6月も残すところあと数日。もう1年の半分が終わろうとしている。今年も月日の経つのが早く感じられる。
6月に読んだ本は、家永真幸『パンダ外交』(メディアファクトリー新書)、服部龍二『日中国交正常化』(中公新書)、富永茂樹『トクヴィル』(岩波新書)、そして、吉田喜重『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)。
面白かったけれど難しかったのが吉田喜重の『小津安二郎の反映画』。逆に、面白くて分かりやすかったのが、家永真幸『パンダ外交』。
“パンダ外交”は、先日のNHK BSプレミアム“BS歴史館――至宝の外交史シリーズ”でもやっていた。
アグネス・チャンも出演していて、久しぶりに彼女を見た。1972年に17歳で来日したというから、ぼくらとたいして歳は違わないはずだが、若く見える。喋り方も昔とまったく違わない。
1974、5年頃、ぼくは当時四谷にあった文化放送の前で偶然彼女を見かけたことがある。マネージャーに促されて恥ずかしそうにタクシーに乗り込むところだった。
今回の番組で久しぶりに見かけてが、昔とあまり変わってなくて、けっこうユーモラスで、しかし的確なコメントを語っていた。頭のいい人なのだろう。
さて、『パンダ外交』である。
西洋人がパンダの価値を「発見」したことに気づいた蒋介石率いる国民党政府が、日中戦争においてアメリカの支援を得るために(当時アメリカで爆発的な人気のあった)パンダを贈呈したのが「パンダ外交」の起源だという。アメリカ生活の長かった宋美齢(蒋介石の妻)が対米宣伝工作の責任者だったらしい。
戦後の冷戦期にはソ連(モスクワ動物園)、北朝鮮にだけ贈られ、やがて東西の雪解けとともに、ニクソン訪中の“お土産”としてアメリカ(ワシントン動物園)に贈られたのを皮切りに、西側諸国にも贈られることになる。ただし単なる友好の象徴というより、朝鮮戦争以来悪化していた一般アメリカ人の対中感情の融和を中国側は目ざしたらしい。
そして、わが田中角栄による日中国交回復の際に日本(上野動物園)にもパンダはやって来る。ちなみに、日中国交回復をめぐる外交交渉の経緯は服部龍二『日中国交正常化』に詳しい。ただしパンダ贈呈の経緯についての記述は服部の本にはない。いずれ両国事務当局の交渉の経緯は明らかになるだろう。
希少動物保護を目的としたワシントン条約の批准によって、パンダの国外持ち出しは制限を受けることになる。そのため、今度は東西融和の象徴ではなく、「国内」と「国外」の境界線をめぐってパンダは政治問題化する。中国に返還された香港、マカオは中国国内として問題なく贈られるのだが、台湾への贈呈をめぐっては両者間で厳しい交渉が行われた。最終的には台湾へのパンダ移動は実現するのだが、「国内」移動とも「国外」移動ともとれる文書が両者の間で取り交わされているそうだ。
今後は、世界平和と地球環境保護の象徴としてのパンダの価値を、海外からの「眼差し」によってではなく、中国人自身が見出してほしいと思う。
もう1冊、知り合いから、石原莞爾と新明正道の関係について問い合わせを受けたので、夕べ、久しぶりに山本鎮雄『時評家 新明正道』(時潮社、1998年)を読んだ。
新明正道の戦時中の政治評論を論評した本。
「植民地の小役人」を父として台北で生まれ、金沢で小学校に上がったが、父の転職に伴って満州の大連、撫順、遼陽小学校と転校をくり返し、中学校も金沢一中に進学したものの、今度もなぜか京城中学校に転校し、ふたたび内地に戻って旧制四高に進学するという彼の経歴が、戦時中の彼の東亜協同体論につながったであろうことは大いに理解できるところである。それは新明の「時論」というよりは血肉化した信念であっただろう。
しかし、石原莞爾と新明の出会いの経緯、石原に対する新明の評価は山本の著書からはわからなかった。知人の質問の範囲外ではあるが、新明の東亜協同体論はなぜ戦後封印されてしまったのかも不明である。
「羹に懲りて膾を吹く」だったのか。
2011/6/26 記