豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東京の雪(2012年2月29日)

2012年02月29日 | あれこれ

 朝9時近くに起きると、予報通り、外は一面の雪景色。雪はまだ降りつづけていた。

 いつも通り、2階の窓から眺めた東京の家々の屋根の雪景色を撮った。
 中国映画“紅夢”(1991年。張藝謀(チャン・イーモウ)監督、鞏俐(コン・リー)主演)。
 題名は「紅」で、主人公の大邸宅の玄関には赤い大きな提灯が提げられていたのだが、なぜか、ヒロインが殺される冬の早朝の、雪をかぶった邸宅の屋根だけが印象に残っている。
 向かいの家の南側に植わっているヒマラヤ杉も雪をかぶって屹立している。

        


 話は変わって、先日鎌倉へ行ってきたので、久しぶりに小津安二郎監督の“晩春”を観た。
 最初のシーンは、記憶通り、北鎌倉駅に初夏の風が吹きわたるショットだったが、踏切は別の映画だったようだ。

         

 隣りの鎌倉駅のホームの場面もあった。
 先日、乗り換えのために降り立った鎌倉駅のホームは、けっこう観光客で混みあっていたが、“晩春”の頃は長閑なものである。
 1949年の完成とあったから、ぼくの生まれる前の年、今から62年前の風景である。

         

 走っている電車は、古い木造の車両である。
 ぼくの子どもの頃の湘南電車は、緑とオレンジ色の2色に塗り分けた車両だったが、それ以前はこんな電車だったのだ。

        

 高橋治「絢爛たる影絵」などを読んでからは、いよいよ原節子の顔が怖いので、その辺は早送りで済ませる。
 笠智衆との京都旅行で原節子の気持ちが和らぐのだが、清水寺のシーンでは、笠智衆と坪内美子のツーショットが見られる。坪内はぼくが好きな女優だが、笠の友人の後妻役で出ている。

        

 そして、ラストシーン。
 娘、原節子を嫁がせた婚礼の帰り道、料理屋に立ち寄って月丘夢路と酒を飲む。
 このあたりは、“秋日和”の岡田茉莉子と同じである。“秋日和”で褒められていたのは佐分利信だったが。
 自宅前で煙草を捨てるモーニング姿の笠智衆。その後、家に戻った笠がリンゴの皮を剥きながら眠る(?)シーンになる。

        

 ※ スチール写真はいずれも小津安二郎監督“晩春”(1949年)“日本名作映画集21”KEEP社刊より。

 2012/2/29 記

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北鎌倉散歩

2012年02月25日 | あれこれ

 この3月で定年退職される同僚の送別会を兼ねた研究合宿に出かけてきた。

 場所は、鎌倉の由比ヶ浜沿いにある私学共済の「あじさい荘」。

 一昨日、2月23日(木)は朝から雨。時おりけっこう激しく降ることもあった。やや気が重かったが、行かないわけにもいかない。
 池袋から湘南ライナー逗子行き普通列車で60分ちょっと、鎌倉駅に到着。江ノ電に乗り換えるところで、退職される先生と合流する。
 
 長谷駅で下車。雨が強いので、駅舎の2階にある五鉄ラーメンという店に入ると、すでに先客の同僚たちが餃子をつまみにビールを飲んでいる。
 次の電車でさらに同僚3人が入ってくる。
 ラーメンを食べ終わり店を出ると、雨は小降りになっていた。徒歩10分足らずで、あじさい荘に到着。
 玄関前に立った電信柱には「ここは海抜3・1メートル」という看板がかかっていた。「怖いねー」というものの、誰も避難経路は確認せず、中に入る。

              

 研究報告は3本。
 夕食後は風呂に入って、カラオケ。
 最年長は定年となる70歳の先生、最年少でも50歳というメンバーは、“カラオケはタイム・マシンである!」と思っているぼくには程よい年齢構成である。
 最初に女性の先生が「夜明けのスキャット」(由紀さおり)を入れたりするのだから、ドンピシャ!である。
 できれば、もっと絞って昭和23年生まれから27年生まれに限定できると、「タイムマシン」としての性能はもっと上がるのだが・・・。

 「卒業写真」(ハイファイセット)、「風」(シューベルツ)、「旅人よ」(加山雄三)、「帰ってこいよ」(松村和子)、などをビールを飲みながら歌う。
 最後に「なごり雪」を歌おうと思っていたのだが、女性教師が2、3曲続けたところで時間切れ。
 ご当地ソングの「真白き富士の嶺・・・♪」も歌いたかったが、曲名が分からなかった。入ってなかったのかも知れない。

        

 翌日、2月24日(金)は、前日の雨がウソのような暖かい春日和。
 午前9時には宿を出て、長谷駅から鎌倉駅経由で北鎌倉へ。同僚の中に東慶寺に顔のきく先生がいて、その先生の案内で寺内を見学。
 家族法学の草分けである中川善之助先生のお墓にお参りする。先生の命日である3月20日は私の誕生日でもある。先生が上野駅で亡くなられてからもう何年経つだろうか。
 東慶寺の正門わきの梅の木にはちらほらと白い花が咲きはじめていた。

        

 「鉢の木」で昼食をすませ、北鎌倉駅で現地解散となったが、戸塚駅で人身事故とかで電車が来ない。
 小津安二郎の“晩春”のファースト・シーンの北鎌倉駅の上りホームは、(おそらく)北鎌倉女子学園のクラシックな制服姿の女学生たちであふれかえっていた。
 鎌倉の旅で、彼女たちの制服姿だけが小津安二郎の世界を思い出させてくれた。

 おなじく“晩春”だったかに写る北鎌倉駅の踏切はこれだろうか。木々の葉が初夏の風に揺れるあの面影はもうなくなってしまった。

       

 せっかくなので、小津安二郎監督の“麦秋”の最初に出てくる北鎌倉駅のショットと、途中で出てくる、北鎌倉駅のホームで二本柳寛が原節子に、「チボー家の人々」、もうお読みになりましたか? と話しかけるシーンを載っけておく。
 “晩春”も同じ北鎌倉駅のショットから始まるが、微妙にカメラの位置が違っている。(いずれも、Keep社の“日本名作映画集22”から。)

       

       

 2012/2/25 記
 

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スバル “レックス・コンビ”

2012年02月22日 | クルマ&ミニカー

 何か書いておかないと、2006年2月以来つづいているこのコラムの書き込みが1か月以上途絶えてしまう。
 たいして書くこともないのだが、正月に上の息子が遊びに来た時に、祖母が持ち出してきた息子の写真の背景に、わが家の古いマイカースバル“レックス・コンビ”が写っていた。

 最初の写真は、「1982年12月11日」という日付があるので、三輪車に跨っている息子の1歳の誕生日の写真のようだ。

 スバル“レックス・コンビ”は1981年に2代目が発売されたらしいから、2代目のレックス・コンビだと思う。
 この軽自動車の後部座席に小さかった息子を乗せて軽井沢にドライブにも行った。

       

 次の写真は小学校入学式の朝の写真で、「1988年4月6日」と日付が入っていた。
  もっと小さな“スバル360”で、しかも大人4人で碓氷峠を登ったことを考えれば、レックスで難儀をしたという思い出はない。


 ちなみに、隣りに並んでいるのはスバル1100かレオーネだと思う。

 2012/2/22 記

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