豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東野圭吾 『容疑者xの献身』

2009年06月27日 | 本と雑誌
 
 わが学部では、2年次の秋に翌年度のゼミ生を募集する。

 ぼくのゼミは“癒し系”という風評が先輩から伝わっているらしく、結構応募者が集まる。
 ぼく自身は、学生時代にゼミだけはかなり真剣に勉強したこともあり、ゼミ生にも大いに勉強してほしいので、“癒し系”と評されることは不本意なのだが・・・。
 
 その新ゼミ生選考の面接で、ぼくはいつも「最近読んだ本で一番印象に残っているのは何か」を聞く。
 学生の「本離れ」、「読書離れ」があまりにもひどいので、せめてぼくのゼミを志望する学生には本を読んでもらいたい。
 ゼミ面接で何を聞かれるかということもすぐに伝わるので、応募者は何か1冊は読んでくる。

 その回答の中で、毎年一番多いのが東野圭吾の小説である。
 そんなわけで、毎年ゼミ面接が終わると、彼の作品を読んでみようと思うのだが、どうもタイトルがいまいちで読まないままになっていた。

 昨日、大学からの帰りの車中で読む本がなかったので、学内の本屋に立ち寄り、文庫本をあさった。
 どうせなら最近の選択基準である新人賞受賞作ということで、東野圭吾『容疑者xの献身』(文春文庫)を買った。
 2006年、134回直木賞受賞作とある。

 さっそく読み出し、一気に読んだ。
 やっぱり直木賞受賞作くらいになると、桐野夏生『柔らかな頬』にしろ、宮部みゆき『理由』にしろ、ハズレはない。
 こんな謎解き推理小説が直木賞を受賞するとは、時代も変わったものだ。

 ぼくが以前勤めていた出版社でも数学書を出しており、数学科卒業の編集者が何人かいた。
 確かに変わり者が多かった。
 しかし、いくら片想いとはいえ、“容疑者x”のようなことまでするだろうか。これでは(第二の)被害者が気の毒すぎるのではないか。ぼくはこの被害者がもっと重要な役割をになうのでないかと、予想しながら読んでいただけに失望した。
 謎解きの辻褄合わせにしても、こんな殺人が許されるのだろうか。

 謎解きには不満が残ったが、この作者の描く「片想い」は悪くない。
 謎解き小説などではなく、純粋に独身数学教師の片想いをテーマにすればよかったのに、と思う。
 
 最近の学生はこういう小説が好きなのか。

 * 写真は、東野圭吾『容疑者xの献身』(文春文庫、2008年)の表紙カバー。

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G・マクドナルド 『死体のいる迷路』

2009年06月27日 | 本と雑誌

 出だしの1、2ページで読む気を失ったG・マクドナルド『死体のいる迷路』(角川書店)の表紙カバー。

 あの頃の角川ミステリーの単行本の雰囲気は懐かしいのだが・・・。

 

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L.トリート編 『ミステリーの書き方』

2009年06月26日 | 本と雑誌

 そのディーン・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)が、会話を勉強するには最高の作品だとほめていたのが、グレゴリー・マクドナルド『死体のいる迷路』(角川書店、1979年)だった。

 先日、神保町を散歩していて、矢口書店の店頭に100円で出ているのを見つけて、さっそく買ってきた。
 しかし、出だしからまどろっこしい。
 確かに会話が続いているが、この会話のどこが勉強になるのか分からない。内容もつまらないので数ページでやめた。時間の無駄である。

 巻末の角川の広告を見ると、マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー『唾棄すべき男』だとか、フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』、ジョン・クリアリー『法王の身代金』などなど、懐かしい本が並んでいる。
 あの時代の本だったのだ。

 このグレゴリー・マクドナルドという作家の会話は定評があるらしく、L.トリート編『ミステリーの書き方』(講談社文庫)でも、彼が「会話」という章を書いている。
 しかもすべて会話体で会話の書き方を指南している。これは多少の参考になったのだが、『死体のいる迷路』はだめだった。
 会話の名手かもしれないが、書き出しの名手ではないようだ。

 * 写真は、L.トリート編『ミステリーの書き方』(講談社文庫、1998年)の表紙カバー。

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ディーン・R・クーンツ 『ベストセラー小説の書き方』

2009年06月26日 | 本と雑誌
 
 小説を書くためのハウ・ツ・本を10冊以上読んだ。

 どれが1番とはいえないが、ベスト3は、スティーブン・キング『小説作法』(アーティストハウス)、ディーン・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)、L・トリート編『ミステリーの書き方』(講談社文庫)だろう。

 いずれもアメリカ人の書いたもの。やっぱりアメリカ人の実利主義は徹底している。「文学」やってる人には身も蓋もない代物かもしれないが、とにかく何かを書き上げてみようというぼくには役に立った。
 校條剛『システム小説術』はクーンツを批判していたように記憶するが、ハウ・ツ・本としては悪くなかった。1980年代のいわゆる“ブロックバスター時代”のアメリカ出版業界という時代背景が影響している印象はあるけれど。

 どの本にどのようなアドバイスが書いてあったかは、あらかた忘れてしまったが、これらの本から得た知識はぼくの血肉になっていると思う。
 もしこれらの本を30代までに読んでいたら、ぼくは本気で小説家を目ざしていただろうと思う。
 いまでよかった。

 若桜木虔の本だったと思うが、作家になりたければ、まず最初に安定した仕事に就け!というアドバイスがあった。
 この第一段階はクリアしている。
 新刊書店やブック・オフなどに並んでいる膨大な文庫本を眺め、小説新人賞の歴代受賞者リストに載っている無数の消えていった受賞者の名前を眺めるにつけ、小説家として食っていこうなどという夢が、いかに無謀なことかがよく分かる。

 遊びで書いているくらいがちょうどいい。

 * 写真は、ディーン・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫、1996年)、の表紙カバー。

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きょうは“父の日”

2009年06月22日 | あれこれ
 
 きょうは“父の日”、らしい。
 
 「研究者の卵」をしている上の息子が、ほしいものをプレゼントしてくれるという。

 息子は、今年から任期制の研究員に採用され、非常勤講師の口も得ることができたので、そこそこの収入がある。
 せっかくなので、先日の朝日新聞の全面広告に載っていた『日本直販』の広告にあった“USB/SD スロットレコードプレーヤー”というのを希望しておいた。

 レコードプレーヤーは持っていたのだが、長い間使わないでいたらターンテーブルが回らなくなってしまった。
 中を開けてみると、モーターとターンテーブルを繋ぐゴムのベルトが埃と溶けたゴム(?)でネバネバになっていた。
 その後、買い換えることもなく何年も放置してあった。
 したがって、レコードも死蔵されたままになっていた。

 あまり“誕生日”とか“父の日”だからということで、とくに何かがほしいということはないのだが、今回は、こいつ(“レコードプレーヤー”)をもらってもいいな、という気がおきた。

 さっそく息子が、先週『日本直販』にネットから申し込もうとしたが、発送まで3週間と言われたらしい。
 それでは父の日に間に合わない。ネット上をあちこち探して、同じ品物を6月21日着で配送できる店を見つた。値段も『日本直販』より少し安かったので、そこに注文した。『トレジャーマーケット』というところだった。
 そして遅れることなく今日の昼すぎに到着した。
 「お買い上げありがとうございます。商品を気に入っていただけたらレビューをお願いします」という手書きの手紙が添えてあった。気に入った。

 夕食後、家族4人で近所の公園でジョギングをしてから、さっそくレコードを聴いた。

 まずは、サイモンとガーファンクルのベストアルバム、ついで、ハイファイセット、カーペンターズ、・・・。
 1万5000円ちょっとのプレーヤー、スピーカーも内蔵だが、意外に悪くない音が出ている。久しぶりにレコードを聴くと、デジタルとは違ってやわらかくて懐かしい音である。

 サイモンとガーファンクルを聞いた下の息子が、「おれもまたギターやろうかな」と言った。

 最初はレコードが劣化する前にUSBメモリーに録音しようと思っていたが、プレーヤーで聞いたほうがレコードらしくて、わざわざデジタル化しなくてもいいような気がしてきた。
 
 いかにも“団塊”世代のオヤジを狙った商品だが、ま、今回は、まんまとしてやられた。

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ヒチコック“三十九夜”

2009年06月19日 | 映画
 
 ヒチコック“三十九夜”(1935年、原題は“The 39 Steps”)を見た。

 “水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”(黒レーベルの1番!)。
 この水野晴郎のシリーズは、ケースが薄くてかさばらないので保管に便利だったのが、半年ほど前からカバーが厚くなってかさばるようになってしまった。
 しかし、近所のスーパーで1枚280円で売っていたので、他のと一緒に5、6枚買い込んできた。

 夕べ見ようと思ったのは、映画それ自体への興味ではなく、小説を書く参考としてである。
 
 小説を書くのに映画が役立つことはいろいろなハウ・ツ・本に書いてある。いま読んでいるL.トリート『ミステリーの書き方』(講談社文庫)でも、背景描写の手本として、J・フォード監督の『男の敵』が挙げられている(同書179頁)。

 サスペンスの描き方を学ぶなら、やはりヒチコックだろう。
 そう思ってみると、参考になる。

 ① A地点からB地点への移動に無駄な描写はしない。冒頭、劇場で敵に狙われたヒロインが主人公に助けられて2階建てバスに乗り込むと、つぎのシーンはもう彼の家の部屋の中である。
 もちろん移動の最中にもサスペンスがある場合は別である。スコットランドに逃げる列車の中などは丁寧に描かれる。

 ② 次々に登場する端役たちは、最初は敵か見方かが分からない両義的な存在として描かれる。やがて敵だったり見方だったりが判明するが、敵味方の分け方にヒチコックの趣味、思想が表れている。敬虔そうな農夫が金次第の守銭奴だったり、一見保守的な田舎宿の女将さんが駆け落ちした若いカップルに好意的だったりする。警察官がすべて敵というのもいかにもヒチコックらしい。
 物語には常に主人公を助ける人物が登場するというのは大塚英志『物語の体操』 の教えるところである。桃太郎を拾ってきて育てるお爺さんお婆さんのような・・・(大塚60頁~)。
 
 ③ 殺人犯と間違われて逃走する主人公を追い詰めるアイテムが、いつも彼の事件を報じる新聞というのはやや芸がない。絶体絶命のピンチで至近距離から銃で撃たれた主人公がたまたまコートの内ポケットに入っていた讃美歌集のおかげで助かるというのもどうだろうか。
 ぼくは、浅沼稲次郎社会党委員長が、いつもは背広の左内ポケットに入れておく皮手帳を、あの日に限って入れ忘れていたために右翼に刺殺されたという記事を読んだことがあるので、リアルに感じることができたけれど・・・。

 ④ メイン・ストーリーの、主人公がヒロインに代わって国家機密の国外流出を防がなければならないというのは、国家機密の内容も含めて今日では古すぎるだろう。何十年か前によく読んだフレデリック・フォーサイスの頃でもすでに時代遅れだろう。

 * 写真は、アルフレッド・ヒチコック監督“三十九夜”(1935年)。“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”(黒レーベル1)のケース。

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小池真理子『恋』

2009年06月16日 | 本と雑誌
 
 樺さんを偲んだその翌日に“小池真理子”というのも気が引けるが、以下は実は6月14日に下書きしておいたものなので・・・。


 小池真理子『恋』(新潮文庫、2003年)は、1996年直木賞受賞作。

 1970年、同棲していたM大全共闘の男と別れたべ平連系のM大英文科の女子学生“ふうちゃん”(気持ち悪い愛称なので以下ではFとする)が主人公。
 まさにぼくの学生時代と重なる。

 Fは、M大生協の女から紹介され、S大英文科助教授の翻訳下訳のアルバイトを始める。
 採用面接は三田の三井倶楽部、初出勤では助教授が最寄の都立大学駅前まで117クーペで出迎えに来てくれる。

 べ平連のデモの後ろにくっついていた程度だったとしても、いくら田舎から出てきて金が必要だったとしても、こんなバイトに飛びつくような女が主人公では、ぼくは白けてしまう。

 あの頃、毎週土曜日の午後5時に新宿駅西口広場に集まってきたべ平連シンパの多くは、一種のファッションのような気持ちで集まっていたかもしれない。
 しかしベトナム戦争でアメリカに正義がないことを意思表示したいという最低の思いは共有していたのではなかったか。
 いやなら来なくたっていいのに毎週集まったのは、あそこしか意思表明する場がなかったからではないのか。
 しかもFは全共闘の男と同棲までしていたのである。いくらバイト代がいいといっても、節操がなさすぎる。

 同じべ平連シンパの端くれだったぼくが、素直にこの話に乗れなかった躓きはここにある。

 小説の事件と同じ時期に起こった浅間山荘事件によって、一つの時代にピリオドが打たれたという作者の時代認識にも違和感を覚える。
 もし「一つの時代」があったとしても、それは浅間山荘よりずっと以前、おそらく東大安田講堂落城のとき、この小説でいえば、セクト学生がFのヒモのような生活を送り、Fがこんなバイトを始めた頃にはもう終わっていた。

 1980年代(1990年代?)までセクト闘争が繰り広げられていたM大生協の女がこんなブルジョワ的バイトを斡旋するというのも現実味に欠ける話である。S大生協(S大には“生協”なんてないか?)ならそんなことがあったかもしれないが。

 その後のFと助教授夫婦との奇妙な関係は、“韓流”ドラマの展開を想像すればよい。「全編を覆う官能・・・」という宣伝文句ほどの官能小説ではなかったが、なぜ題名が「恋」だったのかはわからなかった。
 ぼくにとって「恋」は、『冬の花 悠子』であり、『天の夕顔』であり、山本周五郎であり、藤沢周平である。
 同じ兄妹の近親愛なら、韓流の“秋の童話”がいい。

 いずれにしても、セクハラ、アカハラが喧しい今日では考えられない情況設定である。
 たしかに30年前には、ゼミの女子学生(ただし2人だった)に軽井沢までの車の運転と毎日の食事を作ってもらう代わりに、夏の間ただで別荘に滞在させているS大の先生がいた。奥さんは東京で仕事を持っていて、先生が一人で別荘に滞在していたのに、である。

 今日では、もし他大学の女子学生だとしても、この小説のような形のアルバイトが発覚したら、直ちにセクハラ委員会から警告が来るだろう。
 そしてこの小説のような事件が起こったら、即刻懲戒解雇となり、その後の再就職は絶望的だろう。
 女子学生とのスキャンダルを起こした助教授が、その種の醜聞を最も嫌うはずの短大に再就職するということも今日では(当時も?)ありえないことである。

 ぼくが読み終えることができたのは、舞台が、都立大学駅だったり、中軽井沢(古宿)だったり、仙台(母親の実家は仙台市花壇川前丁にあった)だったりと、なじみの場所がいくつも出てきたからである。

 ちなみに、この小説でも、内田康夫の『軽井沢の霧の中で』でも、不倫の舞台は小瀬温泉になっていた。
 草軽鉄道廃線後の小瀬温泉は、ぼくにとっては炎天下に砂埃の舞う殺風景な場所にすぎないのだが。 
 軽井沢在住の小説家にとって小瀬温泉がそのような記号性をもっているというのは新鮮な発見だった。ひょっとすると、作家御用達のその手の宿が小瀬温泉にあるのかもしれない。
 
 * 写真は、小池真理子『恋』(新潮文庫、2003年)の表紙カバー。
 

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樺美智子『人しれず微笑まん』

2009年06月15日 | あれこれ
 
 きょう、6月15日は樺美智子さんの命日に当たる。
 1960年から数えて49年目。四十九日というのはあるけれど、四十九年忌のようなものはあるのだろうか。
 最近の日本の情けない情況とわが身を考えると、ぼくは樺さんに顔向けすることはとてもできない。

 1969年に大学に入学し、樺さんの『人しれず微笑まん』を読み、奥浩平の『青春の墓標』を読み、ぼくはそのまま街に出た。
 
 奥浩平の本の帯には「彼は日本の“チボー家のジャック”だ!」という福田善之の言葉があった。
 ぼくも“日本のチボー家のジャック”になりたいと思った。
 自分がジャックどころか、アントワーヌにさえなれないことを悟るのは、もっとずっと後のことである。

 「・・・でも私はいつまでも笑わない 笑えないだろう それでいい ただ許されるなら 最後に 人知れずそっと微笑みたいものだ」(本で調べると正確ではないが、ぼくの記憶のままにしておく)
 という樺さんの詩を心で口ずさみながら、デモの尻尾を歩き、時に走っていた。

 マルクス主義の著作など何一つ読んだことはなかった(『共産党宣言』くらいはよんだかもしれない)。
 しばらくして、羽仁五郎の『都市の論理』(勁草書房)の読書会に入り、はじめてエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を読むことになった。
 大して理解できなかった。

 集会やデモでは、“インターナショナル”や“ワルシャワ労働歌”を歌ったが、まわりは学生ばかりで、「飢えたる者」どころか「労働者」すらほとんどいなかった。
 しかし、学生たちのデモを遠巻きにしている人々の中に、ぼくは“好意的な傍観者”を感じた。

 革命など起こるとは思っていなかった。
 ぼくたちを規制するために動員された中年の太った警官が、青い乱闘服(?)の上から、小さな水筒を襷がけにしていた。
 あの人たちがこちら側にまわらない限り、革命どころか社会の微動すら起こらないと思った。

 それでもぼくはデモに行った。
 当時のぼくの行動の基準は単純だった。
 ベトナム戦争は正義か? 否!
 アメリカに隷従している日本政府は、日本国憲法の理念を実現しているか? 否!
 今日授業に出るか、街に出て抗議の意思を示すか? 意思を示すべきである!
 そして、樺さんだったらどうするだろうか? 行く!

 クラス集会で議論を繰り返した。激しい喧嘩もあった。
 しかし、セクトの集団がマイクを使ってアジ演説をするようになって、コミュニケーションは途絶えた。
 やがて、ぼくの「されどわれらが日々--」がはじまった。

 残念ながら、ぼくは「最後に微笑む」ことはできないだろう。

 * 樺美智子『人しれず微笑まん』(三一新書、1960年)
 

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宮部みゆき『理由』

2009年06月14日 | 本と雑誌
 
 宮部みゆき『理由』(朝日文庫、2002年)を読んだ。

 1999年の直木賞受賞作ということで。

 実は、宮部みゆきは、1990年代の終わりに一作だけ読んだ記憶がある。
 題名は忘れてしまったが、時代物で、医者が主人公だった。

 当時ぼくは医科系大学の教師をしていて、医学部1年生の授業も担当していた。
 授業の参考になればと、クローニンの三笠書房版全集から黒岩重吾『背徳のメス』まで、手当たり次第に“医者もの”を買い込んで読んだ。
 時代物は山本周五郎と藤沢周平しか読まない主義だったが、医者が主人公というので読んでみた。
 藤沢周平ほど面白くはなかった。それ以後、宮部は何も読んでいない。

 女房が発売時に読んで、そのまま埃をかぶっていたのを引っ張り出して読んだ。
 600ページ以上あるが、一気に読み終えた。

 物語のきっかけとなる事件は、裁判所の競売物件(中古のマンション)の買受人とこれを妨害する短期賃借人という、法律を専攻する者にはちょっと物足りない単純な仕掛けである。
 さっさと弁護士に相談すれば殺人事件にはならなかった事案である。弁護士に相談しなかった理由も書いてはあるが、弱い。

 しかし、一般の人はこれでいいのだろう。
 テーマは、1990年代の家族である。一つの殺人事件に収斂していく数家族の物語が並行して描かれていく。
 事件が解決した後から、ノンフィクション・ライターが取材するという形式のため、各家族の物語が錯綜することを免れている。
 回顧的な記述はサスペンス性を弱める、神様視点を読者は嫌うと何かに書いてあったが、そのような弱点は感じなかった。

 文句なしに、最近読んだ10冊くらいの中では最高点をつけられる。

 20世紀末年から21世紀初頭は、高村薫、宮部みゆき、桐野夏生が突出している。
 あまり読んでないので、たんなる印象だが。

 * 写真は、宮部みゆき『理由』(朝日文庫、2002年)の表紙カバー。 

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桐野夏生『グロテスク』

2009年06月14日 | 本と雑誌
  
 桐野夏生『グロテスク(上・下)』(文春文庫)は、東電OL殺人事件の被害者をモデルにした小説である。

 巻末に「実在する人物・・・とは一切関係ありません」とあるが、この小説を東電OL殺人事件と一切関係ないと思う読者がいるだろうか。
 この小説から東電OL殺人事件を差し引いたら何が残るだろうか。

 港区にあるエスカレーター式の名門、リズミック体操をやっている女子高といったら慶応女子高しか考えられない。被害者が慶応女子高出身であることはあの事件の核心だった。
 あの学校に対する羨望、その裏返しの嫉み--斉藤美奈子の解説に引用されている「モデルと思しき学校」の卒業生の言葉をみよ!--、その卒業生が売春をしていたという落差が意外性を生み、溜飲を下げる者を生んだのだった。

 主人公が《Q女子高》に合格したものの、学校内にある階級社会(なぜか「クラス」とルビが振ってある)の壁を前に挫折したことが、この小説の出発点になっている。この出発は正しい。
 しかし、これを《Q女子高》で済ませてよかったのだろうか。
 《Q》は、聖心でも、学習院でも、青学でもなければ、筑付でも、お茶の水でもない。慶応女子高以外にはありえない。
 
 われわれがよく耳にする慶応女子高の「悪いうわさ」程度の事実の上に乗っかったフィクションは弱い。
 慶応女子高でない港区の名門女子高出身者が、Q大経由でG建設の総合職に就き、やがて売春婦になったとしても、少なくともぼくは全然興味がない。 

 慶応女子高からクレームのつけようがないくらい、クレームをつけられたとしても「事実の証明」によって違法性を阻却できるくらい十分に取材したうえで、《慶応女子高》と明記すべきだった(げんにこの小説の中でも《東大》は《東大》と明記してある)。
 
 この点で佐野真一『東電OL殺人事件』も決定的に弱かった。
 ただし、父親の死の影響などは佐野の記述のほうがはるかに説得的だったし、桐野は触れなかった、主人公(のモデル)と同期入社でハーバード留学を果たした東大卒OLが彼女に与えた影響の指摘なども、佐野が説得的である。

 誰もが慶応女子高を想定し、東電OL殺人事件を想定しながら読むことを予定しながら、《Q女子高》としておけばプライバシー問題はクリアできるのだろうか。これを「Q女子高」と書き、巻末に「実在でない」と注記することで、はたしてすむのだろうか。
 
 終章ちかく、主人公の腰までの長いカツラがずれたり、お化けと呼ばれたりする記述は、あの事件の被害者が気の毒で正視できなかった。
 柳美里『石に泳ぐ魚』以上に、モデル小説とモデルのプライバシーが問題になってもおかしくない内容ではないか。

 《Q女子高》に関する記述が緩いのに、他方で挟雑物が多すぎる。
 「私」、「ユリコ」、「ミツル」、とくに「ミツル」のオウム真理教をなぞったような殺人事件の記述は、いかにも“サイドストーリー”もつけときました、ページ数を調整しましたといった感じである。

 『柔らかな頬』のほうが小説としての出来はよかったように思う。
 
 この作品は平成15年の泉鏡花文学賞を受賞したとある。
 最近何冊か文学賞受賞作を読んで得た教訓だが、文学賞は「販売促進」ないし他社系の作家を自社に引き寄せる撒き餌のようなもので、受賞作の小説としての面白さとは関係ないようだ。

 * 表紙カバーもグロテスクなので、載せたくない。
 

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桐野夏生『柔らかな頬』

2009年06月09日 | 本と雑誌
 
 桐野夏生『柔らかな頬』(講談社、1999年)を読んだ。     

 最近読んだ、江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、大藪春彦賞などの受賞作とは格が違う。まったく違う。
 
 主人公の女をぼくは好きになれなかったし理解もできなかった、けれど。
 
 情交場面の描写も苦手だった。
 とくに、女が男の傷跡の肉の盛り上がりを弄るのが不快だった。

 ぼくは学生時代、アイスホッケーの試合中に左両下腿複雑骨折という怪我をした。簡単に言えば、左足の踝の骨が真っ二つに割れてしまったのである。

 左足の踝を両側から切開して、砕けて肉の中に散乱した骨片をピンセットで1つづつ取り出し、残った踝の骨を元の形に医療用接着剤でくっつけ直して、釘で固定するという手術を受けた。

 2ヶ月入院し、ギブスが取れてから4ヶ月リハビリに通い、6ヶ月目に再び入院して今度は骨を固定していた釘を抜く手術を受けた。

 19歳の12月に怪我をして、20歳の連休が再手術だった。
 二度の手術で合計40針近く縫合の傷跡が残った。神経がずたずたになったらしく、その傷跡に靴の縁が当たったりすると、名状しがたい不快感が突き上げてくる。
 何も触れていなくても、突然傷跡に全神経が集中してしまうことがある。

 40年たった今でも、当時ほどではないが不快感が残っている。
 この文章を書いている間も、左の踝から胃に向かって不快な信号が伝わってくる。

 その傷跡の不快感を抱えながら、日曜の午後から、今、火曜の夜まで、仕事の合間を縫って読みつづけた。
 読んでいる間、ずっと左踝の傷跡から鳩尾に不快なものがこみ上げていた。

 * 写真は、桐野夏生『柔らかな頬』(講談社、1999年)の表紙カバー。
 

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雫井脩介 『犯人に告ぐ』

2009年06月07日 | 本と雑誌
 
 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)も、帯に「第57回日本推理作家協会賞受賞」とあったので読んでみた。

 最初の1行で投げ出したくなった。ぼくが予選審査委員なら、ここでやめる。
 しかし勉強のためと思って、我慢して読み進めた。

 若いはずの主人公の言葉遣いが古臭い。「耳に胼胝ができる」で最初に引っかかった。その後も何度も引っかかる。誰かのハウ・ツ・本に、「主人公の年齢は作者の10歳以内にしておけ」と書いてあった。
 最初は、若者を描こうとする作者に無理があるような気がした。

 しかし待てよ、と思って、巻末の「都立青山高校」の説明を読んでわかってしまった。ぼくも夜間部の講義をもっている。その手の学生が数名いる。

 雫井脩介『ビター・ブラッド』(幻冬舎)は失敗作だろう。場所がS区だの、E分署だのとなっていて、背景の雰囲気が浮かび上がってこない。登場人物のネーミングも悪い。「島尾明村」(!)、「鷹野」、「古雅」にはじまって、「ジェントル」に「ジュニア」とくる。勘弁してほしい。
 速読の練習と思って、1時間ちょっとで読み(?)終えた。

 いま話題の政治家や教員(教育委員会)だけでなく、警察官の世界もやたらに世襲が多い。
 スティーブン・キングの「情況」設定なら、「警察官の無能な息子がコネで警察官になって、親父と同じ部署に配属されて捜査を開始したらどうなるか」という情況で話をはじめるのではないか。

 雫井脩介『犯人に告ぐ(上・下)』(双葉文庫)は、カバーに2005年に第7回大藪春彦賞受賞とある。
 『ビター・ブラッド』以前の作品らしいが、はるかにいい。ちゃんと1字1句追いながら3、4時間かけて一気に読んだ。
 しかし、言いたいことはもちろんある。

 まず、説明が多すぎる。「警察の内幕」、「テレビの裏側」式の本から得たような雑学を書きすぎる。そんなものを読者は求めていない。そんなことを書いたからといって、リアリティが生まれるわけでもない。
 主人公の警官の娘の難産の話なども、まったく書く必然性がない。植草の未央子への片想いのエピソードも不要。そのたびに進行が滞る。
 「だから、何なんだ!」 いらいらした。

 「作者は何を措いても話の進行を最優先としなくてはならない」(スティーブン・キング『小説作法』206頁)。
 「アクション! アクション!!」(ディーン・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』179頁)と心で怒鳴りながら読んだ。

 しかし、勉強のためと思って読んだ何冊かの中では、現段階では、雫井脩介『犯人に告ぐ』が一番よかった。


 次回からは、最近の直木賞受賞作を読むことにする。
 
 * 写真は、雫井脩介『犯人に告ぐ(上・下)』(双葉文庫)の表紙カバー。 

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書くために読む!

2009年06月06日 | 本と雑誌
 
 若桜木虔『プロ作家養成塾』は目ざす新人賞の過去の受賞作を読めといい、スティーブン・キング『小説作法』も、よく読み、よく書くことが重要だといい、下手な小説からも学ぶことが多いという。

 既成の作家の作品など読んでも、新人賞は取れないらしい。
 新人賞の第一次審査委員は、表題とペンネームと梗概と、最初の2、3ページしか読んではくれないという。
 ここで審査委員をつかめなくては、原稿はゴミ箱行きらしい。
 サマセット・モームなんかいくらたくさん読んでいても、新人賞の足しにはならなそうである。

 ところが、最近の作品は、表題からペンネームまで何から何まで違和感を禁じえないものが多くて、まったく読んでいない。
 いったい、最近の《直木賞》にはじまって、《江戸川乱歩賞》だの《日本推理作家協会賞》だの《本屋大賞》、果ては(失礼!)《小説推理新人賞》などは、どの程度の内容なのだろうか。 
 そんなことが気になったので、書き始めるのと同時に、ハウ・ツ・本の著者の実作や、最近の新人賞作家の小説を読んでみた。

 著者や出版社、書店には申し訳ないが、全部アマゾンやブック・オフの中古ですませた。

 森村誠一は今回はパスする。
 彼のものは、『高層の死角』、『人間の証明』、『悪魔の飽食』など、以前に何冊か読んだことがある。その後は何も読んでいない。
 『人間の証明』は映画も観たし、そのサントラ盤ももっている。
 ジョー山中の“Ma-ma, do you remember ~ ♪”という曲は、ぼくたちの結婚式でも流した。両親への花束贈呈のときに。

 若桜木虔もパス。
 
 大塚英志『多重人格探偵サイコ』(講談社ノベルス)は失望した。
 大塚英志『物語の体操』(朝日文庫)の「物語の構造」は、文字通り「目から鱗・・・」だったのだが、物語の分析と実作とはやっぱり別物だった。
 大塚自身、「物語の構造」の上に載っている「表層」こそ作者の個性といっていた。「物語の構造」だけでは物語は書けないということを知っただけでも収穫としよう。

 翔田覚『誘拐児』(講談社)は、「第54回江戸川乱歩賞受賞作」と帯にあるので読んだ。
 そのうえ、舞台が昭和36年ということで、昭和30年代を愛するぼくとしては大いに期待した。しかし、昭和33年生まれの筆者には昭和36年を描くことは無理だったようだ。
 作者自身が、作品の中で5歳の被拐取児童に誘拐の記憶がないことを前提としているくらいだから、昭和36年当時3歳だった作者に昭和36年の再現を期待するのは無理だろう。
 いかにも当時を記録した写真集でも見ながら書いたような描写がつづく。音のない、ぼやけた風景が流れるだけであった。
 昭和30年代を背景にした推理小説というと、ぼくは松本清張の『張込み』を思い浮かべる。その映画化の背景になった佐賀の町並みは、今も目に焼きついている。
 松本清張と比べるのは作者に酷だろうか。

 巻末に歴代の“江戸川乱歩賞”受賞者の一覧が載っていた。
 ぼくが熱心に推理小説を読んでいたのは、昭和42年(第13回)海渡英祐『伯林--1888年』から、第15回・森村誠一『高層の死角』、第18回・和久峻三『仮面法廷』、第19回・小峰元『アルキメデスは手を汚さない』、第22回・伴野朗『50万年の死角』あたりまでである。
 こっちが歳をとったからかもしれないし、もう読み返してみる気もしないが、“江戸川乱歩賞”っていうのはこの程度のレベルだったのか。

 * 写真は、大塚英志『物語の体操--みるみる小説が書ける6つのレッスン』(朝日文庫、2003年)の表紙カバー。
 

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小説を書きはじめた!

2009年06月06日 | 本と雑誌
 
 このところの読書で、世の中には、《小説家になるためのハウ・ツ・本》というジャンルがあることを知った。
 それもけっこう広汎な読者層を抱えているらしい。

 読者の大部分は、結局小説なんか書きあげることもないまま終わっているのではないかと思う。
 でも《小説家になるための本》を読んでいる束の間は、「ひょっとしたら自分にも書けるのではないか」、「書いたら新人賞の候補くらいにはなれるのではないか」という夢をもつことができる。

 《小説家になるための本》を書いている著者たちも、そんな夢を与える「物語」として、この手の本を書いているのだろう。
 
 この手の本を5、6冊読んだ先週あたりから、「ハウ・ツ本はもういい、何か書き始めよう」という気持ちになって、実は書きはじめた。

 スティーブン・キング『小説作法』には、「動機は何でも構わないが、ただ、軽い気持で書くことだけは止めてもらいたい」という一文がある(121頁)。
 残念ながらぼくには命がけで書きたいものどころか、眦を決して書きたいものすらない。
 だけど、ぼくには、できるなら生きているうちに書いておきたいこと、読んでほしい人には伝えたいことが伝わる形なら、フィクションでも書いておきたいことがいくつかある。
 そのひとつを書き始めた。

 テーマを決め、アウトラインを決め、プロットを描き、登場人物を確定した。といっても、登場人物は、すべてぼくの周囲の実在の人物である。小説の中の名前も実名にした。そのほうが筆がはかどる。
 
 校條剛『スーパー編集長のシステム小説術』(この本と校條君のことはいずれ書くつもりだ)のアドバイスに従って、3人称単一視点で書くことにしたのだが、主人公はぼく自身なので、たびたび「ぼくは」と書いてしまう。1人称で行ったほうがいいのではないかと思うようになっている。
 想定する読者はただ一人、ヒロインである女性なのだから。 

 スティーブン・キング『小説作法』のように「パラグラフが励起する」などという超常現象は、ぼくにはまったく起こらないので、ひとまず、プロットに従って、すらすらと筆が進む(ワープロで打っているのだが)シーンからどんどん書き進めている。

  若桜木虔『プロ作家養成塾』に従って、叙述は時系列どおりにした。どうしても過去を描かなくてはいけないシーンは、はっきりと過去のことだとわかるアイディアを思いついた。
 3シーン、各400字×15枚、計50枚弱を書いた。

 毎週末と講義のない日に書くことにしているのだが、あいにく今週末は土曜に会議、日曜にも用事があるので、「彼女」との時間はお休みである。

 * 写真は、若桜木虔『プロ作家養成塾』(ベスト新書、2002年)、同『プロ作家になっるための40カ条』(同、2006年)の表紙カバー。

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スティーブン・キング『小説作法』

2009年06月04日 | 本と雑誌
 
 “小説家になるための本”を読むシリーズの1冊として、スティーブン・キング『小説作法』を読んだ。

 順番としては、森村誠一、若桜木虔、校條剛、大塚英志、有馬頼義・松本清張、ディーン・クーンツのつぎに読んだのだが、いま時間が空いたので書いておくことにした。

 この本を知ったのは、校條剛の『スーパー編集長のシステム小説術』で引用していたからである。
 品切れだったため、アマゾンで定価より高いのを注文した。訳文についてはアマゾンのレビュー通りだった。
 

 スティーブン・キングの作品をぼくは読んだことがない。
 映画の“スタンド・バイ・ミー”、“シャイニング”は見たが、原作を読みたいという気にはならなかった。この本がはじめてのスティーブン・キングである。
 そしてこの本がおそらく最後のスティーブン・キングだと思っていた。ぼくは、ヘイリー・ミルズの側の人間だし、デビー・レイノルズ“タミー”の側の人間だと思うから。

 でも、この本は面白かった。月並みだが、面白くてためになった。
 スティーブン・キングの世界に浸りたいとは思わないが、彼の『小説作法』の実践を確認するために、1冊くらい読んでみようかという気になった。

 この本を読んだからといって、誰もスティーブン・キングにはなれるわけではないだろう。
 「文章はテレパシーである」、「情況が決まれば、プロットはいらない」、「パラグラフは何かをきっかけに励起して息づきはじめる」などということは、誰にでも起こることではない。
 スティーブン・キングは天才であるか、高校生のとき以来の創作、投稿経験によってそのような能力を身につけたのだ。
 スティーブン・キングにはなれないとしても、彼が蔑む地方新聞のコラムニスト程度なら、なれなくもないような気がしてくる。

 彼は、大工だった祖父の道具箱から話し始める。
 道具箱には、小さな釘からはじまって、ドライバー、ハンマー、のこぎりなどが納まっている。どんな簡単な仕事をするときでも、祖父はこの道具箱を持ち歩いた。
 作家に必要な道具箱に入れておくのは、まず「語彙」。長編小説も、結局は一語一語の積み重ねである。ではどんな語彙を使うのか。
 彼は「まっ先に頭に浮かんだ言葉を使え」という。これも天才の言葉である。

 つぎに、語彙と語彙をつなぐ文法。ここで彼は、ストランクとホワイトの共著『文体の要素』(“The Elements of Style”)を奨める。松本安弘・松本アイリン『英語文章読本』(荒竹出版、1979年)として邦訳が出ている。ぼくも編集者時代に誰かに奨められて読んだ。要するに簡潔な文章を書けという。

 たとえば副詞を多用してはいけない。「ドアをばたんと閉める」、「蔑むように言った」などと書いてはいけない。
 会話を受けるのは「~と言った」だけ。「蔑むように言った」とか、「~と嘲った」と書かなければいけないのは、会話自体が失敗だからである。

 パラグラフは、その場を演出するだけでなく、人物造形、情況設定、場面転換など重要な役割を果たす。しかし天才には、パラグラフは何かをきっかけに励起してしまう。この「何か」がないのが凡人なのだが。

 もう、その次は、書き始めるのだ。さまざまな小説執筆のアドバイスが続くが、最終的には、ひたすら読んで、書くだけだと彼はいう。下手な小説から学ぶことが多いという指摘は新鮮である。
 
 スティーブン・キングは、小説の要素は、話をA地点からB地点、そして大団円のZ地点に運ぶ叙述。読者に実感を与える描写。登場人物を血の通った存在にする会話、の3つであるという。
 これは、大塚英志『物語の体操』の「物語の構造」と同じ指摘である。大塚も、物語の基本は「行って、帰る」だといっている。行って、境界線をわたり、成長して帰ってくる(日本では成長していないこともある)と大塚は書いていた。
 “スタンド・バイ・ミー”などは(映画では)まさにその通りの「物語の文法」に従っていた。

 でも、その「叙述」、「描写」、「会話」が書けるかどうかが問題である。
 ただ、読み、書きつづけるしかない!

 * 写真は、スティーブン・キング/池央あき(耳へんに火)訳『小説作法』(アーティストハウス、2001年。品切れ)の表紙カバー。
 

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