豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

豆豆研究室の窓から(2016年2月)

2016年02月27日 | あれこれ

 開くたびに、黒木亮の『法服の王国』の、あのあまりぞっとしないカバーが出てくるので、どうでもよい、研究室の窓から眺めた東京の初春の夕方の風景を何枚か・・・。

 最初のは東の方、スカイツリーも肉眼では見えるのだが。

               

 西の方、新宿方面に沈みかかる夕日と、暮れなずむ(武田鉄矢!?)街並み。

         

         

 2016/2/28 記

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黒木亮 “法服の王国(上・下)”

2016年02月07日 | 本と雑誌

 2月4日、学部、2部、法科大学院の期末試験の採点、そして修士論文の審査がすべて終わった。
 
 すでに入学試験も始まっているが、ぼくの担当日には少し間がある。
 そこで、仕事が終わった夕方、新書か小説でも読もうと思って、散歩がてら、ジュンク堂に出かけた。

 新刊書が平積みされた一角に、黒木亮“法服の王国”という上下2冊の文庫本が積まれていた。
 どうせ法廷ものの際物だろうと思いながら手に取ってみる。表紙カバーのイラストは、どう見ても光文社文庫だが、それが何と岩波現代文庫である! 

 ぱらぱらめくると、昭和40年代のいわゆる「司法の危機」時代の裁判官や司法官僚、弁護士の名前が実名で出てくる。
 これは面白いかもしれないと、即決で買って帰り、さっそく読み始めた。
 読み始めると、期待通り面白い。

 実在の裁判官、弁護士と、仮名の人物が混在している。
 こういう手法もあるのか、と思った。ノンフィクションのようであり、フィクションのようでもある。

 主人公はどうも矢口洪一をモデルにした弓削晃太郎という裁判官(というより司法官僚)である。
 そして、狂言回しのように、2人の若い裁判官の人生(キャリア)が交互に描かれる。一方は、東大法学部を出て、やがて弓削の女婿(姪だったかも)となり、最後は最高裁長官にまで登りつめる津崎守という裁判官である。
 竹崎博充がモデルだと解説にあるが、弓削が矢崎を彷彿させるほどは竹崎を思い浮かばせない。というより、竹崎という人を含めて、最近の最高裁判事をぼくはほとんど知らない。

 津崎のストーリーは、著者が得意らしい経済小説の王道を行くような出世物語であるが、安っぽい経済小説とは一線を画しており、性格にはやや陰影がある。城山三郎の経済小説を思わせる。
 
 もう一方は、津崎と司法研修所の同期で(違っていたかも)裁判官に任官したが、青法協を脱退しなかったために冷飯を食わされ、支部勤めを続ける村木健吾という裁判官である。
 組織内で冷遇されながらも初志を貫き、それなりの職責を果たし、最後は津崎の「引き」によって地裁所長の地位にまで至り、退官後は、医師になった息子家族の住む金沢で弁護士として暮らすことになる。
 こちらは、原発訴訟や住民基本台帳訴訟を担当したというあたりは、井戸謙一判事がモデルだろうか(井戸謙一『原発を止めた裁判官』現代人文社を参照)。

村木のような人物の造形も、経済小説によくあるパターンなのかも知れない。こちらの人生も、城山三郎の小説ならありそうである。
 ・・・といっても、ぼくが城山をせっせと読んだのは今から40年近く前であり、あまり自信はない。城山以外の経済小説というものはほとんど読んだことがない。
 
 いずれにしろ、1960年代後半から現在に至る日本の裁判所をこれほど面白く描いた作品は、ノンフィクションも含めてぼくは知らない。
 ようやく日本にも、“ブレザレン”や“QB7”に匹敵するような裁判(所)ものが登場したと思う。

 ただし、弓削晃太郎の(ということは矢口洪一)の評価にはまったく同意できない。

 あまりにも綺麗ごとすぎるというか、美化しすぎていると思う。
 もし、弓削=矢口をあのように描くのだったら、その対極にあったという石田和外、岸盛一、矢崎憲正らを登場させない訳にはいかなかったはずである。
 彼らの名前やエピソードはわずかに出てくるのだが、なぜ著者は、もし石田らと矢口との間に対立があったというなら、その対決をもっと詳細に描かなかったのだろうか。

 本書には、後藤田正晴と思しき政治家と矢口の交流が描かれているが、裁判官にとって、あのようなことは許されるのだろうか。百歩譲って、許されるのなら、何故青法協への加入は許されないのか。

 最近になって、田中耕太郎が砂川事件をめぐって、マッカーサー大使らと通謀して、合議の内容などを漏らしていたことが、アメリカ側の情報公開によって明らかになり(布川玲子ほか『砂川事件と田中最高裁長官』日本評論社、2013年 )、田中らの言っていた「裁判官の独立」だの「裁判の中立」だのの化けの皮がはがれた。
 
 立憲国家における憲法の番人としての役割など、日本の最高裁には期待すべくもなかったのである。
 この本の著者は、自衛隊と原発については、最高裁と自民党が一体だったと登場人物の誰かに言わせていたが、その他の面でも、最高裁の中枢部は、戦後一貫して自民党政権と異体(一体?)同心であり、その点では、矢口も石田らも「同じ穴の貉」ではなかったのだろうか。

 解説の梶村太市教授が指摘するところだが、原発訴訟の記述は私にとっては煩わしい。
 ぼくは、この部分はほとんど飛ばしてしまったが、原発訴訟に興味がある人なら、この部分を読むだけでも面白いだろう。

 仮名で登場する法律家たちが誰かも気になるところである。
 とくに、司法研修所の男性教官など上にはおもねり、下の者や訴訟当事者には厳しい黒沢葉子なる裁判官はだれなのだろう?
 女性の高裁長官は2、3名しかいない。梶村氏の解説によれば、実在の人物で、この女性を最高裁判事にしないために、竹崎長官は任期前にあえて辞職したのだという。
 
 おそらく、裁判所(最高裁)の内情に精通した情報提供者もいたことだろう。縦糸となる矢口洪一の自伝や聞き取りも公刊されてはいる。上記のようにぼくは、矢口に対する評価には納得できない。
 それにしても、この錯綜した最高裁を取り巻いた群像を、よくもこのようにまとめあげたものと感心する。


 ※ 黒沢亮“法服の王国--小説裁判官(上・下)”(岩波現代文庫、2016年)。


 2016/2/6 記
 
 

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NHKラジオ深夜便 弘田三枝子

2016年02月06日 | テレビ&ポップス

 黒木亮“法服の王国”(岩波現代文庫)が面白い。

 2月4日夕方に買ってきて、深夜(2月5日の午前1時前)まで読みつづけ、上巻を読み終えた。下巻も読みたかったが、時間が不規則になるので、寝ることにした。

 寝床でラジオをつけると、NHK第1で午前1時のニュースが終わったところで、次の番組は、笑福亭笑太とラサール石井のトーク番組。
 1960年代のレコードの思い出話をしている。再放送のようだ。

 最初にかかった曲が、なんと、ピンキーとキラーズの“恋の季節”(のライブ盤)だった。ヒットした翌年の1969年のコンサートで、司会の前田武彦の声まで入っている。
 浪人時代のぼくが“お昼のゴールデンショー”ではじめて今陽子を見染めた時の司会も前田だった。
 
 笑太が「キラーズになりたかった」といっていた。ぼくも今陽子の後ろで歌っていたかった。
 その後は、雑誌「少年」の付録についていたレコード・プレイヤーなど懐かしい話題もあったが、流れる曲は、ぼくの好みの曲とは違っていた。彼らはぼくより4、5歳若いようだ。
 中津川フォークジャンボリーの吉田拓郎などをかけていたが、ぼくは嫌いだった。


 とか言いつつ、結局2時まで聞いてしまった。

 さて寝ようと思ったが、午前2時からの“心の歌”だか何だかいうコーナーが、これまた何と、弘田三枝子特集だった。
 これは聞かねばなるまい。

 しかも1曲目が“子供ぢゃないの”(“子供じゃないの”ではない!)、2曲目が“悲しき片想い”である。ともにヘレン・シャピロのカバー。
 その後も、“すてきな16歳”“ルイジアナ・ママ”“ヴァケーション”“想い出の冬休み”などアメリカ曲のカバーが続き、その後は“ナポリは恋人”“砂に消えた涙”“夢見るシャンソン人形”などヨーロッパ曲のカバーが流れ、最後のほうは“人形の家”など弘田のオリジナル曲。

 “ドーベルマン刑事(でか)”の主題歌や挿入歌が弘田の歌とは知らなかった。

 おおトリの弘田の作詞作曲という歌も悪くなかったが、曲名は忘れてしまった。

 読みかけの本“法服の王国”も1960年代末からの日本の裁判所の内幕もの、寝ようと思ったら、ラジオから流れてきた歌も1960年代末の懐メロ。
 夜中の2時3時に、日本全国でこんな曲を懐かしがって聴いている老人がたくさんいるということか・・・。

 * 写真は、“MIEKO HIROTA HIT KIT PARADE 1960's HIT TUNE COLLECTIO”(東芝EMI,2005年6月15日発売CDのジャケット)


 2016/2/6 記

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旧聞拾遺(2016年2月5日)

2016年02月05日 | 東京を歩く

 1月15日(金)に、調布市の神代植物公園に出かけた。

 この時期にしては暖かい日だったが、白梅、紅梅は2分咲きの程度。

         

        

 一番奥手にあった蝋梅は7分咲きくらいか・・・。

        

 ウイークデーにもかかわらず、高齢者(ぼくも含めて)を中心に結構な人出だった。
 水木しげるのキャラクターの飾られた茶店の近くで、休憩して帰宅。
 
 冒頭の写真は、神代植物公園の正門(?)。


 つづいては、1月13日の夕方、職場から眺めた東京の2016年の正月の夕焼け風景。

 神田の豆豆研究室の窓から西方、新宿方面を眺めたもの。

         
 
 東京の正月の夕焼けを眺めると、なぜか、ヴィレッジ・シンガーズ“バラ色の雲”(1968年)や、ブルー・コメッツ“北国の二人”(1967年)を思い出す。
 いずれも、その年の冬頃にはやっていたのではないだろうか。

 17歳、18歳の頃、この歌がラジオから流れるのを聴いて、何を(誰を?)思っていたのだろう。

        


 2016/2/5 記

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