豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

千ヶ滝100年 千ヶ滝通信 2

2018年07月28日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 前の書き込みの後で、“千ヶ滝通信”をファイルに仕舞おうとしたら、ひとつ前の“千ヶ滝通信”(2018年春号、通巻33号、2018年4月)が出てきた。
 33号も「千ヶ滝開発100周年」の特集だった。

 堤康次郎による千ヶ滝開発については、小林収『軽井沢開発物語』(信濃路、1974年)に詳しいが、読み返してみると、面白いことが山のように書いてある。

 そもそも堤は、離山山麓の大隈重信の別荘を訪問した折に、浅間山山麓開発を思い立ったという。
 そして沓掛に目をつけ金で農民を懐柔し、広大な土地を買収し、別荘地だけでなくホテル、温泉、マーケットの複合施設として「千ヶ滝遊園地」を立ち上げたこと、戦時中は、グリーンホテルや観翠楼を軍施設として「貸与」(接収ではない!)したこと、戦後は所沢にあった航空機の格納庫を移設して(!)スケート場を開き、根津嘉一郎から買収して晴山ホテル、ゴルフ場を開いたこと、などなど。

 基本的にやっていることは現在のリゾート開発業者と同じではないか。

 なお、小林収氏には、『避暑地 軽井沢』(櫟[いちい]刊、平成11年)という同書の改訂版のような著書もある。

         

 ついでに、断遮離していたら、捨てる本の間から古い軽井沢関係のパンフレットが出てきた。
 軽井沢町観光商工課発行の「軽井沢ごよみ No.1」で、軽井沢高原教会前の冬の結婚式風景の写真があり、「式が終わったら、スケートで遊びます」なんていうキャプションがついている。
 結婚式の後でスケートをするカップルがいたのだろうか。

         

 裏のページは、「国鉄 軽井沢ガイド」(国鉄東京北局、55.12)となっている。昭和55年(1970年)12月発行ということだろう。
 キャプションは「雪化粧した浅間山のふもと・・・ 軽井沢は、天然氷のスケートや氷まつりで冬も楽しい!」となっている。
 スキースケート往復切符(東京ー中軽井沢)が3200円(特急券別)、軽井沢プリンスコテージの2泊3日(宿泊、2朝食付き)の往復切符が20,800円~となっている。
 今からみればずいぶん安いが、当時の貨幣価値ではどうだったのか。

 パンフレット自体はかなり庶民的だが・・・。


 2018/7/28 記

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千ヶ滝100年 千ヶ滝通信

2018年07月26日 | 軽井沢・千ヶ滝
 長年管理を依頼している西武プロパティーズから定期的に送られてくる“軽井沢通信”の2018年7月号(通巻34号)は、千ヶ滝別荘開発100年が特集だった。

 千ヶ滝の別荘地は、1918年(大正7年)に堤康次郎が「軽井沢千ヶ滝 文化村」を開発、販売を始めて今年で100年になる。
 ぼくがはじめて軽井沢に行った昭和31年(1956年)当時は、西武百貨店軽井沢店の東側、まさに堤が最初に売り出したあたりが「文化村」と呼ばれていたことは、このコラムの第1回で書いたとおり。

 わが家が国土計画が開発して売り出した千ヶ滝西区に土地を買ったのが1964年か65年、坪5000円、300坪で150万円だったと聞いている。
 そこに家を建てたのは1968年、ぼくが高校3年の時だったから、わが家も今年建設50年を迎える。
 増築を2回行い、一昨年には水回りをリフォームしたが、基本部分は50年前のままである。
 良くもったというのが実感である。

 土地の購入時に敷地の周りに植えた落葉松も、当時はぼくの背丈ほどで、てっぺんの枝に止まっているトンボを虫取り網で捕まえたりできたが、今では2階の屋根よりも高い大木になってしまった。

         

 友達が遊びに来て、泊まって行き、テニスやドライブに出かけたりもしたが、しかし大半の時間は受験勉強や読書に費やした。

 高校生だった頃は、自分が60歳だの70歳だのになるなどということは夢想だにしなかったのだが、実際にそんな歳になってしまった。
 実感はまったくなく、自分は今でも18歳の頃と基本的には変わり映えもしないままの存在だと思っているのだが・・・。

 ぼくが大学生だったころ、当時60歳後半から70歳に向かっていたはずの祖父がアドルノやルーマン、ホルクハイマーなどを読んでいる隣りの部屋で、当時刑法学界ではやっていたヴェルツェルの「目的的行為論序説」を読んでいたら、部屋に入ってきた祖父がその本をちらっと眺めてから、「こんな難しい本は司法試験のためには読む必要はない」と言って、その本を取り上げられてしまったこともあった。
 * 下の写真が祖父の勉強机。亡くなって30年以上経つがそのまま置いてある。

           

 今でも、軽井沢では本を読んでいる時間が多いが、定年になったらチェーン・ソウで繁りすぎた庭木の伐採でもしようかと思っている。


 2018年7月26日 記


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お台場 “ダイバーシティ” でバーベキュー

2018年07月02日 | 東京を歩く

 
 きのうの日曜日、ゼミの学生たちとお台場の“ダイバーシティ”の屋上でバーベキューに出かけてきた。

 夏合宿の日程がなかなか合わず、全員参加が無理なので、夏休みを前にゼミの親睦でバーベキューをやろうということらしい。

 梅雨が明けてしまい、うだるような暑さでキツかったが、若い学生たちとバーベキューなどという機会もあと2年で定年になればなくなってしまうので、参加することにした。

         

 場所は、お台場(ゆりかもめ台場駅下車)の“ダイバーシティ”。
 西武線、有楽町線と乗り継いで、豊洲でユリカモメに乗り換え。上の写真が豊洲駅。

         

 新市場駅、国際展示場前などを過ぎて、10個目くらいの駅が台場駅。
 下の写真は、車窓から眺めた豊洲の新市場(らしい)。
 当然ながら、閑散としている。

         


 それにしても暑かった。
 いちおうビニールシートの屋根はあるが、日ざしは差し込んでくるし、あちこちのグループの竈(?)からは燃える炭の熱気が押しよせてくる。

         

 熱中症にならないように、ひたすらソフトドリンクを飲み続けた。

 夕方6時で終了。
 あわてて台場駅に戻り、7時豊洲発のFライナーで帰宅しようと試みたが、日曜日は運休のため、在来線で帰る。

 2018/7/2 記


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