豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

卒業

2016年03月28日 | あれこれ

 今年も卒業式が終わり、ゼミ生たちが巣立っていった。

 大したこともしていないのに、花束をもらい、感謝の言葉を綴った色紙などをもらうと、もっと優しく接してやればよかったのに、厳しすぎたのではないかなどと反省する。

 夏合宿の折には、ぼくの本学勤続15周年祝いといって、こんなチョコレートケーキを山中湖まで運んできてくれるようなゼミ生たちである。

         


 社会人となるゼミ卒業生に贈る言葉は、今年もまた山口瞳の“新入社員諸君!”である。
 もう今日では古くなっただろうか。彼らの社会人生活に役立っているのだろうか。

 今年は、入職時の学部長、この大学に迎えて下さった先輩など、お世話になった同僚の先生方が何人か定年を迎えられたため、3月に入ってから先生方の送別会も続いた。

 春は別れの季節である。


 2016/3/28 記
 

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小豆島高校 高校野球

2016年03月22日 | あれこれ

 香川県の小豆島高校が春の甲子園に出場した。

 小豆島高校は、私の女房の出身校である。
 自分の身内の出身高校が甲子園に出場することなど夢にも思わなかった。 
 
 失礼ながら、とても甲子園に出られるレベルとは思ってもいなかったのだが、実は昨秋の香川県大会で高松商業を破って優勝する実力校だったらしい。
 何年か前にも、力のある投手が在籍したことがあり、新聞記者が試合を取材に来たり、ヤクルトのスカウトだった岡林が来たという話を聞いたこともあったから、素地はあったのだろう。

         

 しかも、驚いたことに、女房の話では、4番でキャッチャーの選手は、義父のいとこの孫だという。
 遠縁とはいえ、よもや親戚から甲子園出場者が出るとは思いもしなかった。

 残念ながら試合は1回戦で負けてしまったが、接戦で、わが家は大いに盛り上がった。
 小豆島と言えば“二十四の瞳”だが、小豆島高校の野球部員は17人という。
 “三十四の瞳”である。


 2016/3/22 記

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きょうの軽井沢 (2016年3月3日)

2016年03月04日 | 軽井沢・千ヶ滝

 また、軽井沢町役場のHPから、きょうの軽井沢の風景を3枚。

 この3月で定年退職される先生に献呈する記念論集の原稿を書きながら(性格にはパソコンのキーボードを叩きながら)、ふと、「今ごろ軽井沢はどんなかな?」と思って、軽井沢町のHPで公開されている静止画を眺めた。

 3月3日(木)の午後2時すぎの風景である。

 冒頭は、旧軽井沢の観光会館前。寂しいけれど、歩いている人がいる。

 つぎは、軽井沢バイパス沿いの軽井沢消防署の定点カメラから眺めたバイパス風景。
 右下が“ケイヨーD2”、右上がその東隣りのラーメン屋、左側は“しまむら”だろう。その奥が“ツルヤ”に向かう鳥井原東の交差点。
 もう道路には雪は残っていないようである。

              

 最後は、町のHPでは「追分」となっているけれど、これがどこの風景なのか分からないので、ぼくは悩んでいる。
 追分郷土館や、旧本陣、古書店、“すみや”などが並ぶ旧中山道のようでもあり、ぼくのまったく知らない追分のどこかかも知れない。
 右手の白い建物はどこなのか・・・。

              


 2016/3/3 記

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