豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

メグレ警視 聖歌隊少年の証言

2018年09月15日 | テレビ&ポップス

 今回の軽井沢での仕事は、この6月に成立した民法・相続法改正の解説書を読んで、後期のレジュメを作成することがメイン。

 夜の休憩用のビデオは、メグレ警視シリーズの“メグレと聖歌隊少年の証言”、“メグレと田舎教師”、“マダムキャトルと子どもたち”の3本だけ持参した。
 1本目と3本目は“メグレ警視”DVD(BOX 3)所収、2本目の“メグレと田舎教師”(下の写真)は単品。

 いずれも、これまでに何回か見たものだが、最近は見ていなかったので、久しぶりに見ようかと思った。

            

 偶然にも、どれもメグレと子どもの交流が見られる作品だった。
 そして、3作とも、何回みても好印象を残す作品だった。

 日本のテレビで流しているようなものとは違って、1作1作丁寧に作られているのが伝わってくる。
 カットがよくて、どの画面からも一昔前のフランスの郊外の町の雰囲気が伝わってくる。
 ただのテレビドラマというより、映画に近い。アラン・ドロンの“フリック・ストーリー”や“シベールの日曜日”のような印象である。

 帰京後、東京のBSミステリー・チャンネルで、ローワン・アトキンソンの“メグレ警視(シーズン 2)”をやっていた。シーズン1に比べると、ミスター・ビーン色はいくぶん弱まってはいたが、やはり彼にメグレは無理である。
 ブリューノ・クレメールを見た後では・・・。


 2018/9/15 記

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軽井沢 碓氷峠の見晴台(2018年9月6日)

2018年09月14日 | 軽井沢・千ヶ滝

 9月6日(木)、天気がよかったので、旧軽井沢に出かけたついでに、赤いバスに乗って碓氷峠の見晴台に行ってみることにした。

 最後に行ったのは25年近く前で、下の息子がまだ4、5歳だった。
 歩いて往復したのだが、帰り道で息子はへばってしまい、仕方なく女房とお交代でおんぶしながら遊歩道を下った記憶がある。
 さらにその数年前にも、上の息子を連れて、峠で力餅を食べたこともあった。

         

 観光会館(旧郵便局前)で見晴台行きの赤バスの時間を問い合わせると、ちょうど5分後に出るという。
 まっすぐ峠に向かうのかと思ったら、万平ホテルに寄ってから再び旧道に戻り、双子橋から山道を登るというルートだった。
 確かにこれでは4、5歳の息子にはきつかっただろうと思った。

         

 峠の頂上に到着し、熊野神社にお参りしてから、見晴らし台に向かう。
 秋晴れの空に、心地よい風が吹いていた。まさに大滝詠一の“風立ちぬ”のイントロが心に聞こえてくるような風にすすきがそよいでいた。

         

 近くに妙義山、八ヶ岳から、遠くには秩父や南アルプスの山並みが濃淡のある青色で眺められる。(妙義山以外の山の名前はあてずっぽうである。地理には疎いので。)

         

 右手には、わが浅間山と離山も見えていた(冒頭の写真)。


 正午少し前で、老舗という茶屋は見晴らしの良い席は満席、しかも苦手な犬を連れた先客もあったので、少し先の“見晴亭”というところで、餡子とずんだの力餅を食べる。

         

        

 信州では、餅にも蕎麦にも漬物と茶がついてくる。
 下の写真は、ついでに追分そば茶屋の天せいろ。

         

 12時35分発の下りバスで旧道に戻る。
 下の写真は、見晴らし台バス停と赤バスの切符。往復800円だった。

         

 不思議だったのは、この見晴台行きの赤いバスの運転席上部には、チェ・ゲバラの肖像画2枚と(おそらく)キューバ国旗が飾ってある。
 運転手に聞こうと思ったが、後ろからたくさん乗客が続いて降りようとしていたので、聞きそびれた。
 このバスはユニークな形をしたボンネット・バスだが、ひょっとしたらキューバ製なのだろうか。

 9月に入ったせいもあるだろうが、ショッピング・モールに客を取られたのだろう、旧道は人影もまばらで寂しい。
 ただし、昭和30年代の旧軽井沢も、8月20日の諏訪神社のお祭りと花火が終わると一気に寂しくなったような気がする。

         

 最後の写真は、いつも車をとめる神宮寺。
 亡父の友人だった美術史家が、毎夏この寺の庫裏に滞在しており、亡父が彼を訪ねるのについて行ったりしたので、旧軽で車をとめるのはこのお寺の駐車場と決めている。

         

 旧道の三陽商会の売店の横に門柱があり、石畳の路地が続いている。たぶん、昔は小松ストアがあったところだと思う。


 2018/9/14 記


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ピンキー(“恋の季節”)

2018年09月13日 | テレビ&ポップス

 4歳の孫がトランプのババ抜きと神経衰弱にはまっていて、わが家に遊びに来ると必ず「おじいちゃん、トランプしよう!」と誘ってくる。
 なるべく孫には付き合おうと思っているので、2、3回は相手をする。

 4歳児の記憶力と集中力はかなりのもので、神経衰弱に関しては、まだら痴呆ともいうべきぼくの記憶力ではとても太刀打ちできない。
 3ペアくらいは連続して当てるし、終盤に近づくと6ペア総ざらいで持っていくこともある。

 ババ抜きに関しても、トランプのカードの痛み(折れ方)でジョーカーその他の何枚かの札が分かるらしい。裏面を見ただけで「これが8だな」などと言って、8を引き当てる。
 記憶力を褒めるべきか、チョンボというべきか。
 「子どもを東大に入れたければ、神経衰弱で遊べ」と東大出身の精神科医が言っていたと家内から聞いたが、東大はどうでもよいが、トランプの教育効果を期待していないと言ったらウソになるだろう。


 前置きが長くなったが、今回の話題はピンキーこと近陽子さんである。

 軽井沢で勉強中に、何気なく勉強机の固くて開けにくい引出しをこじ開けたら、中からトランプと花札が出てきた。
 祖母が花札が好きで、家族でよく遊んだ。

 祖父は仙台で大学教師をしており、戦中戦後には、祖父の家に貧しい学生が何人か下宿していた。
 勉強の合間に、その学生たちと花札をやり、負けた学生が冬の仙台の寒空に焼き芋を買いに行くルールだったと祖母から聞いた。

         

 トランプのほうはハートのエースを表に向けてケースに入っていたのだが、数十年ぶりにケースから出してみて、驚いた。
 カードの裏面が“ピンキーとキラーズ”のピンキーこと近陽子さんなのである!

 ピンキーの“恋の季節”がヒットしたのは、(前にも書いたが)1968年の初夏である。
 ぼくは駿台予備校の四谷校舎に通っていたが、昼飯を食べに行った四谷界隈の昼飯屋のテレビでやっていた“前田武彦のお昼のゴールデンショー”の「今週のゲストコーナー」で初めて“恋の季節”を聴いた。
 1週間の間、毎日連続して出演するゲストだった。

 そしてぼくはブラウン管越しにピンキーに恋をした。
 彼女が出る番組を探し、彼女に少しでも似たところのある予備校生にまで恋をした。
 
 もちろん彼女に関わるグッズは集めた。
 前にも書いたが、“恋の季節”の宣伝用のボード(ドーナツ盤のジャケットと同じ大きさのボード)も手に入れた。
 吉祥寺駅北口の駅すぐのところにあった新星堂で、“恋の季節”のレコードを買ったときに、天井から吊り下げてあったのを指さして、「これをもらえませんか?」とダメもとで頼んだところ、若い女性の店員さんが「いいですよ」と言って、あっさりとビニールひもを引きちぎって渡してくれた。

         

 その後も、みのもんたのNTVの昼番組などに出ていたが、いくつになっても昔と変わらずチャーミングなままであった。
 田代みどりや伊東ゆかりなどと並んで、ふけない女性の代表格だろう。

 その“恋の季節”の当時のピンキーが、すべてのカードの裏面で、きれいな白い歯で微笑んでいる。
 黒のシルクハットには、キラーズの4人の顔が写っている。当時のぼくは、ピンキーといつもいっしょにることができるこの4人に嫉妬心を抱いていた。

 トランプの箱(とスペードのエース)には、「HEIBON PLAYING CARD CO」と書いてあるが、平凡出版はこんな会社も立ち上げていたのだろうか。
 「特殊紙製 ¥400」というシールも貼ってあるが、カードの紙質ははっきりいってかなり悪い。
 孫と遊ぶときは使わないでおいた方がよさそうである。


 2018/9/9 記


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