豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

城下町金沢周遊バス 終点“金沢駅東口”

2009年11月26日 | あれこれ
 
 金沢駅前、石川県立音楽堂の2階ロビーから眺めた金沢駅東口のコンコース。

 北京オリンピックのメイン会場となった通称「鳥の巣」を思わせる。

 雨に濡れないで、ANAホテルや金沢都ホテルなどにたどり着くことができるので、大いに助かる。
 ここまで大げさな屋根でなくても雨は凌げるが・・・。

 * 写真は、金沢駅東広場“もてなしドーム”(というらしい)。

 2009/11/22

金沢周遊バスの旅 “近江町市場”

2009年11月26日 | あれこれ
 
 金沢での学会から戻って、もう3日が過ぎてしまった。
 明日の木曜日は講義も会議も入らない完全な休日。11月12日以来、2週間ぶりの休みである。

 北陸鉄道“城下まち金沢周遊バス”の旅も、終点が近づいた。
 香林坊、長町武家屋敷跡の次は、「武蔵ヶ辻」で下車して、「近江町市場」を見物する。
 「金沢の台所」というから、ここで昼飯を食べるつもりだった。
 
 しかし、バス通りに面した入口から、長蛇の列。
 何かと思ったら、「11月7日」に解禁された(と看板に書いてあった)蟹汁を200円で振舞うらしい。
 2階の食べ物屋も、すべて何10人も行列ができている。2、3000円の少し高めの寿司屋でも結構な行列である。

 こんなところで時間を食ったのでは、午後からのシンポジウムに間に合わなくなってしまう。
 仕方ないので、旨いことを願って向かいの名鉄のデパ地下で寿司を食べ、再び「武蔵ヶ辻」から周遊バスに乗って、金沢駅東口に戻る。
 10時少し前に、同じ金沢駅東口を出発して、戻ったのが午後1時前。3時間にしてはよくぞあちこちを回ったと思う。

 14時半からのシンポジウム打ち合わせまでまだ時間はあるが、石川県立音楽堂の2階ロビーでソファーに座って発言用原稿のチェックをして時間を潰す。

 * 写真は、近江町市場入口に建っていた石碑。「官許(!)金澤青草辻近江町市場」と彫ってある。「武蔵ヶ辻」と「青草辻」との関係はどうなっているのだろう。

 2009/11/22

金沢周遊バスの旅 “長町武家屋敷跡”

2009年11月24日 | あれこれ
 
 城下まち金沢周遊バス(北陸交通)の旅のつづき。

 「室生犀星文学碑」バス停の次は、十三軒町、片町と通過して、香林坊(日銀前)で下車。
 目的地は「長町武家屋敷跡」である。

 この周遊バスのチケットと一緒に渡された地図では、下車してからの道順が分かりにくかったのだが、バスの運転手さん(女性)が丁寧に降りてからの道をアナウンスしてくれたので、迷うことなく武家屋敷跡にたどり着くことができた。

 長町武家屋敷は、石畳の道と、道に面した塀、塀ごしに見える庭の木立ちだけは昔の面影を残しているが、建物はほとんどが改築され、現代的な「お屋敷町」になってしまっている。かつては前田藩の藩士が住んでいたのだろうが、どのような経緯で現在の住人の手に渡ったのだろうか。
 なかには塀すら作り変えられてしまって、リモコン・シャッター式の駐車場になっている家もある。
 金沢には景観保護条例のようなものはないのだろうか。

 ところで、「長町」は祖父が小学校に上がった土地である。
 どういう理由か分からないが、祖父は長町小学校に入学したものの、1、2年で師範学校付属小学校に転校している。曾祖父が大変に教育熱心だったというから、今で言うなら“お受験”をさせたのかもしれない。
 その「長町小学校」を探したが、見当たらなかった。今でも存在しているのだろうか。

 再び「香林坊」バス停に戻り、最後の目的地である「金沢の台所」近江町市場のある「武蔵ケ辻」に向かうバスを待つ。
 路線バスは次々に来るのだが、周遊バスはなかなか来ない。この周遊券は区なら路線バスにも乗れると書いてあるのだが、どのバスが「区間内の路線バス」なのかが分からない。
 後ろ乗りのため、運転手とも話がしにくい。ようやく話ができた運転手に確かめて、「武蔵ケ辻」を通る路線バスに乗り込む。

 * 写真は、長町武家屋敷跡の路地風景。

 2009/11/22

金沢周遊バスの旅 “室生犀星文学碑”

2009年11月24日 | あれこれ
 
 「広坂」の次は、「本多町」の隣りの「室生犀星文学碑前」バス停で下車。

 犀川にかかる「桜橋」という橋の手前を右折したすぐのところのバス停である。
 数人の客が乗り合わせていたが、僕以外のだれも降りない。あまり大した見どころではないのだろうか・・・。

 探すと、犀川の河原に降りる手前の小さな木立の中に石碑がいくつか建っていて、その中の一つに室生犀星の和歌が刻まれていた。

 「犀川の雪消の水乃音高く 遠ざかれども なほもきこゆる ●ノ三」

 とある。最後の数文字が判読できないが、「室生犀星文学碑前」バス停の前に建っているのだから、室生犀星の和歌だろう。
 「室生犀星」の「犀」が「犀川」に由来することに、迂闊だったが今はじめて気づいた。

 軽井沢の旧道のショー記念館近くにも室生犀星の歌碑が建っていたように思う。
 わが家にも犀星の俳句が書かれた短冊がある。今回見た歌碑の筆跡とよく似ているから本物だろう。

 犀星のことは何も知らないが、高校の現代国語の教科書に載っていた幼い子を失った時の短文だけは覚えている。
 この地の風習では、子を失った父親は野辺送りに参列することができないので、自宅でわが子を見送る父親のことが綴られていた。

 あれは確か、犀星だったはずだか・・・。

 * 写真は、犀川、桜橋のたもとの室生犀星の歌碑。

 2009/11/22

金沢周遊バスの旅 “広坂”

2009年11月23日 | あれこれ
 
 “城下まち金沢周遊”バスの旅、次の下車駅は「兼六園下(石川門向い)」の隣りのバス停、「広坂(石浦神社)」である。

 僕の遠い親戚(といっても祖母の弟)は、この広坂(祖母はよく「広坂小路」と呼んでいたが)で“びっくりや”という店を出していた。
 福井の“びっくりや”で修業し、やがて暖簾分けをしてもらい、金沢で開業したという話だった。
 祖母のことを「ねえさん」と呼び、祖父のことを「にいさん」と呼んでいた声が今でも耳に残っている。

 大学時代に訪ねた時の記憶では、金沢大学から山を下ってぶつかった交差点の2、3軒目で、九谷焼の店の隣だったように思う。
 広坂のバス停周辺にはそれらしい店もないので、隣りの「本多町」まで歩いたが、やはり見つからなかった。
 見つかったら、ちょうど昼飯時だったので立ち寄ろうと思ったのだが・・・。もう孫の世代に移っているだろうから、見つかっても話すこともあまりないけれど、曾祖父母は共通なのだから、血はつながっている。

 * 写真は、「広坂」バス停から兼六園方向を振り返って眺めた景色。

 2009/11/23

金沢城 “石川門”

2009年11月23日 | あれこれ
 
 “ひがし茶屋街”を歩いてから、ふたたび浅野川大橋たもとのバス停に戻り、「兼六園下(石川門向い)」で下車。

 兼六園だけはこの2月の入試監督で来た時に同僚と一緒に歩いたのでパス。2月というのに、雪ではなく雨が降る最悪の天候だった。
 途中で立ち寄った喫茶店の女将さんの話では、ここ数年金沢では雪が降っても根雪になることはないという。数年前に福井に学会に行ったときも、タクシーの運転手が同じことを言っていた。

 さて兼六園の向かいの金沢城側(金沢城公園というらしい)に入るのは初めてのこと。
 学生時代に訪れた時は金沢大学が城内にあったように記憶している。歴史的建造物を壊すことはなかったのだろうか?

 場内の風景には圧倒される。さすが「加賀百万石」である。城内の案内掲示板には加賀藩は1200万石だったと書いてあった。
 高松の玉藻城だの、松本城だの、小諸城だの、行ったことのあるお城がどれも田舎侍の居城に思える。そのおこぼれに預かった武士や町人たちもいい生活ができたのだろう。名古屋城クラスに匹敵する。

 金沢城はその石垣の組み方の多彩さに特徴があると案内板にあった。
 ぼくの女房は香川県の小豆島の出身だが、女房の実家のあたりだけは讃岐弁に金沢弁が混じっている。
 もともとこの地域は、大阪城の築城を命じられた前田藩の武士や人足たちが移り住んでできた町だと、物知りの親戚が言っていた。30年以上前にはじめて小豆島を訪ね、女房の祖母と話をした時、金沢出身のぼくの祖母と訛りが似ていたので驚いた。

 * 写真は、金沢城の石川門。兼六園側から眺めたもの。

 2009/11/23

金沢周遊バスの旅 “ひがし茶屋街”

2009年11月23日 | あれこれ
 
 11月21日(土)から昨22日(日)まで、医学系の学会で金沢に行ってきた。

 金沢には、今年の2月にも入学試験の監督で行ったので、今年2度目。2月のときは、試験ということもあって観光などしている余裕はなかったが、今回は半日空いたので、“城下まち金沢周遊1日フリー乗車券”(500円)というのを買って、街を回ってきた。

 金沢は、実は祖父の育った町なのだが、いまでは親しい親戚もなく縁遠い町になってしまった。
 祖父は1898年に新潟で生まれたが、やがて金沢に移り、長町小学校、師範学校付属を経て、金沢一中から四高に進んだ。
 苦学生だった祖父にとって金沢は懐かしくはあるが、封建的、商人的な雰囲気にはなじめなかったらしい。

 そんな金沢の街を歩きながら、祖父はどんな思いでこの風景を眺めていたのだろうか、としばしば思った。

 廻ったコースは、金沢駅前を出発して、ひがし茶屋街浅野川大橋の袂でまず最初の下車。
 浅野川は、浚渫工事中で景色は酷いもの。浅野川を背中に東に向かうと、すぐに細くてまっすぐな路地の両脇に古い家並みが並ぶ「ひがし茶屋街」にでる。
 貧しい祖父には縁のない街だったろう。
 裕福な四高生のなかには、この手の町で遊ぶ者もあったらしい。酔って“つば甚”の大屏風を蹴破ったことがあるなどという武勇伝を語った先生もいる。
 “つば甚”が東茶屋町にあるのかどうかも知らないが…。

 * 写真は、金沢の“ひがし茶屋街”の街並み。小柳ルミ子の歌のように(?)どの家の玄関も格子戸になっているが、格子戸の中にクルマをとめてある家などがあるのは興ざめである。

 2009/11/23

ANAクラウンプラザホテル金沢・4

2009年11月22日 | あれこれ
 
 ANAクラウンプラザホテル金沢のデスク。

 ホテルのデスクは照明は弱く、横幅も奥行きも狭いものが多いが、ここは、きちんと「デスク・ワーク」ができるだけのデスクだった。

 一般にホテルのデスクは、観光客が葉書を書くことくらいしか想定していないようだが、われわれ同業者の間ではホテルのデスクに対する不満はけっこう強い。
 でも、少数派なのだろう。

 ここのデスクは、☆☆☆☆くらいの出来。残りの☆は、もう少し照明が明るくなるとなお良かったのだが。

 2009/11/21

ANAクラウンプラザホテル金沢・2

2009年11月22日 | あれこれ
 
 同じく、ANAクラウンプラザホテル金沢の11**号室の窓から眺めた金沢駅方面の朝の風景。

 11月22日(日)の、朝8時少し前。
 この日、東京は天気が悪かったらしいが、金沢では、夕方から曇って、最終の羽田行き飛行機が出る夜8時頃には少し雨も降り出したが、ほぼいい天気だった。
 東京が雨で、裏日本の金沢が晴れているという日もあるのだ。

 2009/11/22(日)朝。

ANAクラウンプラザホテル金沢

2009年11月21日 | あれこれ
 
 11月21日(土)~22日(日)の2日間、金沢大学で開催された学会に出席してきた。

 開催校は金沢大学だが、会場は金沢駅前のANAクラウンプラザホテル金沢、石川県立音楽堂の2か所。
 宿もANAクラウンプラザホテル金沢に取ってもらった。学会出張のときはたいていビジネス・ホテルに泊まることにしており、ANAホテル・クラスのホテルに泊まるのは数年ぶり。

 僕は子どもの頃から狭い部屋が好きで、いまでも家では3畳の勉強部屋で勉強している。
 机や本箱も置いてあるので、座るスペースは1メートル四方程度しかない。しかし、これが落ち着くのである。

 したがって、ANAホテルの広々とした部屋では、眠れるかどうか心配だった。
 室内にはバスルームのほか、L字型のソファーが置かれ、横幅1・5メートルほどの机もある。
 ビジネスホテルの、原稿を書くのにも苦労する申しわけ程度の机とは大違いである。スタンドの明かりも物を読み書きするのに十分な明るさになる。 

 ベッドも、幅1・8メートルはあるダブルベッドに、ふわふわの枕が4つも並べられていた(!)。
 一体、このベッドのどのあたりで寝ればいいのだろうか・・・。

 * 写真は、ANAクラウンプラザホテル金沢11**号室の室内。

 2009/11/21

きょうの軽井沢(2009.11.8)

2009年11月08日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 軽井沢に行くことができないので、せめて画像だけでもと、長野県道路事務所が出している道路情報の画像を眺める。

 かつては軽井沢スケートセンターのホームページに、時折従業員が「きょうの浅間山」という画像をアップしてくれていたのだが、残念ながらスケートセンターの廃業により、このページもなくなってしまった。

 道路事務所の画像には、軽井沢周辺では、長倉、鳥井原、軽井沢(写真なし)、追分、馬瀬口の5か所がアップされている。
 この「鳥井原」がどこなのか今まで分からなかったが、きょうの写真にははっきりと「しまむら」の看板が見える。

 地図で調べると、「しまむら」はツルヤのある「鳥井原東」交差点とつぎの「鳥井原」交差点の中間にある。
 その隣りは軽井沢消防署である。いつも画像に映っているサイロのような建造物は何なんだろうと不思議だったが、火の見やぐらなのだろう。今度行ったときに確認しておこう。
 
 2009/11/8/pm16:18 長野県道路事務所HPから。

京都慕情・2

2009年11月08日 | あれこれ

 学会というと、週末の授業を終えてから現地に向い、その夜はホテルかその近くで夕食を済ませ、寝る。
 翌日は朝から開催校に行って終日報告や議論を聞き、夕方の列車で帰京するか、懇親会でもう一泊して翌朝帰ることになる。
 慌ただしくて、観光する気にもなれないのだが、数年経つと何処へ行ったのかさえ覚えていないこともある。

 そんな訳で、最近は学会に出かけた時は、必ずどこか一か所観光をしてくることにしている。
 別府(大分大学)のときは地獄谷、旭川のときは東山動物園に立ち寄った。
 今回の京都でも、あまり時間は取れないので、久しぶりに近場で清水寺でも行こうと思っていたのだが、夕方4時半近くに到着したのだが、すでに日は暮れ始めていた。
 これでは景色もよく見えないだろうと、断念。

 翌日、会場の京都産業大学に行く。
 地下鉄烏丸線の国際会館駅で下車し、京都バスで約10分。鞍馬口を過ぎ、岩倉を過ぎ、造成された新興住宅地をどんどん登っていく。
 京都産業大学に到着してからも、エスカレーターで高台に上り、さらにダラダラ坂を上って、ようやく会場の建物にたどりつく。

 いい運動になったが、その甲斐あって、景色が素晴らしい。これなら、無駄にどこかの観光スポットに行く必要もない。
 遠くの山はまだ紅葉していないが、学内の銀杏は黄色く色づき、楓(?)も紅葉していた。

 というわけで、今回はどこへも立ち寄らず、帰京することにした。

 2009/11/7/pm15:30ころ。京都産業大学で。

京都慕情

2009年11月08日 | あれこれ
 
 この週末は、京都に行ってきた。

 京都産業大学で開催された学会に出席するため、11月6日(金)の午前中の授業を終え、昼食を済ませてから東京駅に向かい、ホームに停まっていた「のぞみ」の自由席で京都へ。

 京都では、サラリーマン時代から常に泊っている八条口すぐの“エルイン京都”へ。シングルの料金でセミダブル・ベッド、しかも「低めの枕」を希望できる。無駄な備品が一切ないのもいい。
 しかも今回の会場は、地下鉄烏丸線の国際会館駅が最寄り駅。地下鉄京都駅の乗り場に一番近いホテルは、おそらくエルインだろう。

 難点は、エアコンがなかなか効かないので窓を開けたところ、涼しい風が流れ込むのはいいのだが、同時に新幹線京都駅のホームのアナウンスがひっきりなしに聞こえてくること。
 何せ5~6分おきに発着するのだからかなわない。
 
 それでもせっかくだから、ホテルの部屋から撮った京都駅新幹線ホームの夜景をアップしておく。

 2009/11/6/pm11:00すぎ。

きょうの軽井沢(2009年11月3日)

2009年11月03日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 今朝、ふとんの中でNHKラジオ第1の天気予報を聞いていたら、現在(朝7:30ころ)の軽井沢の気温が「氷点下2.9℃!」と言っていた。
 実は、きょうは天気が良かったら軽井沢にドライブに行こうかと思っていたのだが、「氷点下2.9度」と聞いて気持ちがかなり萎えた。
 おまけに、続く道路情報では、関越道下りは川越での事故のため、所沢を先頭に11キロの渋滞という。
 これで、完全に今日の軽井沢行きは中止することにした。

 --ということで、“きょうの軽井沢”の写真を載せることはできなくなった。そのかわりに、長野県国道事務所の道路カメラから、今朝の軽井沢(長倉)の写真を転載しておく。
 道路わきが白くなっているのは雪なのか霜なのか?
 情報には、「2009年11月3日 午前8時16分09秒、気温-1.7℃、路面温度1.5℃、路面状態 乾燥」となっている。
 いかにも寒そうである。

 2009/11/3