前の書き込みの後で、“千ヶ滝通信”をファイルに仕舞おうとしたら、ひとつ前の“千ヶ滝通信”(2018年春号、通巻33号、2018年4月)が出てきた。
33号も「千ヶ滝開発100周年」の特集だった。
堤康次郎による千ヶ滝開発については、小林収『軽井沢開発物語』(信濃路、1974年)に詳しいが、読み返してみると、面白いことが山のように書いてある。
そもそも堤は、離山山麓の大隈重信の別荘を訪問した折に、浅間山山麓開発を思い立ったという。
そして沓掛に目をつけ金で農民を懐柔し、広大な土地を買収し、別荘地だけでなくホテル、温泉、マーケットの複合施設として「千ヶ滝遊園地」を立ち上げたこと、戦時中は、グリーンホテルや観翠楼を軍施設として「貸与」(接収ではない!)したこと、戦後は所沢にあった航空機の格納庫を移設して(!)スケート場を開き、根津嘉一郎から買収して晴山ホテル、ゴルフ場を開いたこと、などなど。
基本的にやっていることは現在のリゾート開発業者と同じではないか。
なお、小林収氏には、『避暑地 軽井沢』(櫟[いちい]刊、平成11年)という同書の改訂版のような著書もある。
ついでに、断遮離していたら、捨てる本の間から古い軽井沢関係のパンフレットが出てきた。
軽井沢町観光商工課発行の「軽井沢ごよみ No.1」で、軽井沢高原教会前の冬の結婚式風景の写真があり、「式が終わったら、スケートで遊びます」なんていうキャプションがついている。
結婚式の後でスケートをするカップルがいたのだろうか。
裏のページは、「国鉄 軽井沢ガイド」(国鉄東京北局、55.12)となっている。昭和55年(1970年)12月発行ということだろう。
キャプションは「雪化粧した浅間山のふもと・・・ 軽井沢は、天然氷のスケートや氷まつりで冬も楽しい!」となっている。
スキースケート往復切符(東京ー中軽井沢)が3200円(特急券別)、軽井沢プリンスコテージの2泊3日(宿泊、2朝食付き)の往復切符が20,800円~となっている。
今からみればずいぶん安いが、当時の貨幣価値ではどうだったのか。
パンフレット自体はかなり庶民的だが・・・。
2018/7/28 記