豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

村松友視「アジア幻想 モームを旅する」

2025年02月07日 | サマセット・モーム
 
 村松友視+管洋志(写真)「アジア幻想 ーー モームを旅する」(講談社、1989年)を読んだ。1989年と言えば平成元年ではないか!
 
 2007年3月8日の日付の「マーケットプレイスで購入」というレシートが挟んであったが、出品者や値段はない。古本で買ったまま放ってあったもの。
 昨日2月6日は3か月に一度の眼科の定期検査。診察を待つあいだの時間つぶしに持参した。眼科の検査の前に本を読むのは検査数値に悪影響を及ぼすのではないかと心配だが、毎回診察までに2時間近く待たされるので、本でも読んでいなければ間が持たない。
 昨日は9時半過ぎに受付をしたが、すでに50人以上の順番待ちがいた。11時半すぎになってようやく事前の視力検査の順番が回ってきた。視力検査が済んだ段階で順番は5人待ちくらいになったのだが、ぼくの前の順番の高齢の女性患者が1人で25分もかかったため、それからさらに1時間近く待たされた。
 そんな次第で、村松「アジア幻想」は100ページ近く読めたが、視力、眼圧ともに前回より数値が悪くなっていた。幸い眼底は悪化していなかった。
 ようやく診察を終え精算も済ませて屋外へ出ると12時半。眼底検査のために瞳孔を拡大させる目薬を差されたため、冬の日差しがまぶしく、青空も真夏のように青く輝いて見えた(下の写真。ぼくの目にはこの写真より10倍まぶしく見えていた)。横断歩道を渡るときも白線がギラギラと輝いて下を向いて歩けない。
 もとの勤務先に行って、後輩とランチをして帰る。下の写真は「能楽書林」のファサード、ぼくが好きな神保町の風景の一つである。

               
               
       
 さて「アジア幻想」だが、「モームを旅する」という副題がついていて、サマセット・モームのアジア旅行を村松が追体験した旅行記に、同行した写真家菅洋志の写真が添えられている。
 モームの南洋ものに登場するシンガポール、クアラルンプール、バンコクを村松が旅しながらモームを追体験する随筆だが、モームは狂言回しというか脇役で、村松が主人公の旅行記と考えたほうがよい内容。「モームを旅する」という副題にはあまり期待しないほうがよい。
 全体は4章に分かれていて、「幻想ーー?マークの誘惑」「湿潤ーーシンガポール ラッフルズ・ホテル」「芳烈ーークアラルンプール アペリティフ・シャワー」「熱鬱ーーバンコク 極東メリー・ゴー・ラウンド」という章題がついている。
 「?マーク」というのはモームのあだ名だそうで、謎めいたモームの表情や性格を意味するらしい。つづく3章は「PENTHOUSE」誌1985年5~7月号に連載されたもの。そういえばそんな雑誌があったような気もする。掲載された雑誌の性格がそうだったのか、今読んでもかなり気障な印象を受ける。
 モームは一時期(40歳の頃だった)イギリス諜報機関のスパイを務めたが(「アシェンデン」)、それは1917年、ロシアが革命の真っただ中のことだった。ケレンスキー政権を支えるという重大な任務を与えられていたのだった(200頁)。そうだったのか。「アシェンデン」を読んだときはそんな重大な任務を帯びていたとは気づかなかった。モームはロシア嫌いだという印象を持っているが、もう一度「クリスマスの休暇」を読み直してみよう。

 さて、村松だが、かつてモームも泊ったラッフルズ・ホテル、マジェスティック・ホテル、オリエンタル・ホテルに泊ってモームの幻影を探るのだが、雰囲気が残っていたのはラッフルズ・ホテルだけで、マジェスティック・ホテルは面影を残していたのはコロニアル風の白亜の外観だけで、内部は現代的な美術館になってしまっている。ただレトロなエレベーターと、隣りの建物から聞こえてくる古いタイプライターの音に、わずかに往時を偲ぶことができるだけであった。王国として一貫して英国の植民地となることを拒否したタイのバンコクは、「コロニアル風」を装うことも拒否しつづけたため、モームもバンコクには強い違和感を表明していた。
 モームは南洋ものでも決して現地人を主人公とすることはなく、植民地の支配者側の人間としてこの地にやってきたイギリス人(西洋人)を主人公とし、コロニアル風であることを好んだという。モームの南洋ものには現地人を主人公とする作品はなかっただろうか。人間を「環境の生き物」と考えるモームなら、南洋ものの主人公は現地人の方がふさわしいと思うが、イギリス人が南洋に駐留するうちに「環境」によって変わっていくというのも「環境の生き物」らしいか。

 序章の「?マーク」の謎も、結局は解けないままに村松の旅は終わる。 
 もっとたくさんのモーム作品が登場するかと思ったが、南洋ものでは「雨」がやや詳細に語られる以外は残念ながらほとんど登場しない。モームの南洋ものには上の3都市以外にももっとたくさんの作品があるが、村松はモームの南洋ものをそんなには読んでいない感じがした。
 南洋ものではなく、「要約すると」「作家の手帳」などの回想録や、「人間の絆」「お菓子と麦酒」のような自伝的な作品のほうがよく引用される。「大衆作家」として評価されながら「純文学作家」としてはイギリスでは評価されなかったというモームの作家としての地位に何度か言及があった。「20代の頃は残忍だといわれ、30代の頃は軽薄だといわれ、40代の頃はシニカルだといわれ、50代の頃は腕達者だといわれ、60代の今は浅薄だといわれる」というモーム自身の有名な言葉も2、3度登場した。これに村松は、20代で珠玉の短編を、30代で長編を、40代で評伝を、50代で自伝を書き、60代で芸術院会員になるという日本の文壇の噂を対置している(61頁)。
 高齢になってもハイティーンからのファンレターが届いたというエピソードが2、3度出てきたが、本当だろうか。確かにぼくたちが大学受験生だった1968、9年ころはモームは受験英語界で頻出作家だったから、モームを読んだ受験生は多かったとは思うが。
   
 2025年2月6日 記

 追記 どういう文脈だったか忘れたが(※モームも一九も晩年まで世間の評価を得られなかったという文脈だった)、本書に十辺舎一九のことが出てきた。一九はいまテレビで話題らしい(ぼくは見ていない)蔦屋重三郎の食客だったという(46頁)。
 蛇足 ここ数日ラジオ放送100年を記念してNHKラジオ深夜便がニッポン放送のオールナイト・ニッポンとコラボした番組を放送しているのだが、面白くないというか喧しい。オールナイト側が鈴木杏樹や名取裕子のためか、NHKの男性アンカーのテンションが高すぎる。ラジオ深夜便とオールナイト・ニッポンとはあまりにも性格が違いすぎる。深夜放送だからというだけで「コラボ」できるものではないだろう。おかげでラジオを切ってさっさと寝ることができるのはありがたいが、熟睡して昨夜は「絶望名言」の時間も寝過ごしてしまった。
 追記2 昨日(8日)朝のNHKラジオ番組に前回の芥川賞受賞者が出ていた。アナウンサーから作品における「文学性(芸術性だったかも)と娯楽性」の関係について聞かれて、シェークスピアのように発表当時は娯楽作品として多くの人に読まれながら、後世になって文学研究の対象となるような作品が理想と語っていた(ように思う)。
 村松も本書の中でモームのイギリス文学界における評価の低さについて何度か言及していて、村松自身が大衆小説(読物)と文学作品との区別にこだわりがあることが感じられた。後で調べると、昨日朝のゲストは「ゲーテはすべてを言った」という小説の鈴木結生という人だった。ラジオで聞いた限りでは「ダヴィンチ・コード」のような作品内容のようだった。伏線というかサイドストーリーとして学者による資料の捏造事件が出てくるらしい。ゲーテには興味がないけれど、捏造事件(あの事件に着想を得たのだろう)のほうには興味が湧く。(2025年2月9日 追記)


モーム「クリスマスの休暇」

2024年12月26日 | サマセット・モーム
 
 このところ「サマセット・モーム」のカテゴリーは開店休業の状態だったが、久しぶりに「モーム」の文字を東京新聞の紙面で発見した。
 12月25日夕刊の文化欄「下山静香のおんがく♫ × ブンガク🖊」というコーナーで、モーム「クリスマスの休暇」が取り上げられていた。クリスマス当夜ということで選ばれたのだろう。
 ぼくが持っているサマセット・モーム「クリスマスの休暇」(新潮社「サマセット・モーム全集10巻」、1954年、中村能三訳)は、西武百貨店軽井沢店の庭先でやっていた古本市で買った。裏扉のメモによると「1994・8・20 軽井沢千ヶ滝ショッピングプラザ(旧西武軽井沢店)の露店で、800円」とある。
 1994年、今から30年前に、西武百貨店軽井沢店(千ヶ滝店だったかも?)はすでに「千ヶ滝ショッピングプラザ」という名称に変わっていたのだった。1994年といえば、中山美穂「世界中の誰より」やZARD「揺れる想い」「負けないで」、森田童子「ぼくたちの失敗」、GAO「サヨナラ」などなどが流れていたころではないか(1992、3年頃かも)。その後千ヶ滝ショッピングプラザも閉店してしまい、今ではその建物も解体されて無くなってしまった。

 さて、モームの「クリスマスの休暇」だが、モームにしては期待したほど面白くはなかったという記憶がある。
 今回下山さん(ピアニスト、執筆家と肩書がある)のエッセイを読むと、第2次大戦勃発前夜のパリで、ピアノの上手なイギリス人青年チャーリーと、ロシアからの亡命2世で祖国にあこがれるロシア人女性リディアが出会い、チャーリーがリディアにロシアの曲を弾いてみせる。しかしリディアから「あなたにはロシアは弾けない」と断言されてしまう、といった風に紹介されている。ピアニストが読むとこういう風に読めるのだ。
 そんな場面もあったかと、本を探したけど該当場面は見つからなかった。ぼくの記憶にわずかに残っているのは、ロシア人やロシア革命、共産主義に対するイギリスの貴族階級(モーム?)の懐疑だった。今回パラパラとページをめくっていると、興味を惹かれる記述にいくつか出会った。若いころは読む気も起らなかった高見順や丹羽文雄を読んだりする今日この頃である。ひょっとしたら「クリスマスの休暇」も読み直したら面白いかもしれないと思った。

 2024年12月25日 記

サマセット・モーム/行方昭夫訳注「赤毛」

2024年05月10日 | サマセット・モーム
 
 サマセット・モーム “Red” (「赤毛」)を読み終えた。
 行方昭夫「英文精読術 RED」(DHC、2015年)で、精読した。この本の正式な書名は、奥付によれば「東大名誉教授と名作モームの『赤毛』を読む 英文精読術」というらしい。表紙の中央部分「英文精読術」の下には「Red  William Somerset Maugham 」と大書してあるが、これは副題でもないらしい。
 モームの小説の「精読」というのは、ぼくには苦痛だった。モームの小説は、英語の勉強としてではなく、小説として読むのがふさわしい。英語で読む場合も、分からない単語や文意を読み取れない文章があっても、本筋を把握するのに影響しないかぎり飛ばして、モームの筆の流れに従って読むほうがいい。
 ぼくは、モームの書いたものの大部分は翻訳で読み、一部は retold 版か abridged 版で読んだ。行方先生が「英文快読術」(岩波現代文庫)か何かで、要約版でもよいから多読せよと奨めていたので。
 “Cosmopolitans”(Easy Readers、Revised edition となっている)、“Cakes and Ale”( Macmillan Modern Stories to Remember 、Retold edition とある)、“Of Human Bondage”(金星堂、Abridged edition とある)の3作は要約版で読んだ。“Cakes and Ale” の要約版は、所々端折っただけでほぼ原文のままだったので歯が立たなかった。「幸福な夫婦・凧」は英宝社の対訳本(中野好夫、小川和夫訳)で読んだらしい。

            

 英文解釈のテキストとして読むと、解説に煩わされて話の流れを切られてしまうのである。
 行方の解説によって「なるほど」と気づかされることも少なくなかったのだが、「ここには being が省略されてます」といった解説がなくても、モームの文意をとることができる場合も少なくない。
 役に立った解説は、何度か出てくる “ecstacy” という語の性的なニュアンスを説明してくれたことと、同じく何度か出てくる “fancy” のニュアンスを説明してくれたことである。“ecstacy” は「恍惚」という訳語しか知らず、 “fancy” に至っては動詞があることさえ知らなかった。ファンシーは「空想」と “fancy” してたのだった。 現地人に対するイギリス人であるモームの偏見なども行方の指摘によって気づかされた。
 この解説その他によって、恋愛の性的な側面が「赤毛」のテーマの一つであることに気づかされた。
 
 行方解説の影響もあってか(縦組み33頁、行方昭夫「モームの謎」岩波現代文庫75頁以下など)、ぼくは「Red」は同性愛の視点から書かれた小説と読んだ。ジッドの「狭き門」が若き日のジッド自身の同性愛を描いた小説だというのであれば(ゲラン「エロスの革命」)、「Red」にもその資格はあるように思う。
 南洋の孤島に流れ着いた若い白人青年 Red の身体や容貌を、ギリシャ神話の若者のように描写するモームの目線と筆致は、まさに男性が美しい男性を見つめる視線ではないか。そして最初のうちは美しい少女として描かれる南洋の少女と白人青年の恋愛だが、その後の展開からはモームの女性に対するシニカルな視線が感じられる。ストーリーの結末も、まさに男女間の恋愛の不毛さを皮肉に語っている。
 
 ※以下、モーム「赤毛」の結末=ネタバレがあります。要注意!

 若かりし頃、同じ南洋の美少女を愛した二人の男が、数十年の時を経て出会って、一方はそれと気づかずに過去を語るという設定は、ストーリー・テラーとしてのモームの面目躍如である。途中で、「いい加減にスウェーデン人も気がつけよ」、「Red も口を挟めよ」と言いたくなることもあることはあったが・・・。
 「Red」を読むのは今回で数回目だが、久しぶりだったので、最初のうちは結末を忘れていた。しかし、モームが冒頭に登場させる老船長の容姿をこれでもかとばかりに醜く描写するのを読んでいるうちに、結末をおぼろげに思い出した。さらに、行方先生が「初対面なのに以前に会ったような気がしたのはどうしてでしょうか?」などという注釈を入れるので(54頁)、完全に思い出してしまった。
 この注釈のために、結末の「落ち」を重視した(と中野好夫「雨・赤毛」新潮文庫の解説がいう)モーム短編を読む楽しみは減殺してしまった。結末の予想は、モーム自身が本文の中で仄めかした伏線(72、78、119頁など)にとどめるべきではなかったか。

 英文読解術のテキストとしては、モームなら小説ではなく、「作家の手帳」や「要約すると」のようなエッセイのほうがふさわしいのではないか。
 ぼくとしては、英語学者の知見で読解してみせてほしい本は、モームではなく、むしろ、ホッブズの「リヴァイアサン」(とくにその第1部や、ホッブズ「法の原理」の第1部など)である。政治思想史家による翻訳は出ていて、それなりに理解できるのだが(前者は角田安正訳、光文社古典新訳文庫、後者は高野清弘訳、ちくま学芸文庫)、英語学者が英語の力でどこまで読解できるのか、どのように訳出するのかを知りたいと思う。
 モーム自身が、ホッブズの「リヴァイアサン」を、「個性を持った、ぶっきらぼうな、率直なジョンブル気質」があらわれた魅力的な文章であり、「文章を研究するものは、なによりもまず研究すべきイギリス語を書いている」と激賞しているのだから(中村能三訳「要約すると」新潮文庫227~8頁)、ぜひともそのホッブズの「イギリス語」を解釈してほしいものである。

 2024年5月10日 記

 追記 今朝病院の待ち時間に、「英文精読術 Red」の解説を読んだ。
 行方氏によると、彼は大学1年で読んだときはレッドとサリーの恋物語として読んだが、その後、この小説の主人公は語り手のスウェーデン人ニールソンだと思うようになったという(縦組み23頁以下)。
 たしかにぼくも予備校時代に読んだときは、かつて誰かが恋をした場所には、その残り香(霊気)が漂っているものだという文章(この本では96頁)がもっとも印象に残ったが(豆豆研究室2006年2月22日「木の葉のそよぎ」)、今回はこの個所にはそれほどの感興を覚えなかった。
 そうかといって、老残がモームが描くほど醜いものとも思わない。老いた(といっても40歳代ではないか)サリーのことを、太って、肌は以前よりも褐色になり、髪も白くなったなどと表現するモームの筆は悪意に満ちている。“grey” を「真っ白」などと訳してあったが、せめて「グレー」のままでいいではないか。
 そしてサリーとニールソンとの結婚の現状を「慣習と便宜だけで結びついた同棲」と書くのだが(217頁)、たとえモーム本人の結婚生活がそのようなものだったとしても、作中の夫婦までそのように描かなくてもよいだろうに、と思った。あえてニールソンをそのような嫌みな男と読んでほしかったのだろうか。彼をスウェーデン人に設定したことには、何かモームの意図があったのだろうか。
 ※2024年5月11日 追記

モーム「赤毛」ーー行方昭夫「英文精読術 Red」

2024年04月24日 | サマセット・モーム
 
 久しぶりのサマセット・モームの話題である。何年ぶりの書込みだろうか。
 行方昭夫「英文精読術ーーRed」(DHC、2015年)を読んでいる。これも買ったまま放置してあったのだが、気がついてみれば刊行から10年近く経っていた。

 モームの「南洋もの」の代表作の一つであり、モームの全短編の中でも「雨」と並んで代表的な作品だろう。ぼくが「赤毛」を最初に読んだのは、おそらく予備生だった昭和43年だったと思う。駿台予備校の奥井潔先生のテキストに「赤毛」の一部が抄録されていた。
 「かつて誰かが恋をした場所には、何年たってもその恋の残り香が感じられるものである」といった趣旨の文章がなぜか強く心に残っている。予備校のあった四ツ谷駅周辺の線路沿いの土手や、迎賓館前の歩道、若葉町公園の木陰のベンチなどには、もし訪れることがあれば、きっとモームのいう恋の残り香が感じられるだろう。ほかの人はどうか知らないが、ぼくは感じるだろう。
 原文では “fragrance of a beautiful passion” となっていた。辞書的には「芳しい香り」なのだろうが、ぼくの場合は「香り」というよりは「霊気」とでもいったほうがふさわしい。

 予備校時代のモームの思い出は以前にも書き込んだ。その後、神保町の小川図書の店頭でハイネマン版のモーム全集を見つけて、「赤毛」“Red” の入った “The Trembling of a Leaf” 「木の葉のそよぎ」1冊だけを買ったこともすでに書いたとおりである。  
 ただし、この文章を奥井先生の授業で読んだのか、奥井先生に触発されて読んだ中野好夫訳の新潮文庫版「雨・赤毛」で読んだのかは、今となっては思い出せない(手元にある新潮文庫は昭和44年の第15刷だった)。奥井先生が英文読解の授業で伝えたかったテーマは愛、友情、嫉妬、若さ、老いなど「人生」というか「人の生き方」だったと今にして思うから、この個所もテキストに選ばれていたような気がする。
 いずれにしても、この文章だけは50年以上経った今でも鮮明に覚えている。   
        
       
 
 今読んでいる行方(「なめかた」とお読みするらしい)「英文精読術」でも、ようやくこの個所に到達した(96頁~)。
 正直なところ、「赤毛」のここまでの導入部分をこれほどまでに「精読」する必要があるか、ぼくには疑問である。ぼくが一人で読むなら、ここまででは、舞台となる南洋の孤島の風景と、聞き手の船長が太った粗野であまり教養のない人物で、これからのストーリーの語り手となる痩せたスウェーデン人が何か曰くありげな過去を持つ人物であるという人物像が読み取れれば十分だと思うのだが。
 しかも、ここまで読んできたところで、「赤毛」の結末の「落ち」を何となく思い出してしまった。
 中野好夫の解説によると、モームはモーパッサンこそ最大の短編作家であり、面白い話(ストリ・テリング)は警抜な「落ち」を伴わなければならないと考えており、「雨」と「赤毛」はそのモームの短編の中でも最上のものだというから、その「落ち」を思い出してしまってはやや興ざめである(新潮文庫151頁~)。
 よくネット上の投稿で「ネタバレあり」という警告を目にするが、ぼくはそんなことを気にしたことはなかった。しかし何年振りかで読み始めたモーム「赤毛」の結末を思い出してしまっては、小説を読む推進力ががたっと落ちてしまった感は否めない。仕方ないから、ここから先は小説を読む楽しさではなく、行方先生の精読術と薀蓄にお付き合いしながら読むことにしよう。このシリーズには、まだ「物知り博士」と「大佐の奥方」の2冊が待っているのだから。
 ちなみに、わが国で最初のモームの翻訳が出版されたのは、この解説によれば中野好夫訳で昭和15年に出版された「雨」だったという。

   

 ついでに、新潮文庫版「雨・赤毛ーーモーム短編集Ⅰ」の裏表紙に載ったモーム作品一覧と、「凧・冬の船旅」(英宝社、昭和28年)の巻末に載っていた「サマセット・モーム傑作選」の一覧をアップしておく(上の写真)。後者のうち3巻から5巻は、その後日本ではなぜか出版されることがなくなってしまった 「環境の生き物」“Creatures of Circumstances” の全訳である(1、2巻は「カジュアリーナ・トリ―」の翻訳で、こっちは新潮文庫、ちくま文庫で出ている)。

 2024年4月24日 記

モーム『世界の十大小説(上)』

2022年05月12日 | サマセット・モーム
 
 サマセット・モーム『世界の十大小説(上)』(西川正身訳、岩波新書、1958年、手元にあるのは1975年18刷)を読んだ。

 上巻で取り上げられた小説家および小説は、ヘンリー・フィールディング『トム・ジョウンズ』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、スタンダール『赤と黒』、バルザック『ゴリオ爺さん』、チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパ―フィールド』の5作品。序章として「小説とは何か」というモームの小説論が載っている。
 各編は、最初に著者の評伝があり、つづいて取り上げた小説の概要とモームの評価が記されている。この評伝の部分が、まるで各作家の人生を素材にしたモームの短編小説のようで面白い。

 例えば、スタンダールはグルノーブルの弁護士を父に生まれた。フランス革命の恐怖政治がグルノーブルにまで及んだ際、貴族趣味でカトリックだった父は(商売敵の弁護士の策略によって)注意人物のリストに載せられてしまったが、スタンダールはこのことを嘆く父に対して、(商売敵の策略だったとしても)「何て言ったって、お父さんが共和国が好きじゃないのは本当じゃないか」と言い放ったという(147頁)。
 父親のことを、何も話さないケチな男だったと批判しながら、スタンダールはその父親からいくばくかの金をだまし取っていたという。たいていの子供なら大きくなれば忘れてしまうのに、彼は53歳になっても、幼いころの父親に対する恨みを抱きつづけた。

     
 ※『世界の十大小説』にかけてあったカバー。駿河台の中央大学生協のものである。

 スタンダールは、子どもの頃につけられたイエズス会士の家庭教師を憎んだことから、過激な反教権論者となり、王党派だった父と叔母への反感から共和主義者になった。それでいて革命派の集会に参加したところ無産者の不潔さと野卑な口のきき方が我慢できず、私は庶民を愛するが、庶民と一緒に暮らすことは私にとって拷問であると日記に書いている(~148頁)。
 彼は、自分の言葉づかいを純粋なものにするために、毎日ナポレオン法典を1ページ読むことにしていたという。--ぼくはこのエピソードはバルザックかと思っていたがスタンダールだった。モームは、これによって得た冷たく、平明で、自己を抑制した文体が『赤と黒』をいよいよ恐ろしいものにし、息もつけぬ面白さを増すことになったと評する(182頁)。

 ぼくは思春期の頃にスタンダールの『恋愛論』を読んだ。恋愛のハウツー書のつもりで読んだのだったが、まったく何の役にも立たないし、面白くもなかった。彼の時代背景と彼の特異な女性遍歴を知ると、あの本が20世紀半ばの日本の高校生の恋愛に何の役にも立たないことは当たり前のことである。
 スタンダールの女性遍歴、恋愛も、幼くして失った母への代償作用だったのだろう、と今回モームによる評伝を読んで思った。

     

 でも、今回の読書でぼくが読んでみようという気になったのは『赤と黒』ではなく、『トム・ジョウンズ』か『デイヴィッド・コパ―フィールド』である。『ゴリオ爺さん』は再読する気になれず、『高慢と偏見』は何であんな小説をモームが絶賛するのか、ぼくはいまだに理解できない。
 小説は娯楽である、面白いと思えない小説を無理に読む必要はないというのがモームの小説論の基本だから、彼に従って(という訳ではないが)ぼくは面白くない小説は読まない。
 で、上の2冊だが、どちらも長編である。『トム・ジョウンズ』は岩波文庫(朱牟田夏雄訳)で4冊、『デイヴィッド・コパフィールド』は新潮社世界文学全集(中野好夫訳)で3冊(しかも2段組み)もある。時間の無駄にならないだろうか。
 両方ともモームの紹介の筆が達者なので面白そうに思えただけで、どちらも17、18世紀の話しである、それほど面白くはないのではないか、とも思う。

     

 『トム・ジョウンズ』を読んで、彼の生き方に感化されたとしても、今さら瘋癲老人になるわけにもいかないだろう。『デイヴィッド・コパ―フィールド』は当時のイギリス裁判事情などに関心があった頃なら面白かったかもしれない。しかも以前にRetold版で読んだのであらすじは分かっている(“David Copperfield”,OUP, Oxford Bookworms)。短いけれど、これを再読する気にもならない。
     

 迷っているくらいならと、昨日病院に行くときに時間つぶしと思って『トム・ジョウンズ(1)』を持参した。フィールディングは人間性に関する穏健で最良の観察者であるというモームの言葉を信じて読んでみることにした。
 読み始めるとけっこう面白かった。著者フィールディングの前口上から始まるのだが、作家たるものは少数の客を呼んで無償のご馳走をふるまう紳士と思ってはならない、作家とは金さえ出すものなら誰でも歓迎する飲食店の経営者でなければならないという。この態度は共感できる。
 前口上に続いて本題に入る。サマセットシャの田舎地主にして同地の治安判事も務めるオールワージ氏がロンドンから帰宅して屋敷の自室に戻ると、わがベッドの中に1人の赤子が捨てられていたのである。何という始まり方か! まるでスティーブン・キングのようではないか。読者は、これからどこに連れて行かれるのだろうか。しかも『汚れなき悪戯』につづいて、またしても「捨て子」問題である。
 これは読めるかもしれないと思った。しかし、待っている患者が少なかったため、残念ながら第1章に入った途端に名前を呼ばれてしまった。

 もし今後『トム・ジョウンズ』についての書き込みがなければ、途中で挫折したと思ってください。

 2022年5月12日 記

モーム『作家の手帳』(新潮社)

2021年03月20日 | サマセット・モーム
 
 久しぶりに、サマセット・モームのネタを。
 モーム『作家の手帳』(新潮文庫、1974年4月5刷)をパラパラと読んだ。
 かれの70歳の誕生日の雑感が記されていた。1944年1月25日の日記である。
 ちなみに、この本は今から20年近く前に水道橋駅前の古本屋の店頭で100円均一で見つけて買った。丸沼書店の隣りの日本文学専門の店だった。かなり傷んでいるが、この絶版本を古本屋で見たことはその一回だけである。
 2007年5月27日に読み終えたようだ。日付けとともに、「天才を探して・・・」という鉛筆書きのメモがある。何を探していたというのだろうか。

 モームは、「老年になるのを考えると恐ろしくなる」という娘ライザに向かって、以前はこんな風に答えていた。
 「老年には老年のつぐない(「埋め合わせ」くらいの意味か。“compensation”では)がある。・・・つまり、自分がやりたくないと思うことは、やらなくてもすむようになる。・・・自分の身につまされるようなことのなくなった事件の経過を観察していて、十分たのしめるものだよ。たとえ自分の喜びはなまなましい(「生き生きとした」か。“vivid”では)ものではなくなるにせよ、同時に悲しみも、刺すような痛みではなくなるからね」、と(504頁)。
 しかし、70歳になったときには考えが変わったという。
 モームは老年最大の利益は「魂の自由」である、それは、「人が盛りの時代には重大に考えることがらにたいして、ある無関心さをもつようになることから生じるものだと思う。・・・羨望、憎悪、悪意から解放されることである」という(同所)。 

 きょうは、ぼくの誕生日である。
 残念ながら、ぼくは今のところ70歳のモームの境地には達していない。若いころに比べれば、穏やかになったかもしれないが、羨望もあれば、憎悪も悪意も消えない。
 おそらく、死ぬまでこれらから解放されることはないような気がする。しかし、他方で、モームと違って、生き生きとした喜びはまだ感じることができているような気がする。

 モームの諦念は70歳という年齢の故ではなく、長年執事として(?)彼に連れ添ってきた20歳も年齢の若いパートナーを亡くしたためだったのではないかと思う。訳者の解説で知ったことだが。
 ただし、70歳を過ぎてからも、なお長編を2、3本(『昔も今も』と『カタリーナ』、さらに『世界の十大小説』ほか)を書き上げたというモームの創作意欲と筆力の旺盛さには感心する。世事に対して無関心と言いながら、よくもそんなに書けるものだと思う。

 裏表紙に、訳者の中村佐喜子さんの死亡記事(読売新聞1999年10月14日)が挟んであった。「赤毛のアン」を翻訳という見出しで、その月の10日に89歳で亡くなったとある。

 2021年3月20日 記

モーム『アシェンデン』

2017年11月05日 | サマセット・モーム
 サマセット・モーム「英国諜報員アシェンデン」(新潮文庫)の金原瑞人新訳が、わが家のトイレ用図書の一員になって、もう2か月がたつ。

 ところが、さっぱり読む気になれないのである。
 時折、ちょっと前に読んだ龍口直太郎訳のものと比べてみようか、と思ってページを開いてみるのだが、すぐに読む気が失せてしまう。
 なぜだろう? 読んだばかりだからかな? と思ったりもしたが、最近になって原因の一つがひらめいた。

 ページの“見た目”が悪いのである。
 活字が大きすぎるうえに、行間がスカスカなのである。
 まるで子ども向けの文庫本のようである。ぼくも高齢で老眼は進行している。しかし、ここまで大きな活字、間の抜けた行間でなくてもまだ十分に読むことはできる。
 いったい新潮文庫はどんな読者を想定して、こんなページ・レイアウトにしたのだろうか。

         

 上の写真は、上が新潮文庫の新訳、下の左が新潮文庫の旧訳(河野一郎訳、1963年)、下の右が創元推理文庫の龍口訳(1959年)である。 
 

 しかも、その行間につけられたルビにも閉口する。
 これまた、ぼくも高齢化して時おり板書の際に漢字が出てこなくて困ることがある。しかし書かれた漢字は読むことができる。
 自慢ではないが、ぼくらの世代は、山本有三が文部大臣時代に定めたわずか881字の教育漢字だけで義務教育を終えた世代である。漢字を学ばなかったことにかけては前後の世代に負けないだろう。
 それでも「アシェンデン」に出てくる漢字くらいは読むことができる。

 ところが今回の新訳たるや、いったい何を基準にルビを振っているのか、と思いたくなるくらいにルビがついているのである。
 尻切れトンボ、中途半端、ひげを剃る、到る・・に至るまでひっきりなしである。
 極めつけは、なんと「諜報員」にまで「ちょうほういん」とルビが振ってあるのだ!
 いったいこの本を買った人は、表紙の「諜報員」を読めないままにこの本を買ったというのだろうか。

 いつからこんなことになっていたのかと、ちくま文庫のモーム、岩波文庫のモームを引っぱり出してみた。

         

 上が1996年に出たちくま文庫の「中国の屏風」、下が2008年に出た岩波文庫の「モーム短編集である。
 1950~60年頃に出た古い新潮文庫と比べると、時代が下るに従って次第に文字が大きくなり、行間が開いていくのが分かる。

 しかし、こんなことを言っているぼく自身も、やがて最近の新潮文庫のような大きな活字で、行間にルビがちりばめられた本を有難がる時が来るのだろうか。
 最近では、若いころのぼく自身が放った言葉が、ブーメランのように歳をとったぼく自身に突き刺さることが多くなっている。

 2017年11月5日 記


モーム 『英国諜報員 アシェンデン』

2017年09月15日 | サマセット・モーム

 ジュンク堂のポイントがたまっていたので、サマセット・モーム『英国諜報員 アシェンデン』(金原瑞人訳、新潮文庫)と交換した。

 『アシェンデン』は龍口直太郎訳の『秘密諜報部員』(創元推理文庫、1959年初版、1970年27版)と、河野一郎訳『アシェンデンⅠ』(新潮文庫、1963年初版、1971年11刷)を持っているが、岩波文庫や新潮文庫で新訳と銘打ったものが出ていて気になっていた。

 訳を読み比べるほどの小説でもないが、久しぶりにモームもいいかな、と思った。
 今回のものには、「前書き」が付いていた。他の2冊にはない。
 この「前書き」の最後の一文の意味が私には分からなかった。

 もう1つの不思議は、この小説のタイトルである。

 龍口訳は、表紙は『秘密諜報部員 ashenden』となっているが、背表紙や奥付は『秘密諜報部員』だけである。扉ページの裏の原題には“Ashenden”(原著の刊行年は1928年)とある。創元推理文庫の読者層を考えてのタイトルだろう。
 河野訳のタイトルは『アシェンデン』のみで、秘密諜報部員云々は出てこない。原題も“Ashenden”である。ただし、新潮文庫(旧版)の第2巻の表紙には、ゴシック体で「秘密諜報員」とか何とかというサブタイトルがついていたように記憶する。持ってないので確認できないが。


 これに対して、金原訳は『英国諜報員 アシェンデン』であり、原題は“Ashenden or The British Agent”(刊行年は記載なし)となっている。

 中野好夫編『モーム研究』(英宝社)によれば、アシェンデンの原著は“Ashenden”で、1928年刊となっている。
 ただし、この本の仏語訳は“Mr. Ashenden, agent secret”となっており、スペイン語訳は(おそらく)「秘密諜報員」というタイトルのようである。創元文庫のような要望が強かったのだろう。
 今回の金原訳に書いてある原題は“Ashenden, Or The British Agent”である。刊行年は記載なし。

 編集者の依頼に応じて、『人間の絆』の要約版を自ら作ってしまうほどのサービス精神を有するというモームだから、編集者や出版社からの要望に応じて、このようなタイトルのものも出版されたのであろう。


 2017/9/15 記


モーム 秘密諜報部員(アシェンデン)

2017年03月07日 | サマセット・モーム

 久しぶりに、サマセット・モームを。

 最近のトイレでの読書は、もっぱらサマセット・モームの『秘密諜報部員 ashenden』)(創元推理文庫、龍口直太郎訳)である。

 各編が程よい短さなので、トイレ用にふさわしいのだが、第11編「売国奴」は長くて50ページ以上ある。
 そのため、ここ数週は、こいつがなかなか終わらない。
 季節がよければ、用済み後もトイレにとどまって読み終えてしまうのだが、寒いのでそうもいかない。

 結末も気になるので、もう今日中に終わらせてしまおうと決意して、トイレから持ち出して読み終えた。
 面白かった。
 結末の、あの犬の叫声!

 創元推理文庫とあれば、あの背表紙の黒猫のマークは欠かせない。
 背表紙も写るように撮影した。

         

 ついでに、時折気が向いたときに読んでいる同じモームの『中国の屏風』(ちくま文庫、小池滋訳)も・・・。

          

 奥付を見ると、1996年3月21日、第1刷発行とある。
 ちくま文庫がモームをせっせと復刊していたころから、もう20年以上も経ったのだ。20年以上もトイレの書棚に並べられていたせいで、帯が湿気っている。
 
 ちなみに、以前書き込みをしたモーム『片隅の人生』はいつしか読み終えた。『昔も今も』と同じように、途中で投げ出してしまうかと思ったのだが。


 2017/3/7 記

 

モーム “片隅の人生”

2016年06月01日 | サマセット・モーム

 久しぶりに、“サマセット・モーム”のカテゴリーを1つ。

 最近、近所の書店で、サマセット・モームの“片隅の人生”(天野隆司訳、ちくま文庫)を見つけて、買ってきた。

 奥付を見ると、2015年11月10日の刊行である。
 半年近く経っているのに、まったく気づかなかった。広告は出たのだろうか。

 天野隆司訳は、昨年だったか一昨年だったかに、同じちくま文庫版の“昔も今も”を買った。

 ぼくは、モームはもっぱらトイレで読むのだが、“昔も今も”は、買ってから何年経ったか知らないが、いまだに読み終えていない。
 見ると、198頁にしおりが挟まれたままになっている。

 面白くないのである。
 そもそも、マキアベッリにぼくは何の魅力も感じない。
 残念ながら、モームの筆をもってしても、醜男だが、話がうまく、女を手玉に取ることができるという人物の造形に成功していない。
 おそらく、もう生涯読むことはないだろう。

 それでは、トイレでは本業以外に何をしているかというと、最近はモームの“アシェンデン”を読んでいる。
 正確には、創元推理文庫なので、“秘密諜報部員”である。
 こちらは面白い。
 “老女キング”、“ジュリア・ラザリ”の結末や、“毛なしのメキシコ人”の展開など、いかにもモーム風で、「ああ、モームを読んだな」という気にさせてくれる。
 
 短編の1編が、少し長すぎるのが欠点である。本来の用事が終わっても、短編のケリがつくまで出られないこともしばしばある。
 この点では“コスモポリタン”のほうがよい。

 やはり、モームは短編がいい。少なくともぼくには、モームは短編である。
 実は、“人間の絆”も、“剃刀の刃”も、“劇場”も、“クリスマスの休暇”も、“魔術師”も、すべて途中で投げ出してしまった。
 なんか、短編に肉付けしているというか、梗概を読んだだけで、「そういう話ね」という気になってしまうのである。

 おそらく、“片隅の人生”もそういう運命をたどるのではないか。そんな予感がする。
 まだ読み始めたばかりだが、「40頁か50頁で決着をつけてくれ」という気持ちが芽ばえてしまった。
 

 2016/6/1 記


モーム 「凧・冬の船旅」

2014年01月23日 | サマセット・モーム
 昨日の朝、注文してあったサマセット・モーム「凧・冬の船旅」(英宝社)が届いた。国立市の古本屋からで、700円だった。

 英宝社の“英米名作ライブラリー”シリーズではなく、“サマセット・モーム傑作選”の第3巻だった。中野好夫・小川和夫訳。
 奥付けに、昭和28年9月10日増刷(昭和26年8月30日初版)とある。ちなみに定価180円、地方定価190円。あの頃は「地方定価」というのがあった。

 この巻にも、口絵にモームの写真が載っている(上の写真)。

                      

 今回もかなり傷んだ本だったが、まえの「サナトリウム・五十女」に比べればかなり程度は良い。昭和26年と28年の差とも思えないが・・・。
 カバーを取ると、本体の表紙は、昭和のあの頃のフランス装というのだろうか、さっぱりした生成(オフ・ホワイト)である。こういう装丁も悪くない(下の写真)。
 中学時代に使っていた旺文社の“バラ・シリーズ”という参考書も、表紙カバーを取ってみると、こんな装丁だった。

       

  きのうの通勤の電車内で「エピソード」を読んだ。「サナトリウム・五十女」に入っている「ロマンチックな令嬢」と同工異曲、男の恋が冷めるまでの話。「サナトリウム・五十女」収録の「思いがけぬ出来事」と「グラスゴウ生れの男」とは正反対の事態展開である。
 ぼくは男の「恋」は、「グラスゴウ生れの男」や「思いがけぬ出来事」のジャックのようであってほしいと思うが、モームはそうは言わないだろう。

 いずれも、モーム・ファンでなければ、読んでもそれほど面白いとは思わないだろう。だけど、僕にとっては久しぶりのモームで、しかも前々から気になっていた“Creatures of Circumstannce”をようやく全編読み終えることができたので、それなりに満足している。

 それにしても、“Creatures of Circumstannce”(「環境の生き物」)だけがなぜ新潮社版(さらにその後1990年代に出たちくま文庫版)に収録されなかったのか。
 今回入手した「凧・冬の船旅」の巻末には、英宝社の“サマセット・モーム傑作選”の既刊目録が載っているのだが、それによると、第1巻「手紙・奥地駐在所」、第2巻「東洋航路・環境の力」、第3巻本書、第4巻「大佐の奥方・母親」、第5巻「サナトリウム・五十女」のラインナップすべてが「英宝社版権所有」となっている。
 第1、2巻は田中西二郎訳で新潮社版全集にも新潮文庫にも収録され、中野=小川訳も「カジュアリーナ・トリー」としてちくま文庫版に入っている。ちくま文庫版は後書きに「英宝社から刊行された」と書いてある。なのに、何ゆえに「環境の生き物」だけはこのようなことになっているのだろうか・・・。

 2014/1/23 記

モーム 「昔も今も」

2014年01月20日 | サマセット・モーム
 
 下の写真の人物、誰だか分りますか?
 サマセット・モームだそうです。モームもこんな小林旭みたいなポーズをとる(とらされる)ことがあったとは・・・。
     

 中野好夫・小川和夫訳『サナトリゥム・五十女』(英宝社・モーム傑作選・5)の口絵に載っていた。
 背表紙がいまにも剥がれそうなので、スキャナーの蓋を閉めないままでスキャンした。
 ひどく汚れた本だったが、昭和26年7月1日発行なので仕方ない。何と言ったって60年以上前の本である。カバー付きで残っていたほうが奇跡かもしれない。
 ぼくがまだ1歳だった頃、誰かがこの本を読んで受験勉強をしていたのかと思えば、我慢もできよう。最初の所有者はまだご存命なのだろうか。どのような経路をたどって名古屋の“シマウマ書店”なる古本屋にたどり着いたのだろう。
 
 新刊書がまだ売れ残っているのを発見した『大佐の奥方・母親』(英宝社・英米名作ライブラリー、1986年、第16刷)を買いに行ったついでに、『昔も今も』(ちくま文庫)も買ってしまった。
 訳者の後書きを読むと、この新訳本もずいぶん数奇な運命をたどって出版にこぎつけたようだ。記念に表紙をアップしておく。
 他のちくま文庫版モーム・シリーズと違って和田誠のイラストではないけれど・・・(冒頭の写真)。

 もう一つ、ついでに研究室の書棚を片づけていたら、朱牟田夏雄編『サマセット・モーム』(研究社出版、1966年)が出てきたので、これもアップしておく。
 行方昭夫氏が朱牟田先生と一緒に書誌情報などを執筆している。

      

 きょうの授業で2013年度の講義がすべて終わった。
 あとは期末試験の監督、採点、そして入試が終わると卒業式になる。

 2014/1/20 記

モーム 「大佐の奥方・母親」

2014年01月20日 | サマセット・モーム
 * 前の書き込みが長すぎたので(文章が長いというよりは、本の表紙の写真が縦長なので)、2つに分割した。

 さて、「サナトリウム・五十女」「凧・冬の船旅」の古本は、ともに1000円以内、「大佐の奥方 母親」に至っては、吉祥寺のジュンク堂書店で、新刊書として売られていることがネット検索で判明した。
 さっそく吉祥寺まで出かけて購入した。当時の値段のままだったが、ただし消費税が3%から5%に上がっていた。
 通勤電車の中で「体面」と「母親」を読んだ。同じスペイン物だが、戦前に書かれた「母親」よりは、1940年代になって書かれた「体面」のほうが僕には面白かった。

 全体を通して読んで感じたことは、これらの作品は(当然ながら)一つのまとまった短編集でとして読まれるべきだということである。
 いずれの短編も、主人公はまさに「環境の生き物」なのである。ある者はスペインという風土が生んだ人物であり、ある者は南太平洋という風土が生んだ人物という違いはあるが、結局はすべて「環境の生き物」なのである。
 しかも、ほとんどの短編の真の主人公は、語り手の男性や、主人公であるかのように描かれている男性ではなく、その背後にいる一見すると影が薄いように見える女性である。
 モームは、女性のことを「環境の生き物」と表現したのかもしれない。

 この連作ともいえる作品群の中からいくつかをピックアップして、面白いものだけを『短編集』にしてしまっていいのだろうか、という疑問が湧いた。
 確かにそれほど面白くない作品もあるのだが、やはり一まとまりの作品群とし読んだほうが(つまらない作品も含めて)ぼくには面白かった。

 ところで、なぜ『環境の生き物』は新潮社版の全集に収められず、新潮文庫にも収録されなかったのだろうか。
 今回入手した英宝社『英米名作ライブラリー』版の扉裏には「日本語版版権英宝社所有」とある。当時モームは受験英語の世界のドル箱の一人だった。ひょっとしたら、訳者の中野好夫が英宝社に配慮し、それで新潮社の「全集版」にも収録されなかったのだろうか。
 モームは長生きしたけれど、そろそろ著作権も切れる頃ではないだろうか。どこかの文庫本に入ることを期待したい。もちろん英宝社が再版してくれればいいのだけれど。 

 2014/1/17記 (2014/1/21追記)


モーム 「サナトリウム・五十女」

2014年01月19日 | サマセット・モーム
                  ▲ 「サナトリウム・五十女」の裏表紙

 わがブログ“豆豆先生の研究室”のコラムのうち、閲覧された頻度のベスト10というのを無料で見ることができる。
 先日それを見たら、サマセット・モーム関連のページがベスト10入りしていた。モームのカテゴリーは、今からちょうど4年前(!)、2010年1月17日の書き込みが最後だったにもかかわらず、誰かが覗いてくれたらしい。
 モームの『指針』という翻訳本の悪口が書いてあった。

 ずいぶん長いこと放ったらかしていたものである。モームへの関心の衰えが原因だろう。
 この間、岩波文庫から『アシェンデン』『夫が多すぎて』『人間の絆』『お菓子とビール』『サミング・アップ』などが次々に刊行され、ちくま文庫からも『昔も今も』が出ているけれど、いずれもすでに読んだものばかりだったので(『夫が多すぎて』は読んでない。)、食指が動かなかった。

 モームのベスト10入りをきっかけに、Googleでモーム関連のページをあれこれ検索しているうちに、以前からずっと気になっていたことが再燃してしまった。

 それは、短編集“Creatures of Circumstannce”(1947年。『環境の生き物』)の翻訳本をもっていないことである。そのため、収録された短編を一つのまとまりとして読んだことがない。
 一部は、以前まだ売られていた英宝社の『英和対訳モーム短編集』(中野好夫、小川和夫、瀬尾裕訳)や、岩波文庫の『モーム短編集(下)』(行方昭夫訳)などで読むことができたが、残ったものが気になっていた。
 
 どうやら英宝社の「モーム傑作選」、「英和対訳シリーズ」などを経て、最後は1990年代に同社の「英米名作ライブラリー」というシリーズから、「サナトリウム・五十女」「凧・冬の船旅」「大佐の奥方・母親」の3分冊で出ていたらしい。しかし、その後は版元品切れになってしまった。

 調べると、“Creatures of Circumstannce”は「英米名作ライブラリー」では以下のような構成になっている。
                  
「サナトリウム・五十女」 英宝社・英米名作ライブラリー(1956年)
  1 Appearance and Reality 仮象と真実 1934
  2 A Woman of Fifty 五十女 1946 
  3 A Casual Affair 思いがけぬ出来事 1934
  4 The Romantic Young Lady ロマンチックな令嬢 1947
  5 A Man from Glasgow グラスゴウ生れの男 
  6 The Sanatorium サナトリウム 1938  

                          

「凧・冬の船旅」 英宝社・英米名作ライブラリー(1955年)
  7 The Kite 凧  
  8 Episode エピソード 1947
  9 Unconquered 征服されざる者 1943
  10 Winter Cruise 冬の船旅 1943 

「大佐の奥方・母親」 英宝社・英米名作ライブラリー(1955年)
  11 The Colonel's Lady 大佐の奥方 1946 
  12 Flotsam and Jetsam 根なし草
  13 The Happy Couple 幸福な夫婦 1908 
  14 The Point of Honour 体面 1947 
  15 The Mother (La Cachirra) 母親 1909

 いずれも、Amazonに出品されているのがすぐ見つかったが、2500円とか4800円とか結構な値段が付けられていた。そこまでの大枚(?)を叩いてまで欲しいわけではない。
 あれこれ探しまわって、ようやくリーズナブルな値段で3冊ともそろえることができた。
 「サナトリウム・五十女」は「日本の古本屋」の中の古書店で、「凧 冬の船旅」は「スーパー源氏」の中の古本屋で見つけて、さっそく注文した。
 値段はいずれも1000円以内だった。

 2014/1/17 記
 

モーム「指針」

2010年01月17日 | サマセット・モーム

 この2、3日前から、風邪をひてしまった。

 昨日、かかりつけの医者に行った。待ち時間に読もうと、サマセット・モーム「指針」(創造書房、1996年)を持っていった。
 半年か1年ほど前に、アマゾンで買ったままだった。
 定価は2000円だが、品切れで定価より少し高かったが、書店では見かけたこともないので1 clickで買ったものの、放ってあった。

 待合室は超満員。新型インフルエンザの予防接種の高齢者が多い。
 読み出したが、訳が悪い。高校生の英文和訳の答案を読まされているような気分になる。
 モームを読んでいる気にはとてもなれない。ほかの訳者のものを読んでみるが、同じようなもの。3番目にするが、これも同じ。
 もともと風邪で気分が悪いうえに、待合室は閑人で混んでいる。訳はひどい・・・。読書はあきらめて、目をつむって堪えることにした。

 2010/1/17