久しぶりに近所の映画館(最近では「シネコン」というらしい。“ニューシネマ・パラダイス”の「映画館」とは似ても似つかない雑居ビルの一室である)で、山田洋次監督の“小さいおうち”を見てきた。
60歳以上の老人割引で1000円。観客の9割以上が、ぼくと同じ老人割引の恩恵を受けた者だった。まるで老人会の映画観賞会のような雰囲気。
自分も周りのくすんだ空気になじんでいるのだろうと思うと、気持ちが落ち込む。
映画自体は、まずまずの作品。
小津安二郎へのオマージュが随所に見られた。
冒頭の<松竹映画>というキャプションは当然として、火葬場の煙突から煙が上るシーンは、“小早川家の秋”だろう。
主人公の女中が奉公する家(「小さいおうち」)のテーブルの上、画面の真ん中には真っ赤な琺瑯のやかんが置いてあった。これは“彼岸花”か何か、初期のカラー作品で小津が好んだ小道具である。
同じく「小さいおうち」の垣根の脇には、昭和の東京ならどこにでもあった木製のゴミ箱が置いてある。これも様々な小津映画に出てきたものである。
取り込んだ洗濯物にアイロンをかけるシーンも、“風の中の雌鶏”から“秋刀魚の味”まで、小津の定番である。
できることなら、小津映画のカーテンショットの定番である物干し竿に下がった洗濯物が揺れるシーンがあればなお良かった。(あったかも・・・?)
そもそも「女中」が主人公ということ自体、小津映画を思わせる。
小津は「女中」を主人公にした映画は作らなかったはずだが、小津の映画にはしばしば「女中」さんが登場した。
戦前、敗戦直後までは住み込みの女中さんが登場し(“戸田家の兄妹”や“お茶漬けの味”など)、戦後しばらくになると通いのお手伝いさんになる(“晩春”や“秋刀魚の味”)。
“秋刀魚の味”では、男やもめの笠智衆の家には通いのお手伝いさんがいるらしいが、妻帯者の中村伸郎の家にはお手伝いさんはいなさそうだった。
戦後日本の実社会で、女中さんとかお手伝いさんといった存在が消滅したことを反映している。
ぼくは、“父ありき”や“戸田家の兄妹”に出ていた女中役の文谷千代子が好きだった。
黒木華も悪くはなかったが、昭和の「女中」役としては、やはり同時代を生きた文谷千代子たちの方ができがよい。
女中の言葉(女中言葉?)も文谷たち(ということは脚本を書いた小津たち)のほうがそれらしかった。
黒木華はベルリン映画祭で「主演」女優賞を受賞したというが、“小さいおうち”の脚本は「小さいおうち」の女主人である松たか子の不倫が主題になっていて、女中さんの日常生活はそれほど描かれていない。
その松たか子の不倫なのだが、どうして彼女が夫の部下の吉岡秀隆に一目惚れをし、恋をしてしまうのかが、まったく説得的に描かれていなかった。軟弱な現代風言葉づかいで喋り、時おり髪を掻きあげる吉岡のどこに魅力を感じたというのだろう。
そのため、松と吉岡との密会に心を痛める女中にも感情を移入できなかった。
狂言回し役の妻夫木聡も必要だったのか。バイク事故で足を骨折したりして、だから何なのだ!と言いたくなった。倍賞千恵子のナレーションで足りたのではないか。
倍賞のメイクが若すぎるのも気になった。北林谷栄くらいにしないと、かつてお仕えした「坊ちゃん」だったはずの米倉斉加年のあの老け方とバランスがとれない。
ラストの15分はもっと短くてよかったのではないか。
板倉正治の描いた赤い屋根の「小さいおうち」の絵が倍賞の遺品の中から出てくるくらいで十分で、板倉の戦後のエピソードなど必要なかった。
そう言えば、倍賞の亡くなった部屋の壁には「小さいおうち」の絵(?)が掛けてあったが、あれは一体何だったのか。
最近の日本映画の中では悪くはなかったけれど、「小津の時代は遠くに行ってしまったな」との思いを深くさせる映画であった。
なんでこんなに“小さいおうち”を小津と比べてしまうのか、自分でも分からなかったが、ふと気づいた。
小津の映画にも、時おり「不貞」が垣間見られたのだ。“風の中の雌鶏”の田中絹代や、“東京暮色”の山田五十鈴など。
小津は、兵隊時代も、慰安婦のいるようなところには決して近づかなかったと、浜野保樹「小津安二郎」に書いてあったが、それほど潔癖だった小津だけに、なにゆえ「不貞」にこだわりを持っていたのか興味がわくところである。
ひょっとしたら「小さいおうち」の華さんのような事情があったのだろうか。
ただし、松たか子に田中絹代や山田五十鈴の抜きさしならぬ演技はなかった。松たか子には「ヤマザキ春のパン祭り」の笑顔の方が似合っている。
2014/2/20 記