豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“メグレと宝石泥棒”

2008年07月30日 | テレビ&ポップス
 
 大学に出かけては期末試験の試験監督を務め、帰宅してからは自分の科目の答案の採点をしながら、毎日1本ずつ、録画した“メグレ警視”か“フロスト警部”を見ている。

 きのうは、“メグレと宝石泥棒”(FOX CRIME)。
 メグレがかつて刑務所に送り込んだ宝石強盗犯が、出所後も足を洗っていないことは明らかだが、証拠をつかむことができないでいる。
 
 再び宝石強盗事件が起こり、警官が殺される。メグレはこの元宝石強盗の家を訪ねるが、若い愛人から悪態をつかれる。
 原作の原題は“La patience de Maigret”(「メグレの忍耐」)であるが、まさに、メグレがこの悪党たちの悪態に忍耐強く対応しながら捜査を進める過程が描かれている。

 原作(翻訳本)の長島良三氏による解説では、この作品は、メグレもののうちでも5本の指に入るもので、《謎とき風なもの》とされているが(シムノン/長島良三訳『メグレと宝石泥棒』河出書房新社、1978年、238頁)、《謎とき》というよりは《プロセスもの》ということは結局《警察もの》だろう。

 この話の面白かったところは、フランスの予審判事の権限というか現実がよく分かることである。なぜか今回は捜査の当初から好々爺ふうの老予審判事が、メグレの捜査を担当することを光栄として、彼について回るのである。

 メグレが乗る警察車両は大型のシトロエンだが、この老予審判事は自家用車と思われる小さなベージュ色のルノー(4CV)に乗っている。
 これもまさに、クルマの記号論で、要するに当時のルノーというのは、予審判事のようにそれなりの地位はあるが、金銭的に豊かとはいえない人物が所有し、運転するクルマだったのだろう。

 昭和30年代、日本でも日野自動車が日野ルノーと称して、ルノーを販売していた。雅樹ちゃん誘拐事件では、犯人の歯科医が犯行に使ったクルマが、確かこのルノーだった。当時、歯科医クラスの人が乗るクルマだったのだろう。
 このおしゃれなクルマは、当時けっこう街中で目にした記憶がある。『絶版車アルバム1950-1969』(コスミック出版2006年、44頁)に写真が載っている。

 フォルクスワーゲンのビートルも、元ヤナセ氏のアイディアではなく、ドイツ本国で《インテリの乗るクルマ》という記号をすでにかち得ていたのかもしれない。

 たまたま、きのうは、高校、大学時代からの友人で、長いこと裁判所書記官をしていた男が、8月1日付で簡易裁判所の裁判官に転職することになったというので、一緒に酒を飲んだ。
 簡裁判事の職務の一つは令状の発付だが、あえていえば日本の予審判事のようなものである。もちろん日本の刑事司法は当事者主義を採っているから、捜査は検察官の職務であり、裁判官はあくまでアンパイアだが、機能的にはヨーロッパの予審判事と似ているのではないだろうか。

 * 写真は、FOX CRIME“メグレ警視と宝石泥棒”から、予審判事の乗っているルノー4CV。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“フロスト警部 それぞれのミレニアム”

2008年07月29日 | テレビ&ポップス

 “フロスト警部 それぞれのミレニアム”は、1999年のクリスマス・イヴから2000年の元旦までの数日間のデントン署が舞台。

 前編、後編の続き物で時間がいっぱいあったからだろうか、発電所での連続殺人事件、犬猫の射殺事件、盗難車の国際密売事件、フロストも巻き込まれる銀行強盗事件、警察官の不倫殺人事件、16歳少女の家出(親に秘密の出産事件)などなど、あれやこれやと事件が起こる。
 
 最終的には、警察官の不倫殺人事件と発電所での連続殺人事件に収束していくのだが、今回も事件それ自体の謎解きよりは、捜査の過程で明らかになっていく親子間の愛憎、警察官同士の確執、それに再会したフロストと元妻(?)との交流などが中心的に描かれている。
 
 今回も10年近く前の、ファスト・バック全盛時代のイギリス車のオンパレードで、クルマ好きにはたまらないだろうと思う。ぼくにはイギリス車の識別などできないのでなんとも言えないが、このドラマの製作者は、クルマの記号的意味を使って、登場人物、場面に応じてしかるべきクルマを配列しているように思う。

 個人的には、エピソード的にしか描かれていない、親への連絡なしの16歳少女の出産の事件に興味を引かれた。
 ちょうど今、秋の研究会で報告するために、Axon判決というイギリスのQueen's Bench で下された判決を読んでいる。その事案というのが、親に連絡しないまま16歳未満の少女に対して中絶を行うことはヨーロッパ人権条約で保障された親の権利を侵害しないかということが主要な論点になった事件である。
 理想的には、今回のフロストで描かれたような解決が望ましいのだろうが、現実には、そんなに都合よく産科医と警官が知り合いで、その警官(フロスト)がいきり立つ父親に友情ある説得を行ってくれ、父親も現実を受け入れるなんてことはありえないだろう。

 しかし、本当のことを言えば、今回はクルマよりも、未成年者の医療よりも、ほどよい太さの女性が何人か出演しているのがよかった。本来はイギリス人女性は苦手なのだが、今回登場した女性たちは悪くない。

 * 写真は、ミステリー・チャンネル“フロスト警部 それぞれのミレニアム”から、フロストの元妻(か? 途中を少し見逃したのでどういう女性か不明)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“フロスト警部 泥棒の忘れ物”

2008年07月27日 | テレビ&ポップス
 
 ミステリー・チャンネル“フロスト警部 泥棒の忘れ物”を見た。

 前の書き込みのうち、“フロスト警部”ものが、社会風俗的なネタを絡ませすぎるという点は、訂正しなければならない。
 “フロスト警部”(のテレビ版)は、放映当時(1990年代から2000年代の初め)の社会的背景なしには成立しない。サッチャー政権時代の余韻から、警察の人員削減が田舎の警察にまで及んできたり、田舎町でも青年の薬物中毒が広まっていたり、といったことを抜きに、テレビ版フロストは語れない。

 今回の“泥棒の忘れ物”も、麻薬の売人殺害をめぐる事件である。
 これに絡んでくるのは、ゴルフ場の駐車場から高級車を盗む常習窃盗犯の事件。面白いのは、イギリス社会におけるクルマの記号ないし象徴的意味がよく分かるのである。

 窃盗犯がゴルフ場の駐車場から次々と盗む車は、アウディに始まり、、ベンツ、レンジ・ローバーなどなど。
 ワインレッドのベンツの所有者は地元デントンのバイオ産業の社長だが、その社長が娘に買い与えている車はオペル・ヴィータである。ちなみに、フロストが乗っているのは水色のボルボのステーション・ワゴン(前の書き込みの右隅にチラッと映っている)。

 ところで、がっかりしたのは、殺された麻薬の売人が乗っているクルマが、フォルクスワーゲンのゴルフだったこと。

 6月末に、ゴルフTSIトレンドラインというのが発売になり、値段は248万円で、燃費が15.4km/Lに向上したというので、つぎは(といっても買い換えるのは数年後だが)ゴルフでもいいかなと思っていたところだったのだ。

 僕自身は、クルマは便利な移動の道具にすぎないのであって、クルマによって自己主張したり、「所有する喜び」を味わったり、ましてや“ステイタス・シンボル”として地位を誇りたいなんて気持ちはまったくないのだが(誇るような地位もカネもないし)、クルマをそのような記号として見る目が世間にはある。

 大学の駐車場に白いベンツなどで乗りつける先生は、(クルマに記号性なんか認めたくない)僕自身が、やっぱり「変わった教師だな」という印象をもってしまう。その点、ゴルフは大学の駐車場でも許されるクルマである。

 高校時代の友人の親父さんに有名な画家がいて、その親父さんがVWのビートルに乗っていた。あるとき、彼にビートルを売りつけた元ヤナセの営業部長か何かで、その頃は画廊を経営している人と一緒に新宿のバーに連れて行ってもらったことがあった。
 この元ヤナセの人の話では、VWビートルを輸入した当初、ヤナセでは医者や大学教授や芸術家にターゲットを絞ってダイレクト・メールを送ったのが成功して、「ビートルはインテリの乗るクルマ」という評判が定着したということであった。

 確かに、昭和30年代には、祖父の教え子の大学教師でビートルに乗っている人がいた。近所の金持ちの開業医の軒先にもビートルが駐っていた。いまなら、BMWやベンツだろうが。
 ゴルフも、当初はそんなビートルのイメージを受け継いでいたが、それがとうとう今日の“フロスト”では麻薬の売人の愛車である・・・。
 なんとも寂しい話である。

 * 写真は、ミステリー・チャンネル“フロスト警部 泥棒の忘れ物”(原題は“Key for the Car”、1999年製作)から、乗り捨てられた赤いゴルフ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“フロスト警部 ゆがんだ愛”

2008年07月26日 | テレビ&ポップス

 “フロスト警部 ゆがんだ愛”も、家族内部で起こった犯罪を扱っている。

 製作は1999年頃だが、今日でも依然問題となっている家族内での児童虐待、それも性的虐待がテーマである。
 たんなる探偵番組では視聴率が取れないから、離婚だの買春だの児童虐待、薬物中毒だのといった世俗的なテーマを絡ませるのは、海外ミステリーの常套手段である。

 しかし、“女警部ジュリー・レスコー”あたりならまだしも、“メグレ”や“フロスト”までもがそんなことはやって欲しくない。メグレはメグレだけで、フロストはフロストだけで、そこに起きた事件およびその関係者と伴走してくれれば十分なのだが。

 さて、フロスト警部の“ゆがんだ愛”では、メインの事件と並行して、忍耐の限度を超えた老妻が口やかましい夫を殺してしまう事件が描かれる。
 老妻をたんなる殺人犯として扱おうとする若い女刑事を、フロストが「頑固おやじ」になって叱り飛ばしたりするのだが、余りにもモラリスト然としていて、フロストらしくないのである。

 本筋の家族内で起きた事件の方は、1999年頃のイギリスの社会問題の一つだった未成年者の中絶や性的虐待がテーマになっている。こういう社会派的テーマはフロストらしくないと思うのだが、個人的には興味をそそられた。

 と言うのは、かつて同時代のイギリス貴族院判決を研究対象にしていたことがあるからだ。ギリック事件といって、16歳未満の未成年者に対して、親の承諾なしに医師は避妊薬(ピル)を投与してよいかどうかが争われた。
 そして、1985年の貴族院判決は、3:2の僅差だったが、判断能力の成熟した少女が親への連絡を拒否した場合には、親の承諾なしにピルを処方してよいと判決した。

 今回のドラマを見ると、まさに親への連絡なしに中絶せざるを得ない未成年者がいることを思い知らされる。

 この回の話は、かつてスカパーで見たことを途中で思い出したが、どんな筋でどんな結末だったかは、記憶になかった。
 そして、不覚にも(またしても)、ラストシーンでは目頭が熱くなった。

 確かに、フロストと部下の刑事の「擬似親子関係」は伏線として描かれていた。そうすると、実はこの話(“ゆがんだ愛”)のメインの事件は、曲々しい性的虐待の事件ではなく、幼い娘を急病で失ったことから夫婦関係に亀裂を生じた老夫婦間の事件の方だったのかも知れない。

 “No Other Love”という原題の意味も(直訳では意味不明だが)、そういうことではなかったのだろうか。

 * 写真は、ミステリーチャンネル“フロスト警部 ゆがんだ愛”からと思ったのだが、この事件の後のフロストの失意の日々を描いた“過去を語る死体”の1シーン。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“メグレ警視” VS “フロスト警部”

2008年07月26日 | テレビ&ポップス

 “メグレ警視 ベンチの男”と“フロスト警部 ゆがんだ愛”を見た。

 どちらも家族のなかで起きた犯罪がテーマである。どちらも、テレビの向こう側にいる視聴者を計算しすぎている。
 純粋な(とぼくが考える)“メグレもの”、“フロストもの”としては、挟雑物が多すぎる印象であった。

 “メグレ警視とベンチの男”は、メグレが自分の担当した事件の裁判(予審?)で、未成年者である被告人の弁護士から尋問を受けるシーンから始まる。
 弁護士が、「あなたは被告人に対して暴力をふるったことはないか?」と質問されると、メグレは、「父親が息子に対してするようにしたことはある」と答える。
 さらに弁護士が「あなたには子どもはあるのか?」と質すと、メグレは、「かつて娘がいたが、幼くして他界した」と答える。

 メグレものでは、メグレ夫人は時おり登場するが、メグレの子どもは登場しない・メグレに子どもがいたかどうかは好事家たちの議論の対象らしいが(確か長島良三氏の“メグレ”関連書のどこかに、「メグレには女の子がいたが幼くして亡くなっている」と書いてあった)、テレビ版では、このシーンで明らかになる。
 原作(の翻訳)の『メグレ警視とベンチの男』(矢野浩三郎訳、河出書房)には、この法廷での証言シーンはない。

 いずれにしても、このことが伏線になって、テレビ版“メグレ警視とベンチの男”では、被害者である中年男性とその娘のエピソードが描かれる。被害者の男は、会社を首になったことを家族に隠して3年間パリの街角のベンチに座って、時おり悪事とアバンチュールを楽しんでいる。
 偶然それを目撃した娘は、そのことをネタに父親から金を無心する。メグレは取調室でその娘の頬を平手打ちにする。「お父さんの代わりに殴る」と言って。

 しかし、ぼくはこの流れは必要ないと思う。“メグレ”ものとしては、失職したことを恐妻に隠して、3年間パリのベンチに座り続けた男の物語だけで十分な気がした。
 メグレに「お父さん」の役割など期待しているファンなどいるのだろうか、と思う。

 これに対して、“フロスト警部 ゆがんだ愛”も、家族内部で起こった犯罪を扱っているが、これについては続きで・・・。

 * 写真は、FOX CRIME “メグレ警視 ベンチの男”(原題は、“Maigret et l'homme du banc”)のラスト・シーン。
 パリ郊外の、元売春婦が経営する「曖昧宿」(翻訳本ではそう訳されていた)を後にするメグレ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“メグレ警視 首のない死体”

2008年07月23日 | テレビ&ポップス

 “メグレ警視 首のない死体”(FOX CRIME)から。

 一昨日見た、この“メグレ警視 首のない死体”も、きのう見た“フロスト警部 暴かれた別の顔”も、いずれも一見ごく普通の主婦の、一方は不倫を、もう一方は売春を扱っている。

 わが国にも、「不倫は文化」とか言っているタレントがいたが、わが国はともかくとして、フランスでは確かに不倫は文化なのだろう。
 以前読んだ記事(正確には法学関係の学術雑誌に載った論文)のなかに、フランス人の妻が産んだ子の17%は夫の子ではないという(半公式の)統計数字が紹介されていた。
 フランス法を専攻している友人が、少し控えめな数字ではないかと言っていた。

 それとともに、どちらの番組でも、配偶者間暴力が描かれていた。すでに10年近く以前のテレビ番組でさえ、フランスやイギリスではDVが問題になっていたようだ。

 * 写真は、“メグレ警視 首のない死体”から、メグレらが被害者宅の家宅捜査に向かうシーン。
 登場するクラシック・カーが、たんなる時代考証にもとづく骨董品として登場するのではなく、いずれも運転可能な状態であるところがフランス的である。もっともフランスでも、最近はシトロエン2CVなどはめっきりお目にかかる機会が少なくなったように思うが・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“フロスト警部 暴かれた別の顔”

2008年07月22日 | テレビ&ポップス
 
 テレビを買い替えたついでに、J-COM に加入したので、あれこれとCS番組を見ている。

 と言っても、ほとんどが、“ミステリー・チャンネル”か“FOX CRIME”。ちょうど7月は、FOX CRIME で“メグレ警視”シリーズを、ミステリー・チャンネルでは“フロスト警部”をやっている。

 “フロスト警部”は、かつて女房が韓流ドラマにはまってスカパーに加入していた頃、ぼくが気に入ってよく見ていた番組である。
 時どき、アマゾンなどで中古を検索するが、DVD-BOXの第1巻などは、最近まったくお目にかかれない。
 久しぶりに、「フロスト流」を楽しんだ。

 今日の夕方仕事から帰って、さっそくチャンネルをひねると、“フロスト警部”の第22話“暴かれた別の顔”をやっていた。
 内容は、エド・マクベインの87分署シリーズ『被害者の顔』(早川ポケット・ミステリー542)と同じ趣向である。要するに、被害者には家族も知らなかったいくつもの別の顔があり、どの顔のために被害者となったかが判明することで、犯人も分かってくるという話である。

 きのう見た“メグレ警視 首のない死体”も同じく、何でもないような主婦が主人公であった。

 * 写真は、“フロスト警部 #22 暴かれた別の顔”(1999年)の1シーン。遠くの方からこちらに向かっているのがフロストなのだが・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ボナンザ” 4

2008年07月22日 | テレビ&ポップス
 
 “ボナンザ”のオープニングも懐かしいが、今回DVDで見たら、エンディングのタイトルバックもなかなかいい。
 こんなエンディングだとは記憶にはなかった。当時、日本のテレビでは放映されなかったのかもしれない。

 水彩画で描かれた西部の風景は、いかにもまだテレビが手作りだった時代をしのばせる。“カートライト兄弟”の話の内容と同様に温かみがある。
 
 * DVD版“ボナンザ”第1巻(第2話/スペインの所有権)のエンディング・タイトル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ボナンザ” 3 

2008年07月22日 | テレビ&ポップス
 
 “ボナンザ”のタイトルバック。
 
 “ボナンザ”ないし“カートライト兄弟”の始まりのシーンは、見ていた人なら誰でも覚えている。
 カートライト一家の牧場のあるポンデローザの地図の真ん中から炎が上がり、燃える地図とオーバーラップして、カートライト一家が馬に乗って近づいてくる。

 そして、“西部の荒野 ボナンザ~ 地平の果てに 陽が登る~ ♪”という(ちょっと歌詞の記憶は怪しい)テーマソングが流れてくる(のだが、今回のDVDにはこの主題歌は入っていない)。

 * 写真は、DVD版“ボナンザ 第1巻”のタイトル。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ボナンザ” 2 スペインの所有権

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 懐かしい思いがものの見事に裏切られた“ボナンザ 第1話 殺し屋兄弟”だったが、“第2話 スペインの所有権”は期待を裏切らなかった。
 確かに、“真昼の決闘”などとは比べるべくもないが、50分弱のテレビ・ドラマとしては、まずまずではないか。

 テーマは、西部開拓を奨励するために、開拓民に農地を無償で与えることを定めたホームステッド法のもとで土地を開拓した農民たちと、従来からの所有権を主張するスペイン貴族の末裔との争いの物語である。
 カートライト一家もこのホームステッド法によって土地を得た農民であるが、それ以前からの所有権を主張するスペイン人貴族の相続人と称する者がやって来て、周囲の開拓農民を追い払おうとする。抵抗する農民は用心棒に撃ち殺されてしまう。

 旧来のスペイン人の所有権は、メキシコ政府もカリフォルニア政府も承認していると、話のなかでカートライトの親父さんが言っていた(ただし“ボナンザ”の舞台はネバダ州だが)。問題は、追い立てにやって来た女が本当にスペイン貴族の相続人かどうかということである。
 カートライトの二男と三男が、モントレーまで調べに行くが、裁判が始まる直前まで戻ってこない。いっぽう、長男は女に近づいて、真実を聞き出そうとするが、結局聞き出せないまま裁判当日を迎えてしまう。
 その裁判の結末は、ハッピー・エンディングが定例であるはずのアメリカのテレビドラマの結末としては、結構意外なことになっている。

 1960年2月6日放映とあるから、ぼくは10歳、小学校4年生である。こんな複雑な時代および法的な背景など分かっていたはずもない。それでも西部劇であるだけで満足して見ていたのだろうか。

 * 写真は、DVD版“ボナンザ 第2話 スペインの所有権”から、開拓農民とスペイン貴族の相続人の間の所有権をめぐる法廷シーン。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“ボナンザ BONANZA”

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 昨日の昼下がり、炎天下をお茶の水、駿河台下の三省堂に行った。

 探していた本はなかったのだが、三省堂の入り口で、廉価版のDVDを売っているのを見かけた。
 何となく眺めると、“ボナンザ”のDVDが目にとまった。1枚に2話はいっていて500円ならと、第1巻と第2巻を買って帰った。
 第1巻には「スペインの所有権」という題名の話が入っているし、第2巻には「土地争い」と「荒野の正義」というのが入っている。なにやら、西部劇時代のアメリカ法のお勉強にもなりそうである。 
 
 さっそく、第1話の「殺し屋兄弟」(1960年1月23日放映と書いてある。)を見た。
 あ然とした。子どもの頃に見て、記憶の中に残っていたイメージと全然違うのである。まっとうな西部劇かと思っていたのに、どう見てもコメディである。こんな番組を毎週楽しみにして見ていたのだろうか・・・。

 “ボナンザ”は“カートライト兄弟”という邦題で放映されていたこともあった。いずれにしても、ロン・グリーン(“グリーン・ベレー”♪の)演ずるアメリカ的厳格で実直なお父さんを中心とする仲良し3兄弟のファミリー・ドラマのような記憶はあったが、第1話「殺し屋兄弟」はあまりにも記憶と違いすぎる内容であった。

 “ボナンザ”は当時としては唯一のカラー版テレビ西部劇だったとケースに紹介があるが、カラーの画面はそれほど劣化しておらず、きれいだった。
 せいぜい、“大草原の小さな家”のお父さん、マイケル・ランドンの若い頃が見られたのが収穫か。と言っても、“大草原の~”ももう30年以上前のドラマで、M・ランドンももういない。

 * 写真は、DVD版(CLASSICAL WESTERN MOVIE)“ボナンザ BONANZA 第1巻”のケース。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“メグレ警視 聖歌隊の少年” 3

2008年07月21日 | テレビ&ポップス
 
 DVD版“メグレ警視 聖歌隊の少年”の訂正。

 この作品は、『サン・フィアクルの事件』の一部(『サン・フィアクル殺人事件』[創元推理文庫]の第3章)と以前のコラムに書いた。

 ところが、またまた長島良三編『名探偵読本2 メグレ警視』(パシフィカ)のメグレ警視もの全作品のリストを眺めていたら、なんと、「聖歌隊少年の証言」という作品がちゃんと存在していることを発見した。
 同書では「児童聖歌隊員の証言」という邦題になっているが、原題は“La temoignage de l'enfant de choeur”。1946年5月の執筆で、シムノンのメグレ警部ものの第51作とある。シムノンはメグレ警部ものを102作書いているから、ちょうど折り返し点(前半最後の作品)にあたる、ある意味で記念すべき作品である。

 ただし、このコラムはぼくの思い出を書いているので、DVDの“メグレ警視 聖歌隊の少年”を見たときに、『サン・フィアクル殺人事件』の、メグレの聖歌隊少年時代の思い出の部分がよみがえってきたことは、ぼくにとっては事実である。
 おそらく、メグレの思い出はシムノン自身の思い出でもあり、シムノンは冬の早朝の教会に向かう少年のことを、1931年執筆の『サン・フィアクル殺人事件』で書き、さらに1946年の『聖歌隊少年の証言』で再び描いたのだろう。
 ・・・と言い訳まで。

 * 写真は、DVD版“メグレ警視 聖歌隊の少年”から、犯人宅を包囲するメグレ警視と部下たち。
 フロント・グリルに大きな二重歯車マークのついたシトロエンのパトカー(フランスでは「パトカー」というのかどうか分からないが)がとまっている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“メグレ警視 第1号水門”

2008年07月20日 | テレビ&ポップス
 
 ツタヤで借りてきたDVD“メグレ警視 第1号水門”を見たのは、先週の月曜日、フランスの革命記念日というか、パリ祭の日だった。
 偶然このドラマも、バスチーユにつながる市電の車内から始まる。

 暗い内容だった。舞台はパリ近郊の運河の河岸である。成り上がりの倉庫会社社長と、かつて彼の船の船頭だった老人が、二人して運河でおぼれている所から話は始まる。
 二人とも命は助かるのだが、二人とも運河に転落した事情を話したがらない。何らかの事情を察知したメグレは、背中を刺されて運河に転落した社長に向かって、「捜査を取りやめてもいい」と言うが、彼は「勝手にしろ!」と答えるだけで、自分の転落についての捜査を望んでいるのか、いないのかも分からない。

 やがて、社長のひとり息子が縊死しているのが見つかり、続いて、尋問を受けた水門管理事務所の助手も縊死しているのが見つかる。
 恐ろしいことに、フランスのテレビ番組は、縊死死体の顔まで写すのである。

 社長と元船頭をめぐる関係が明らかになってくるのに従って、次第に事件の意味が明らかになり、犯人も明らかになってくるのだが、ちょっとしたフランス映画の雰囲気がある。とくにガッサンという元船頭の演技がいい。
 隠れたテーマが不倫と非嫡出子の問題であり、真実の父親から感染させられた脳梅毒が事件を解く鍵になっているというのも、いかにもフランスらしい。

 テレビドラマのストーリーは原作をほぼ忠実に再現している。
 パリの中心から事件の舞台になった運河の河岸までは、《バスチーユ=クレティユ》間を走る市電13番線でつながっていると原作(の翻訳)に書いてあるが(『13の秘密』創元推理文庫135頁)、ドラマの冒頭でも、メグレ警部は路面電車のデッキから降り立って現場に向かっている。
 倉庫会社に雇われた番頭の趣味がクロスワード・パズルというような細かいことまで、そのままである。

 * 写真は、DVD版“メグレ警視 第1号水門”(原題は“L'Ecluse no 1”)のラスト・シーン。メグレは後ろ姿のシルエットが一番ふさわしいと思うので、原則的にそのようなシーンを選んでいる。
 原作のほうは、長島良三編『名探偵読本2 メグレ警視』(パシフィカ)によれば、1933年4月に刊行されたメグレ警部ものの第18作だそうだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョルジュ・シムノン『メグレのパイプ』

2008年07月20日 | 本と雑誌
 
 DVDやFox Crimeチャンネルで“メグレ警視”を見ていて、気になることがある。

 それは、主役のブルーノ・クレメル演ずるメグレ警部がパイプを咥えるシーンである。たびたびメグレ警部の舌(ベロ)が、まるで赤子が乳を飲む時のように、赤く唇からはみ出して見えるのである。

 大学時代、1人だけゼミの時間にパイプをくゆらす先生がいた(1969年頃には、まだ大学で授業中にタバコを吸う先生がいたのである!!)。その先生が、パイプに火をつける仕草はメグレと同じだったように記憶するが、パイプを咥えるときにあんな風にぺロを出していただろうか・・・。
 ぼくの周りでパイプをする人はその先生だけだったので、メグレのベロが特別なのかどうかは、ぼくには分からない。

 Press de la Cite版の“メグレ”シリーズの表紙の装画を見てみると、パイプを咥えたメグレのシルエットは唇をずい分突き出している。あんな風なのが、正しいパイプの咥え方なのだろうか。

 * 写真は、G・Simenon“La pipe de Maigret”(Press de la Cite版、1957年)の表紙。ちなみにシムノン『メグレのパイプ』の邦訳は、長島良三訳『メグレ警視のクリスマス』(講談社文庫、1978年)に収録されている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“メグレ警視 パリ連続殺人事件”

2008年07月18日 | テレビ&ポップス
 
 ソニーのテレビが、最近の“ソニー神話”通りに、ぴったり8年目で壊れて映らなくなった。テレビを買い替えたのを期に、J-COM に入った。

 それほど画面がきれいになったようには思えないのだが、チャンネルが圧倒的に増えたのは有難い。

 さっそく、きょうはFOX-CRIME チャンネルで、“メグレ警視 #5 パリ連続殺人事件”を見た。
 原題名、原作などは見落としてしまった(なかったかも)。あまり“メグレ”らしくないストーリーだった。

 * 写真は、FOX CRIME “メグレ警視 #5パリ連続殺人事件”のラストシーン。おそらく捜査の合間に出かける“ドフィーヌ”というビアホール(?)から出て来たところではないかと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする