高橋治の『絢爛たる影絵』(文春文庫)によると、“秋日和”(1960年)、“小早川家の秋”(1961年)、“秋刀魚の味”(1962年)を、小津の「秋三部作」というらしい。
この2、3日の間に相ついで3作とも見たのだが、すでに、どれがどれだか分からなくなりかけている。
“秋日和”は、定番の“縁談”もの。
中年になった大学時代の同級生3人(中村伸郎、佐分利信、北竜二)が、亡くなった同級生の遺児(司葉子)を佐分利の部下(佐田啓二)に嫁がせようとするのだが、安アパートに一人残されてしまう母(原節子)を心配して、司はなかなか決断しない。そこで、例によって3人は一計をめぐらし、まずは妻を亡くした大学教授の北竜二と原節子を再婚させ、そのうえで娘の司を結婚させることにする。結局、北はただの当て馬で終わるのだが、紆余曲折の後に晴れて司と佐田は結ばれることになり、娘を嫁がせた原は一人アパートに戻り、床にすわって壁を見つめる。
“晩春”で娘を嫁がせた笠智衆の謀計と同じ話である。笠智衆は原の義兄で、榛名湖畔で宿屋を経営している。“晩春”では原が嫁ぐ前に笠と二人で京都の宿に泊まるが、“秋日和”では原と司がこの榛名湖の宿に泊まる。原のセリフは、亡夫(映画には姿は出てこない)を小津安二郎自身と見立てて、小津が原に言ってほしいセリフを書いたと思ってみると納得できるところがある。あれこれの予備知識があって見たほうが面白い。
中村伸郎も毎回妙な役ばかり演ずるが、今回も印象的だった。場末の寿司屋の娘で、司の会社の同僚役を演じる岡田茉莉子もいい。
“小早川家の秋”は見ないほうが良かった。
ぼくは関西弁に強いアレルギーがある。中村雁治郎の演技も、小津の意思が通じなかったらしく、まったく「小津調」を外れている。森繁久弥も同じ。東宝映画なので仕方がないのか。
大手企業に押されて凋落気味の大阪の造り酒屋が舞台。大旦那(中村)は商売そっちのけで競輪と再会したかつての妾(浪速千栄子)にうつつを抜かしている。いちど心筋梗塞で倒れるが回復して、また競輪の帰りに京都の妾の家に立ち寄り、そこで亡くなる。亡くなった長男の嫁(原節子)の再婚話と、末娘(司葉子)の縁談が同時進行するが、取ってつけた程度。“晩春”や“秋刀魚の味”のような奥行きはない。大旦那の死にも“東京物語”の感動はない。
小津は自らを豆腐屋にたとえたというが、まさに「一丁上がり(イッチョ、アリー!)」といった印象。“風の中の牝雞”や“東京暮色”を失敗作というなら、ぼくには“小早川家”のほうが数十倍失敗に思えるのだが。
ただし、浪速を小津の愛人だったという小田原の芸者に見立て、大旦那を小津自身と見れば、これまた小津のメッセージと読むこともできる。
“秋刀魚の味”は小津の最後の作品。
妻を亡くした笠智衆の娘(岩下志麻)を縁づかせる話。父親(笠智衆)の学校時代の同級生(中村伸郎)が岩下に縁談をもってくる。岩下は、妻を亡くして生活万般を自分に頼っている父親を案じて、結婚を躊躇する。
ある晩、笠や中村が同窓会を開き、恩師(東野英治郎)を招く。恩師も早くに妻を亡くし、退職後はラーメン屋で生計を立てているが、店も生活も娘(杉村春子)に頼りきっている。学校時代には生徒たちの憧れだった杉村も、今では生活に疲れて老境に入りつつある。その姿を見て、笠は絶対に娘を嫁がせようと決意する。
今回は“晩春”のような策略はないが、笠は、家の近所の海軍バー(?)のマダム(岸田今日子)の横顔に亡妻の面影を感じて淡い恋心を抱いている。(いいなあ、こういうの。)そして、娘を嫁がせた夜、中村たちと別れた笠は一人でこのバーに立ち寄り、ウイスキーを一杯ひっかけて家路につく。
カメラは“晩春”と同じくさっきまで高島田の岩下が座っていた椅子を映し、岩下のいなくなった廊下、部屋を映し、最後に食卓の椅子に一人すわる笠の後ろ姿を映して終わる。
小津の映画の終わりである。
* “秋刀魚の味”のラストシーン。松竹ホームビデオのDVDから。
2010/9/23 (秋分の日、雨)