豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“Cakes and Ale” のロージー

2006年12月30日 | サマセット・モーム


 Vintage Books版の“Cakes and Ale”の表紙、ロージーもしくはモームの憧れたテスを思わせる女性の横顔をup しておきます。
 このコラムの“木の葉のそよぎ”(2月22日)の写真を差し替えたままになっていたので。石川屋閉店のことを書き込んだのをきっかけに、このコラムの豪徳寺ネタを振り返っているうちに気づいた。
 

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杉浦茂「コロッケ五円の助」

2006年12月30日 | 玉電山下・豪徳寺
 
 石川屋閉店で思い出した石川屋のコロッケ、そしてその頃はやっていた漫画“コロッケ五円の助”だが、驚いたことに、「コロッケ五円の助」についても、何十ものブログで語られているのを発見した。
 「五円の助」の「の」の字については、「の」だけでなく、「之」や「乃」や「ノ」など様々である。どれが正しいのだろうか。原作者の杉浦茂さんの傑作選集がまだ出ているらしいので、今度ジュンク堂ででも調べてこよう。

 ぼくが豪徳寺に住んでいた昭和30年頃には、石川屋のコロッケもおそらく五円だったのだろう。ちなみに、「コロッケ五円の助」は忍者だったらしい。記憶にないけれど。

 もう1つオマケに今年思い残したこと。弘田三枝子のレコード(CDに非ず!)“子供ぢゃないの”は、きっと見つかるだろうと確信していたのだが、残念ながら見つからなかった。時おりお茶の水界隈の古レコード屋の店先をのぞいただけで、きちんと探したわけではないけれど。 インターネット上のオークションに出品されていた弘田三枝子の “子供ぢゃないの 悲しき片想い” のレコードには2000円くらいの値がついていた。
 街のレコード屋の店頭で見つけたいけど・・・。
   
  2006/12/30

 ※藤子不二雄の「キテレツ大百科」に「コロ助」という子どもの忍者が出てくるが、彼は、同じ忍者だった「コロッケ五円の助」のオマージュだと何かに書いてあった。(2024年3月9日追記)

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石川屋閉店

2006年12月29日 | 玉電山下・豪徳寺
 
 昔から豪徳寺に住んでいて、今でも豪徳寺に住んでいる友人から、連絡があって、今年、石川屋が閉店したと聞かされた。 
 ぼくにとっては、2006年の重大ニュースである。昭和30年代、「コロッケ五円の助」なんていう漫画まであった時代に、ぼくの土曜日の昼ごはんのおかずの定番だった、あの石川屋のコロッケがなくなってしまったとは・・・。
 数年前に墓参りの帰りに立ち寄って、コロッケを買って歩きながら食べたのだったが・・・。「3丁目の夕日」なんて映画が上映された年に、ぼくにとっての「3丁目」には欠かせない風景が1つ消えてしまった。もし店舗が残っているなら、写真を撮りにいかなければならない。
 正月に出かけてみるか。50年前、お年玉を貰って、早速出かけた商店街を思い出しながら。

 写真は、かつて豪徳寺駅から北に10分ほど歩いたところにあった紅梅キャラメルの思い出をまとめた澤里昌代司『さようなら紅梅キャラメル--6年間で消えたもうひとつの讀売巨人軍』(東洋出版、1996年)の表紙。あのキャラメルとおまけの思い出はわずか6年間だけのものだったとは・・・。

  2006/12/29

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“草軽電鉄の詩”

2006年12月21日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きのう、神保町を歩いていて、篠村書店の前を通りかかったとき、何かがぼくを呼んでいる気がしたので店内に入ってみた。そして、鉄道関係の書棚を眺めると、たちどころに「草軽電鉄の詩」(郷土出版社)が目に飛び込んできた。間違いなく、こいつがぼくを呼んでいたのだ。以前(先日の神田古本市のときには)はなかったのだが。

 1995年刊で当時の定価が1800円だったけど、篠村書店は鉄道専門だから、いくらくらいの値をつけているのだろうか? かつて篠村は社会科学書専門だったのに、いつの間にか書棚の半分近くが鉄道関係の古本になっている。恐る恐る裏表紙を開いてみると、3刷、2300円となっていた。
 まあ、リーズナブルな値段だろう。ボーナスも出たことだし、早速購入して帰った。数か月前には、Amazon.com で1万何千円なんて値段をつけているのを見かけたが、いくらなんでも法外な値づけである。

 草軽電鉄については、昔、「草軽電鉄五拾年誌」(軽井沢書林)というのを、五反田の古本市で抽選で3000円で手にいれた。当時の切符(実物)と、走行音などの入ったレコードがついている。
 この本は私家版のような本だが、その後書店の店頭や古書店の目録、さらにはgoogleの検索でも一切見かけることのない稀こう本である。草軽電鉄に関する記述内容は大したことはないが、映画や小説に登場した草軽鉄道がスチール写真などによって紹介されていて、大正、昭和時代を背景とした草軽鉄道の姿が浮かび上がってくる。

 これに対して、今回入手した「草軽電鉄の詩」は、もともとが草軽電鉄の関係者らによる書物だっただけに、内部の事情に詳しく、沿線風景の写真も多い。

 ぼくは昭和32、3年頃に旧軽井沢駅に停車している草軽電車の車両を見た記憶があるのだが、2両編成の客車しか記憶にない。
 今回この本を眺めてぼくが一番不思議に思ったのは、草軽電車は昭和35年の廃線になる最後まで、いわゆるカブトムシ(デキ12型といったらしい。電気機関車の略か?)に引かれて走っていたらしいことである。写真まであるのだから間違いない。
 確かに廃線直前の車両は2両編成である。しかし、ぼくの昭和32、3年の旧軽井沢駅の記憶には、このカブトムシがまったくないのである。あれほどに独特の形状をした電気機関車がなぜにぼくの記憶に残らなかったのだろうか。

 鉄道マニアでもなかった小学2、3年生のぼくにとっては、草軽電車が56歳の今まで記憶の片隅に引っかかる存在になるとは、その当時は思いも寄らないことだったのだろう。人は見る目をもって見ていないと、何も見ていないのである。

(写真は、思い出のアルバム草軽電鉄刊行会編「写真集・草軽電鉄の詩--懐かしき軽井沢の高原列車」(郷土出版社、1995年刊)の表紙)

 2006/12/21

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軽井沢ライト・アップ・4

2006年12月15日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 2006年12月15日夜の、中軽井沢駅前のイルミネーションです。

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きょうのメルシャン美術館(2006年12月15日)

2006年12月15日 | 軽井沢・千ヶ滝

 春のような陽気のメルシャン美術館“浅間八景”から眺めた写真をupします。きょう、12月15日(金曜)の昼下がりの風景です。
 軽井沢から御代田に向かう浅間サンラインから眺める浅間山の雪景色と、西に長く伸びた裾野もきれいだったのですが、運転中のため写真は撮れませんでした。

 2006・12・15

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万平ホテルのクリスマス・ツリー

2006年12月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 万平ホテルのロビーに飾られたクリスマス・ツリーの写真をupします。ただし、写真は、2006年12月14日の夜に撮影したものです。

 2006・12・14


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軽井沢ライト・アップ・3

2006年12月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 さて、お目当ての“軽井沢ライト・アップ”見物ですが、「軽井沢ハウス・デコレーション・マップ」を片手に、夜の軽井沢の街に出かけました。

 初日の14日は、ちょうど夕食前後からみぞれが降りだしたので、万平ホテルのイルミネーションを眺めるだけ。午後5時から点灯というパンフレットのとおり、万平ホテルの正面玄関前も、すっかり日も落ちた5時ぴったりに点灯しました。

 翌15日の夜は天気に恵まれたので、あらかじめ目星をつけておいた所をまわりました。と言っても、「軽井沢ハウス・デコレーション・マップ」に載っている35か所は、どれもこれもこの何年のうちに雨後の筍のように乱立したペンションのような所ばかりで(2つの教会と軽井沢プリンスホテルを除く)、場所も分からないしあえて見に行きたいという気にもならないので、すべて敬遠。
 この「マップ」に載っていない所から、中軽井沢駅、ツルヤ裏の湯川公園、そして旧軽井沢ロータリーをまわってきました。

 中軽井沢駅は信越線が廃線になってしまってからは寂れてしまい、われわれが行ったときも2、3台のタクシーが来る当てもない客を待っているだけでした。それでも(というか、それだけに却って寂しい闇の中に)駅前のクリスマス・ツリーと駅舎のネオンがひときわ輝いていました。
 それから、夕食を取るプラン・デルブ(plein d'herbes ?)へ向かう道沿いのツルヤの裏のあたり(湯川ふるさと公園という所か、イングランドハウスウィンザーという所か不明)が青と黄色にきれいに浮かび上がっていました。

 夕食後は旧道ロータリーをまわって帰ることにしました。このロータリーには、来年の夏には公衆トイレができるという噂なので、この冬が見納めかもしれません。なにやらクリスマスツリーだのトナカイだの小人の町のようなものだのが所狭しと並んでいて、しかも人間も多く、あまりお薦めのスポットとはいえません。そうそうに宿に帰ることにしました。

 万平ホテルから、国道を中軽井沢駅へ、今度はバイパスを塩沢方面へ、そして六本辻から旧道ロータリーへと、約10kmかそこらのドライブ中に車窓から眺めた、木立や住宅地に点在するイルミネーションは、いずれも東京の街中のごてごてしたハウス・デコに比べると穏やかなものでした。

 それにしても、ぼくたちが軽井沢に来はじめた昭和30年代には、(少なくとも千ヶ滝では)野鳥を守るために、そしてその野鳥の餌となる昆虫を守るために、街頭はすべて蛍光灯から裸電球に取り替えられ、別荘の庭からも誘蛾灯を取り除くようになっていました。あの頃を思い出すと、今回のイルミネーションは隔世の感があります。もっとも、冬の間はあんなに夜が明るくても野鳥や昆虫には影響がないのかもしれませんが・・。
 そうは言っても、それをお目当てに出かけたぼくたちにはこんな催しを批判する資格はないのですが・・。イルミネーション見物にやって来たと言ったところ、あるお店のマスターが、「こんな催しでも効果があるんですね・・」と嘆息していたのが印象的でした。

(写真は、旧軽井沢・旧道ロータリーのデコレーション。)

  2006・12・14

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軽井沢ライト・アップ・2

2006年12月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 12月14日、15日、16日の2泊3日で軽井沢に行ってきました。今回は、部活が休みの息子たちや私の母親も伴なって、クルマ2台を連ねて行ってきました。

 出かける前のYahoo《軽井沢地方の天気予報》では、曇りのち雨、雨のち曇り、曇りと、とんでもない予報でした。「まあ、積雪よりはましか・・」と慰めて当日を迎えたのですが、予報は見事に外れて、3日とも快晴でした。

 とくに、きのう15日の気温は、鳥井原の道路標示によると軽井沢で9度、御代田のメルシャン美術館あたりでは、体感気温で12、3度はありました。まるで春霞のような靄が立ち込めて、道路沿いの枯れ木も、芽吹く直前の春の木々のような風情でした。
 その向こうの浅間山も、1か月前に訪れたときよりはずっと麓のほうまで雪におおわれていましたが、その風景も、まるで新春の忍野から眺める富士山のようでした。
 とても、年の瀬が迫った12月の風景とは思えません。

 例によって、まずはショッピング・プラザでショッピング。ついで、千ヶ滝の家に立ち寄って異常がないことを確認。
 家には異常なかったのですが、ちょうど家に到着した頃、裏の家の庭先を母子ザルが徘徊して「ヒィー、ヒィー」と私たちを威嚇していました。巡回の町役場の人たちが「戸締りに気をつけてください」と連呼していました。それから、旧道経由で宿泊先の万平ホテルへ向かいました。

 今回の軽井沢へのドライブは、母親の希望で、11月から始まっている軽井沢のライトアップ、イルミネーション見物が主目的だったのですが、2日目はあまりにもぽかぽか陽気だったのと、浅間山がきれいだったので、メルシャン美術館までサンラインをドライブすることにしました。
 予想通り、メルシャン美術館裏の白樺の遊歩道(“浅間山八景”という標識が立っている所です)から眺める浅間山は、さっきも書いたとおり、新春風景かと見まごうばかりの、のどかな佇まいを見せてくれていました。

 軽井沢のあちこちで見られるライトアップについては、また日を改めて書くことにします。

(写真は、イルミネーションで縁取られた万平ホテル。2006年12月15日(金)の夜景。11月21日の写真より少し正面右側から写したもの。)

 2006・12・15


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きょうの軽井沢(2006年12月14日)

2006年12月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 定番のツルヤ駐車場から映した浅間山です。いつもと違って南側の入り口付近で撮影しました。正午過ぎですが、このあと晴れてきました。

 2006・12・14

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