今年も知っている人、たくさん著書を読んだ人が亡くなった。
一番よく読んだ人は鶴見俊輔だろう。
10代の終わりから20代の一時期、ぼくは鶴見さんの本をずい分読んだ。
理由の第一は、彼が“べ平連”の支援者だったからだと思う。ぼくは人を色分けする。あの当時は“べ平連”の側にいる人の本は読んだ。
鶴見さんの本の中では「アメリカもの」(そんなジャンルがあるとすれば)が好きだった。
「アメリカ」ものでは、同じ名前の亀井俊介さんの本もよく読んだ。庄野潤三の「ガンビア」ものも最初は好きだったが、3作目あたりで「ガンビアはもうたくさん・・・」と言う気分になった。
小さいころから、アメリカのホームドラマ番組の影響も受けたし、映画も1964年の“エデンの東”で開眼した(?)。“アメリカン・グラフィティー”も大好きである。
はじめて行ったサンフランシスコの風景に心を奪われ、ケーブルカーのブレーキ音がいつまでも耳に残った。
それでも、ぼくはどうしてもアメリカにはなじめなかった。
愛川欽也の影響も受けた。
ぼくは、一応、授業が面白いと学生に言われている。
自分で思い当たる節があるとすれば、中学、高校生の頃、せっせと聞いたラジオで、愛川欽也、野沢那智、土井まさるなどのDJ、古今亭志ん朝、柳亭痴楽などの噺家の語り口から強い影響を受けたことが原点ではないかと思う。
もともと、幼少のころからお喋りではあったらしいのだが・・・。
でも、今年亡くなった人で、ぼくが一番寂しかったのは、野坂昭如だった。
彼の本をたくさん読んだわけではない。それどころか、ほとんど読んでいない。
「火垂るの墓」と「アメリカひじき」が合本になった新潮文庫か文春文庫を読んだだけだと思う。
あとは、あちこちで読んだエッセイや、テレビでの言動しか知らない。
それでも、訃報に接したとき、「野坂昭如が死でしまったか・・・」という寂寞を感じた。
なぜかは分からない。
きっとあの妹さんと再会したことだろう。
ぼくは“火垂るの墓”が忘れられない。あれが戦争だろう。今でも世界のあちらこちらであのようなことが起きているだろう。
世界中のあちこちで“火垂るの墓”が建てられているのだろう。
ジブリの映画で、あれ以上の作品に出会うこともないだろう。
この夏、女房と草津白根をドライブした折に、草津の道の駅の売店で、なぜか“火垂るの墓”のイラストの入ったサクマ式ドロップの缶入りを売っていた。
つい買ってしまった。
今年最後の書き込みは野坂昭如とドロップの缶にしようと思う。
2015/12/30 記
追記
野坂昭如といえば、テレビに出ている芸能レポーターの「ボキャブラリーが貧困である」と批判して、野坂自身が芸能レポーターをやったことがあった。
“かぐや姫”が映画化された際に、ヒロイン役の沢口靖子にインタビューしていた。
野坂が、「あなたは、かぐや姫が売春婦であることを理解したうえで演技していますか?」よ尋ねていた。
沢口が「私はそう思いませんけれど…」と答えていた。
かぐや姫が売春婦だったのかどうかは知らないが、沢口の困ったような答え方が印象的で好感が持てた。