豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“雨の朝パリに死す” “汚名”

2008年04月19日 | 映画
 
 春休みに買って、見たけれどつまらなかった駄作を2点。

 “雨の朝パリに死す”の致命傷は、何といっても、エリザベス・テーラーの相手役のヴァン・ジョンスンというのがまったく魅力がないことである。
 なんでシャンゼリゼで偶然すれ違っただけの、こんな面相のアメリカ兵に、エリザベス・テーラーが一目惚れしてしまうのかが、まったく理解できない。ぼくにはボードビリアンにしか見えないのだが。
 しかもご丁寧に、エリザベス・テーラーの姉のドナ・リード(“うちのママは世界一”の!)までもが彼に惚れてしまうのである。 

 その先のストーリーもだめである。エリザベスが売れない作家の健気な妻を演ずるのも無理があるし、そもそも作家の生活を映画で描くこと自体に無理があるのではないか。

 “紳士協定”でも、グレゴリー・ペックの演ずるドキュメント作家の生活ぶりはいまひとつだった。どうしてもも描くなら、“ティファニーで朝食を”のジョージ・ペパード程度に、おしゃれなジャケットを着て、時どきタイプライターの前に座ってタイプを打つくらいにしておいたほうがいい。

 “雨の朝~”は、その昔、原作を(翻訳で)読んでいたが、まったく記憶に残っていない。 
 飯島淳秀訳『雨の朝パリに死す』(角川文庫、1980年)で、1981.8.5(水)了と記されている。
 短編が5本収められているが、①冬の夢、②金持ちの青年、③雨の朝パリに死す、と順位がつけてある。どんな基準だったのか。
 
 ちなみに、角川文庫の表紙カバーは映画のスチール写真で、作家とエリザベス・テーラーが抱き合っているシーンだが、エリザベスの横顔にさえぎられて、男の顔は見えないようになっている。
 おそらく角川の編集者も僕と同じ感想をもったのだろう。

 ところで、それまでの角川文庫は、岩波文庫と同じような古典作品のライン・アップだったが、1970年代から、独自色を出そうと映画の原作などを出すようになっていた。

 『雨の朝・・』の巻末の文庫目録にも、『ファニー・ヒル』、『悪徳の栄え』、『軽蔑』、『ジョンとメリー』、『クリスマス・ツリー』、『ナタリーの朝』、『ベッツィー』、『マッシュ』、『17歳の夏』、『ジョニーは戦場へ行った』、『ラブ・ストーリー』などなどが並んでいる。
 『雨に濡れた舗道』、『思い出の夏』など、東宝東和の原作モノも多かった。

 もう1本の駄作はヒチコックの“汚名”である。スリルもサスペンスもなければ、イングリッド・バーグマンとケーリー・グラントのロマンスも中途半端という不出来な作品だった。

 キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』の解説によると、プロデューサーであるセルズニックが口を出しすぎたため、ヒチコックにとっての「汚名映画」になったと書いてある。
 僕だけの偏見かと思っていたが、なるほど納得がいった。

 * 写真は、キープ(KEEP)版DVD“雨の朝パリに死す”のケース。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“大いなる西部”

2008年04月17日 | 映画
 
 春休みに買って、そのままになっていた“大いなる西部”を見た。

 そろそろ授業も本格的になるので、今のうちにと、やや義務的に観はじめた。
 例によって、ちょっと(かなり)楽天的すぎるのと、グレゴリー・ペックが格好よすぎるのだが、グレゴリー・ペックに免じて許してやろう。

 テキサスの大牧場に、牧場主の娘キャロル・ベーカーと結婚するために、東部からグレゴリー・ペックがやってくる。 
 戦いを好まず、常に丸腰の東部男を周囲は軽蔑するが、彼は意に介さない。

 「少佐」(Major)と呼ばれている牧場主は、隣接する牧場主のヘネシー一家と対立しており、水源地を買収して、ヘネシー牧場の水源を断とう目論んでいる。娘はそんな父から独立できないでいる。

 グレゴリー・ペックはそのような争いを嫌い、水源地を買い受ける契約を結び、両者の牧場に水を提供しようとする。
 婚約者だった少佐の娘は、そんな彼を弱腰だと非難して去っていく。

 やがて、グレゴリー・ペックに心を開いたヘネシー一家の主バール・アイブス(彼がこの映画の主役に近い、少なくとも脇役の中心人物として描かれている)は、むなしい抗争を終結させるべく、少佐に決闘を挑む。

 決闘の結末は映画では描かれていないが、最後には、グレゴリー・ペックが、水源地の所有者の孫娘であるジーン・シモンズと一緒に、新しい牧場経営に乗り出すところで、映画は終わっている。

 壮大な広野(まさに“Big Country”!)にぴったりのあのテーマ・ソングは、ちまちました日々を、しばし忘れさせてくれた。
 
 しかし、そこに点在する牧場主の邸宅や、駅馬車の中継所などは、いかにもオープン・セットといった感じ・・。

 わが子ども時代の英雄だったチャック・コナーズがなんとも情けない役(ヘネシー一家の馬鹿息子)で、これも辛いところだった。
 ♪どこからやって来たのやら、厳つい顔に 優しい眼・・・♪ だったのに。

 チャック・コナーズが丸腰のグレゴリー・ペックを撃とうとして、父親に撃ち殺されるシーンで、突然、この映画を以前に見たことを思い出した。逆に、このシーンまでは以前に見たことをまったく覚えていなかった。
 
 少佐の牧場の牧童頭を演ずるチャールトン・へストンは、いかにも時代遅れの西部男といった役柄で、しかも、最後は銃を持たない丸腰のグレゴリー・ペックに負けてしまう。
 「死ぬまで銃を離さない」と主張し続けた彼が、こんな役柄の映画への出演を何で引き受けたのだろうか。

 そして、キャロル・ベーカーも、どこか性格の曖昧な役回りのうえに、唐突に画面から消えていってしまった。
 
 --というような、不満もいくつかあったが、まあよくできた西部劇の部類だと思う。
 ウィリアム・ワイラー監督にとって、あのロイ・ビーンを描いた「西部の男」以来18年ぶりの西部劇だったらしい。

 2、3日前には、授業の空き時間に、バート・ランカスターの“アパッチ”も研究室のパソコンで見た。
 例によって、インディアンが英語で喋り、白人ふうの恋をするところを我慢すれば、ジェロニモが投降した1886年以後のアパッチの生き方(戦士からトウモロコシの耕作者へ)というテーマは面白かった。

 * 写真は、“MGMスーパーライオンキャンペーン 大いなる西部”のケース。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ノンちゃん雲に乗る”

2008年04月03日 | 映画
 
 昨日、4月2日に石井桃子さんが亡くなった。101歳だったという。

 石井さんに直接関連する思い出ではないのだが、“ノンちゃん雲に乗る”の映画を見た記憶はしっかり残っている。
 あの有名なノンちゃんこと鰐淵晴子が木の枝に登っているシーンである。下から見上げている太った男の子がいたようなきがするけれど・・。

 “時をかける少女”とか“謎の転校生”とか“ジェニーの肖像”、そしてこの間見たばかりの“転校生”とか、どことなく不思議な雰囲気の漂う映画を好きになる原点は、ひょっとすると“ノンちゃん雲に乗る”を見た幼児体験にあるのかもしれない。

 石井さんの訃報に接して、ふと懐かしくなってネットで調べてみると、“ノンちゃん雲に乗る”のDVDはしっかりと販売もレンタルもされていた。いつか観ることにしよう。

 驚いたことに、“ノンちゃん雲に乗る”は、新東宝(!)の製作(1955年)だったらしい。あの三原葉子、三ツ矢歌子の新東宝が何で“ノンちゃん雲に乗る”を・・・、と訝しく思って、川本三郎『シネマ裏通り』(冬樹社、1979年)を引っ張り出した。

 川本のこの本には「新東宝物語」という一章があって、なかでも「三原葉子」(なぜか彼女の名前にだけ「」がついている)に関する記述がいいのだが、三原葉子についてはまた別の機会に書くとして、川本によれば、新東宝は、まさに「新」東宝だったのだ。

 東宝労組の組合活動に嫌気がさして退社した原節子らの映画人が集まってできたのが新東宝だった。そして、“三太物語”、“ノンちゃん雲に乗る”、“しいのみ学園”、“次郎物語”などなど、学校から見に行く映画(今でもあるのだろうか?)の定番が多数製作されたのだという。

 そして、これまた石井さんには直接関係ない話で申し訳ないのだが、ぼくは鰐淵晴子ご本人を2度見たことがある。

 最初は1969年から73年頃、僕が大学生だったときに、通学の東横線の車内で見かけた。渋谷に向かう車両に、ふつうの人とはまったく別世界の佇まいをみせて彼女は立っていた。今様にいえば「オーラが漂っていた」。田園調布にでも住んでいたのだろうか。

 彼女は乗り合わせた慶応高校の生徒に、「この電車は日比谷に行くか?」といったことを聞いて、中目黒で下車していった。声をかけられた慶応生が、彼女が降りてからの車内で、「おれ、鰐淵晴子に話しかけられた」と興奮して同級生に話していた。
 
 その次は、その何年か後、タッド若松(だったか?)と結婚していた頃、軽井沢の旧道の路上で、二人でいるところを見かけた。軽井沢では有名人を見かけても、じろじろ眺めたりするものではないので、ちらっと目にしただけだったが。

 さて、石井桃子さんに戻ると、彼女は日本女子大の英文科を出てから文芸春秋の社員を経て、吉野源三郎に乞われて岩波に入社して、「岩波少年文庫」の創刊に参画したという。
 ぼくは、まさに「岩波少年文化人」を自称するほど、岩波少年文庫は読んだ。小、中学生時代に読んだ本はほとんど岩波少年文庫だったといってもいいくらいである。とくに『カッレ君』シリーズ(といっても3冊だけだが)がお気に入りだった。

 当時読んだ本は軽井沢に運んでしまったので、すぐに見ることはできないが、1冊だけ東京においてあったセレリヤーの『銀のナイフ』をみたら、訳者(河野六郎さん)のあとがきに、翻訳にあたって石井桃子さんからいろいろ親切なご忠告をいただいた旨の謝辞が記されていた。編集を担当していたのだろう。

 ちなみに書籍のほうの『ノンちゃん雲に乗る』は当然岩波少年文庫かと思ったら、これも意外なことに光文社刊だった。そういえば光文社も、今とは違って当時は壺井栄の『母のない子と、子のない母と』だの『右文覚え書』とか、良心的な本を作っていたのだった。

 “ノンちゃん雲に乗る”が光文社から出版された原作を新東宝が映画化した作品だったとは、昭和も遠くなったものである。
 いずれにしても、石井さんの蒔いた種は、ぼくの心にも何がしかの実りをもたらしていると信じたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新学期!

2008年04月03日 | 映画

 新学期の行事が始まりました。
 
 きょうは、3年生向けの履修ガイダンス。久しぶりに顔を合わせたせいか、私語がなかなか静まりません。

 春休み中に仕上げる予定だった原稿は、20分の19まで終わらせました。あとは新学期の講義や会議の合間に書いて、何とか連休は休みたいものです。

 原稿書き1日8時間、DVD2時間の予定だったのですが、新学期が近づいたこの10日間ほどは、何とか行けるところまで行っておきたかったので、毎日10数時間執筆にあてて、DVDは無しでした。

 そのため、眠れない夜のために買いだめしておいたDVDは何枚も見ないまま残ってしまいました。
 “大いなる西部”、“アパッチ”、“荒野の七人”、“明日に向かって撃て!”などが、見ないままになりました。
 
 また、空き時間をみつけて見たいと思います。そのときには、また感想文を書き込みます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする