豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢ゼミ合宿(2011年9月9日~11日)

2011年09月14日 | 軽井沢・千ヶ滝

 9月9日(金)から11日(日)まで、わがゼミの夏合宿が開かれるので、9日午後に千ヶ滝の家を戸締りして、大学のセミナーハウスに移動する。
 途中、中軽井沢駅前の“かぎもとや”で、天ざるを食べる。駅は工事中だが、結構繁盛している。
 “かぎもとや”の柱には、「十二月十二日」というお札が貼ってある。小津安二郎の誕生日にして、命日である。
 火除けのおまじないらしい。

 学生たちは午後4時、軽井沢駅着の高速バスで東京からやってくるので、南口駅前で待ち合わせ。第一陣は総勢10名。ぼくのクルマに3人を乗せて、他はタクシーでセミナーハウスに。

 9日は夕食後、ゼミの発表を2本。各1時間半ずつやったので、終わったのは10時過ぎ。
 それから軽くコンパ。学生たちは2時過ぎまで騒いでいたらしいが、それでも、翌朝8時の朝食の時間には全員がちゃんと揃った。

 10日(土)は、軽井沢駅前のトヨタ・レンタカーでヴィッツを2台借りて、ぼくのクルマと3台に12人が分乗して、ドライブに。
 最初の行き先は、ゼミ生たちがインター・ネットで見つけてきた小諸の松井農園でバーベキュー。食材は持ち込み自由というので、まず国道沿いの“マツヤ”に連れて行って、肉や野菜を買い込む。
 “マツヤ”には「バーベキュー・コーナー」というのがあったので、あらかたそこで準備は済んでしまう。
 
 “松井農園”というのは、浅間サンラインを通っているときに看板を目にしたことはあるが、行ったことはない。
 国道18号を追分宿の次の信号で右折して浅間サンラインを西に走ること、約20分くらい。小諸市街方面という左折の案内表示を過ぎ、松井トンネルを抜けてすぐの所でサンラインを降りて、田舎道を案内に従ってくねくねと走るとほどなく到着。

        

 鄙びた観光スポットという感じである。
 しかし、小高い山の緑や、青空を背景に、セミがうるさく鳴いている光景は、軽井沢とは違って、いかにも田舎の夏休みという感じがする。
 2、3日前とは違って、暑い日だったが、来がけに軽井沢の“マツヤ”で買った肉や野菜を焼く。ビールが飲みたいところだった。

 ついで、小諸の懐古園に向かう。
 ナビに従って走ると、10分くらいで到着。
 城郭は残っていないので、大して見るべきものもないのだが、見晴らし台から見下ろす千曲川がまずまずの景色か。
 子どもの頃に、見晴らし台からの急な坂を下りて千曲川の川辺に出ると、有名な草笛を吹くお爺さんがいた。いまでは、懐古園内にこの人の話と草笛を流すスピーカーが設置されている。

        

 先月、上田城に行ったときに、小津安二郎の“父ありき”に出てきたと思われる石垣を写真に撮った。金沢の中学教師を辞めた父(笠智衆)と息子(津田時彦)が、父の故郷上田に戻って来て、お城の石垣の上で語るシーンである。
 しかし、どうも石垣の傾斜がぴったりの石垣が上田城にはなかった。ところが、懐古園(小諸城)を歩いていると、「これだ!」という石垣に出会った。舞台は上田だけれど、小津は小諸城であのシーンを撮ったのではないだろうか。

               
 
 植え木がちょっと違うが、木は育つから。

        

 3時すぎに、懐古園を出発して、国道18号を軽井沢方面に戻る。

 わがゼミ生たちは、ショッピングモールや旧軽銀座などにはあまり興味がなく、軽井沢の自然を味わいたいというので、鬼押出し、白糸の滝、三笠通り、軽井沢駅というコースを選ぶ。

 中軽井沢駅前の交差点を左折して、鬼押出し方面に向かう。
 旧グリーン・ホテルあたりから登り坂が急になる。1300ccのヴィッツに4人乗りでは厳しいのではないかと思ってゆっくり登坂車線を走っていると、生意気にもわがカローラ・ランクスを抜いていった。
 後で聞くと、あの程度の上りなら1300のVitzに4人乗りでも問題ないという。

 鬼押出しに向かう道中は、今にも夕立がありそうな怪しい雲行きだったが、幸い雨は降らず、かろうじて浅間山を拝むこともできた。

        

 それから、ふたたび山道を旧軽井沢方面に下って、白糸の滝に。
 学生たちによれば、白糸の滝は“パワー・スポット”なのだそうだ。冷気は漂っているけれど、霊気はないように思うが、信心次第である。

        

 6時過ぎに無事セミナーハウスに帰館。
 途中、8月に免許を取ってからクルマを運転するのは4回目という新人ドライバーがハンドルを握ったりして、心配だったが、軽井沢の道は歩行者も自転車もなく、電信柱もないので、東京よりはるかに運転が楽だと言っていた。
 確かに、東京の車道から自転車と歩行者がいなくなり(歩道や自転車専用路が完備して)、電信柱もなくなったら、東京の道もさぞ走りやすくなるだろう。

 2011/9/14 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうの浅間山(2011年9月7、8日)

2011年09月14日 | 軽井沢・千ヶ滝

 9月5日(月)から11日(日)まで、軽井沢に行ってきた。

 もっと早くに行きたかったのだが、かなり大きな台風が到来したために、5日まで延びてしまった。5日も少し雲行きが怪しかったのだが、何とか時おり小雨が降る程度ですんだ。
 
 到着してみると、今年別荘を建てたお隣りさんはまだ滞在中だった。
 いつも9月に入ると近所はみんな引き上げてしまって、夜などは怖いくらいに真っ暗になるのだが、今年はお隣りの窓から明かりがもれていて、心強かった。
 
 6日(火)、7日(水)は、台風一過の秋空が広がり、空気も澄みきっていた。夜は長袖でも寒いくらいだった。

         

 青空に映える浅間山を撮ろうと、あちこちをドライブするがこれはといった場所がない。結局、思い出深い軽井沢スケートセンター跡地からの浅間山を撮る。
 本当に、“カルメン故郷に帰る”の笠智衆の台詞の通り、「変わらないのは浅間山だけである」。

 ついでに浅間台の交差点から眺めた浅間山も・・・。実際はもっときれいに見えているのだが、写真に収めようとすると、電線が煩わしい。

         

 7日の昼すぎに、お隣りの奥さんが、「今日で引き上げます」と挨拶をして、ご夫婦で車で帰って行った。

 お隣りに見られる心配もなくなったので、テラスに籐椅子を持ち出して、寝そべり、落葉松と白樺の木々の葉に縁取られた青空を眺める。
 いわし雲だかうろこ雲が流れながら、やがて塊になって浮かんでいる。サン・サーンスの“白鳥”をCDで聞きながら、無為の時間を過ごす。
 「至福の時」とはこんな時間を言うのだろう。

         

 夜になって、同じ空を見上げると、満月まであと一息の月がのぼり、落葉松の木々を照らしていた。月のない夜は漆黒の夜空なのだが。

         

 8日からは一変して、蒸し暑い夏に逆戻りとなった。日中は軽井沢でも27、8度近くあった。
 それでも、のんびりと空を眺めたり、浅間山を眺めたりしながら、大部分の時間は、毎年この時期に定期的に依頼のある判例集の原稿を書いて過ごす。
 軽井沢では、午前中と夕食後は勉強をして、遊んでよいのは昼食後から夕食までというのが、子どものころからのならいであった。 

         

 * 2011/9/13 記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする