堂目『アダム・スミス』を読んで、なぜかホッブズを読んでみようという気になった。どういう脈絡だったかは、数週間前のことなのにもう思い出せない。
トイレ用図書のサマセット・モーム『要約すると』(新潮文庫、平成8年復刊版)を読んでいたら、偶然モームが、ホッブズのことを「ホッブズの『リヴァイアサン』を読んで、あの個性を持った、ぶっきらぼうな、率直なジョンブル気質に心をひかれずにいられる人はない」だろう、「彼ら(ホッブズやロック、ヒュームら)はすべて・・・文章を研究するものは、なによりもまず研究すべきイギリス語を書いている」と評しているのに出会ったことも(228頁)影響したかもしれない。残念ながらホッブズを英語で読む能力も気力も今はないが、30年以上前にロックが“mature”という言葉を使っているかどうか調べる必要があってロック『市民政府論』を原書で読んだときは、その英語の平明さに驚いた。17世紀の文章とはとても思えなかった。
ちなみに、モームはイギリス人の両親のもとに生まれたが、母は早くに亡くなり、父はフランス大使館付の弁護士だったため、母親代りのフランス人の乳母に育てられ、フランス語の学校に上がったため、英語は後に第2言語(第1・5言語くらいか)として習得したという(『要約すると』による)。
幸い10年以上前に買ってそのままだった『哲学者と法学徒との対話ーーイングランドのコモン・ローをめぐる』(田中浩他訳、岩波文庫、2007年5刷)が本棚に並んでいるのを見つけたので、これを読むことにした(冒頭の写真)。
哲学者がホッブズ自身で、法学徒はクックのコモン・ローを代弁してホッブズに反論し、時に質問するという構成だが、ホッブズがすべて一人称で論じてくれた方が分かりやすい。ときおり「法学徒」のなかにホッブズ本人が投影されていて、どこまでが純粋なコモンロー学徒の本心からの発言なのか分からないところがある。
ホッブズがこんなにイギリスの法律や法制度、法制史に詳しかったとは知らなかった。
コモンロー=判例法に対抗するために、マグナ・カルタを筆頭に、エドワード3世治世25年の制定法[法律第2号]、ヘンリ8世治世25年制定法などといった制定法がふんだんに引用してあり、裁判制度をめぐる議論や裁判所の改編に関する記述も十分には理解できなかった。イギリス法やその歴史に相当詳しい人でなければ十分には理解できないだろう。少なくとも細部の議論について行くことができるのは法律家でもわが国に10人もいないのではないか。
コメントは改めて後日書くつもりだったが、書けそうもないので、観想だけを。
コモン・ローやそれを担う裁判所や裁判官の理性が信用に足りるものではなく、主権者(議会における国王?)による制定法、そこに示された主権者の意思こそ国民の生命や財産を守る道である、という以上の理解はできなかった。
君主制、貴族制、民主制という3つの政体が並列して記述された個所があるが、ホッブズが君主制を支持しているのか民主制(議会制)を支持しているのかすら読み取れなかった。引用される制定法をめぐる対話も理解できないことが多く、陪審制をめぐる対話も興味はあるのだが残念ながら十分な理解には至らなかった。慣習と理性(の法)とコモン・ローの関係も、「理性」が理解できないので読み取れなかった。重罪の範囲や(今の刑法でいえば)誤想防衛の議論などは刑法学者が読んだら面白いのだろう。
訳者による巻末の解説が道案内にはなるが、いくつかのテーマについては前提となる予備知識が必要である。
ホッブズ自身の法学史における位置づけは堀部政男氏が法学セミナーに連載した「英米の法律家」その他のなかの、クック(ぼくの頃は“コウク”と呼ばれていた)およびホッブズを読んでみること(法学セミナー162-164号[1969年]、同誌262号[1977年]など)、裁判所制度とコモンローの生成についてはベイカー(小山貞夫訳)『イングランド法制史概観』(創文社)を、議会主権については田島裕氏の『議会主権』(を表題に掲げた本があったはずだが)を読むこと。
“King in Parliament” というのがホッブズ主権論のキーワードの1つらしい。
福田歓一『近代政治原理成立史序説』(岩波書店)は若いころに読んだが、よもや定年後に再び読む気になるとは思わなかったので、後輩の政治思想史研究者が欲しいというのであげてしまった。70歳になったらバルザックを読もうなどと30歳の頃には思っていたのだが、70歳になったらそんな気はあまりなくなってしまっていた。定年直前の今から1年半前の時には、もう法律の勉強からは足を洗おうと決意したつもりだったのだが、これも全くの思い違いで、いまだに足を洗えない。
そもそも17世紀中・後半のイギリス史についてもきちんと思い出しておかなければ背景を理解できない。高校時代の世界史以降も、川北稔氏やラスレットの翻訳などイギリス史の本は時おり読んでおり、近藤和彦『イギリス史10講』(岩波新書)なども読んだ記録があるが(2014年1月12日読了という書き込みが最終頁にある)、17世紀イギリスの委細はほぼ忘れてしまった。
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『リヴァイアサン』はおそらく完読することができないだろうと判断して、初期の作品ながら『リヴァイアサン』に至るホッブズの思想の原型がすでに現われているという『法の原理』を読んでみることにした。邦訳は2冊出ているが、近所の書店を3軒回ったところ、ジュンク堂の本棚の最下段にちくま学芸文庫の『法の原理ーー自然法と政治的な法の原理』(2019年)があったのでこれを買って帰って読み始めた。
これについては、いずれ読み終えたら書き込むことにしたい。ただし初っぱなから難渋している。
2021年6月15日 記
きょうは確か樺美智子さんの命日である。何周忌になるのだろうか。本当ならオリンピック反対の意思を表明すべくデモ行進に参加しなけらばならないのだが。