論」(195頁)など、不勉強なぼくは知らない議論が多かった。ウエーバーが100年前のスペイン風邪で死んだなどというトリビアな知識も得た。

 それにしても、政治思想の歴史の中で「民主主義」がこんなに不評だったことは衝撃的だった。それほどに、ぼくは「民主主義」を信じてきた。
 「民主主義」や多数決の胡散くささは百も承知である。一生懸命熟考して投票しても一票、何も考えずに投票した人も一票、それどころか接待疑惑の政治家でも、臨時給付金を不正に受給した輩でも一票というのは不愉快ではあるし、衆議院議員の定数はせいぜい300人で十分だと思うが、それでも少なくとも戦後日本の国政選挙を見れば、結果的にはそれぞれの時代の平均的な人々の意向は反映されてきた、とぼくは思う。ぼくは多数決を疑う気にはなれないし(ミルの複数投票制も気持ちは分かるが、誰に2票与えるかの基準はないだろう)、多くの同時代の人たちの間で「心の習慣」としてのデモクラシーはそれなりに定着していると信じている。
 ただし、戦後日本の「自由主義」の状況については強い危機感を抱き続けてきた。少数者の権利、自由に対して、立法権、司法権だけでなく、日本社会はあまりにも狭量である。
 
 個人的には、宇野氏の「民主主義」の立場からの、現代日本政治の分析を読みたいと思う。
 民主主義と自由主義、民主主義と共和政、政党とその他の結社、代表制と代議制、立法への参加と執行権の監視、、民主主義とポピュリズム、民主主義と個人主義=個人の孤独(孤独担当相!)、大正デモクラシーと戦後民主主義の対比など、この本で紹介された政治思想の検討からは、現代日本の政治に対してどのような評価と対処法が示されるのだろうか。
 「民主主義」とは、「普通の人々が力をもち、その声が政治に反映されること、・・・そのための具体的な制度や実践」を意味し、むしろ「民主力」というべきものである(36頁)。そして、「政治」とは、「公共の場所において、人々が言葉を交わし、多様な議論を批判的に検討した上で決定を行なう」という宇野氏の定義からは(48-9頁)、現代日本の政治に処方できるクスリはあるのだろうか。
 戦争と民主主義の関係についても、古代ギリシアにおけるマラトンの戦いから(61頁)、南北戦争を経て(ゲティスバーグの演説は南北戦争の戦死者を悼むための演説だったという。頁数失念)、第2次世界大戦における総力戦(女性の戦争協力によって戦後女性参政権が拡大した)に至るまで(230頁)、戦争への参加が人々の平準化を促進し、民主主義を発展させたという。現代の戦争と民主主義についてもぜひ聞きたいところである。
 
 読書のきっかけになった学術会議任命拒否であるが、著書を2冊読んだ限りだが、結論的にいえば、総理本人が認めたように総理は彼の業績など読んだこともなく、秘書官か誰だかのご注進通りに、安保法制反対の署名の発起人に名を連ねたのが気に入らないというだけの理由で任命を拒否したという世評が妥当なところだろう。 
 
 2021年3月13日 記


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富永茂樹『トクヴィル』(岩波新書)

2021年03月07日 | 本と雑誌
 
 富永茂樹『トクヴィルーー現代へのまなざし』(岩波新書、2010年)を読んだ。

 宇野重規『民主主義のつくり方』(筑摩選書)を読んで、宇野のトクヴィルに関する本も読もうと思ったのだが、以前買ったまま放置してあったこの本を見つけたので、まずこちらから読むことにした。

 トクヴィルは、フランス革命と旧体制(アンシャン・レジーム)との連続性を論じた思想家(政治家、外交官、社会学者?)である。彼は19世紀初めのアメリカ合衆国を訪問して、アメリカ、とくにその西部で実現した「平等化」を「アメリカのデモクラシー」の特徴と考える。
 しかし、その平等化は、じつはフランス革命前の絶対王政の時代に胚胎していたものであり、アメリカで実現したような徹底した平等化は、かえって人々の間に嫉妬をうむと言う。つまり、人々が平等に近づくほど、人は小さな差異(=不平等)にも納得することができずに、他人に対して嫉妬心を抱くようになると言うのだ。

 この指摘にぼくは得心した。広大な地所を所有する大貴族や、資産数兆円の大資産家には嫉妬心も芽生えないが、隣りのちょっとした金持ちに対してのほうが妬ましい気持ちが生ずるのは人情だろう。
 ただし、フランス革命は、その「断絶」の側面(『革命』=自由への愛、平等への愛)が重要だが、それ以前の社会と完全に断絶されたものでないことは、憲法の歴史に関する講義や教科書のなかで教えられ。フランス革命などの市民革命によってもたらされた自由で平等な市民(近代的個人)の誕生は、市民革命に先行した宗教改革による(教会や神父などのヒエラルキーを排除した)神の前における信者の平等、絶対王政のもとでの(同業組合など中間権力を排除した)臣民の平等によって準備されたものである、と。

 この本の著者が一番言いたいことは、トクヴィルの指摘した様々な「連続性」のうち、トクヴィルが学生時代から晩年まで生涯にわたって持ちつづけた「奇妙な憂鬱」が、ロンドン時代の夏目漱石などを通して、現代人にまで受けつがれているということのようである。本書の帯にはそのような宣伝文句が書いてある。だが、ぼくは能天気なせいか、あまり憂鬱感がないので、ぴんと来なかった。トクヴィルの近眼のエピソードから始まる導入部も、(著者は象徴的な意味をもたせたかったのだろうが)つまずかされた。
 トクヴィルから学ぶべきことは、以下に掲げる井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治』(講談社学術文庫)の巻末の井伊氏の解説でほぼ納得できるのだが、改めて宇野重規『民主主義とは何か』(中公新書)で、宇野氏の捉え方も読んだうえで再考することにしたい。

  

 上の写真は、トクヴィル/井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治』(講談社学術文庫、上・下=1972年、下=1987年)。下巻が2冊あるが、最初の(1972年版の)「下巻」は実は「中巻」にあたるもので、上巻とこの下巻に原書の第1編が、2度目の(1987年版の)「下巻」に原書の第2編が入っている。
 モンテスキュー『法の精神』と同様、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』も、各章の題名がかなり詳細で、その章の内容が要約されているので、興味のある章だけをつまみ読みした形跡が残っている。時間があるので、今度はきちんと全部読むことにしよう。
 井伊訳の他に、研究社叢書の『アメリカのデモクラシー』も持っていたのだが、退職時に若いアメリカ政治研究者にあげてしまった。薄い本だったから原書の要約版だろう。岩永健吉郎、松本礼二共訳だったようだが、この両氏による要約版のほうが論旨が明確で分かりやすかったかもしれない。あげなければよかったかも。 

 2021年3月7日 記


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“ Spring has come ! ”

2021年03月04日 | 東京を歩く
 
 石神井公園の近くを散歩してきた。

 光は穏やかで、暖かく、風もない。
 あちらこちらの公園に白梅、紅梅が咲いていて、春の訪れが感じられた。

            

 武蔵野市役所通りの桜も、つぼみがうっすら桜色になり始めているのではないか。行くことはできないけれど。

 中学校の2年か3年のときの英語の教科書の扉に、イギリスの春の田園風景の写真に、“ Spring has come ! ”というキャプションがついていた。国語の教科書の扉写真には「水ぬるむ」というキャプションがついていた。そして、その頃定期購読していた旺文社の「中学時代3年生」4月号の巻末に付いていた「今月の歌」はクリフ・リチャードの「素敵な新学期」だった。

 2021年3月4日 記

 翌3月5日の散歩の写真も追加した。あいにくの曇り空だった。
 1枚目の木は、花びらはサクラのようだが、桃かもしれない。ぼくはチューリップとひまわり以外の草木の名前はほとんどわからないのだが、この木の花びらは日本大学の校章のような形をしてた。
 2枚目の写真は、ぼくがいなくなるのを待っているかのように、離れた木の枝に止ってぼくを見ていたウグイス(?)。ウグイスにはまだ早いか。
 3枚目は、また別の公園で。

          

          

          

 2021年3月5日 追加

 こんな花びらです。

        

 2021年3月9日 記

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