豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

2022年最後の映画は「ひまわり」

2022年12月31日 | 映画
 
 夕食を食べながらテレビのスイッチを入れると、NHKのBSプレミアムでヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」をやっていた。

 ロシアのウクライナ侵略のあった今年は、あちらこちらで “ひまわり” が上映されたようだ。“ひまわり” を見たからといってウクライナへの連帯の意志を示すことができるわけでもない。所詮はウクライナのひまわり畑が背景に登場するメロドラマなのだが、それでも、今年の1本にあげることはできるだろう。
 久しぶりなので、最後まで見た。

 今日の午前中には、同じくNHK-BSで「世界ふれあい街歩き」のキエフ編(まだキーウではなかった)をやっていた。
 2019年に放送されたものの再放送だった。穏やかで美しい街並みだったが、すでに2019年当時から、ロシアのクリミア侵略に対抗して出征した帰還兵士が何人か登場していた。
 ソ連時代に造られたというウクライナとロシアの友好を記念する巨大な虹のようなモニュメントには、しかし、その後の両国関係の悪化を象徴するように、黒く塗られた亀裂が描かれていた。
 そして2019年にはキエフの公園で民族楽器を奏でていた53歳の男性が、現在は志願兵として軍事訓練中であると紹介されていた。
 この番組を見て、ウクライナ人の反ロシア感情、ふたたび旧ソ連時代のような全体主義国家に後戻りさせられることは真っ平だという強い信念を感じた。そう簡単に和平は到来しないだろう。

 21世紀にこんな戦争が起こるとは、こんな戦争を起こす人間がいるなどとは、思ってもいなかったぼくは何と愚かだったのか。
 
 2022年12月31日 記

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小津安二郎「秋刀魚の味」、幾たびか

2022年12月22日 | 映画
 
 おととい(12月19日)の夜、テレビのチャンネルを回していたら、偶然BS松竹東急(BS260ch)で小津安二郎の「秋刀魚の味」をやっていた。12月12日が小津の誕生日にして、命日だから、その日に放映されものの再放送だったのかも。

 見つけた時にはもう終わりに近かったけれど、久しぶりだったので最後まで見た。
 ちょうど娘(岩下志麻)が結婚式場に出かけるあたりからで、次のシーンは式が終わって笠智衆が友人の中村伸郎の家で、北竜二と3人で酒を飲み、帰りがけに岸田今日子がマダムのスナックに立ち寄って軍艦マーチを聞きながらまた酒を飲み、そして娘のいない家に帰るという、あのラストシーンである(上の写真はエンド・マーク。小津の映画監督人生最後の画面でもある。わが家の照明が映りこんでしまったのはご愛敬)。
 ぼくの持っているDVD(小学館+松竹)よりも画像がきれいだった(今年テレビを買い替えたからかも)。きれいすぎて、昭和の雰囲気をそいでいるようにも思ったが、あのような強い色彩のほうが昭和的かもしれない。

 中学校の同級生たちが60歳近くなって、集まって酒を飲み、娘の縁談を語り合う、などという映画は20、30歳代の時に見たら絶対に共感できなかっただろう。しかし自分が笠や中村たちよりも上の年代になって見ると(役の上で彼らは50歳代半ばである)、なかなか悪くない映画だと思える。「秋刀魚の味」という題名はいまだに意味が分からないが。
 ぼくには、笠、中村、北たちのような交流はないが、今年の初めに、今春限りで医師をやめ開業医を廃業して福岡に移住するという高校時代の級友を送る4人だけの送別会があり、一期一会のつもりで出かけてきた。12月に入ってその友人が上京するというので、また4人で会ってきた。
 何のしがらみ(“Human Bondage”!)もない集まりで、楽しいというか気楽な時間を過ごした。年寄りはこういう風に時間を過ごすのだというマナーを小津の「秋刀魚の味」から学んでいたのかもしれない。

   

 今月初めには吉田喜重の死亡が報じられた。
 吉田の『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)は、ぼくが読んだ小津論の中で一番難しかったが、舩橋淳という人が朝日新聞に書いた追悼文を読んで(2022年12月19日付、上の写真)、吉田の小津に対する評価が多少は理解できた。
 「反映画」というのが、「青春を賛美する青春映画」や「男女の愛憎劇を強調するメロドラマ映画」を否定する「反青春映画」、「反メロドラマ」のことで、それが吉田のいう「反映画」の意味らしい。実はぼくは吉田の映画を一本も見たことがないのだが、大島渚の「青春残酷物語」を思い出した。

 吉田によれば、小津の映画も「反映画」ということなのか。論者は「無時間性」こそ吉田と小津とが「肌を接し合う点であった」と結んでいる。残念ながらぼくには「無時間性」の本当の意味は分からないけれど、「時間を超えた」とか「時代を超えた」という意味なら、2022年のぼくは「秋刀魚の味」を見ながら、1960年の笠たちと気分を共有することはできる。
 「秋刀魚の味」は、「青春映画」でも「メロドラマ」でもない。岩下と吉田輝雄の交情などあっさりしすぎている。あえて言えば「老人映画」だが、若いだけが青春ではないという意味では、「反青春映画」といえるだろうか。「秋刀魚の味」は老人が主人公の青春映画、すなわち「反青春映画」といえよう。

 吉田に言わせれば、「遠く過ぎ去った中学時代のことをさほど覚えてもいないにもかかわらず、それを懐かしく感じるのは、すでに死に絶えて停止している時間であるからにすぎない。いま生きている現在といった時間が刻々と移ろいゆくあまり、それがなんであるか知りえず、そうした不確定であることの不安より逃げようとして、すでに死に絶えて動かぬ過去の時間に身を寄せて、心地よく懐かしむ」のが同窓会に期待される夢であり、終わってみればしらじらしい気持になるのが同窓会の宿命である、ということになるらしい(302頁)。
 ずいぶん辛辣な言葉である。「同窓会」一般はそういうものかもしれないが、「秋刀魚の味」の元教師、東野英治郎を招いての笠たちの酒宴や、ぼくたち4人のミニ・クラス会には当てはまらない言葉である。r少なくともぼくは「すでに死に絶えて動かぬ過去の時間に身を寄せて」いるつもりはない。
 そもそも笠たちの酒宴や、ぼくらの集まりは「同窓会」ではない。吉田にはよほど不愉快な同窓会体験があったのだろう。

 数十年来、年中行事のように続けてきた年賀状の交換をやめると宣言するはがきやメールがこのところ相ついだ。何のために出しているかを考えて見ると、年賀状のあて名を書き、一言だけ添え書きをしつつ過去を回顧するというノスタルジックな気持ちもあるけれど、最近では、「今年も何とか生きています」という安否確認の通知の意味合いのほうが強くなっているように思う。
 ぼくはもうしばらくは出したいと思っている。

 2022年12月21日 記

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“アポロ・チョコ” 2020年限定版

2022年12月17日 | あれこれ
 
 年末が近づいたので、わが家の食糧貯蔵庫(というほどでもないが)を整理していたところ、中から筒状の容器に入った “アポロ・チョコレート” が出てきた。筒には例の東京オリンピックのマスコット・キャラクター(氏名不詳)のイラストが入っていて、キャップには “2020 Limited Design”(2020年限定デザイン)と銘うってある。
 残念なことに賞味期限が2022年11月になっていた。一昨年、孫のために買ったのだが、喉につっかえる危険があるというので、しばらく置いてあるうちに期限切れになってしまったのだろう。期限切れ1ヶ月くらいなら大丈夫だろうから、中味はぼくが一人で全部食べてしまった。
 問題は入れ物である。2020年限定版というのがどれくらい発売されたのかは知らないが、現在まで保存している人はどのくらいいるのだろうか。ひょっとしたら希少性があるのではないか。とかく曰くつきの2020年東京オリンピックの限定版でもあるし・・・。

 「サクマ式ドロップス(復刻版)」が、同社の廃業を機に買い占められ、高い価格で転売されているというニュースがあったので、ちょっと気になった。もちろん売るつもりはないし、取っておく気もないけれど。
 ついでに、そばにおいてあったニベアのスキン・クリームの缶も入れておいた。マツモトキヨシに買いに行ったところ、通常の缶と並んで1つだけクリスマス・バージョンのようなイラストのがあった。メンソレはついでのついでまで。

     

 その “サクマ式ドロップス” の話題を、今朝(12月17日、土曜日)の日本テレビの情報番組でも取り上げていた。コロナ禍による中小企業の倒産、廃業にまつわる話題の1つとして、佐久間製菓が来年早々に廃業し、“サクマ式ドロップス” も今日で出荷停止になるといっていた。
 ただし画面に映っていたのは、通常の缶で、ぼくが持っている「火垂るの墓」イラスト入りバージョンではなかった。

     

 昨日(12月16日)は、テレビのBS放送で(チャンネルは忘れた)“ワイルド・ギース ” という古い映画をやっていた(1978年)。
 「ワイルド・ギース」(野生のガチョウ)というのは傭兵のような存在らしい。内容は大したものではなかったが、リチャード・バートン、ロジャー・ムーア、それに “シベールの日曜日” のハーディー・クリューガーが出演していて、懐かしかった。
 画面をスマホで写したのだが、残念ながらハーディー・クリューガーはうまく撮れなかったので、家にある「シベールの日曜日」のスチールで代用しておく。たしか彼の死亡記事を読んだように思うが、ハリウッドで俳優をやっていたとは知らなかった。

     
     

 同じく昨日のテレビ朝日「じゅん散歩」では、高田純次が下高井戸を歩いていた。右上に「世田谷区赤堤」と表示されていたが、京王線の南側の町名は「赤堤」だっただろうか。
 高田純次が京王線の踏切を渡るシーンがあったが、この下高井戸の踏切を背景に、夕暮れ時の商店街に「アニー・ローリー」が流れるYou Tube がある。「岬めぐり」のカバーとともにぼくが好きなYou Cube で聞く懐メロの一つである。

 2022年12月17日 記

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原田武『インセスト幻想』

2022年12月16日 | 本と雑誌
 
 原田武『インセスト幻想--人類最後のタブー』(人文書院、2001年)を読んだ。

 古今東西の文学、神話、歴史書、ドキュメント、精神医学、心理学などの文献から、インセストをめぐる言説を渉猟、紹介しつつ、その間に著者の見解を交えたもの。
 古典では、古事記、日本書紀、ギリシャ神話、千夜一夜物語、源氏物語、今昔物語、日本霊異記などから、西では、モンテーニュ、パスカル、ディドロ、ミラボー、サド、プルースト、デュ・ガール、フーコー、サルトル、ジッド、トーマス・マン、ウォルポール、ポー、オニール、東では、島崎藤村、室生犀星、宮沢賢治、谷崎潤一郎、三島由紀夫、小島信夫、森茉莉、幸田文、倉橋由美子、野坂昭如などなど、インセスト作品の百花繚乱である。
 文学作品の中にはインセストをテーマにした作品が少なくないこと、それらの作者の中には、実際の人生においても近親者と関係があった者、そういう関係を噂されていた者もあったようだ。ちなみに、ヒトラーは叔父姪婚で生まれた子で、本人も姪と関係があったという。
 ぼくは、定年後の読書で、モンテスキュー『法の精神』、ディドロ『ビーガンヴィル航海記補遺』、フーリエなどの中に近親婚に許容的な記述がしばしばみられることからこのテーマ関心をもったのだが、この本によると、17~8世紀のフランスでは「自由思想家」(“リベルタン”とルビが振ってある)の間に近親婚も含めた自由婚姻論が流行ったとのことである。フランス人のすべてが、いつの時代にも近親婚に許容的だったわけではないらしい。

 インセスト・タブーを論じたフロイト、ウェスターマーク、レヴィ・ストロース、今西錦司、吉本隆明その他の仮説も紹介されているが、本書の中心は、インセスト・タブーの起源、禁忌のメカニズムよりも、インセスト(近親相姦)それ自体の実態とその背景の記述のほうが多い。
 そのまた中心になっているのは母子相姦であるが、著者が「インセスト(的)」とする範囲は広く、バルザック「ゴリオ爺さん」の娘に対する溺愛なども、著者によるとインセスト的ということになる。
 インセストは家庭内で行われるその性質から「密室性」が強いが、この「密室」が実は母の子宮を象徴しており、男の母胎回帰、子宮回帰の願望、幻想の現われであるという説の紹介があった。論者の中には、男の性行為は、たとえ相手が非血縁者であっても、すべて幻想の母親を対象としており、インセストであるという説もあるという。
 最後の説などはちょっとインセスト概念を拡張しすぎでいると思うが、著者が文学研究者、翻訳家であることもあって(元大阪外語大教授、故人)、「文学に現れたインセスト」論として、面白かった。

 巻末にインセスト関係の参考文献が一覧になっていてきわめて有用だが、数が多すぎてとても全部を読むことはできない。本書に登場する作品は、この本の著者による紹介で十分だろう。

 2022年12月16日 記

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緑の東横線車両

2022年12月13日 | 東京を歩く
 
 先日久しぶりに都心に出かけた。

 その帰りに、地下鉄副都心線で明治神宮前駅から小竹向原駅へ、乗り換えて西武池袋線を待っていると、何か不思議な車両の電車がホームに入ってきたので、一瞬とまどった。しかしアナウンスが石神井公園行きと言っているので、そのまま乗った。
 そして石神井公園駅で下車すると、なんと懐かしい、ぼくが大学生の頃に通学で乗っていた緑色の東横線の車両ではないか!(上の写真)
 この緑色の車両を見ると、東横線の渋谷駅のホームに並んでいた姿を思い出す。ただし、当時の車両はもっとくすんだ緑色だったし、今ほどスマートではなかったと思う。

 実はこの日は、高校時代の同級生が4人だけで集まったミニ・クラス会だった。
 中学から一緒だったのが1人、大学も一緒だったのが1人で、高校時代はこの4人組が特に親しかったわけでもなかったのだが、そのうちの1人が、娘家族の住む福岡に移住することになったというので、2月に送別会をかねて集まった。大学時代に一度会ったきりで、それから数十年ぶりだった。
 その福岡の友人が上京するというので、また集まったのである。別の1人が、南青山の骨董通りにあるビルの一角でコレクションの展示会をやっているというので、そこに集合し、その後で彼のなじみの店に行って昼食をして、喋って別れた、それだけである。

 あえて共通点を探すと、4人とも普通の会社員生活を全うしていないことに気づいた。
 1人は最初から医者だったが、残りの3人は、最初は会社に入ったのだが、3人とも途中で脱サラして別の道を歩いてきた。一匹狼というほどではないけれど、終身雇用に安住することはなかった。
 今では別に珍しくもないのだろうが、1970年代初めの入社組としては少数派だった。ただし、うち2人は出版社で、もう1人はかの広告代理店だったから、一般の商事会社に比べると途中退社はそれほど珍しいことではなかった。
 
 「一匹狼」には思い出がある。ぼくが東大を受験した1969年の英語の入試問題で、こんなのがあった。
 ある男がバーで「自分は一匹狼を貫いて生きてきた」と自慢話をしたところ、聞いていた相手の男が「自分も一匹狼として生きてきた」と返したため、2人は意気投合して「一匹狼の会」を作ることになった、という英文を読んで、この話のどこが可笑しいのかを50字だったかで説明せよ、という問題があった。
 一匹狼で生きてきたわけではないが、社歴自慢、ゴルフ自慢、愛車自慢、家族自慢などが一切ないので気楽なのかと思う。容貌、体型なども、この期に及んでは皆などっこいどっこい。それぞれ「一病息災」?だが、さいわい大病はしていない。

 2022年12月13日 記

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