豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

きょうの浅間山(2022年1月29日)

2022年01月29日 | 軽井沢・千ヶ滝

 ネタがないので(いまだにバーク『フランス革命の省察』が終わらない)、またしても気象庁のHPの監視カメラ画像(浅間山・鬼押)から現在の浅間山のすがたを借用。

 東京も朝起きたころより日ざしが出てきたので、軽井沢はどうだろう?と思って見てみると、青空と白雲を背景にして、冬の日ざしを浴びた浅間山の冠雪が輝いていた。

 穏やかな風景だが、先日トンガの大噴火を特集した番組で、富士山、箱根山などと並んで、浅間山もいつ噴火してもおかしくない火山として紹介されていた。
 ぼくの生きているうちはそんなことがないことを祈る。

 2022年1月29日 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーク/半澤孝麿訳『フランス革命の省察』

2022年01月24日 | 本と雑誌
 
 エドマンド・バーク/半澤孝麿訳『フランス革命の省察』(みすず書房、新装版 1989年)が届いた。

 Amazonで見つけて、「可」、「小口に汚れがあります。カバーに汚れがあります。」で、本体500円、配送手数料250円だった。
 届いた本の中身をぱらぱらとめくってみて驚いた。数十ページに及んで鉛筆による線引きがあり、数ページには書き込みもあった。いくら500円で(新品価格は税別3500円)、しかも状態が「可」といっても、書き込みがある場合にはその旨を明記するのがルールではないか。
 ひいきにしていた古書店だっただけにがっかりした。
 届いた昨日は1時間かけて、目ざわりな傍線を消しゴムで消す作業をした。そうしないと、半澤先生の訳業と対話できない。イライラしながら消したので、消しゴムで消す勢い余って2、3ページを傷めてしまった。苛立ちがいや増した。

 そして今朝(1月12日)から読み始めた。水田洋訳の<中公バックス版・世界の名著>で154頁まで読んだのだが、最初から半澤訳で再チャレンジすることにした。
 霧で目の前がかすんでいるような印象だったのが、一気に霧が晴れた感じである。もっと早く半澤訳に切り替えればよかった。水田氏には申し訳ないが、まったくレベルが違う分かりやすい訳文である。バークの論理が理解できない個所はあるのだが、訳文の日本語が理解できないということはまったくない。訳注も基礎知識のない読者に有用なものばかりである。

 半澤先生の解説を先に読んだ。
 ぼくは大学入学直後の懇親会で、半澤先生と「対話」--ぼくの発言に対して半澤先生が穏やかに諭されたのだが、あれをしも「対話」と言えるかどうか--したことがあるので「先生」とさせて下さい。
 半澤先生は、解説のなかで「時と所と読者の個性とによって多様な読み方をされるのが古典というものの性格」であるから、訳者と異なった読み方をされてよいと言っておられるが、原典(もちろん半澤先生の邦訳)を読んだところで、先生の解説以上のことを理解できたとは思えない。

 とくに宗教問題に疎いぼくには、バークの「本質的な世俗主義」は、世俗化という点で過渡期にあった当時のイギリス社会を反映したものであるという先生の解説(で示された読み方)は十分に理解できなかった。
 たしかにバークは、一方では、社会は一種の組合契約(partnership)であると言っており(123頁)、また契約によって人は「自らの統治者足る権利をすべて放棄します」、「彼は第一の自然法たる自己防衛の権利を、包括的に・・・捨て去るのです」という(ホッブズ的な)記述もある(76頁)。
 しかし他方で、イギリス国教会は国家と不可分であり、憲法体系の基礎であり、教育とも不可分であるとも述べている(126頁)。後者のような記述があっても、バークは「世俗国家」論に立っているというのはどう理解すればよいのだろうか。
 バークは「自然」を持ち出すことによって論証を省略するという指摘も、あらかじめ解説を読んでいたので随所で納得できた。とくに、フランス革命に対する評価を決するうえで最も重要と思われる(フランス革命を支持する)プライスに対する批判の個所で、なぜプライスと違った感じ方をするのかといえば、「そう感ずるのが私にとって自然だからです」といった調子である(102頁)。

 マグナ・カルタに始まるイギリス古来の「法と自由」の尊重などのイギリスの憲法史を称揚するのは理解できるが、ルイ16世や王妃(マリー・アントワネット)は高貴な人格者であり、旧体制の貴族たちには何の落ち度もないという。その一方で、(フランスの)旧体制下で苦しむ農民たちに対してはわずかの憐憫の情さえも示さず、(革命フランスの)国民議会を、「法律実務屋」「田舎司祭」など無学で補助的立場の人間ども(54頁~)による「茶番」(88頁)として唾棄するのである。
 イギリス議会がそれほど立派な統治団体でなかった(むしろ腐敗した存在だった)ことは、トマス・ペイン『人間の権利』(1790年)など、バークの本書を批判する多くの論者が指摘するところである(解説407頁)。以前に見た映画『わが命つきるとも』や『クロムウェル』でもイギリス議会の腐敗は明らかに見てとれた(ただし、チャールズ1世がルイ16世ほどの暴君だった印象はない)。 

 「騎士道」こそがヨーロッパの社会生活のあらゆる段階、階層を通ずる原理の起源であるといった主張(97頁)にも、とてもついて行けなかった。
 「完全な民主政治とはこの世における破廉恥の極みにほかなりません」とまで言われると(119頁)、ぼくにとっては無縁の人、対極の極みと言わざるを得ない。
 もし若い時にバークを読んだとしても、ぼくがバークから影響を受けることはなかっただろう。それどころか、現在以上に反発したと思う。もしこのような意見を述べたら、半澤先生は何とお答えになったのだろうか。近くにおられたのに、不勉強で親しく教えを受けることができなかったのが残念である。
 しかし、やはりぼくはペイン『人間の権利』の側の一人でありたい。

 2022年1月24日 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中島敦『山月記』

2022年01月23日 | 本と雑誌
 
 今朝の東京新聞日曜版に、「山月記--虎になった男の物語」という特集が載っていた(上の写真)。
 寅年に因んでかと思ったら、寅年に加えて今年は中島敦の没後80年にあたるそうだ。

 そして中島の『山月記』は、1951年の初掲載いらい、高校2年生の国語教科書に長年掲載されてきた、と紹介されている。「高校2年」と明記してあるから、ぼくが筑摩書房版の現代国語の教科書で『山月記』を読んだのは1966年(昭和41年)のことだったのだろう。

 国語は嫌いな科目ではなく、中学校の国語教科書に掲載された芥川の『魔術』をきっかけに(比較的)本が好きな読書家になったことは前にも書いたが、内容面で学校時代に最も影響を受けた小説は、教科書で読んだ中島の『山月記』だった。
 今朝の日曜版でも紹介されているところだが(下の写真)、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心のせいで」、「己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず」、「己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに」「瓦に伍することもできな」いという一節は(引用は東京新聞から)、まさにぼく自身の心情そのものだった。
 ぼくに向けられた言葉のように思ったが、今朝の記事を読むと、現在に至るまで多くの高校生が影響を受けて来たらしい。

     

 ぼくは「尊大な自尊心」と覚えていたが、少し違っていたようだ。
 いずれにしても、若かったぼくは、自分が「珠にあらざることを惧れ」、「己の珠なるべきを(多少は)信じて」いた。
 結局、刻苦して磨くこともなく、瓦に伍しながら(東京新聞の解説によれば「凡人に立ち交じること」という意味)生きてきた。学校を出てかなり早い時期に「己の珠にあらざること」は自覚したが、それでも「尊大な自尊心」から免れることはできなかった。いまでも免れたとは言えない。
 珠にもなれず、かといって虎になることもできずに、這いつくばってなんとか世間と折り合いをつけて生きてきた。

 『山月記』は、『羅生門』『こころ』『舞姫』とならんで、国語教科書界の「定番教材四天王」!だそうだ。ぼくとしては『山月記』が圧倒的で、『こころ』が続き、あとの2作は選外だとおもう。
 中島は1909年生まれで、同年の作家には太宰治、大岡昇平、埴谷雄高、松本清張らがいるという。この人たちが同じ年とは・・・。
 中島だけは文壇にデビューした1942年に33歳で亡くなっているが、100年経つとみんないなくなってしまった。

 2022年1月23日 記


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうの浅間山(2022年1月10日)

2022年01月10日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 気象庁の監視カメラ画像(浅間山)から借用した画像。

 浅間山(鬼押)となっているが、鬼押出しのどの辺に気象庁の定点カメラは設置されているのだろうか。浅間山の形から見て、鬼押出し園に向かう有料道路のドライブイン(現在は閉店してしまった)のあたりか・・・。
 現在の東京はどんよりと曇っているが、浅間山は冬の日差しを浴びて輝いている。

 なぜか、長野県道路事務所の画像が昨年の末頃から閲覧できなくなってしまった。
 南軽井沢交差点、鳥井原東交差点(消防署やしまむらの所)、軽井沢町役場前、追分(場所は不明)、そして馬瀬口の現在の写真を見ることができたのだが。

 2022年1月10日 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒチコック映画『三十九夜』

2022年01月10日 | 映画
 
 ヒチコックの映画『三十九夜』(イギリス、1935年)を見た(『水野晴郎のDVDで観る世界名作映画』KEEP)。
 昨年末に見た映画『ヘンリー八世の私生活』の解説で、1930年代当時、ハリウッド映画に席捲されていたイギリス映画がこの『ヘンリー8世・・・』で息を吹き返し、さらに(イギリス時代の)ヒチコックの『三十九夜』でイギリス映画が活気づいたと書いてあったので、見ることにした。
 そういえば、『我が父サリンジャー』に、サリンジャーが最も好きな映画がヒチコックの『三十九夜』だったと書いてあった。

 今年最初の映画である。前にも見たような気もするが、内容はまったく覚えていなかった。

 映画の原題は “The 39 Steps” で、ジョン・バカン(John Buchan)の原作も “The Thirty-nine Steps” である。何ゆえ映画の邦題だけが『三十九夜』などとなったのか。内容的には「三十九夜」でも「三十九階段」でも大した違いはないのだけれど、「夜」のほうがサスペンス的だとでも思ったのだろうか。「階段」も十分にサスペンス的だと思うけれど。
 確かにスリリングな場面は夜のほうが多かった。モノクロ撮影なので夜のほうが演出しやすいのかもしれない。

 内容は、ロンドンの劇場で知り合った女スパイから、敵国スパイ(1930年代が背景で、ロンドンの防空情報が漏れたとか言っていたからドイツのスパイだろう)に漏れた情報が敵国に伝わるのを阻止するように依頼された主人公が、依頼に応えるべく、敵に追われながらもスコットランドの僻地まで逃亡し、さらに再びロンドンに戻って、最終的には情報漏えいを阻止するというストーリー。
 数年前に旅行して気に入ったエディンバラのウェーバリー駅がチラッと出てきた。ロケかどうかは分からなかった。

 舞台がミュージックホール(劇場)での群集の騒ぎだったり、ローカル鉄道の列車内での追跡劇だったり、はたまたスコットランドの荒涼とした丘陵地帯だったり、刑事と思われた人物が敵の一味だったり、主人公が救いを求めた農家や宿屋の主人が敵なのか味方なのかがわからないなど、初期からヒチコックのサスペンス作りはうまい。
 原作では男だった登場人物を女に代えてロマンス的要素を加えたりもしている。その女がまた、敵か味方か分からない両義的に描かれている。

 ただし、主人公の俳優のメイクが凄すぎて現実感がない。こんなメイクの男が列車に乗ってきたらたちどころに怪しまれてしまうだろう。1930年代にはまだ無声映画時代のようなメイクが普通だったのか。そう言えば、ヘンリー8世を演じた俳優のメイクも同様にすごかった。ひょっとすると、イギリスでは舞台のメイクがそのまま映画界にも入ってきたのだろうか。

      

 原作は、中学か高校時代に、旺文社か学研の学年別月刊誌の付録の文庫本で読んだ。抄訳だっただろう。
 ※ きょう、中島敦の『山月記』について書き込んだ。『山月記』はたしか旺文社文庫版を持っていたはずなので、物置を探したが見つからなかった。そのかわりジョン・バカン『39階段』(創元推理文庫、1976年、140円)が出てきた。訳者は小西宏氏(ペンネーム)で、ぼくの大学院時代の先生の1人である。小西先生は本書のほかにも、創元推理文庫でE・ガードナーのペリー・メイスンものをたくさん翻訳している(『ビロードの爪』『吠える犬』『奇妙な花嫁』『義眼殺人事件』『管理人の飼い猫』などが手元にある)。本書をはじめ英語の翻訳だが、語学ができる方だったのだろう、大学院ではフランス書講読も担当しておられた。 (1月23日追記)
 
                                 

 その後、行方昭夫氏の「 retold 版でもよいから多読せよ」というアドバイスに従って、ディケンズやハーディーなどを retold 版でせっせと読んでいた時期に、“Oxford Bookworms Library” 版で読んだ(下の写真)。2008年1月2日に(何で正月早々のこんな時期に?)池袋のジュンク堂で購入している(レシートが挟んであった)。
    
 カバーの写真は映画(テレビドラマ)の主人公だと思う。
 水野氏の解説によれば、この作品はヒチコック以後2回リメイクされたとある。そのうちの1つか、テレビドラマだろう。retold 版の表紙はBBC作成のドラマの1シーンが使われることが多い。

 2022年1月10日 記
 2022年1月23日 追記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましておめでとうございます(2022年1月1日)

2022年01月01日 | あれこれ
 
 2022年、明けましておめでとうございます。

 今年も例によって、テレビ東京の「東急シルベスター・コンサート」で幕を明けました。
     

 そして去年、2021年も同じ番組を見ながら幕を閉じました。
     

 
 今年がどんな年になるのか分かりませんが、今年も折に触れて思いつくままに書き込みをしたいと思います。
 --「思いつくままに」というのは本当は嘘で、「読書して考えないことは、食べて消化しないのと同じだ」というバークの言葉に触発されて、本を読んだら何か感想を書かなければ読んだ意味がないと思って、苦労しながら書いていることも少なくありません。
 最近のものを読み返すと、“ぼくの気ままな Nostalgic Journey です” とは言えない気もします。でも、いずれにしろ書き込むだろうと思います。
 よろしかったら、たまに見てやってください。

 2022年1月1日 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする