宮田道一『草軽 のどかな日々』(ネコ・パブリッシング、2003年)という本をアマゾンで見つけたので、さっそく買った。
すでに廃線になって久しい草軽電鉄の車両と沿線風景を集めた56頁の薄い写真集だが、懐かしい往時の草軽電車をしのぶことができた。
何度もこのコラムで書いたことだが、ぼくは残念なことに、草軽電車に乗ったことがない。わずかに旧軽井沢駅(今の“旧軽銀座”の入口あたり)に停まっているのを見た記憶が残っているだけである。
最後まであのように風変りな形をした電気機関車に牽引されていたらしいが、あの電気機関車(カブト虫と呼ばれていたらしい)を見た記憶はない。
下の写真は、現在の旧軽井沢ロータリー脇の旧軽井沢駅舎跡に建つ草軽電鉄「旧軽井沢駅」の標識風の道案内板。
最近になって草軽電車の復活運動などもあるらしいが、もはや手遅れだろう。先日NHKの“世界の街歩き”(?)でヨーロッパのどこかの街を歩いていたが、その街では路面電車は廃止になってしまったが、いつか復活する日のために線路は撤去しないで残してあると紹介していた。
昭和34、5年頃の軽井沢には、そのような展望をもつことができた人はいなかったのだ。ときどき心の中に思い浮かべるしかない。
夏休みに軽井沢で見た木下恵介監督の“カルメン故郷に帰る”は、軽井沢が舞台の映画だった。
草軽電車に乗って主人公のカルメン(高峰秀子)が北軽井沢駅に降り立つシーンで始まり、再び彼女が北軽井沢駅から草軽電車に乗って軽井沢を去っていくシーンで終わる。
冒頭には、彼女が乗った草軽電車の電気機関車のボンネット(?)の上にゴザを敷いて、旅館の主人と番頭が話しているシーンがある。走行中の電車である。こんなことが草軽電車ではできたのだろう。
小学校長の笠智衆たちが北軽井沢駅のプラットフォームで出迎えるシーンも、のんびりした雰囲気が伝わってきて、当時がしのばれる。
映画の中の草軽電車は3両編成で、電気機関車、客車が1両、そして最後に無蓋車が連結されていた。
先頭は「デキ12号」という電気機関車。通称「カブト虫」と呼ばれていたらしい。映画の冒頭のシーンでは、ボンネットの方が進行方向を向いていて、その上に人が座っていた。
続いて客車。北軽井沢駅に到着した電車から高峰秀子が降り立つシーンだが、客車の窓から物珍しそうに映画の撮影風景を眺める乗客たちの表情が印象的である。
最後が無蓋車。本当は荷物べも運ぶのだろうが、映画のラストシーンでは、高峰秀子と相方が乗って、沿線の人たちに投げキッスを連発していた。
関心のない人にとっては有難みのない古びた写真に過ぎないだろうが、ぼくにとっては万感胸に迫る(ちょっと大げさ)写真である。ぼくの記憶では客車はもっと短かったように思う。昭和34、5年頃は無蓋車は連結されていなかったのではないだろうか。
ちなみに“カルメン故郷に帰る”の舞台は北軽井沢という設定になっているが、撮影は中軽井沢でしたのではないだろうか。佐野周二がオルガンを弾き、佐田啓二がフォークダンスを踊っている校庭は、背後に写っている浅間山の形からすると、中軽井沢(当時は沓掛)で撮影したのではないかと思う。国道18号から眺める浅間山のかたちに見える。
左側の小さい山が石尊山なら、軽井沢中学校か東部小学校あたりのような気がするが、あれが小浅間山だと、やっぱり浅間牧場か北軽井沢なのだろうか・・・。
笠智衆が浅間山に向かって詩吟をうなるシーンがあったが、この浅間山はまさしく北軽井沢側からの眺めである。
* 文中の写真は“カルメン故郷に帰る”から。
2010/10/28