豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

箱根に行ってきた

2018年08月29日 | あれこれ

 8月23日~24日、ゼミ合宿で箱根に行ってきた。

 台風19号と20号がダブルで日本に近づいてくる中での合宿になってしまった。
 6月から計画していたことなので、どうしようもない。

 雨の合宿も記憶に残るだろう、と自分に言い聞かせて23日の正午前に出発。
 新宿駅ホームで学生たちと合流。この頃はまだ新宿は晴れていた(薄曇りか・・・)。 
 
 天気予報では、ドンピシャの23日午後3時から24日午後5時までが、関東地方は雨の予報だった。
 天気予報どおり、午後2時過ぎに箱根湯本に到着する頃には、箱根はすでに雨。
 湯本駅でもう一つのグループと合流して、バスで芦ノ湖畔のセミナーハウスに向かう。
 久しぶりの箱根の曲がりくねった道に、車酔いした。

 セミナーハウス到着後、10分後には合宿最初の報告が始まる。
 こんな真面目なゼミも珍しい。

 6時過ぎ、予約してあったので、芦ノ湖のイタリア料理店に向かう。管理人さんは「大丈夫?」と言うが、学生たちは行く気満々である。
 この頃はすでに台風の風と雨が強くなっていて、折り畳みの傘などはおちょこになってしまう。ズボンもびしょ濡れになったが、仕方ない。

 “ラ テラッツァ”はおしゃれなレストラン。
 学生たちはそれぞれのパスタを注文し、ぼくがピザ2枚とビールを奢る。
 ぼくが選んだのは「もち豚と玉ねぎのxxx」というパスタだったが、名前を忘れてしまったのでレシートで確認しようとしたら、「もち豚と玉葱のパスタ」となっていた。「パパラッチ」に似たような名前だったが。


 夜中は雨風の音がすごかったが、24日朝も風は強いが、雨は霧雨程度になっていた。
 7時に朝食を済ませて、8時から3本目の報告。
 10時に宿を出発。

 箱根フリーパスが利用できる遊覧船や、駒ケ岳ロープウェーはすべて運休。
 仕方なく、合宿係の学生が使える乗り物を組み合わせてルートを作り直す。

         

         

 結局、元箱根港で雨に煙る遊覧船を眺め、箱根園で駒ケ岳ロープウェーの乗り場を眺め、再び元箱根に戻り、小涌園のユネッサンで昼食。
 この頃が一番雨が強くなっていた。

 その後、無料送迎バスで強羅駅に出て、唯一運転していた早雲山ロープウェーで早雲山に登り、同じロープウェーで強羅に戻る。
 強羅から箱根登山鉄道で箱根湯本駅に向かう。

         

         

 悔しいことに、湯本駅に着くころには、天気予報どおり雨は上がり薄日が差し始めていた。
 はたして「記憶に残る」合宿になったかどうか。


 2018/8/29 記


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千ヶ滝100年 セゾン美術館

2018年08月20日 | 軽井沢・千ヶ滝

 東京に戻ってから、中軽井沢駅の観光案内所前から持ち帰ったパンフレット類を改めて見ていたら、セゾン美術館で“千ヶ滝別荘地100年の歴史”という写真展をやっているのを知った。

 見ておきたいところだったが、あいにく9月2日で終了とある。
 ぼくが次に軽井沢へ行くのは9月4日以降だから、残念ながら見ることはできなそうだ。

 先日まで、軽井沢に滞在した際には何度もセゾン美術館の前を通った。
 思い返すと、前を通るたびに、何か久しぶりに行ってみようかなという気もちが湧いてきた。
 今から考えると、千ヶ滝の写真がぼくを読んでいたのかもしれない。

 ただし写真資料は20数点とあるから、それほど大規模な写真展ではなさそう。
 小林収さんの軽井沢本で済ませておこう。


 2018/8/20 記

 きょうは祖父の命日だった。1984年8月20日のちょうど今ごろ、午後8時すぎが臨終だった。きょうとは違って、夕焼けがきれいな、いい天気の日だった。

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発地市庭 (軽井沢 2018年8月13日)

2018年08月15日 | 軽井沢・千ヶ滝
  △ 上の写真は、バイパス沿いのケイヨーD2から眺めた浅間山。
 

 
 最近女房が気に入っている発地市庭(ほっち いちばと読む)に出かけた。

 「市庭」と書いて「いちば」と読ませるようなネーミングが嫌いで、できたという記事を読んでから数年間(何年にできたのかも知らないが)は無視していたのだが、女房がネットの書き込みで評判がよいというし、鶴溜に別荘を持つ同僚が「あそこのお蕎麦は美味しい」と言っていたので、昨夏はじめて行ってみた。

         

  △ 上の写真は、天もりそば(1000円)。美味しかった。



 ちょうど軽井沢の塵芥処理場から近いので、粗大ごみを捨てに行くついでに立ち寄るのに便利である。

 店が開く朝9時に並ばないと、レタスなどは売り切れてしまうというので、朝8時に家を出て、8時半前に到着したが、すでに20人近くの行列ができていた。

         

  △ 発地市庭から眺めた浅間山。ぼくの「浅間山百景」のベスト3に入る。
 
         
 女房は列に並び、ぼくは孫へのお土産にカブト虫売り場をのぞきに行く。
 モールの出店にカブト虫を売っているところがあり、先週末に眺めていたら、お兄さんから「“水牛”の大きいのが月曜日に入荷する」と言っていたので、現物を見ることにした。

 カブト虫とクワガタの区別すらあいまいなのだが、「水牛」に至ってはどの虫の仲間なのかもわからない。

 その「水牛」の現物は、大型よりさらに一回り大きいので、1000円だと言うが、思ったほど大きくはなかった。普通サイズのカブト虫程度。ちなみに大型の「水牛」は700円。
 息子たちも子どもの頃、夏休みになるとカブト虫を欲しがり、石神井の尾崎フラワーパークに買いに行ったことがあったが、30年近く前でカブト虫は確か500円だった。

 4歳の孫にはこの「水牛」の有難みは分からないだろうから、ほぼ同じ大きさのカブト虫を買う。700円+ケース代100円。
 ただし、カブト虫は買うものだとは思ってほしくないので、孫には「軽井沢のお友達のおじさんが捕まえてくれた」と話した。

 孫は大喜びで、大きな虫かごに入れ替えて、毎日持ち歩くのはいいのだが、夜行性のカブト虫が日中はほとんど動かないのが不満で、いじりたがる。
 寝不足で寿命が縮まりはしないかと心配している。

 
 2018/8/15 記


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椿山荘 イル・テアトロのランチ(2018年7月31日)

2018年08月14日 | 東京を歩く

 7月31日に、目白、椿山荘のレストラン“イル テアトロ”のランチに行ってきた。
 女房が孫の面倒を見ていることのお礼ということで、お嫁さんからペアのランチ券をプレゼントされたのだが、その期限が迫ってきたので、出かけてきた。
 炎天下ではあったが、館内はもちろんエアコンが効いていて、窓から眺める椿山荘の庭の緑も美しい。

 最初に給仕に来た、背の高い年齢の高いウェーターさんに、「イタリアの方ですか?」と尋ねると、「私はイタリア人とフランス人の両方。シシリアの出身です」とのことだった。
 “ニュー・シネマ・パラダイス”の映写技師アルフレード(役の俳優)を思い出させた。

 メニューは夏らしく、さっぱりしている。
 若い男性には分量が少し物足りないかもしれないが、女性にはちょうどよさそう。

 
 最初は、冷製スープ。
  
         

 オードブルは、丹波黒鶏のポルケッタ風、白いんげん豆添え。意味は分からないが、メニューにそう書いてあった。
  
                  

 つづいて、オレンジのヴィネグレット 夏野菜のピクルスとカッペリーニ(とメニューには書いてある)。素麺みたいなやつだったか・・・。
 フォークで巻くと、全部がひと塊でくっついてきてしまう。一口で食べるのだろうか。
  
                  

 メインディッシュは鱸(すずき)のマリナータ。アロースト チコーリアとセルバチコのサラダ。鱸だけは意味が分かるが、あとは不明。

                           

 最後のデザートはワゴン・サービス。
 冷やしたプレートに注文しただけよそってくれる。さっきよりも若いイタリア風のウェーターさん。
 こんなことならパンは食べないでおなかを空けておけばよかった。 
         
 ティラミスを注文すると、「1つだけでいいすか?」という。
 「1つだけでなくていいの?」と聞くと、「いくつでもどうぞ」というので、アップルパイなどさらに3、4個選ぶと、「それだけでいいのですか」という。「それではアイスクリームも下さい」と答えると、アイスの他にグラスに入ったゼリーを2つとフルーツポンチのカップを加えて、冷やしたプレートに乗せてくれた。

 デザートの状態は、最初の写真をご参照ください。

 メニューの意味がほとんど不明だったので、イル・テアトロのメニューもつっけておく。

         



 2018/8/12 記

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星野温泉 野鳥の森を歩く(2018年8月10日)

2018年08月11日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月7日から答案の山を抱えて軽井沢に来た。この夏最初の軽井沢。
 
 定年を前に、そろそろ“ほとけ”の教師になろうと思って、試験前にかなりピンポイントのヒントを与えたため、受講生430名のうち400名以上が受験した。
 1日150通を目標に採点を続けているが、“ほとけ”の教師も結構きついものがある。

 ぼくの学生時代、一般教養の「美術」だったか「美術史」をとったが、この科目の先生はいわゆる“ホトケ”の先生で、試験では、「レンブラントは“光の画家”といわれているが、レンブラントが真に描いたのは光によって際立たされた闇の世界である」と書けば、かならず「優」がもらえると先輩から聞いた。
 授業には一回も出なかったが、試験は受けてその通り書いたら、本当に優(たしか85点だった)をもらえた。

 学生時代にはずいぶんたくさんの試験を受けたが、書いた答案の内容を今でもはっきり覚えているのは、この科目の答案だけである。

 先日、同僚にこの話をしたら、春休みにオランダ旅行をして、アムステルダムかどこかの美術館でレンブラントを実際に見てきたという英語の先生が、「よく覚えているわね!本当にレンブラントって闇の部分がすごいのよ!」と感嘆していた。
 18か19歳の時に書いた答案を50年近く経った今でも覚えているのは、あの先生の教育力のすごさだろう。くだらないことを暗記して吐き出すような答案を書かれるより、この一文を心に銘記してほしかったのだろうか。
 非常勤で来られていた三輪福松先生と仰る先生だった。

         
         
         
 さて、等案の採点もめどがついたので、8月10日、女房に誘われて、星野温泉の野鳥の森を歩いてきた。

         

 千ヶ滝中区(旧文化村)の西武百貨店跡地の駐車場に車を止めて、バス停横の道を下り、すぐの十字路を右折して、道なりに左方向に細い道を下って、星野温泉裏に出る。
 子どもの頃に通いなれた道である。    

         

 中学生のころ、祖父の下駄を履いてこの辺を散歩していたら鼻緒が切れてしまい、ケンケンで歩いていたら、道端の「小松」さんという表札の別荘から出てきたお嬢さん(当時のぼくにとっては「お姉さん」)が「サンダル貸してあげましょうか」と声をかけてくれた。
 恥ずかしかったので、「大丈夫です」と答えてしまった。
 ぼくはこの人に恋をした。近所だったけれど、その後二度と会うことはなかった。
 きのう通った時には、もうこの表札はなかった。

         

 中西悟堂の胸像を右手に、湯川のせせらぎを左手に見ながら、キビタキ休憩所に向かう。450メートルだったかで到着。

         

 小休止のあと、アカゲラ休憩所に向かう。今度は530メートルだったか。そこそこの勾配があるが、木々に光がさえぎられていて、そこまでは暑くない。
 ほとんど人とは出会うことはない。

         

 キビタキ休憩所を出て、振り向くと、木々の間から浅間山の夏姿がのぞいていた。

         

 アカゲラ休憩所からは、ほぼ下り坂。

         

 やがて、人の姿が多くなり、ケラ池の人混みと子どもの声が聞こえてくる。

                  

 その後、ハル楡テラス(?)を歩いて、シャトルバスで千ヶ滝駐車場に戻る。

         

 
 (旧)千ヶ滝スケートセンターのぺんぺん草が生えたテニスコートを横切る。
 むかし、このコートで天皇と石黒賢のお父さん(デ杯選手だった)がダブルスを組んで試合をしているのを見たこともあった。

         

         

 上の写真は、旧西武百貨店千ヶ滝店の庭を西南の道からみたところ。

 (旧)西武百貨店跡地の駐車場に置いたクルマに戻り、千ヶ滝温泉で待っていた女房を拾って帰宅する。

         

 軽井沢スケートセンターで残っているのは、この千ヶ滝温泉だけになってしまった。

 冬はスケートリンクになるボート池や、400メートルのパイピング・リンク、屋内のアイスホッケー・リンク、そしてゲームセンターや卓球場など、今はどうなっているのだろうか。
フェンスが建っていて、中を伺うこともできない。
 
 あの、スケートリンクの冷気と氷のにおいが懐かしい。

 
 2018/8/11 記


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保健休養地軽井沢100年

2018年08月04日 | 軽井沢・千ヶ滝

 定年を2年後に控えて、研究室も断捨離を始めている。

 机の引出しの中から使用済みのテレフォンカード(“テレカ”とか言っていたけど)が100枚近く出てきた。

 前任校に就職した1992年ころに最初の携帯電話を購入した記憶があるが、それ以前はテレカで公衆電話を使っていた。

 その中の1枚に“保健休養地軽井沢100”と銘うったのがあった。
 取り壊される前の軽井沢駅舎を背景に、人力車に乗った山高帽、ちょび髭、三つ揃い姿の紳士が描かれている。
 軽井沢が「保健休養地」とかに指定されたのがいつかは知らないが、軽井沢が避暑地としてショー牧師に発見されてから100年たった頃のテレカだろう。


         


 ついでに、数あるテレカの中からきれいなお嬢さんの写ったものを何枚かアップしておく。

 JA貯金は原田知世と書いてあるが、朝日生命のは誰だろうか。

 西武不動産の“西武ヴィラ苗場クリスタル1号館”には1991年という日付がある。バブル絶頂期、それこそ「私をスキーに連れてって」の時代のものだろう。


 2018/8/4 記



 8月4日は「封建制度破棄宣言の日」と高校の世界史で習ったような記憶があるが、「封建制度破棄」とはいったい何をしたのだろうか。
 



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