豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

新・通勤の風景 7 青葉繁れる

2009年04月30日 | 東京を歩く
 
 1か月足らずの間に、通勤の街並みの風景は一変して、木々の葉は新緑となり、初夏(?)の日ざしを浴びて眩く輝いている。

 かつて井上ひさしの“青葉繁れる”を読んだときのように、青葉とともに思春期の淡い想いがよみがえってくるというような歳ではなくなったけれど、この新緑の季節は1年の中で一番好きな時期である。

 4月の初旬と同じ場所の最近の風景を何枚かアップしておく。
 最初は、わが“ホッペマの並木道”の現在の景色。

 もう少し経つと、日ざしが暑くなってきて、この並木にはさまれた木陰を歩くことになるが、今は、せっかくの陽光を浴びるために、並木道の外側を歩いている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景6

2009年04月12日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景6 飯田橋イべント・ホール 》

 お気に入りの通勤路ではあるが、飯田橋駅東口(と言うのだろうか、要するに一番水道橋駅寄りの出口)に近づくと、一気に雰囲気がなくなってしまう。

 夜になると、一杯飲み屋が軒を連ねる、どこの駅裏にもあるただの飲み食い横丁になってしまうのである。

 その横丁のはずれ、エドモント・ホテルから左折した横丁の右手にあるのが、“飯田橋イベント・ホール”である。

 この建物の前の佇まいが、絵になる通勤風景の最後のスポットである。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景5 

2009年04月11日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景5 ホテル・エドモント前 》

 クリスマスにはツリーが飾られ(裏口側にはトナカイのイルミネーションも)、正月には門松が飾られていた、ホテル・メトロポリタン・エドモントの前の街路樹。

 ようやく緑になりつつある木がある一方で、まだ枯れたままの木もある。 
 街路樹の名前は分からない。その方面の知識がまったくないので・・・。

 去年の晩秋に道を舞っていた枯葉の形からすると、プラタナスではないかと思う。
 ただし、確実な根拠があるわけではなく、冬が近い東京の道路に散っている枯葉といえば“プラタナス”以外に考えられないだけのことである。

 あの枯葉を見ると、“プラタナスの枯葉散る 冬の道で ~♪ ”というシューベルツ(シューベルトではない!)の“風”が心に浮かんだから。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景4 桜のある風景

2009年04月10日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景4 桜のある風景3 》

 きょうは(と言っても撮影したのは4月7日)、同じく飯田橋駅南口の一角にある“東京しごとセンター”のオープン・スペースに咲いていた桜。

 桜の真下に作業車が駐車していて、やや目障りだが・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景3

2009年04月09日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景3 》

 残念ながら、桜はないけれど、去年の秋から冬にかけて撮ったのと同じ場所の春景色を何枚かアップしておく。

 まずは、僕が自分で《ホッペマの並木道》と勝手に名づけた街路樹。
 まだ片側は枯れ木のままだが、もう一方は緑が芽吹き始めている。

 暖冬とは言っても、やはり冬と春との間には境界線がある。

 東京でいうと、最初は2月17日頃に、ふと日ざしの中に「春」を感じられる日がやって来る。
 それから3月20日までは寒い日もあるのだが、春休みの間に、間違いなく東京は「春」になっている。

 * 同じく、飯田橋駅南口の再開発地帯にある大塚商会や日立マクセルなどが入ったビル街の街路樹。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景 2 桜のある風景

2009年04月09日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景 桜のある風景・2 》

 もう一枚、さっきと同じところを別の角度から・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽井沢高原バスの旅[番外編] バス停のサル

2009年04月08日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅[番外編] 》

 以前、軽井沢で見かけたサル。

 “蜩の里”バス停のあたりで車の中から撮った。

 このサルはおとなしそうなサルだった。


 何もネタがなかったので、まぁ“蜩の里”バス停でかろうじて繋がっているので、許して下さい・・・。

 2009/4/8

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新・通勤の風景1 桜のある風景

2009年04月08日 | 東京を歩く
 
 《 新・通勤の風景 桜のある風景・1 》

 久しぶりに、カメラを持って通勤路を歩き、桜のある景色を撮ってきた。

 今朝、大学への行きがけに千鳥ヶ淵によって桜を撮ってきたので、ついでに帰り道でも通勤路沿いの桜を撮りながら歩いた。 

 まずは、首都高の飯田橋入口付近の神田川沿いに咲いた桜である。あまりきれいとは言えない首都高の橋脚を桜が隠してくれている。 

 いよいよ新学期の始まりである。今年は、どんな新入生、新ゼミ生に出会うのだろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千鳥ヶ淵 桜

2009年04月07日 | 東京を歩く

 入学式が行われた武道館への道すがら、千鳥ヶ淵の桜を撮ってきた。

 今週の初めから東京の桜はほぼ満開となった。東京では、4月初旬の入学式前によく雨が降るので、桜は散ってしまっている年も少なくないのだが、今年の新入生は幸運に恵まれた。

 花びらをたたえた枝をお堀に向かって長く伸ばした千鳥ヶ淵の桜は、東京の桜の中で僕が一番好きな桜のある風景である。

 ただし、暖冬だったせいか、今年の桜は、花びらの色合いが白けていて、少し華やかさに欠けているように思う。

 学生時代、同じキャンパスにあった付属高校の女の子をデートに誘って、この千鳥ヶ淵にボートを漕ぎにきたこともある。
 学年は2年下だったから、彼女も56、7歳である。どこで何をしているのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西武不動産営業所、再び

2009年04月07日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅 [12・終] 》 

 “黒橋”から、懐かしの“立教女学院キャンプ場”方面へ左折するのではなく、右に曲がって、もう一度ふりだしの“西武不動産営業所”に戻った。
 
 現在の西武不動産営業所の山小屋風の建物の写真をアップして、今回の《軽井沢高原バス 廃線バス停の旅》を終わることにする。

  ちょうど、ガイダンス期間も終わり、新学期も始まるところである。


 * 写真は、以前、夏休みに撮った西武不動産千ヶ滝営業所。この直後に激しい夕立ちに見舞われた。

 2009/4/7 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立教村

2009年04月07日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・11 》

 “蜩の里”から勾配の急な坂(ただし横道下に至る坂道ほど曲がりくねってはいない)を下りきったところを右折すると、“立教村”バス停である。

 ここも右折する角がごみ収集所になっている。
 そのせいか、おととしの秋に来たときには、この辺にサルが出没しており、町役場の巡回車が出て、注意を呼びかけていた。

 ここがなぜ“立教村”と呼ばれることになったのかは分からない。
 少し北側に行くと、“立教女学院キャンプ場”などというバス停もあるから、分譲時に、この辺り一帯を立教の関係者がまとめて購入したのかもしれない。

 “立教村”と名づけたのは、明らかに北軽井沢の“法政村”の真似だろう。
 “法政村”のほうは、谷川徹三、野上弥生子、矢内原伊作ら、錚々たる顔ぶれがそろって、それこそ「村」共同体を作っていたらしいが、“立教村”にはそのような雰囲気はなかったように思う。

 北軽井沢の“法政村”のことは、野上弥生子や岸田今日子の随筆などに描かれている。
 岸田今日子の本は、姉の岸田衿子との共著で、『ふたりの山小屋だより』(文春文庫)という。偶然だろうが、岸田今日子は立教女学院(当時は立教高等女学校)の卒業生だった。

 さて、“立教村”には何の思い出もないけれど、“立教女学院キャンプ場”は、高校時代の僕を刺激するのに十分な名前だった。

 学期中、吉祥寺に向かう通学のバスで見初めた立教女学院の女の子と、夏休みにこの軽井沢の“立教女学院キャンプ場”の辺りでばったり出会えたら、きっと“避暑地の出来事”のような展開になるのではないか、などと妄想したものである。

 しかし、現実には、そのような出会いの機会が訪れることはなかった。それどころか、この“立教女学院キャンプ場”で女学生たちがキャンプをしているのを見たこともない。
 そもそも、立教女学院はここをキャンプ場として使っていたのかどうかさえ怪しい。本当は“立教女学院キャンプ場予定地”のまま終わったのではないだろうか。

 いずれにしろ、“立教村”で、西武高原バスの廃止区間は終わりである。

 中軽井沢駅方面から来たバスは、今までのように“西武不動産営業所前”を直進して横道下、1000メートル林道に向かうのではなく、営業所でで右折して北に向かい、次の“黒橋”からは、“立教女学院キャンプ場”などを経て、セゾン美術館、軽井沢スケートセンターに至る。
 
 したがって、《軽井沢高原バス 廃線バス停》は“立教村”で最後ということになる。
 どのバス停の看板も、ペンキの塗直しも、曲がったポールの修理もされないままで、かなりくたびれている印象だった。

 * 写真は、“立教村”バス停の看板。なぜか下り(スケートセンター方面行き)は白で、上り(蜩の里方面行き)は黄色の看板だった。アップしたのは黄色いほう。

 2009/4/7 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜩の里

2009年04月06日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・10 》

 今回の旅では省略した路線と従来からの西区線が再び合流するのが、“蜩の里”(ひぐらしのさと)である。
 
 このバス停の名前は許してやってもよい。
 
 今でも、毎年8月になると、軽井沢には早くも秋の気配が感じられるようになり、それと同時に、夕暮れ時には、ひぐらしの物悲しげな鳴き声を聞くことができる。
 ひぐらしの鳴く声だけは、40年来変わることがない。トンボなどはめっきりその数を減らしたのに・・・。

 このバス停の南側に、森永の保養所があり(今もあるのだろうか?)、その少し西に、かつては“西武百貨店軽井沢店”の支店があった。今はNECの立派な保養所の道を挟んだ向かい側である。
 その北西の角に小さな郵便ポストがあり、よく祖父が散歩をかねてここに郵便を出しに行っていた。

 4月4日の夕方、BSの日本映画チャンネルで成瀬巳喜男監督の“杏っ子”をやっていたが、山村聡扮する和服姿の室生犀星に、亡き祖父を思い出した。
 “白い巨塔”の万俵大作(だったか?)のイメージが強すぎて、祖父は山村聡に似ているといわれるのを嫌がっていたが、和服で散歩する姿や顔の輪郭に祖父の面影がが浮かぶ。
 亡くなってもう20年以上経つが、つい昨日のことのようにも思える。

 “蜩の里”を過ぎると、かなり急な下り坂になる。ところどころで、離山が見えたりする。

 * 写真は、“蜩の里”バス停の看板。   
 
 2009/4/6

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕日ヶ丘中央~千草の里

2009年04月05日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・9 》

 西武不動産から送られてきた「お知らせ」によると、“西区第二”の次は、“夕日ヶ丘中央”、“新からまつの森入口”、“からまつの森”、“山鳥の里”、“千草の里”といったとんでもないネーミングの駅名が続いて、“蜩の里”(ひぐらしのさと)で旧来の路線に合流している。

 これらの駅は、“千ヶ滝西区第二分譲地”のさらに後から開発された地域内にある。

 昭和40年頃でも、この一帯は植えられたばかりの落葉松の背丈も低く、ちょっと小高い地点からは浅間山が望めた。
 大学生の頃に友人のホンダN360で軽井沢にドライブに行った時の写真を以前にアップしたが、浅間山をバックにホンダN360に乗ったあの写真は、この一帯のどこかで撮ったものである。

 しかし、この辺については、僕はあまり地理勘がないので、パスする。

 * したがってバス停の写真も撮らなかったので、以前にもアップしたこの辺りで昭和44、5年頃に撮った写真をつけておくことにする。

 2009/4/5

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西区第二事務所

2009年04月04日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃止バス停の旅・8 》

 “歌鳥の里”の次は、“西区第二”。

 これまた雰囲気も何もないネーミングである。
 
 昭和32、3年頃に、南は現在の“西武不動産営業所”から、黒橋を過ぎて、北は立教女学院キャンプ場辺りまでの通りから西側一帯が「千ヶ滝西区」として、国土計画から分譲されたはずだが、その2、3年後の昭和34、5年に分譲されたのが、“あやめヶ原”から西側のこの一帯である。

 そのために“西区第二”などという駅名になったのだろう。

 ニュアンス的には“西区第二分譲地”である。ひょっとしたら、分譲当初、このバス停を右折した先に西武百貨店軽井沢店の支店があり、その中に国土計画の西区第二事務所があったかもしれない。だとすると、“西区第二事務所”の略称かもしれない。

 かつては、このバス停の東側に森永製菓の保養所のテニスコートがあった。初めのうちはきちんと整備されていたが、ここ10年以上は放置されたままで、雑草が生い茂り、テニスコートだった面影はまったくない。

 そのテニスコートの、さらに東側は、数千坪の広大な敷地を有する別荘地だった。
 北側の道路に面した火山岩の門柱には、“未明荘”だか“未明山荘”だかと毛書された表札が掛かっていた。山荘の名前の下に、確か“TUTUMI”だか“堤”だかと書かれていた。
 あの一族の誰かの所有地だったのかもしれない。結局建物が建つことは一度もなく、いつの間にか表札も外されていた。
 
 さっき書いたように、分譲当初は、“西区第二”を右折した先に、西武百貨店軽井沢店の支店が作られ(支店といっても最近のコンビニほどにも品揃えのないみやげ物店程度のものだった)、東京医大だったかの診療所(これまた西武軽井沢店の並びにあった同医大の軽井沢夏季診療所の分院)まで作られたが、分譲が終わると、さっさと閉店、閉院してしまった。
 
 モータリゼーションの普及で、中途半端な店舗や分院は必要なかったのである。それに比べると、バス路線はよくぞ今日まで維持してきたものである。こっちは、地元の小、中学生たちの通学の必要があったからだろう。
 
 しかし、地元といっても、この辺りでバス通学する子の多くは企業の保養所の管理人の子弟だろう。厚生年金に対する締めつけが始まって以来、保養所は減少の一途をたどっており、とうとう2009年3月31日、バス路線も廃止の憂き目にあうことになってしまった。
 
 * 写真は、“西区第二事務所”バス停。この向かい側に森永のテニスコートがあった。
 * 西武不動産から送られてきた手紙には“西区第二”と表記されていたが、バス停の看板をよく見ると、“西区第二事務所”と書いてあるので、訂正しておく。

 2009/4/4

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌鳥の里

2009年04月03日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・7 》

 軽井沢の西武高原バス、西区線の廃止されるバス停の写真を撮って回る旅の7回目は、“歌鳥の里”である。

 正直に言って“歌鳥”という名前は好きではない。
 もしこの辺りが“歌”う“鳥”の鳴く“里”であるのなら、“かっこうの里”なり、“うぐいすの里”なり、“ほととぎすの里”なり、何でもいいから、鳴いている鳥の名前を名乗ればよかったのに、と思う。

 何年か前までは、このバス停のまん前に(確か)ガラス業者の団体の保養所があった。これまた確か“うたどり荘”という名前だった。
 テニスコートも備えた2階建てのこじんまりとした建物だったが、何年もの間使われないまま放置されていたが、2、3年前に更地になってしまった。

 その隣も、どこかの会社の保養所だったように記憶するが、これまた数年前から更地になったままである。
 その更地の仕方が、建物から樹木から一切合財を根こそぎにしてしまったため、軽井沢らしからぬ見るに耐えない光景である。

 “歌鳥の里”を西に入ったところには朝日放送の保養所があった。沢の流れる低地から丘の上までの広い敷地を有する立派な保養所だったが、これも何年か前から、門の看板がはずされ、無人と化している。
 ここ10年くらいの、企業、保養所の栄枯盛衰は激しい。

 それに対して、“歌鳥の里”の東側の別荘地は、原生の樹木を多く残した、昔からの別荘が比較的残っている印象である。
 
 * 写真は、西武高原バス“歌鳥の里”バス停。西側のバス停の背景は見るに忍びないので、東側のバス停の看板をアップした。
 さる3月22日の撮影。予定通りなら、3月31日をもって廃止となり、もうバスは走っていないはずである。

 2009/4/3 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする