豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢スケートセンター行きスケートバス 断捨離の途上で(5)

2019年02月27日 | 軽井沢・千ヶ滝

 その昔、池袋からバスに乗って、軽井沢スケートセンターにスケートに行ったことがある。

 チケットから昭和41年(1966年)2月12日だったことが分かる。
 料金は平日日帰りコースは(往復バス・入場料とも)950円、1泊コースは(同)2400円とある。

                

 パンフレットを見ると、宿泊は観翠楼だったようだ(パンフには“ホテル観翠”とあるが)。当時は軽井沢スケートセンターには宿泊施設はなかったらしい。
 観翠楼は、国道126号(?)を鬼押し出し方面へ少し上った左手にあった。

 パンフによると、軽井沢スケートセンターは、1963年2月に世界スピードスケート選手権が開催され、驚異的な世界記録が多数生まれた400Mリンクのほか、4つのリンクと25万燭光の夜間照明、大駐車場を備えると書いてある。
 400メートルリンク(ボート池)の南西側に、優勝したソ連(当時)選手の滑走姿のブロンズ像が立っていたはずである。今もあるのだろうか。

         

 大駐車場の写真も、以前このコラムにアップした記憶がある。

 ちなみに、このコラムの第1回“軽井沢 獅子岩”につけた培風館・山本山荘の写真は、このバス旅行の際に立ち寄って撮影したものである。


 2019/2/27 記

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軽井沢スケートセンター・真夏の夜の夢 断捨離の途上で(4)

2019年02月26日 | 軽井沢・千ヶ滝

 きょうは、昭和30年代の夏の軽井沢の思い出から。

 昭和30年代の、夏の軽井沢恒例の催し物の1つに、軽井沢スケートセンターのボート乗り場に作られた仮設ステージで開かれる“真夏の夜の夢”があった。

 シェークスピアを野外舞台で演じるわけではなく、名前だけ借用した渡辺プロ主催の歌謡ショーである。

 ハナ肇とクレージーキャッツを中心に、ザ・ピーナツ、伊東ゆかり、園まり、その他の渡辺プロ所属のタレントたちが登場した。
 プログラムを見ると、内田裕也まで出演していたらしいが、まったく記憶にない。

 以前にもこのコラムに書き込んだが、最初のうちは入場無料のうえに、当時はまだ珍しかったコカコーラを1本ただでくれた。子どもだったぼくには、苦くてまずくて吐き出した。

 今回の断捨離で出てきたのは、第3回と第5回のチケットと、第5回のプログラム。何年の開催かは記載がないが、昭和37年から39年くらいではないか。

          

 第3回は、8月11日(日)夜7:30開演(雨天の場合は屋内特別ステージ)とある。指定席B席で500円。
 クレージーキャッツ、三人娘、ブルージーンズ(内田裕也 ほりまさゆき)などに交じって世志凡太まで出ていたらしい。演奏はスマイリー小原とスカイライナーズで、中村八大が特別出演とある。

 第5回は、8月8日(日)7時開演、花火9時40分。入場料はA席だが1000円になっている。司会は何と高橋圭三だったらしい。
“ジャズと花火の祭典”と銘うっただけに、歌の合間に花火があり、スマイリー小原の“蛍の光”でフィナーレだったらしい。
 中尾ミエが“アイドルを探せ”なんかを歌っているから、昭和39年以降だろう。

 この催しに行った記憶はあるが、これら歌手たちの記憶はまったくない。この何年か後には絶頂期のタイガースなどもやって来た。
 ただ1つ、ザ・ピーナツがスケートセンターの階段上から楽屋入りするところに偶然出くわしたことを覚えている。


 2019/2/26 記

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サンフランシスコ 断捨離の途上で(3)

2019年02月25日 | あれこれ

 断捨離の掘り出し物シリーズ(?)、第3回。はサンフランシスコ関係。

 と言っても、サンフランシスコに住んだことがあるわけでもない。
 1978年5月7日から、アメリカ西海岸に新婚旅行に出かけ、サンフランシスコに2泊しただけで、すっかり気に入ってしまった。
 まさに“I left my heart in San Francisco”♪ である。

 しかし、ここにアップするのは、その時のサンフランシスコの思い出ではない。

       

 1つはNHKラジオ英語会話の1988年8月号。

 サンフランシスコの日常生活で語られる言葉で英会話の勉強をしましょうという企画(だったようだ)。

 たとえば、サンフランシスコ名物のケーブルカーの運転手さんとの会話などが出てくる。
 ケーブルカーというと、車内のベルの鳴らし方のコンテストがあるなど、楽しげなイメージだが、会話の中の運転手さんは、ケーブルカー運転手の仕事を、“Only physical”なんて言っていた。
 確かに、ユニオン・スクエア前の終点では、運転手が主導でターン・テーブルを回して、車両の向きを変えていた。

 それでも、ケーブルカーの写真を見ると、深夜12時近くにセントフランシスの客室で聞いた、あのブレーキの軋む音を思い出す。



 2つ目は、森永製菓の何かの懸賞であったジェム・ストーン(“Gem Stone”)。

 何年ころの物かも不明だが、「アメリカ マーブルストーン、カリフォルニア山中に産し、別名・更紗碧玉 幼馴染との再会を約束する意思といわれます」と説明がある。
 裏面には、「世界の珍しい石 美しい石 幸運な石 ジェム・ストーン」という見出しに続けて、「ご応募ありがとうございました 多数のご希望者の中から あなたにはこの貴石をお届けします ・・・」云々と記されている。

 今のところ、幼馴染に出会えていないから、これからの余生のどこかで、誰か世田谷の赤堤小学校の同級生にでも会えるのだろうか。

         

 サンフランシスコゆかりのものと言うには語弊があるが、ケースにゴールデン・ゲート ブリッジの写真が載っているので、許して下さい。


 2019/2/25 記 

 

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東京オリンピック入場券 断捨離の途上で(2)

2019年02月24日 | あれこれ

 断捨離のつづき。

 古い渦巻き封筒を空けたら、中学校や高校の生徒手帳、当時使っていた定期券、あれこれの催し物の入場券その他、学生時代の思い出の品(ほとんどガラクタだが)が大量に出てきた。

 今回はその中から、東京オリンピックの入場券をアップする。

 東京オリンピックといっても、もちろん1964年の東京オリンピックのことで、招致委員長だかが贈賄でフランスの予審判事の捜査を受けているという2020年の五輪ではない。

 1964年10月17日の、今はなき国立競技場での陸上競技である。
 当時、東京の中学生に観覧の機会を与えようということで、中学生向けの格安チケットが発売された。券面を見ると、なんと100円である。

 学校で抽選があり、クラスで2人だけ当選したのだが、その1人が僕だった。

 当日は絶好の秋日和で、各国の国旗が風に揺られて、ビョンビョンと旗竿に当たる音が印象に残っている。

 競技の方では3000メートル障害の決勝があって、ベルギーの選手が優勝した。それ以来、ぼくは3000メートル障害が好きになった。

 有名なのは、この日、棒高跳びの決勝があり、アメリカのハンセンと、東ドイツのラインハルトが競り合って、午後1時に始まった試合が10時すぎまで決着がつかなかった。
 ぼくたち中学生は遅くなるからと言って、引率の先生の判断で6時過ぎに帰宅することになった。

 家に帰っても、まだ試合が続いていた。結局10時すぎにハンセンが勝って、アメリカの棒高跳び10連覇かなにかを達成したのだが、ぼくと一緒に行ったクラスの女の子が、金髪のラインハルトの大ファンになったのが、ちょっと悔しかった。


         

 ついでに、1967年のユニバーシアード東京大会の入場券も・・・。

 1967年8月30日に、国立オリンピックプールと書いてあるから、あの原宿の吊り橋のような屋根の競技場だろう。

 値段は印刷してない。


 2019.2.24 記





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断捨離の途上で アニメのセル画

2019年02月03日 | テレビ&ポップス

 定年を1年余後に控えて、研究室、自宅ともに断捨離(だんしゃり)を少しづつ進めているが、なかなかはかどらない。

 捨てても、捨てても、次々と古雑誌や会議の資料などが出てくるのである。

 しかも久しぶりに出てくる懐かしい物や書籍を、捨てるつもりでパラパラめくっていると、結構いいことが書いてあるのを発見して、ふたたび書棚に戻したりすることも少なくない。

 しかも自宅には私の物だけでなく、亡父の残した書物に加えて、厖大な資料や手紙の類も残っている。さらに、亡母や祖父の物まで残っている。
 本人が生きているうちは何がしかの価値があったかもしれないが、当人がなくなった後ではまことに始末に負えない。「ゴミ屋敷」のゴミを整理するのと大した違いはない。

         

 大学の図書館は、最近では書籍は邪魔者扱いで、「一括廃棄に承諾するのであれば引き取ってもよい、ただし送料はそちらの負担」という。
 古本屋を呼んだら多少の値がつく物もあるかもしれないが、プライバシーを覗かれるようで、いい気はしない。価値も分からないので足元を見られそうでもある。

         

 そんな中で、何時、誰から、どういう経緯で貰った物かも思い出せないアニメのセル画が何枚か出てきた。
 アニメのことには疎いので(いまだに“火垂るの墓”以上のアニメを知らない)、何という作品かもわからないけれど、アップしておく。

         

 結構こういう物に値がつくのかも知れないが、アニメなど1本に何千枚(何万枚?)というセル画があるのだろうから、大した価値はないのかもしれない。


 2019/2/3 記

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