我妻栄(わがつま・さかえ)『家の制度--その倫理と法理』(酣燈社、昭和23年)を読んでいる。
相変わらず、明治民法制定(明治31年、1898年)前後の婚姻法の文献を読む一環として。
今日は本の中身ではなく、漢字の問題を。
去年の秋ころ、堀辰雄を旧字体(旧漢字)、旧仮名遣いの古い新潮文庫で読むのに苦労したことを書いた。あの時は、IMEパッドを使って、読めない漢字をマウスでなぞって読み方と意味(訓読)を調べたが、ぼくが読めない漢字はすべてIMEパッドで調べることができた。IMEパッド恐るべし、と思った。
今回も、しばしば(堀は「屡々」という書き方をしていたが、IMEパッドや辞書では、「屡」1文字で「しばしば」と読むらしい)IMEパッドのお世話になっている。
今までに調べた漢字は以下のごとし(他にもあるが)。
籠る「こめる」、搦る「からめる」などは、堀を読む時にも調べた気がする。
「娶す」は、「娶る」なら「めとる」と読めるのだが、「娶す」は何と読むのか分からず、調べると「しゅす」という読みがIMEパッドに載っていた。「めとる」は嫁取りする意味で、「しゅす」は「嫁ぐ」という意味か。
「羸弱」という漢字も分からなかった。近親の血族間で生まれた子には「羸弱」の者が多いという文脈からして「虚弱」くらいの意味だろうと推測できるが、読み方は分からない。四苦八苦しながらマウスを動かして「羸」という字をなぞってみると、候補の中にしっかりとこの文字が出てきた。音読みで「るい」と読むことが分かり、訓読みとして「つかれる、やせる」とあるから、意味も確認できた。
なお、「羸弱」という文字が出てきたのは、奥田義人『親族法・上(親族法制)』(中央大学発行)という本の94頁である。発行年月日は記載されていない。毎年出版された講義録の1冊なのだろうが、堂々の講義録である。
奥田は、明治民法を起草した法典調査会で民法整理委員を務めた人物で、中央大学の教授、学長も務めた。後に政界に進出してからは東京市長や文部大臣、法務大臣なども務めた人物である。
大正時代の米騒動、労働運動などの社会的変動に危機感を抱いた支配層が、臨時法制審議会を設置して、民法を改正して「家」制度を強化しようと試みた際には、法相として「醇風美俗」を振りかざして家制度の強化を唱えた中心人物の1人でもある。法務大臣の仕事は、死刑執行のハンコを押すだけではないのである。
それにしても、この当時の学生たちは「羸弱」などという漢字を読めたのだろうか。
さて、今回は、IMEパッドを使っても分からない文字にはじめて出会った。それが「酣」という漢字である。
標題にした我妻栄さんの『家の制度』という本の出版元が「酣燈社」となっていたのだが、読み方がわからない。つくりが「甘」だから、「かん」と読むのだろうと想像はつくが、確認はできない。そこでIMEパッドでなぞってみたのだが、「酉」偏(部首?)に「甘」という文字は候補の中に出てこない。
そこで久しぶりに「漢和辞典」をひっぱり出してきて(といってもカシオの電子辞書EXワードなのだが)、音訓索引で「かん」を探すと、予想通り「酣」の字が出てきた。さっそくそのページを引くと、この漢字は「かん」と音読するが、訓読みは「たけなわ」で、意味は「酒を飲んでうっとりとするさま。また、酒宴が最も盛んなころおいにある。酒宴が佳境に入る」とあって、「酒酣ニシテ、上筑ヲ撃ツ」(漢書)という例文が出ていた(『漢字源』学研)。
ワード文書で、「たけなわ」とキーボードを打つと、ちゃんと「酣」という文字が出てきた。何でIMEパッドには出てこなかったのか。
「たけなわ」という言葉は使ったことがあるが、こんな漢字だったとは知らなかった。漢字検定だと何級くらいの難しさなのだろう。
戦後間もない昭和23年に「酒酣」に至るほどの酒宴を張ることなどできたとは思えないが、「酣」の「燈」(酒宴の席のともし火)とは、ずいぶんお洒落で風雅な社名ではないか。所在地は東京都千代田区神田鎌倉町6番とあるが、神田鎌倉町とは今のどの辺なのだろう。
なお、本書の装丁は長男の我妻洋さんの手になると栄さんの「まえがき」にあり、巻末に洋さんの「後記」が付いている。「男女の平等とか、子の人格の尊重」が言われるようになったが、われわれの家では何一つ変化はなかった、父にとってそれは理想ではなく既に実行された事実なのだと書いてある。
戦争中に、空襲警報の出るなか、夜半まで鉄兜をかぶって本を読んでいたことなど、我妻さんの生活の一端がうかがえる後記である。
でも、我妻栄さんといっても、若い人は知らないだろうな。この本の裏表紙に、彼の死亡記事の切り抜きが貼ってあったが、1973年10月21日に亡くなられている。76歳だった。
もう、若い人どころか、60歳代の法学部出の人でさえ、知らない人がいるかもしれない。
ぼくは、亡くなる年かその前年の5月3日に、岩波書店主催の憲法記念講演会で一度だけ講演を聞いたことがある。その時も声がやや嗄れていて、話し辛そうにされていた記憶がある。
2022年11月25日 記