豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

冬の浅間山、80円切手

2007年02月27日 | 軽井沢・千ヶ滝

 2006年8月22日に投稿した“2泊3日の軽井沢案内”の最終日、8月15日(火)のことです。

 関西から初めて来軽した義姉(あね)を信濃追分駅に送っていったところ、さすがお盆休みの最終日とあって、2、3台分しかない駅前の駐車スペースはもちろんのこと、駅沿いの道の両脇もぎっしり車が駐っていたため、仕方なく駅の上手にある追分郵便局の駐車場にクルマを駐めさせてもらいました。

 申し訳ないので、局内に入って、軽井沢限定(?)の“ご当地切手”を買いました。そのうちの1枚が、この、雪をかぶった冬の浅間山の80円切手です。いくら高原の秋は早いといっても、お盆休みの終わり頃ではまだ季節はずれの感じでしたが、いつの間にか短い秋が去り冬も過ぎようとしています。

 すでに、もう季節はずれかも知れないですが、今回も桜田淳子ものだと、“最近の投稿”欄がすべて桜田淳子関連になってしまうので(それでも別に構わないのだけれども)、今回はあえて無理やり軽井沢関連にしました。

 2007/2/27


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桜田淳子の勉強部屋

2007年02月26日 | テレビ&ポップス
 
 どこかの芸能週刊誌か女性週刊誌の“学生タレントの勉強部屋”という特集で紹介されていた当時の彼女の部屋。
 成城の住宅街にある事務所の社長の自宅の一室に住んでいるといった記事がついている。

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桜田淳子、グリコのコメッコ

2007年02月25日 | テレビ&ポップス
 
 グリコの“コメッコ”(どんなお菓子だったか)の宣伝用カード。手帳サイズの見開きで、裏は1976年から78年までの3年用のカレンダー。当時ずっと僕の定期入れの中に入っていたので、一部すり切れている。ちなみに、同じくグリコのコメッコの宣伝用の下敷きも残っている。水色と白のダンダラ模様のニット帽をかぶった彼女が白い歯で微笑んでいる。
 これも、彼女が米どころ秋田出身の秋田小町(秋田おばこ)ということで起用されたのだろうか。
 下敷きといえば、エスエス製薬の風邪薬(ジキニン?)の宣伝用下敷き(もちろん桜田淳子の)もあったはずだが見つからなかった。

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桜田淳子の“少年サンデー”

2007年02月24日 | テレビ&ポップス
 
 週刊誌の表紙を飾った桜田淳子、第4弾。
 今回は、「少年サンデー」1975年4月20日号。
 ちなみに表紙に載っている連載は、楳図かずお「ねがい」、「ムサシ」など。

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桜田淳子の怒った顔ってどんな顔?

2007年02月23日 | テレビ&ポップス
 
 週刊誌の表紙を飾った桜田淳子シリーズ、第3弾。
 今回は、「少年チャンピオン」1975年5月12日号の表紙。

 当時ぼくはすでに25歳だったのだが、25歳にもなって、まだこんなもの(失礼!)を集めていたのだろうか・・。
 ちなみに、「ブラック・ジャック」「ドカベン」「がきデカ」などが連載されている(らしい--表紙だけで中身は捨ててしまったので)。

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桜田淳子からの葉書

2007年02月22日 | テレビ&ポップス
 
 今回は、桜田淳子から送られてきた(そんなはずはないけれど・・)テレビ番組の宣伝用のはがき。

 表の側には、
 “「てんつくてん」につづいて、ドラマに歌に、ことしもがんばりま~す!!” 桜田淳子
  NTVネットワーク
  □ 毎週月→土アサ7:45~8:00 「カリキュラマシーン」4/1
  □ 毎週土ヨル9:00~9:55 「求婚旅行」4/6 スタート
 と印刷されている。ここに書いてある番組に桜田淳子が出演していたのか、たんなる日テレの宣伝用葉書なのかも不明。
 これも1975、6年頃のものか?

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不二家 “トプシー”

2007年02月21日 | あれこれ
 
 回想のCMソング

 ① 不二家 “トプシー”

  さあ、目を閉じて 
  はい、眼を開けて
  君のかわいい 手のひらに
  金色の夢を のせてあげよう
  おしゃれな 不二家トプシー
  愛のよろこび 恋の甘さを
  Golden Dreams トプシー

 ボブ・マグラスが歌っていた不二家のトプシーというチョコレートのCMソング。ボブ・マグラスは一時“セサミ・ストリート”にも出ていた。見てくれは少しふけていたけれど、甘い声は昔のままだった。ぼくたちの子どものころは、不二家のミルキーでできた七五三の千歳飴もあった。やたら歯にへばりついた。
 不二家はどうなってしまうのだろう。雪印と同じ運命をたどるのか、山崎パンの子会社になるのか。松たか子ファンとしては、山崎パンも悪くない。
 前に書いたことのある紅梅キャラメルのほかにも、仁丹野球ガム(ロッテやハリスよりもチューインガムの枚数は1枚少ないかわりに、横長のチューインガムと同じ形と厚さをした野球選手カードが1枚入っていた)や、フルヤ・ウィンター・キャラメル(スキーのジャンプ選手がモノクロームで箱に描かれていたように思う。一度潰れてそれこそ雪印かどこかが引き継いだのではなかったか)、ワタナベのジュースの素(1袋5円)なんてのもあった。渡辺プロと関係あるのか?

 ② ヴィレッジ・シンガーズが歌うコカ・コーラの歌

  風のなかで 君がつぶやく
  小麦色した 夏の終わりを
  コカ・コーラ
  恋するふたりで
  幸せの夢を 作ってあげよう 
  スカッとさわやか 
  コカ・コーラ

 ちょっと歌詞の記憶はあやしいけど・・。ヴィレッジ・シンガーズだから1967、8年ころではないか。コカ・コーラやペプシ・コーラが普及し始めたころ、森永からもクラウン・コーラというのが出たけれど、たちまち撤退してしまった。ただし森永からは森永スパークという飲み物が出ていた。森永は“スパーク・ショー”という木崎義二や星加ルミコの出る音楽番組も提供していた。土曜日の午後だったと思う。ミッション・コーラなんてのもあった。
 1959年か60年ころの軽井沢スケートセンターの“真夏の夜の夢”(渡辺プロ主催のショー)の入場者に無料で配られたコカ・コーラは、のちに日本で普及することになった甘ったるいコカ・コーラとはまったく別物の薬のような味で、小学生にはとても飲めなかった。
 
 * 写真は、1983年のマクドナルドの“コークのまた来てキャンペーン”のカード。このクーポン券を持参するとコカ・コーラSサイズが1杯無料になったらしい。しっかり使ったらしく右下が切り取られている。
 カードは“Screen in Fifties”というシリーズの1枚で、期間中8種類デビューすると書いてある。家にはこの1枚しかないけれど、「サンセット大通り」「アニーよ銃をとれ」「巴里のアメリカ人」「欲望という名の電車」「ローマの休日」「理由なき反抗」「慕情」「暴力教室」「お熱いのがお好き」の9タイトル(!?)が列挙してある。

  2007/2/28

 ※ その後ネット上で、「クラウン・コーラ」「ミッション・コーラ」に関する情報があがっていることを知った。
 「クラウン・コーラ」は正式には「ロイヤル・クラウン・コーラ」といい、全米で第3位の発売を誇る商品だった。日本では壽屋(後のサントリー)によって1962年から発売されたが、業界1位のコカコーラ、2位のペプシコーラに大きく水をあけられたため、1974年に撤退したようだ。
 「クラウン・コーラ」が森永発売というのは誤りだった。商標が森永とよく似た王冠(クラウン)形だったので誤解したか誤って記憶したらしい(負け惜しみ)。
 「ミッション・コーラ」のほうは驚くなかれ、国産のコーラで、コカコーラなどの輸入に先駆けて1953年(昭和28年)に販売が開始されたという(日本清涼飲料検査協会おHPによる)。
 わが国でのコーラ飲料の生産が始められたのは、戦後の1952年(昭和27年)にウインコーラ、1953年(昭和28年)にミッションコーラ

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桜田淳子、スプーン一杯の幸せ

2007年02月21日 | テレビ&ポップス
 
 難病のバドミントン選手物語は、“スプーン一杯の幸せ”という映画だったようだ。その撮影風景というのがどこかの女性週刊誌に載っていた。「桜田淳子、初の主演映画」と書いてある。共演は、坂上二郎の長男だったらしい(!)。
 映画の内容はあまり記憶にないのだが、こんな制服姿が似合う子だったように思う。

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桜田淳子、雪の春

2007年02月20日 | テレビ&ポップス
 
 桜田淳子が表紙を飾った週刊誌シリーズ、第2弾。
 「少年マガジン」1975年3月30日号。篠山紀信・熱撮巻頭カラーグラフ大特集“淳子・雪の春”とある。
 秋田出身ということで、こんな格好をさせられたのだろうか? 3月30日号の表紙としては少し季節はずれではないかと思うのだが、近年の暖冬とは違って、1975年当時は、3月30日号が発売される頃でもまだ寒かったのかもしれない・・。

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桜田淳子、外苑東通りで

2007年02月19日 | テレビ&ポップス
 
 桜田淳子の“四谷警察署一日署長”の写真です。外苑東通りの都バス“左門町”バス停(当時は「大日本茶道学会前」とサブネームがついてました)の前で、1975、6年頃に撮ったものです。
 人ごみの後ろのほうから慌てて撮ったので、ちょっとピンボケです。なんか恥ずかしそうに肩をすぼめている様子です。
 これからしばらく、ネタ切れのときは桜田淳子モノで行くことにします。

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桜田淳子、復活?

2007年02月05日 | テレビ&ポップス
 桜田淳子が芸能界に復帰するというニュースを目にした。「婦人公論」か何かに彼女のインタビュー記事が載ったというようなことだった。いずれにしても、かつて桜田淳子のファンだった一人としては大歓迎だが、今の芸能界で彼女にどんな仕事があるのだろうか。
 桜田淳子というのは、歌が上手いわけでもなく(山口百恵には敵わない)、演技力があるわけでもない(白血病のバドミントン選手役の映画を見たけど・・・)。見た目だけで許せるほどかわいいアイドルというわけでもない。三人娘の中でも中途半端な位置にいたように思うが、なんか旅先の鄙びた駅のベンチに座って1時間に1本しか来ない鈍行列車を待っている田舎の中学生のような感じがして、ぼくは好きだった。
 桜田淳子に関しては、ぼくは結構いろんなグッズを持っている。当時彼女が表紙になったりグラビアに登場したりする「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」などは気がついたものはすべて買ったし、「サンデー毎日」などの一般週刊誌も集めた。
 彼女の所属していた“サン・ミュージック”は四谷4丁目にあったが、その縁だろう、あるとき彼女は四谷警察署の一日署長になって、四谷警察から信濃町駅に向かって外苑東通りをオープン・カーでパレードしたことがあった。当時、ぼくは左門町にあった出版社に勤めていたが、社のカメラマンを連れ出して彼女の写真を撮ってもらった。で、ぼくは桜田淳子の生写真も持っている。
 
 もし、ぼくに《みうらじゅん》の才覚があったら、子どものときから集めていたあれやこれやを捨てないでとっておくのだったが、「野球少年」や「少年」などについていた付録(子供だましの“火炎放射銃”!!だとか)から、毎年の「ファン手帳」(今でいうプロ野球選手名鑑)まで、残念なことにみんな捨ててしまった。
 切手何十円だか何百円分を送って手に入れた「少年探偵手帳」だとか、「少年探偵団バッジ」(通称BDバッジ)なんてものもあった。万が一悪い奴(怪人20面相)に拉致・誘拐されたときは、道々このBDバッジを撒いておけば、誰かが気づいて助けに来てくれることになるのだが(ヘンゼルとグレーテル!)、1個何十円もするバッジをそうそう簡単に撒くわけにもいかない。
 「少年」には「がらくた君」という漫画が連載されていて、毎回主人公の“がらくた君”が大事にとってある下らない品物について、その思い出を回想するという趣向だった。せっかくそんな漫画が載っていたのだから、老後の懐古趣味のためにとっておけばよかったのだが・・。「平凡パンチ」、「少年マガジン」、「高校時代一年生」などは、神保町のしかるべき古本屋に行くとそれなりの値段で売りに出されているが、「野球少年」などはその手の店でもついぞ見かけたことはない。
 しかし、桜田淳子モノだけは何故か捨てないで残っているのである。
 

(写真は、「平凡パンチ」1976年10月16日号の表紙)


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軽井沢物産館、珈琲牛乳の瓶

2007年02月03日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 いよいよ何も書くネタも出来事もないので、ふと目にとまった“軽井沢物産館珈琲”の空き瓶をアップします。机の上で筆立てに使っています。牛乳瓶としては広口のほうですが、それでもボールペン3本で一杯になってしまいます。
 ま、夏の軽井沢旧道を時おり思い出させてくれるので・・。

2007/2/3

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