このブログに書き連ねた記事のうち、軽井沢関係のものだけを集め、『軽井沢 思い出の日々』と題して、ちょうど3年前の2009年9月24日に自費出版した。
刊行から程なくして、その本を読んだ私の母から読後の感想文が送られてきた。
以下にそのまま引用する。
○浅間山がよく出てきますが、池袋へ行くためバス停でひるま見た爆発とその後の東京へつくまでの光景を覚えていませんか? まるで原爆の直後をみるようだったけど・・・。ミッチィの生まれた年か、次の年ですよね。
本は面白くよみましたが、連れて行ったのは私ですよ。二時間も歩いて悪かったわね。この次は背負って行って下さい。
○草軽電鉄でS氏(父)が訪ねて行っていたのは京都大学の田辺元氏です。北軽井沢に別荘があり、はじめの一回はアポをとらなかったので、年のいった家政婦に玄関払いされたと聞いています。その後は毎年行っていたようです。
○綿貫哲雄さんは社会学者で奥さんが柔道で有名な嘉納治五郎の娘です。眞鶴にも別荘があり、星野の家も家紋入りの軽井沢彫りの家具などあり山一つ持っていられ下の沢に水瓜を冷してあるのを御馳走になったことも。
その母が9月19日の早朝に亡くなった。
大正13年生まれの88歳だった。年齢に不足はないのだろうが、まだまだ元気そうだったので、敬老の日に軽井沢の報告に行かなかったことが悔やまれる。
2006年の12月に、母も一緒に家族で万平ホテルに泊まり、軽井沢の冬景色を見物した。
とても12月半ばとは思えないようなポカポカ陽気だった。
アルバムを引っ張り出してみると、あのころはまだ元気で、万平ホテルのクリスマスツリーや、中軽井沢駅(取り壊されたあの旧駅舎)のサンタクロースとトナカイのイリュミネーションを背景に、孫たちと腕を組んで写真を撮ったりしている。
御代田のメルシャン美術館でも、裏の浅間八景まで登って浅間山を眺めたりした。
年々歳々、人が来りて、人が去っていく。
変わらないのは浅間山だけである。
* 最初の写真は、『軽井沢 思い出の日々』の最後のページを飾った浅間山の写真(2009年8月17日の夕暮れ時)。
最後の写真は、ことしの9月初旬に写した浅間山の夕景。綿貫先生の別荘のあった星野の裏手の山など、その他の記事にまつわる写真は少し落ち着いてから掲載することにしよう。
2012/9/24 記