豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“二重結婚者”,“ドクトル・ジバゴ”

2011年05月30日 | 映画

 この5月に見た映画は、きのうラスト・シーンだけを見た“猟奇的な彼女”と“シベールの日曜日”を除くと、“二重結婚者”と“ドクトル・ジバゴ”の2本だけだった。

 “二重結婚者”(原題は“The Bigamist”)。
 重婚は、わが国でも、そして現在でも、婚姻の取り消し原因であると同時に、刑法上の犯罪でもある。重婚罪は六法を探してもなかなか見つからなかったが、刑法184条にあった。なんと、「わいせつ、姦淫」の罪の後に置かれていた。そういう位置づけだったのか。
 ぼくは、いまだに刑法各論の犯罪の並べ方のルールが分からない。

 サンフランシスコに住む妻のあるセールスマンが、ウイークデーはロスアンゼルスに単身赴任するが、そこで貧しいけれど心やさしい女性と恋に落ち、子までもうける。シスコで待っている妻には何の不足もなかったのだが、そういうことになってしまう。
 やがて、この関係が発覚し、男は裁判にかけられる。結末は描かれてないが、ラスト・シーンの妻の表情は夫を許しているように見えた。

 不思議だったのは、男がロスの女とは法律上の結婚はしていないことだ。それでも当時(1953年作品)のキャリフォルニア州の刑法では重婚罪が成立したのだろうか。
 わが国の判例ではこのような関係は重婚的内縁といって、重婚とは区別されている。もちろん重婚罪にはならないのだが。


               

 もう1本は“ドクトル・ジバゴ”。

 近所のホームセンターのレジの横に並べられたDVDやCDの中から見つけて買った。500円だった。
 当然、オマー・シャリフとジュリー・クリスティーの、あの“ドクトル・ジバゴ”だと思って買ったのだが、リメーク版だった。ケースのスチール写真を見れば分かることだったのだが、迂闊だった。 
 知らない俳優ばかりだが、ヒロインのララ役のキーラ・ナイトレイという女優は“パイレーツ・オブ・カリビアン”に出演したとある。興味のないジャンルなので知らないが、そこそこの役者なのだろうか。

 リメーク版と知ってがっかりして、ほったらかしにしていたが、ある時、いよいよ見る物がなくて見はじめたら、学生時代に見たオマー・シャリフのものとは違って、善意だが空想的なジバゴと対比して、あの悪徳弁護士の生命力(?)にも何がしかの感慨をもった。
 こちらが歳をとったのか、旧版とリメーク版とで描き方が違っているのか。いつか旧版も見てみよう。

 * “二重結婚者”(1953年)Classic Movies Collection シリーズ、ファーストトレーディング。“ドクトル・ジバゴ”(2003年、イギリス、Granada)、ウエストブリッジ。

 2011/5/30

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラスト・シーンをもう一度

2011年05月28日 | 映画

 きょうの昼前、なんとなくテレビをつけると、“猟奇的な彼女”をやっていた。
 11時半に近かったので、もう終わる直前だった。あの、村はずれに一本だけ立っている思い出の木の下にチャ・テヒョンがやって来て、手紙を読むあたりだった。
 でも、二人が数奇な再会を果たして、テーブルの陰で手をつなぐあのラストシーンを見ておこうと思って、最後まで見た。
 
       

 ぼくは彼女の義母役の女優さんのほうが好きだったが、きょう見ると、チョン・ジヒョンもわるくない。
 2001年の作品だった。もう10年も経ったのだ。
 ぼくがカラオケで歌いたいと言ったら、“I Believe”を何度も聴いてカタカナの歌詞カードを作ってくれたゼミ学生も、もうとっくに卒業してしまった。元気にやっているだろうか。

 “猟奇的な彼女”が終わったので、チャンネルを回すと、452チャンネル“ザ・シネマ”で、なんと“シベールの日曜日”をやっていた。こちらも12時までで、もうハーディー・クリューガーが撃たれてしまった後だった。
 それでも、シベールが「もう名前なんてない」と言って泣くラストシーンまで数分間だけ見た。

 そう言えば、何日か前に“シベール~”をやるという予告を見た。忙しくてメモも取らなかったので見逃してしまった。
 “シベール~”は1962年の作品。ぼくが見たのは1960年代の末か1970年代の初めだった。それでも40年以上前に見た映画である。

 ラストシーンで聖歌が流れるあたりは、“汚れなき悪戯”を思わせる。そう言えば、どちらも修道院が舞台だった。
 “汚れなき悪戯”は1957年日本公開らしい。小さい頃に見た記憶がある。同じパブリート・カルボが主役の“広場の天使”も見た。戦後の貧しさは、日本もスペインもイタリアも同じだった。
 小森和子も大好きだったというパブリート・カルボは若くして亡くなってしまった。朝日新聞に死亡記事が載った。

             

 * 何か書かないと、2006年2月以来、毎月何かは書き続けてきた“豆豆研究室”の投稿が2011年5月で途絶えてしまう。これでなんとか今月も1本は書くことができた。
 タイトルの写真は、大学時代の友人で写真部に属していたやつが作ってくれた“シベールの日曜日”のスチール写真。40年以上ぼくの部屋の壁に下がっている。もう1枚は“汚れなき悪戯”の主題歌“マルセリーノの歌”のレコード・ジャケット。1970年代にリバイバル上映された時に発売されたものだったと思う。

 2011/5/28

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする