豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

台湾に行ってきた(4) 台北家庭法院、国父紀念館 誠品書店

2016年12月23日 | あれこれ

 11月27日(土)

 朝から雨。
 今日は午前中は台北家庭法院の見学。午後は国父記念館の衛兵交代式などを見学してから、誠品書店で、家族法の書籍を探す予定。

 9時50分に現地集合なので、9時前にホテルを出て、地下鉄(MRT)中山駅に。
 きょう乗るのは<緑3>松山新店線。乗り換えなしの1本で下車駅の「新店区公所」駅まで行けるので気持ちは楽。

         

 日曜日だが、車内はすいていてずっと座って行けた。ただし、台北の地下鉄の座席はプラスチックで硬い。
 10駅以上あるので30分以上かかって新店区公所駅に到着。

         

 駅前からタクシーに乗る。台湾のタクシーは自動ドアでないので、雨の中、ドアを開けて「台北家庭法院」と書いた紙を見せてから乗車。5、6分で家庭法院に。

         
 
 昨日のシンポジウムで報告された台北家庭法院の女性判事さんの案内で庁舎内を見学する。
 迷子にならないように前の人に続いて「回転寿司」のように廻ってください、と指示があった。「回転寿司」のところは日本語だった。妙なものが世界に知られているのだ。

 庁舎内の当事者に向けたポスター。
 子どもの幸福が第一、ということだろう。

         

 「光明遠大」はどんなニュアンスなのだろうか。
 わが国で言えば「公明正大」・・・か。「明」と「大」は共通だが、「光」と「公」、「遠」と「正」ではずいぶん違う気もする。     
    
         

 家事事件の裁判が行われる法廷、台湾では「法庭」と表記してあった。
 調停や調査を行う部屋も見学したが、訴訟化した事件を扱う法庭とは雰囲気がまったく異なる。

         

 入り口に立っていた「裁判員」制度の案内の看板。

         

 昼前に見学を終えて、団体行動のグループのチャーターした観光バスに便乗して、行きに通った松山新店線の七張駅まで送ってもらい、中山駅に戻る。



 昼食を済ませて、午後は国父紀念館、101タワーを見学して、誠品書店信義店へ。

 ホテルから中山駅の反対方向に約10分歩いて、松江南京駅に。
 朝と同じ松山新店線で、新店とは逆方向の松山方面に乗る。次の忠孝新生駅で、坂南線の南港方面に乗り換え、5つ目が「国父紀念館」駅。

 孫文(孫中山)を祀った建物。
 遠くに101タワーも見えている。 

        

 毎日正時(00分)に衛兵の交代式が見られる。写真の時刻表示は変なことになっているが、現地時間の午後2時の交代を見たと思う。
 10分以上前から、良い場所は人で埋まっていたので、2階から眺める。
 交代する衛兵のおもちゃの兵隊のような動きよりも、交代した後の、台座に立った衛兵の一切の動きのない静止した姿の方が印象的だった。
 よくあれで1時間も立っていられるものだと感心する。

         

 歩いて101タワーに向かう。
 近いと思っていたら、結構時間がかかった。15分は歩いたろうか。
 途中で、市政府庁舎の前を通る。白いシーサー(?)も間近で見た。
 「台北市政府」という看板の横には小さく「李登輝」とあったが、彼の筆なのだろうか。印刷書体のような端正な文字であった。

         


 101タワーは行く必要がないと台湾通から聞いていたが、その通りで、日曜日でごった返してはいたが、見るべきものはなかった。天気がよい日に展望台にでも登れば、違った印象かも。
 「行ってきた」と話題にはできる。

 さらに結構歩いて、誠品書店信義店に。

         

 「書店」と名乗っているが、本屋だけでなく、用品や雑貨などを扱う店も入っている。
 日本でいえば、ジュンク堂と東急ハンズとパルコあたりが雑居した感じか。
 本屋は2フロア(3フロアだったか)だけで、残念ながら法律書はジュンク堂ほどには揃っていない。
 お目当てだった、前日お会いした輔仁大学の先生の書いた親属法(台湾では親族法はこのように呼ぶ)の教科書はなかった。
 せっかくだから家族法関連の本を数冊購入した。

 中国語は、これまでに3、4人の中国からの留学生に大学院で演習を担当したことがあり、その折にNHKラジオの中国語講座(白毛女の曲が流れていた)を2、3年聞いただけだが、専門用語は共通のものもあるし、漢文素読とOCR翻訳ソフトの力で何とか意味をとることはできる。

 歩き疲れたので、タクシーでホテルに戻る。

         

 テレビをつけると、この日もニュースで「同性婚」の賛否をめぐる対立を報じていた。
 家族法に関する立法の動きは、台湾のほうが(韓国も)日本より活発な印象である。


 2016/12/23 記


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きょうの浅間山(2016年12月2日)

2016年12月11日 | 軽井沢・千ヶ滝

 さる12月2日(金)、朝起きると天気が良かったので、軽井沢にドライブに出かけることにした。

 8時半出発。

 関越道の左側車窓には雪を頂いた富士山が見えていた。

 やがて、前方に、同じく山頂に雪をかぶった浅間山が見えてくる。
 上信道に入ると、さらにはっきりと見える。

 下の写真は富岡あたりから眺めた浅間山。手前は妙義山の奇岩。

         

 碓氷軽井沢インターを降りると、懐かしい恩賀高岩の威容(異容?)が見える。
 懐かしいというのは、中学生のころ、遠縁のお兄さんに連れられて、この山のふもとでキャンプをしたことがあったから。

         

 プリンス通りを右折して、軽井沢バイパスからの浅間山。
 軽井沢に来たな、という気になれる。

         

 アップにすると、以下のような感じ。
 ツルヤの手前、鳥井原東交差点のあたりか。

         

 そして、ツルヤから眺めた定番の浅間山。

         

 さらに、ガソリンを入れた借宿のスタンドからの浅間山。
 これまた僕が中学生の頃はこのガソリンスタンドは借宿の交差点を挟んだ国道のはす向かいにあった。
 どこかの石油会社のキャンペーンガールだった長谷直美の大きな看板がかかっていた。給油するともらえるマッチの箱も長谷直美だった。

         

 なお、冒頭の写真は、千ヶ滝西区から眺めた浅間山(の頂上部分)。
 夏は木々の緑が繁っていて見ることができない風景である。

 今回は、<きょうの軽井沢>というより、最近ではぼくの心のよりどころになりつつある浅間山--あの“カルメン 故郷に帰る”の笠智衆の心境である。

 2016/12/11 記


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台湾に行ってきた(3) 地下鉄の乗り方(中山~輔大まで)

2016年12月07日 | あれこれ

 11月26日(土)。
 
 学会当日である。
 開催地は新北市にある輔仁大学。
 9時受付開始、9時20分開始。

 余裕を見て、8時にホテル(サンワン・レジデンス)を出発。南京東路を中山駅に向かう。
 ゆっくり歩いて約10分で駅に到着。

 はじめての地下鉄乗車、行先も初めてのところなので、不安はあるが、漢字で書かれた案内は何とか意味が分かるし、いざとなれば筆談と下手な英語で何とかなるだろう、と腹をくくる。

         

 息子に買ってもらってあった地下鉄(MRT)カード(日本のPASUMOなどと同じ)で入場。
(上の写真。上が新しいカード、下は古いカード。<Easy Card>と書いてあった。どちらも使える。500元[約1500円]もチャージしておけば1週間は優にもつ。)

 <赤2>の淡水信義線のホームに向かう。
 日本と同じで、路線ごとに色分けしてあるので、とにかく赤い色の方向を目指す。
 
         

 無事、淡水信義線の中山駅ホームに到着。       

            

 つぎは行き先を間違えないこと。
 淡水方面行きに乗って、2駅目の民権西路駅で乗り換える。
 車内の行先案内の電光掲示板で、確認。OK!

         
 

 民権西路駅に到着。下車。
 不思議なネーミングの駅名である。どういう由来なのだろうか。日本には自由民権や大正デモクラシーを記念した駅名などないのではないか。
 
 今度は、<黄4A>の中和新蘆線に乗り換える。
 ホームの案内表示で、中和新蘆線の方向を確認。

         

 案内に従って、歩く。
 けっこう距離がある。約5分くらいか。

         

 無事、中和新蘆線の民権西路駅ホームにたどり着いた。

         

 しかし、ここが最大の難所である。
 中和志新蘆線は「大橋頭」という駅で<4A>廻龍行きと<4B>蘆洲行きに枝分かれする。
 ぼくが乗るのは<4A>の方だが、折悪しく<4B>蘆洲行きが先に来てしまった。
 これに乗って大橋頭駅で乗り換えるか、次を待つか迷っていると、ホームの電光掲示板に「廻龍行きは4分後に到着」といった趣旨(と了解できる)の案内が流れた。
 ホームにはほかにも乗車しないお客さんがいたので、4分待って、次の廻龍行きに乗る。

         

 約20分で、目的地の「輔大」駅に到着。

         

 ひと目で輔大生とわかる若者の群れについて行く。もしこの駅にほかの大学があったら大変だが、駅名が「輔大」と言うくらいだから大丈夫だろう。

         

 こうして、何とか開会の少し前に会場の輔仁大学に到着。(冒頭の写真)
 広いキャンパスだが、会場の「野馨楼」は正門を入ってすぐ右手にあった。

         

 受付の辺りで知り合いの日本から来た研究者仲間に出会う。

         

 

 シンポジウムは夕方5時過ぎに終了し、輔大駅へ。

         

 下の写真は輔大駅のホームの壁面に描かれた絵。
 何だろうか。

         

 今朝乗った地下鉄を逆に戻って、中山駅に戻る。


 中山駅の駅ビルには新光三越が入っているが、その地下の<鼎泰豊>(ディンタイフォン)で小龍包を食べることにする。
 約50分待ちと言われたが(日本語で!)、近くにベンチもあったので待つことにする。予約伝票に「J2」と書いていた。日本人2名の意味だろう。
 順番が来るとアナウンスが流れるが、なんと日本語で「1569番の方、用意ができました」とか言っていた。

 小龍包、餃子、炒飯に、台湾ビールを飲んでホテルに帰る。

         

 
 これで、台湾第3日は終了。


 2016/12/6 記

         

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台湾に行ってきた(2)故宮博物院 九份

2016年12月05日 | あれこれ

 11月25日(金)

 出発前の東京の天気予報では滞在予定の5日間すべて「☂」マークだったが、見事に外れて、到着した日(東京では朝方みぞれまで降ったのに)もこの日も、台北は天気が良かった。
 そして東京に比べると、南にあるだけあって、かなり暖かい。コートは不要である。

 朝食を済ませて、9時にホテルを出て、タクシーで故宮博物院へ。
 故宮博物院は混雑するから朝一番で行くようにという、台湾通の息子の指示通りに行動。

 台北の町中は、おびただしい数のバイクが横行している。よく事故が起こらないと思っていたら、故宮近くで、バイクとボンゴ車の衝突事故に遭遇した。
 幸いバイクのお兄さんもけがはなさそうだったが、起こるべくして起きた事故に思える。

         

 
 到着後、順路もこれまた指示通り3階から下に降りるルートで進む。
 事前の知識通り、翡翠の「白菜」も「回鍋肉」も小さいことには驚かなかった。
 想像以上に小さかったが、実物大の白菜を想定していた人ほどには驚かない。
 とにかく蒋介石が内戦に敗れた際に大陸から持ち去った中国4000年の秘宝の宝庫である。

 台湾独自の文物を収集した南院というのが別に建てられた(建てられる)そうである。

 世界史の記憶の中におぼろげに残っている夏(西夏?)、殷以来の様々な青銅器、石器から清朝時代のものまで、数多陳列されている。
 「お宝鑑定団」に出品したら総額いくらになるのだろうか・・・、などと思ってしまう。

         

 写真は撮らずに鑑賞に専念して、想い出は文物集に任せることにする。
 土産物店で、来年卒業するゼミ生たちへのお土産に、故宮博物院のボールペンを購入。申し訳ないが、これが一番安かったので。

 昼前に1階の出口に戻る。(写真の時間は日本時間のままなので、1時間進んでいる。念のため)
 4、5か所ある入場券売り場すべに20人近い行列ができている。団体客もごった返している。
 朝一番というアドバイスに感謝。

 帰りのタクシーの運転手さんは、日本語も流暢で(ほぼネイティブ)、あれこれと話題も向こうから話しかけてくる。
 嘉儀農林の映画のことや、忠誠祠(忠烈祠?)の前を通った時には日本の靖国神社のようなもので、日本の総理は参拝できないが、台湾では年2回総統がお参りすると言っていた。
 蒋介石が大陸反攻を目指して資金を軍事に使ったために、台北の開発は20年遅れたとも言っていた。
 人口の4分の1が台北、新北に集中しているため、台北のマンションは東京よりも高く、庶民は台北に家を買うことができないとも言っていた。
 台湾は経済発展が進み、物価も東京とそれほど違わないが、タクシー代だけは東京と比べ物にならないくらい安かった。


 ホテルに戻り、昼食を済ませ、午後1時にホテルに迎えに来たマイクロバスで、基隆、東北角海岸、九份見物に出かける。

 ホテルにおいてあったパンフレットで見つけたコースを当日申し込んだが(ホテルの人が電話してくれた)OKだった。
 宏祥旅行社というところの「九份・東北角海岸観光 午後の定期観光コース」、1人1300元だった。これは正解だった。

 九份は地下鉄の忠孝復興駅から路線バスで1時間半と案内にはあるが、九份の中を歩き回って、元のバス停に戻るのでは効率が悪いうえに(同じ道を二度歩く)、はじめての者にとっては分かりにくい。
 日本語のガイドがついているし、集合場所なども日本語で紙に書いて用意してくれていて助かった。

         

 バスは台北市内のホテルで順次お客を乗せながら、基隆(キールン)に向かう。
 総勢6組、12人に、運転手と、ガイドがついた。ガイドさんは中国語はもちろん、英語、日本語で順番にガイドする。

 上の写真は車窓から眺めた101タワー。
 つぎは、同じく車窓からの眺め。古い建物が結構残っていて懐かしい感じがあるが、台北は地震もあったが、大丈夫なのだろうかと心配になる建物もある。

                

 下は台北市政府庁舎。正面入り口に白いシーサー(?)が並んでいる。

         
       
 
 やがて淡水河を渡って市外に出る。
 それまでは晴れていたのにこのあたりから次第に雲行きが怪しくなってきた。台湾本によれば、「九份に行く際は雨を覚悟せよ」とあったので覚悟はしており、雨合羽も傘も用意してきた。

         

 基隆はかつては台湾第二の貿易港だったそうだが、今は寂れてしまい、うら寂しい街並みだった。
 海岸線に押し寄せる太平洋の波は白波を立てていて、日本の海岸線より厳しい印象。真東はメキシコで、晴れた日には与那国島も見えるとガイドさんが言っていた。
 パンフレットによると、金爪石、鼻頭石、南雅風化石、二色湾を回ったらしいが、どれがどれだか記憶は定かでない。

         

 海岸線のすぐ近くまで、岩山が迫っていて、ところどころ山肌から滝のように水が流れ落ちている。

         

 2、3カ所でバスを降りて海岸線を歩いたが、生暖かく湿気を帯びた風が吹いていた。


 雨の中、九份に到着。

         

 ウイークデーにもかかわらず、休日の清水寺(九条坂)のように人混みであふれかえっている。日本からの修学旅行の高校生もいた。
 多くの人が傘をさしているので、歩きにくく、何かを食べたり、土産物を物色する気にもなれなかった。
 ひたすら滑らないように気をつけながら、延々と続く坂道と階段を上って、待ち合わせに指定された九份茶屋(?)にたどり着く。
 眼下の集落が雨に煙っていた。

         

 そもそも九份とは9家族という意味だそうで、その9家族が次第に数を増やして現在では2000人だかの家族になっているという。車窓には、家の形をした鮮やかな色彩のお墓が並んでいた。
 かつては金山だったそうで、1980年代まで採掘が行われており、現在も坑道の入り口が残っていた。

          

 「千と千尋の神隠し」の舞台になったおかげで観光客が激増したという。ぼくは見ていないが、夜になって、茶屋などに明かりが灯ると美しく幻想的な雰囲気が漂うらしい。
 想像できなくはないが、とにかくこの雨では、早くホテルに戻って風呂に入りたい気持である。
  
         

 
 夕方4時過ぎに九份を出発して帰路に。
 台北に近づくと雨は降っておらず、夕日が沈みかかっていた。
やがて日が落ち、渋滞の台北市内を走る。

         

 台北名物のバイク軍団を車窓から撮った。

         

 夜6時過ぎにようやくホテル到着。


 夕食は昨夜の牡蠣オムレツに懲りたので、ホテル近くの「日本食通り」沿いの「哲麺」というところで日本風ラーメンを食べる。

         

 途中で見かけた教会。
 地図で調べると「中山基督長老教会」とあった。ネオンが灯っているのはソウルの教会と同じ。

         

 
 ついでに。
 ぼくの海外旅行はなぜか「同性婚」に縁がある。

 2014年3月にイギリスに行った際は、ちょうど3月29日が同国で同性婚が施行された日で、テレビがニュースを流していた。
 今回の台湾旅行でも、ちょうど同地では同性婚を許容する民法の改正論議が起こっているらしく、テレビで肯定派と反対派の衝突のニュースをやっていたし、ホテルの新聞(中国時報)でも連日報道されていた。

         


 こうして、第2日は終了。


 2016/12/5 記


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台湾に行ってきた(2016年11月24~28日) (1) 神旺商務酒店

2016年12月04日 | あれこれ

 11月24日(木) 神旺商務酒店(台北市南京東路)

 
 台湾、台北(正確には新北市)で開催される学会に出席するために、台湾に行ってきた。

 海外の学会などにはあまり縁がなかったのだが、親子関係における血縁意識の日・中(台)・韓3国の比較というテーマに興味があったのと、台北は、母方の祖父が1898年に生まれたところだが、今まで行ったことがなかったのでひと目見ておきたいと思って参加した。
 さらに祖父によると、3歳の頃に台風後の増水した川を見に行って、溺れたところを台湾人の大工に助けられたことがあるという話だった。
 その大工さんがいなかったら、われわれは存在しなかった。ぼくたち子孫がいるのは、その大工さんのおかげであり、その意味で台湾には恩義がある。


 学会は11月26日(土)および27日(日)なのだが、11月25日に到着して28日に帰国するよりも、24日に到着する方が航空運賃および宿泊代込の料金が安い(!)。

         

 宿泊したのは、地下鉄(MRT)中山駅と松江南京駅の中間あたりにある神旺商務酒店(サンワン・レジデンス)。
 「台湾本」などで日本語が通じるホテルとして評価が高かったので選んだ。
 評判とおり、大変に良かった。

 台湾人は、日本に好意的でみんな優しいという話だったが、必ずしもすべての台湾人がそうではなかった。
 空港から乗ったタクシーの運転手など、メモで行き先を示しても返事もせず仏頂面で運転するだけ。降りる際のスーツケースも知らん顔。

 結局ホテルのドアボーイが取り出して運んでくれた。

 フロントも達者な日本語で「無問題」。無料で携帯を貸し出してくれる(ホテルへの通話以外は通話料だけはかかる)。
 ロビーでは、無料でお茶と茶菓子、新聞(日本の週刊誌も)が用意してあり、パソコンも使える(これは有料)。
 冒頭の写真はフロント横のロビー。

 部屋はご覧のとおり。

         

 あえて難点をあげれば、バスルームとベッドがやや近すぎるか・・・。

         

         


 荷物を取り出してから、さっそく台湾通の息子から教えられた、寧夏夜市に出かける。

 ホテルから、南京東路を西へ歩き、中山駅の上に建つ新光三越を過ぎて、南京西路に入る。道に迷って方向が分からなくなり、交差点で信号待ちをしていた高校生くらいの男の子に尋ねると、わざわざスマホで調べて教えてくれた。
 優しい子もいる。

         

 上の写真は、寧夏に至る道すがらの建物。
 古いビルが結構残っていて、昭和レトロな雰囲気が昭和25年生まれのぼくとしては懐かしい。
 韓国のソウルにもこんな雰囲気の町並みがあちこちに残っていた。片っ端から取り壊してしまって東京が一番ダメになってしまった。 

 やがて大きな赤提灯に黄色で「寧夏夜市」と書かれた路地に行きついた。ホテルから徒歩20分くらいか。
 夕方6時過ぎだったが、まだ準備を始めたばかりの屋台もある。あちこちから羊の脂の臭いが漂ってくる。残念ながら羊肉は苦手なので閉口する(「閉口する」は祖父の口癖だった)。     
           

 息子がお勧めと言っていたので、牡蠣のオムレツを出している店に入る。白米とスープもつけて100元(約350円)くらいだったが、これまた残念ながらぼくの口には合わなかった。
 甘ったるい餡かけたれと、食感がダメだった。申し訳ないが半分近く残してしまった。

         

 こうして、到着日の11月24日は終了。


 11月25日は、午前中に故宮博物院を訪ね、午後からは基隆、九份(きゅうふん)を訪ねる予定。


 2016/12/4 記


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