豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

豆豆研究室から見たUFO その2

2010年02月21日 | あれこれ

 前の写真では分かりにくかったので、UFO部分を拡大した写真を添付しておく。

 2010/2/21

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豆豆研究室から見たUFO

2010年02月21日 | あれこれ
 昨日は大学院の入試。

 採点、面接が終わって研究室に戻り、西の夕焼け空を眺めると、何やら光の尾を引いて飛ぶ謎の飛行物体を発見!!

 新宿上空のあたりだろうか。もう少し東側、千駄ヶ谷あたりの上空かも知れない。

 あわててカメラを用意して撮影に成功。 

 写真中央やや右側のビルの屋上に2つあるアンテナ(避雷針?)のうち、右側のほうの上方に見えているのだが・・・。

 2010/2/21

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あかね書房

2010年02月21日 | 東京を歩く
 
 通勤の道すがら見かけた出版社シリーズ、最後は“あかね書房”。

 首都高の飯田橋料金所をくぐった、新目白通りを西神田交差点に向かって右手にある。

 かつては路地裏の、いかにも昭和の小さな児童書出版社といった風情の二階建ての建物だったが、現在は住友不動産の高層ビルの1階に入っている。地上げにあって等価交換したのだろう。

 あかね書房も今ではご縁がないが、ぼくの推理小説への関心は、西荻窪の神明中学校図書館にあった、あかね書房版の少年推理小説シリーズの中のW・アイリッシュ「恐怖の黒いカーテン」を読んだことに始まる。
 一般には「黒いカーテン」と呼ばれているが、「恐怖の」という形容詞がついていたことをしっかりと記憶している。
 ネット上で調べると、「恐怖の黒いカーテン」は、あかね書房の“少年少女世界推理文学全集”というシリーズに入っている。1963年の発行だから、ぼくが中学1、2年の時である。時代的にもあっている。
 
 訳者は福島正実で、イラスト(挿画)もついていたようだ。驚くのはこのシリーズの監修者に川端康成が入っていること。たとえ名前だけだったにしても、川端が少年推理全集の監修者とは・・・。

 その後も、あかね書房からは同種の少年推理全集が出ている。表紙扉に黒のパラフィン紙が挟んであったのは、これとは別の全集だったかもしれない。
 それこそ、もはや「黒いカーテン」に覆われてしまっていて、記憶はない。

 2010/2/21

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秋田書店

2010年02月21日 | 東京を歩く
 
 “三笠書房”の次に目にとまるのが、“秋田書店”。

 マンガにも歴史物にも興味がないぼくにはあまりご縁がない出版社である。

 飯田橋駅を通過する総武線、中央線の車窓から、夜になると真っ赤なネオン(?)の看板が見えるので、昔から“秋田書店”がこの辺にあることだけは知っていた。

 「ご縁がない」といったけれど、昔よく読んだ佐藤忠男の映画評論の中に秋田書店の本があったことを思い出した。

 1冊目は「世界映画100選」(昭和49年、秋田書店刊)。まえがきによると、佐藤が自分自身で見て感動した映画だけを集めたという。
 高橋大輔で有名になった「道」は選ばれていない。ぼくは好きだけど・・・。アンソニー・クインがジュリエッタ・マシーナを捨てるシーンで、男が去って行くのを彼女は気づいていたのかどうかで、級友と議論したことがあった。

 もう1冊は「青春映画の系譜」(昭和51年、秋田書店刊)。「ジャイアンツ」のなかのジェームス・ディーンのイラストが表紙になっている。ディーンの背景は意味不明の日の丸(?)。
 田中絹代の「伊豆の踊り子」からジェームス・ディーン、石原裕次郎、大島渚らを経て、深作欣二あたりで終わっている。

 佐藤忠男から教わったこともたくさんあった。具体的に何だったかは忘れてしまったけれど。

 2010/2/21

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三笠書房

2010年02月21日 | 東京を歩く

 “主婦の友”社のついでに、通勤の道沿いの出版社の写真を何枚か・・・。

 最初は、飯田橋駅を降りて最初に目にする“三笠書房”。

 最近の三笠書房の本にはあまりご縁がないけれど、ぼくにとっては“三笠書房”という名前は印象に残る名前である。
 
 一つは、昭和30年代に軽井沢の旧道にあった“三笠書房”という本屋さん。
 前にも書いたように、アメリカの片田舎の“Book Store”といった感じで、当時はまだ多かった軽井沢在住の外国人(アメリカ人)相手の洋書や洋雑誌も置いてあった。
 立ち読みをした犯罪実話雑誌のなかの殺人現場の写真を目にしてしまって戦慄したことがある。

 二つは、「風と共に去りぬ」や「クローニン全集」の版元の“三笠書房”である。
 ぼくが読んだ「風…」は、三笠書房版の全5巻本で、ビニールのカバーがついていた。帯には徳川夢声の推薦文が載っていた。
 確か三笠書房版のサマセット・モーム集もあったような気がする。

 いずれにしても、これらの“三笠書房”が、飯田橋にある“三笠書房”とどのような関係にあるのかは分からない。

  * 最近の“三笠書房”とはご縁がないと言ったが、20年ほど前に読んだフランシス・フクヤ マの「歴史の終わり(上・中・下)」(三笠書房・知的生き方文庫)はよかった。コジェーブを読 んでも分からないことが、とても分かりやすく書いてあった。

 2010/2/21

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主婦の友社

2010年02月16日 | 玉電山下・豪徳寺
 
 ぼくが子ども(赤ん坊?)の頃、雑誌“主婦の友”のモデルをしていたことは以前に書いた。

 たまたま母親の日本女子大時代の同級生が“主婦の友”の編集者をしていて、その縁で母親のところに社のカメラマンを連れて遊び(?)に来て、写真を撮っては雑誌に載せてくれたのであった。
 母親のほうも、知り合いの日系アメリカ人が送ってくれたアメリカの家庭雑誌の記事を翻案して“主婦の友”に寄稿したりしていた。戦後まだ5、6年の当時は、アメリカ雑誌も入手困難だったので、そんな記事も掲載になったらしい。

 かつて、ぼくと“主婦の友”について書き込みをしようと思って、ネットで“主婦の友”を検索したところ、“主婦の友”には“駒由美子”さんという編集長がいたことが記載されているのを発見した。同社が大日本印刷だったか東販だったかに買収される前には同社の取締役にも就任している。
 さらに、「365日のお菓子・おやつ・パン」、「やさしい手作り布草履」などといった著書も同社から出版しているらしい。

 実は、ぼくの世田谷区立赤堤小学校時代の同級生に“駒由美子”さんという子がいた。

 アルバムを引っ張り出して遠足の集合写真をみると、べレー帽を斜めにかぶって、白のモヘアのカーディガンを羽織っていて、なかなかおしゃれな女の子であった。
 小学校3年か、4年生の時にどこかから転校してきたように記憶しているが、当時から同級の男子よりもはるかに大人びていた印象がある。

 主婦の友の“駒由美子”さんは、ぼくの赤堤小学校の“駒由美子”さんなのだろうか?

 主婦の友社は、かつては、カザルス・ホール(現在は日大の法科大学院)のところにあった。現在の場所も、わが大学とそれほど離れていない。
 もし赤小の“駒さん”だったとしたら、ずいぶん近くで幼なじみが活躍していたことになる。
 お互いに気がつくことなくすれ違っていたかもしれない。

 この前の2月3日の夜、お茶の水の駿河台大学法科大学院で研究会があった。
 隣りが“主婦の友”の社屋だった。問い合わせる勇気はなかったのだが、思わず写真だけ撮ってきた。
 研究会が終わって夜9時すぎに会場を出ると、雪が降り始めていた。アップした写真がぶれているのは、降り出した雪のせいではない。

 2010/2/16

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きょうの軽井沢(2010年2月11日)

2010年02月11日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きょうは入学試験の中休み。

 久しぶりに家で寛いでいると言いたいところだが、法科大学院の期末試験の採点の仕事が待っている。
 法科大学院は採点の基準が厳しく指示されていて、厄介である。

 「今ごろ軽井沢は寒いだろうな」とふと思って、いつもの長野県道路事務所の「長野県・軽井沢町長倉」の道路写真を眺めた。
 道路情報が記載されていないが、写真から「-2℃」という表示が読みとれる。

 午後5時すぎの軽井沢は雪化粧だった。

 2010/2/11

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吉利汽車 “熊猫” (パンダ)

2010年02月04日 | クルマ&ミニカー
 
 長野出張のついでに善光寺に出かけた帰り道、参道沿いの長野西澤書店で「中国車のすべて」(マガジンXビジネスvol.002)という雑誌を買った。
 パラパラとページをめくってみたら、今の日本では消えてしまったパイクカーが満載だったので、つい買ってしまった。

 外資との合弁会社のクルマに交じって、中国民族資本による会社のクルマも多数紹介されている。
 その中で一番気に入ったのが、吉利(geely)汽車の“熊猫”である。
 熊猫はパンダのことである。パンダは“大熊猫”かと思っていたが、ま、どうでもいい。
 FIATにも“PANDA”という商用車があるが、FIATはなんで“PANDA”などというネーミングにしたのだろう? 中国車が“PANDA”を名乗るのは大いにわかる。

 全体的にマーチか先代ヴィッツのような形をしているが、正面から見た顔はまさにパンダである。後姿もパンダが座っているようにも見える。
 台湾にも輸出されているという。
 日本円で60万円程度らしい。
 「ホントに買うか?」と言われれば買わないだろうけれど、こんな車に乗っては見たい。目立つこと請け合いだが、子どもが近寄ってきて危ないかもしれない。
 
 ネットで見ると、ミニカーもあるらしい。ミニカーで我慢することにしよう。
 中国通で、しょっちゅう中国、台湾に行っている知人に探してもらえるだろう。
 考えてみれば、現在日本で販売されているミニカーは、ほとんどが“made in china”である。
 あのミニカーを作っている中国人たちも、クルマへの欲望を抱いているだろう。かつて日本人が「いつかクラウン!」などと思ってたように。

 この雑誌からも、中国人のクルマへの熱い思いが伝わってくる。

 * 写真は、中国のネット上から拝借してきた、吉利汽車の“熊猫”。いちおうYAHOOに添付させてみたが「ウィルスは検知されませんでした」と出た。
 
 2010/2/4

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ホテルメトロポリタン長野

2010年02月03日 | あれこれ

 長野出張に関する記事の最後は、恒例の宿泊ホテルの写真で閉めることにする。

 今回泊ったのは駅前の“ホテルメトロポリタン長野”。
 
 いつも東京での通勤時に前を通っている“ホテルメトロポリタン飯田橋”の姉妹ホテルだろう。

 正直言ってフロントの接客は今いちだった。男ばかりというのも、どうも・・・。
 部屋のエアコンの調整方法もよく分からなかった。温度調節のボタンを押しても温度が定まらず、“cool”になったり“warm”になったりする。
 ひょっとしたら、どこかに説明書があったのかもしれないが。

 2010/2/1

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長野のクルマ・その3

2010年02月03日 | クルマ&ミニカー
 
 今度は、本当はクルマではないのだが、同じく善光寺への参道沿いで見かけた不思議な看板(のオンパレード)。

 どこか懐かしげな看板が何十枚も「一挙掲載!」といった感じで掲げられていた。
 
 看板には、「西武バス指定連絡所」、「東日本鉄道指定連絡所」、「相鉄バス指定連絡所」などなどと書いてあった。
 現役で「看板」としての機能をはたしているのか、たんなる装飾なのかは分からない。

 観光バスに関係のある看板が何枚もあったので、“長野の不思議なクルマの光景”シリーズ(?)にしておく。

 2010/1/31

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長野のクルマ・その2

2010年02月03日 | クルマ&ミニカー

 長野の不思議な(?)クルマ、その2は、同じく善光寺の参道沿いの交差点角にとまっていた真っ赤に塗られたロンドンの二階建てバス。

 これは置物として飾ってあるだけでなく、車内で喫茶店かクレープ屋か何かとして営業しているらしい。車内にお客さんの姿が見えた。

 2010/1/31

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長野のクルマ

2010年02月03日 | クルマ&ミニカー

 長野出張の際に立ち寄った善光寺の帰り道で見かけた不思議な(?)クルマを2台。

 その1は、アジアン・レストラン(?)の店先に置かれたタイ式タクシー。
 
 どうやって長野まで運んできたのだろうか。

 実は、ぼくは今クルマ雑誌で見かけた中国、吉利汽車の“熊猫”(パンダ)という丸っこいクルマが気に入っているのだが、中国のクルマというのは日本に持ち込むことができるのか、持ち込むとしたらどんな方法で、どのくらい費用がかかるのか、そもそも日本で走行することができるのか、などなどまったく分からない。
 イタリアの“パンダ”(Fiat Panda)は堂々と輸入されているけれど・・・。

 この吉利汽車のほうのパンダ(“熊猫”)は、台湾には輸出されているらしい。
 かつては日産が“Be-1”だの“フィガロ”だのといったパイクカーをせっせと作っていたが、最近はとんとお目にかからなくなってしまった。
 それに引き換え、中国のクルマ業界は賑やかである。性能のほどはわからないが、見てくれは百花繚乱の感がある。

 それは、スバル360やマツダR360など、形だけはユニークなクルマが走り回っていた昭和30年代のわがニッポンを思い出させてくれる。

 2010/1/31

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善光寺参り・その5

2010年02月02日 | あれこれ

 次は、「大門南」バス停前にある、善光寺郵便局。

 「これが郵便局!?」という感じがする。
 
 小泉首相の郵政民営化に反対する人の中に「郵便局は文化だ」と言っていた人がいたけれど、この郵便局の建物が「文化」であることは間違いないだろう。

 2010/1/31

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善光寺参り・その4

2010年02月02日 | あれこれ
 
 長野駅までの道順と距離がわかったので、帰りは歩くことにした。

 延々とつづく参道沿いには、雰囲気のある建物が多い。
 本当に古い建物もあれば、レトロ調を装っただけの新しい建物も混じっている。

 最初は、「大門」バス停前の蕎麦屋さん。
 なまこ壁というのだろうか、黒地に白い漆喰の格子模様の壁になっている。
 昔、伊豆に行ったときに、ガイドの人が、この手の壁を「なまこ壁」といっていたが。

 2010/1/31

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善光寺参り・その3

2010年02月02日 | あれこれ
 
 善光寺の本堂。国宝らしい。
 門の上に残雪があって、落雪を避けるため迂回するようになっていた。

 何とか尊というのが鎮座していて、病気の場所を撫でると治るというので、腰だの頭だの眼だのを撫でてきた。
 ご神体のなかで目が一番すり減っていた。
 ご利益があるといいが・・・。

 * 善光寺の本堂。 

 2010/1/31

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